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家政婦のマーシ

 

 家の呼び鈴が鳴った。


 ああ、また「あの女」だわ。この時間になるといつも来る。


 でも私は応答しない。だって、彼女のことはどうしても好きになれないもの。そのまま外で待ちぼうけていればいいわ。


 そう思うけど、実際、思い通りになることなんてない。だって私、一人暮らしじゃないし。


 私の側で椅子に座りながら本を読んでいるお父さんが、「彼」の名前を呼んだ。そうするとしばらくして「彼」は階段を下りてきて、玄関の鍵を開ける。


 やっぱり「あの女」だわ。


 いつもモジモジして声も小さいくせに、毎日欠かさず家に来る。しかし何故か上がって来ることはなく、本を一冊渡してくるだけ。全く、変な女。どうせ「彼」に会いたいだけなんでしょ。


「彼」は「あの女」の抱えていた今日の分の本を受け取り、彼女と多少の言葉を交わすと扉を閉めた。そうして受け取った本をそのままお父さんの傍らへ静かに置き、また二階に上がっていった。


 私は、去り際の「彼」の顔を見てほくそ笑む。ほら見なさい。やっぱり「彼」は彼女のことなんて何とも思ってないのよ。「彼」は本なんて全然読まないしね。それなのに毎日毎日、おこがましいったらないわ。


 お父さんも変よ。あんな素性も知れない女、拒絶さえすれども、あろうことかその訪問を認め、よりによって「彼」に応対させるなんて一体何の冗談なのっ!


 きっと私に「彼」を諦めさせたいがために「彼」と「あの女」をくっつけようとしているんだわ。今更そんなことしても無駄なのに。


 私と「彼」はもう相思相愛なのよっ。




 私が事故に遭って入院した日。「彼」は隣のベッドに寝ていたわ。


 その時、「彼」は意識を失っているらしくて、包帯もぐるぐるだし、色々な器具がその周りを囲んでいたのだけれど、私はその横顔を見て悟ったのよ。


 いわゆるヒトメボレってやつ!


 その後しばらくして「彼」は意識を取り戻し、会話もできるようになった。


 それからの私は、ひたすらにアプローチよ。


 話もたくさんしたわ。好きな食べ物から自慢のジョークに至るまで、それこそありとあらゆる分野をね。


 けれど、「彼」にも話せないことがあったわ。どうやら「彼」、記憶の抜け落ちているところが有るみたいで、入院の経緯とか、自分の生い立ちとかはどうしても思い出せないみたいなの。お医者さんに聞いてみたけど、「今後、記憶が戻るかは解らない」って。まあ、それに限っては残念だけど、どうしようもないわね。


 そして、一番びっくりしたのが「彼」に対する私のお父さんの反応。


 私のお父さん、私達が親しくお話しているのを見ても何とも言わなかったのよ。私が言うのもなんだけど、私のお父さんは自分の娘に凄く甘くって、男友達とか見ると凄い不機嫌になるの。でも、そんなお父さんが「彼」を見ても何とも言ってこない。お父さん、「彼」が気に入っちゃったのかしら?


 そうしている内に私は退院したわ。私より「彼」の方が重症だったらしく私が病院を去る時も「彼」はベッドに寝たままだったけれど、約束した。


「退院したら絶対に会おうね」って。


 でも家に帰ってきて、すぐに私は後悔したわ。ううん、約束したこと自体は良かったんだけどね。うっかりしてたわ。


 私、「彼」に具体的な住所も電話番号も教えるのを忘れていたのよ。


 その病院と家との距離はかなり離れていて簡単には行けない。全く、自分を呪いたくなるような心持だったわ。


 でもね、神様はきっと解ってくれたのでしょうね。


 数日後に「彼」がやって来たの!


「どうしてここが解ったの?」って聞いたらね、「彼」、なんていったと思う?


「ここが僕の家さ」って言ったの。


 天にも昇るような気持ちだったわ。「彼」、さり気なく同棲話を持ちかけてきたのよ!


