第一話 玲瓏
舞えよ、乙女!翳す扇は伝統の証。守り抜くのは日本の魂。
私立玲瓏学院高等部。
今日から、私はこの学校の一生徒となる。
冬の厳しい受験を乗り越え、特待生として、この「清く、正しく、美しい」玲瓏学院に入学することが出来た。
すべては、私の「お嬢様になりたい」一心から成し遂げられたことである。もはやそれは執念と言うべきか、乙女の維持と言うべきか.......
幼い頃毎日、近所の同い年の女の子が、玲瓏学院の制服を着て、家の前を通っているのを見ていた。黒いピカピカのランドセル。そこには、由緒正しき玲瓏の紋章が描かれていて、とても美しく、特別なもののように見えた。
私もそれを背負ってみたい、あのすてきな制服を纏ってみたい。幼心にそう思っていた。親に、「玲瓏学院に入りたい」と一度だけせがんだことがあったが、「あそこに行く子は、お金持ちで家柄が良い子なの。お嬢様しか入れないのよ」と諭され、うなだれたこともあった。どうして私はお嬢様になれないんだろう。
それから、玲瓏学院について必死に調べ、ようやく、高等部から特待生の入学試験を設けていることを知る。小6くらいからかな.....「絶対この学校に入る」って意識し始めたのは......。
中学時代は、勉強に専念。玲瓏学院の為と思ったら、部活も習い事もすべて放り投げることが出来た。最初はみんな、「玲瓏学院なんて無理よ。あそこはコネなんだから」と鼻で笑うように私の志を無碍に扱ってたけど、合格が決まったいま、私を見る周囲の目は変わっていった。白から、青に。
新しい制服を着て、新しい鞄を手に、校門の前に立つ。まだ校舎は見えず、桜並木だけが延々続いて、ベールのように学校をかくしている。私の前を歩く生徒たちはみな、着慣れた制服を少し着崩して、ちょっと綻びの目立つ鞄をぶらぶら提げて歩ていた。一人で黙々と歩いている生徒もいれば、二三人で話しながら登校している生徒もいる。ただ、偏見かもしれないけど、なんとなく、そこはかとなく、みんな育ちが良さそうだった。
そもそも、学費のいらない特待生は私ともう二人くらいしかいない。他はみんな、幼稚園や、小学部からの「内部生」である。みんな価値観の違うお金持ちなのだ。
校舎に入ると、予め指定されていた「1年5組」へ向かう。ここへ来ると、みんな学友との会話に花を咲かせるのに夢中だ。楽しそうに、勉強やテレビのことを話している。あまり話すことは、私たちと変わらないんだな、と少しほっとしたけれど、まだ私にはそんな会話を出来る友達がいない。そもそも、私なんかを受け入れてくれるのだろうか。
ちょっと緊張して、座席に座る。すると、すぐ横にいる女子二人の話が耳に入った。
「ねえねえ、日本舞踊部の部長、やっぱり薫乃さんになったらしいわ。」
「やっぱりね。藤間先輩だと思ったわ!とてもお美しくてお上手ですもの!」
どうやら、先輩の話をしているらしい.....。藤間先輩、とかいう有名な先輩がいる、と。美人で大和なでしこなんて、やはり玲瓏学院は違うな。一回その藤間先輩を見てみたい、と思っていたら。
ふと高校入学式のプログラムを見ると、偶然にも「生徒会長挨拶」の欄に「藤間薫乃」と書かれている。恐らく、この人が会話に出てきた藤間先輩。名前からして風光明媚.....きっと「ミス玲瓏学院」みたいな人なんだろう。入学初日から見られるなんて、本当にラッキーだ。
担任の先生の話が終わると、すぐ入学式が行われる講堂へ向かった。舞台前には玲瓏学院の紋章が入った旗が立っており、来た人から順に長椅子に座っていく。中高一貫の高校ゆえに、始業式と入学式をいっしょにやるのが恒例だ。なので、1年の他にも2年、3年が式に参加する。私は高校から入学なので、最後尾の席に着く。姿勢を正して壇上を見つめていると、右隣の扉から勢いよく講堂にかけこんできた人がいた。
「ごめん、隣良いかな?」
はきはきと、よく通る声にハッとして、隣を見る。そこに、はあはあと息を切らしてこちらを覗き込む女子がいた。茶色い地毛を二つ結びにして、入学式プログラムを扇子代わりにあおいでいる。スタイルが良く、いかにも女子高生らしい制服の着こなしだ。入学式初日から遅刻なんて、余裕のあること.....一瞬で確信した。この人は幼稚園からの「内部生」だって。
どうぞ、と少しだけ席をずらして、隣をあけた。どうも、と少し会釈して隣に腰をかけたその女子は、セーラー服の一つ目のボタンを外し、リボンを緩めると、制服の中に風を送るようにしてプログラムをあおった。その様子は、貫録ある大物女優にしか見えない。
その後の入学式は、気が散って仕方がなかった。何故なら、隣の女子が、眠り落ちて私の方へ傾いてくるし、時々いびきのような寝息が聞こえてくるから。これが、玲瓏学院の生徒の実態なのか。表の顔があの藤間先輩だとしたら、裏のボスはもしかしてこの人?と思ってしまうほど、調子に乗った態度。周りの先生も、それを注意しない.....。
するとようやく、生徒会長挨拶の呼びかけがあった。いっせいに生徒たちの視線が、大講堂の中心へ向かう。そこに現れたのは.....。
「みなさま、ごきげんよう。生徒会長の藤間薫乃です。」
眩いくらいに綺麗な、艶のある黒髪。品のあるお顔。まさしく大和なでしこ名高き女子だった。指先から何から何まで、所作一つ一つが、繊細かつ優美。話し方もおっとりしていて、淑女らしい。そして何と言っても美少女。この人こそ、玲瓏学院の華である。
すると、隣で寝ていたはずの女子が、くすっと笑った。彼女も、生徒会長を見ている。何がおかしいんだろう、と怪訝に思ったが、この女子とは関わらない方が良いと感じていたゆえに、彼女に反応することはなかった。生徒会長を見たら余計に、この女子の「問題児感」が浮かび上がったのも、一理、ある。
しかし、そんな私の気持ちをよそに、その女子はちょっと前かがみになって、私に話しかけてきた。
「ねえ、あなた新入生ってか、特待生でしょ。」
はい、とそっけなく答えると、女子はふうん、すごいね、と感心したような態度を見せた。彼女にとって、私なんて興味の対象にですらないかと思ってたから、少し驚いた。
「私、坂東あかり。2年5組。よろしくね。」
そう元気に言うと、向日葵のような輝く笑顔でこちらを見た。2年5組か。と言うことは、え、年上.....。
どうりで、スカート丈もぎりぎり、遅刻もぎりぎりな訳だ。高校2年までの10数年の怠惰の末がこれ。何て先輩なんだ、と心の中で思いながら、
「あ、あの、う、梅原凛です。よろしくお願いします。」
私も名前を教える。もうこれ以上、会話を長引かせたくない。そんなことよりも、生徒会長の話を聞きたいし、あの精神安定必須のお声を拝聴していたい.....。
だけど、すぐに生徒会長の挨拶は終わり、藤間さんは壇上からはけた。ああ、もっと見ていたかったのに。何てことしてくれたんだ、この先輩は。坂東先輩と名乗ってきた女子をいやみったらしく見てると、彼女は首を傾げてみせた。そして次の瞬間、彼女の口から思いもよらぬ言葉が出た。
「ねえ梅原さん、日本舞踊部に入る気、ないかな?」