 勿論すぐに同意したわ。「そうね」って。でも、この案を通すにはどうしても避けられない壁があった。


 私のお父さんの了承が得られるかどうかってこと。


 でも、奇跡はまだ続いていたの。


 私のお父さんは家に「彼」が居ても、ちっともお構いなしだったのよ。黙認してくれたの! 後で思ったんだけど、たぶん、「彼」に家の場所を教えたのって、お父さんだったんじゃないかしら。


 こんな感じでスタートした同棲生活だったけど、それから「あの女」とか「クソガキ」とか「マーシさん」とかが現れて、まったく、これじゃあ同棲生活の意味がないじゃない。最終的にはお父さんも本の虫になっちゃうし。

 

 

 

 お父さんは今まで読みふけっていた本を読み終わったようで、先ほど「あの女」が持ってきた本の方へと手を伸ばした。お父さん、以前は本なんて全然読まない人だったから、何だか違う人みたいだわ。


 暇つぶしに本のタイトルでも聞いてみようかと思ったその時、上の階から大きな音がした。一度だけではない。二度三度と立て続けに聞こえてくる。


 きっと「クソガキ」だわ。あいつ、また入ってきたのか。


 上に居る「彼」が怪我をしたら嫌なので、急いで階段を上る。あの「クソガキ」、今度は一体何をやらかしているのかしら。


 二階に行くと案の定、なんてことっ! 廊下に物が散らばっている。ということは――勿論、部屋の中はもっとひどいことになっているはず。んもうっ、腹立つわね!


 未だに音は続いている。


 音源に辿り着くと、そこには椅子やらなにやらを倒しながら部屋の中を走り回っている「クソガキ」と、それを捕まえようとしている「彼」。

 



 数分後には、「クソガキ」の手足を押さえる私たちと、大声を上げ、それでもなおかつ笑っている「クソガキ」の姿があった。


「こんのガキ、何してやがる!」


「キャハハハ!」


「いい加減にしなさいよ!」


「ウフフフフ!」


 こいつ、相変わらず何考えているのか解らないわ……。




 その子のことを、私は「クソガキ」と呼んでいる。


 鼻水を垂らし、えへえへと喜んでいるアホ面の子供。見た感じ幼稚園児のよう。


 幼稚園児といえば純粋無垢と少しばかりの生意気さがアイデンティティだと思うけど、でもこいつは、正直言ってムカつく。生意気とかではなく、ムカつく。


 私達の生活においての面倒事、その原因の八割がこの「クソガキ」のせいだといえるでしょうね。このガキは言葉通り「神出鬼没」。いつの間にか現れて、いつの間にか姿を消す。しかも、姿を現したが最後、必ず何かをしでかすというタチの悪さ。最初はそこまでひどくなかったんだけど、最近はホント見るに耐えないわ。家中の窓を全て叩き割るってこともあったのよ! 私が退院するくらいからイタズラし始めたんだけど、これは私に対する挑発かしら。




「クソガキ」を押さえた私達は、そのまま玄関に行き、外に「クソガキ」を投げ捨てて扉を閉めた。本当はこれだけじゃあこっちの気が治まらないんだけど、私達はアイツと違って大人だしね。


 でも実際、油断ならないわ。「クソガキ」は何故か家に入る術を持っている。鍵を閉めても窓を閉めても入ってくるのよ。開錠術を習得しているのか、家のキーを持っているのか……。まあ、前者はないわね。子供だし。……家のキーを持っているのだとしたら、それはそれで問題があるけど。


 警察に通報しようとしたことも何度があったけれど、その度にお父さんは強く反発した。理由は解らなかったけど、お父さんがあそこまで言うことなんてほとんどないことだったから、渋々、通報はしないことにした。別段子供が好きというわけどもないし、ほんと、何の考えがあったのかしら。


「大きな音がしていましたけど、どうかしたのですか?」


「クソガキ」の始末を終え、息を切らす私の背後にその人はいた。




「マーシさん」は、私が退院した際に父が雇った若い家政婦で、特徴はその無表情と平坦な声。いつも、床にまで届くほどの長いスカートを伴ったメイド服を着ていて、その上からエプロンを身に着けている。その割りに素早いらしく、気付けば背後に居たりして私を驚かせる。変わっていると言えば変わっているけど仕事も真面目にこなしているし、優秀な人材なのは間違いないわね。


「大きな音がしていましたけど、どうかしたのですか?」


「マーシさん」はもう一度問う。先程と同じような平坦な声。


「いいえ、なんでもないわ」


「クソガキ」のことを「マーシさん」に言っても仕方ないし、下手な心配もさせたくないでしょ。


 私がそう言うと「マーシさん」は「そうですか」とだけ言って音もなくキッチンの方へと行ってしまった。やっぱり少し変な人。




 退院してから三ヶ月。相変わらずこの生活に変化はないわ。九十日もの間、平日土日祝日問わず「あの女」は休みなくお父さんへ本を届けに――もとい「彼」に会いに来ているし、三日に一度くらいの割合で、つまりはもう三十回も「クソガキ」は問題を起こし続けている。ああ、この前の「時計破損事件」は本当にひどかったわね。時計の機能を持ったものが全て壊されたのよ。携帯電話も例外なく被害に遭ったし。もう最悪!


 なのにお父さんは「あの女」が持ってくる本を未だに読み続けているし、「マーシさん」は同じような姿勢で同じような作業を同じようなスピードでこなしていっているし。なるほど、振り回されているのは私と「彼」だけってことね!


 でもそんな変わらない生活も今日で終わりよ! なんてったって今日、私は結婚を宣言するんだから。


 というわけで、思ったが吉日。早速、今、お父さんの前に私と「彼」が並んで座っている。すぐそこに「マーシさん」もいるけれど、彼女には家の事情なんて知ったことじゃないでしょ。


 お父さんは「彼」を気に入っているようだし、「彼」と私は言わずもがな相思相愛。きっと万事上手くいくわ。


「ねえ、お父さん、聞いて欲しいことがあるの」


「……何だ」


 お父さんは読みかけていた本を静かに閉じた。「彼」もまた、私が今から何を言うつもりなのかを知らない。あえて知らせていない。だって、驚かせたいんですもの! もし「彼」にその気がなかったら私はとんだ赤っ恥をかくことになるけれど、そんなことはありえないわ。うん、大丈夫。「彼」のことは私が一番解っている。


「じゃあ聞いてね。私達、結婚したいと――」


「駄目だ!」


 ……え?


「それは許さん!」


 あれだけ私達に賛同的だったお父さんがこの後に及んで反対してきたことは、私にとって予想外にも程があった。ひょっとして「あの女」を「彼」に会わせていたのは、本当に私に「彼」を諦めさせたいがためだったの?


「な、何でよっ! どうして? 私達、こんなにも上手くいっているのよ?」


 同棲してから三ヶ月、私と「彼」の間には何の問題もない。こんなこと、普通はないでしょ?


 ねぇ? と「彼」にも同意を促すが、その時、私は見た。


「彼」は私に向け、とても困惑したような表情を向けていたのだ。


「え? あなたもなの? あなたは私のこと、好きじゃなかったの?」


 そして、私は見逃さなかった。


「彼」の瞳が、一瞬だけど「マーシさん」に向けられるのを。


「そんな……!」


 うろたえる私をどう思ったのだろうか、今まで家事に没頭していた「マーシさん」が私に寄って来て、言った。


「そんな悲しい顔して、どうかしたのですか?」と。


 あんた、今のを全部聞いておいて、どうしてそんな口が利けるのよ! 私はこの時、「マーシさん」が見下したような気がしてならなかった。


 途端、悲しみは怒りへ。


 思うより早く、私は、「マーシさん」を殴っていた。


「やめろ!」


「彼」かお父さんか、どちらの声か解らなかったけれど瞬間、私は取り押さえられた。




 それから何分経ったのだろうか。いや、分も経っていなかったのかもしれない。私は「彼」によってうつ伏せに押さえつけられていた。ただ、私には、疲労のみ残っていた。もう怒りは無かった。疲労の中の失望感、喪失感だけが私を静かにさせていた。


「落ち着いたかい?」


 お父さんが言った。私は返事をしなかった。


 お父さんは続けた。


「もう話すべきことなんだろうな」


「?」


 お父さんは少し間を空けると、その口をゆっくりと開いた。


「……マーシのスカートをめくり上げてみなさい」


「マーシさん」は私に殴られた後も、平然としてそこに立っていた。怒りもせずに、ただただそこに立って、押さえられている私のことを見下ろしていた。例の無表情で。


 やがて、私の上に乗っている「彼」がどいて、私の身体は自由になった。お父さんを見ると、私に「マーシさん」のスカートをめくるよう黙って促している。


 私は「マーシさん」のスカートの裾に手をかけたが、「マーシさん」は何の反応も示さない。


 私は黙って彼女のスカートを上げ、足を見ようとした。が、そこに「足」は無く――。


「……マーシはね、機械なんだよ」


 そこに「足」は無く、銀色に輝く「脚部」が覗いていた。


 お父さんの口元は、震えていた。




 私はその後、すっかり冷静になった頭で、お父さんの話を聞いた。


 そしてそれを聞いて、全てを悟った。


 全ての辻褄(つじつま)が、合ってしまった。




 その家族はその日、車で旅行に行こうとしていたらしい。そして、事故に遭った。後ろから、居眠り運転をしていた車が追突してきたらしい。これにより、女性が一人死亡。男女二名が重軽傷を負った。幸いにも彼らは意識を取り戻したが、頭を強く打っていた為、記憶に混乱が生じているらしい。時間をかけても記憶を取り戻すのは難しいという。


 記憶の混乱の中で家族の区別が付かなくなってしまったその兄、妹は、お互いを一人の異性として見ることになった。兄にとって、妹はただの女友達に。妹にとって、兄は片思いの相手に。もともと同じ家の者なのだから、同棲となるのは当たり前、ごくごく自然なことだった。しかし、一人だけ勘違いをしたものがいただけで、歯車はかみ合わなくなる。


 幸か不幸か、事故に遭った家族には幼稚園児という幼さの為旅行には連れて行かれず、ご近所に預けたもう一人の家族がいた。その子は兄と姉が帰ってきたことを知り、持っていた家の鍵を使って中に入って久しぶりに彼らと遊ぼうとしたが、もう彼らはその子の知っている兄と姉ではなく、あろう事か外に放り出された。しかしその子は一緒に遊べばかつての兄と姉に戻ってくれると信じて止まず、段々とそのアピールはエスカレートして、最終的には手の付けられないものとなってしまった。


 父は嘆いた。愛しい妻はしに、大切な子供達も皆代わってしまった。だから彼は、寂しさを紛らわせる為に、一台の家政婦ロボットを買った。名前を、妻の名前である「マーシ」にして。しかし、彼の寂しさは決して癒えなかった。


 彼は知っていた。全ての事情を知っていたからこそ、何もできなかった。息子の彼女であったあの文学少女が来た時に、彼女を息子に会わせることぐらいしかできなかった。彼女の持ってくる本にも、今の息子は喜ばない。本が大好きだった息子は、もう何処にもいない。


 そんな変わり過ぎてしまった世の中から離れる為、辛すぎる現実から目をそらす為、彼は、本の中に逃げ込むのだ。

 いつか自分が夢に見た内容を小説にしてみました。なぜ女視点の夢なんて見たのかは僕にも解りません。拙い文章ですが、最後まで読んでくれると嬉しいです。

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