第9話:鋼鉄の洗礼(スティール・バプテスマ)
JASA直轄「音響更生センター」。
表向きは市民のメンタルヘルスを管理する静謐な医療施設だが、その地下最深部には、管理局員さえ存在を知らない紗江のプライベート・ラボがあった。
真はJASAの会長、紗江は音響更生センター主任として、それぞれ役職を持っていた。
つまり、真はJASAのボスであり、紗江は直轄グループのトップということになる。
本来ならJASAの方針に従うべき施設の主任がまさか反逆者とは誰も思わない。
事実、この50年もの間、紗江は静かに反逆の息をひたすら隠していたのだから。
「お疲れ様です。主任。」
センターの研究員たちは紗江に深々と頭を下げた。
「お疲れ様。今日は昨日の騒音問題で健康被害を訴えている住人の脳波測定とチップ検査のため、これから少しラボに籠るわ。...ところで、JASA会長の会議はいつまで?」
「検査の件かしこまりました。それから、会議は本日17時までの会議となっております。」
「...そう。分かったわ。無理はしないでね。」
「お心使い感謝します。」
研究員たちと会話を済ませると、紗江はタケルを患者用の洋服に着替えさせ、プライベートラボに入る。
無機質なステンレスの手術台に、タケルを横たわらせ、
首筋に埋め込まれた「脳神経チップ」の極小接続端子に、紗江が光ファイバーケーブルを差し込む。カチリ、という無機質な音が、ラボに冷たく響いた。
「いい、タケル君。一度しか言わないからよく聞いて。」
紗江はホログラムディスプレイに向かいながら、これまでにない真剣な表情で語りかけた。
「父さん、...鉄心さんは、50年前の『未調整の脳細胞』のまま復活した。だからJASAのシステムが彼の脳波を完全に解析・制御しきれていないの。私はその『解析不能領域』を広げる偽装プログラムを組んでいる。それと同じものをあなたのチップに組み込む。……ただし、あなたは鉄心さんとは違う。」
紗江の指がキーボードの上を激しく舞う。ディスプレイにタケルの脳波図が映し出された。JASAの推奨する、完璧に平坦で凪いだ波形だ。
「あなたは生まれてからずっと、JASAの『調和』に最適化されてきた。お父様から過去に何かしらの映像を見せられていたとはいえ短時間にすぎない。つまり、今のチップを書き換えただけじゃ、起動した瞬間にAIが『異常な適合者』と判断して、あなたの脳を内側から焼き切るわ。……スタンガンどころじゃない。廃人になる。」
タケルは唾を飲み込んだ。手術台の冷たさが背中に染みる。
「だから、あなたの脳そのものを『汚染』する必要がある。JASAが禁じた、旧時代の荒々しい『ノイズ』でね。」
「……汚染?」
「ええ。JASAの機密サーバーの奥底に封印されている、20世紀後半のロックやメタルのデジタルアーカイブ。これを超高速通信で、あなたの脳神経に直接流し込むわ。……つまり、鉄心さんが見てきたもの、聴いてきたものを、あなたの脳に無理やり焼き付けるの。」
紗江はエンターキーに優しく指を置いた。
「意識をしっかり持って。音の濁流に呑まれたら、本当に自我が崩壊するわよ。」
「……分かりました、紗江さん。覚悟のうえです。」
その言葉を聞いて紗江はエンターキーの上に置かれた指に力を込めた。
カチッ
タケルが覚悟を決めて目を閉じた瞬間、世界が爆発した。
心臓が口から飛び出すかのような、殺人的なダブルベースドラムの振動。
鼓膜を切り裂く、歪みきったディストーションギターの咆哮。
そして、天を突くような超高音のシャウト。
それは「音楽」などという生温いものではなかった。
JASAが半世紀をかけて排除してきた、人間の怒り、悲しみ、歓喜、欲望……あらゆる原始的な感情が、音塊となってタケルの神経細胞を駆け抜ける。
「ぐああああっ!」
タケルの体が大きくのけぞり、手術台の上で痙攣する。
全身から冷や汗が吹き出し、鼻からは血が伝わった。
脳が拒絶反応を起こしている。JASAの規律に慣れ親しんだ脳が、メタルの「毒」に焼かれている。
(……負けるか。)
タケルは薄れゆく意識の中で、必死に父との記憶を手繰り寄せた。
『JASAがアーカイブから削除したはずの、古い映像データ。』
(父さんが見せたかったのは……これなんだ!)
脳裏に、かつて見た映像がフラッシュバックする。
長い髪を逆立て、命を削るように演奏し続ける男たち。
爆音の中で拳を突き上げる、何万もの観衆のエネルギー。
(……これが、父さんが教えてくれた『リズム』の正体だ!)
タケルの脳内で、JASAの「平坦な波形」が崩れ去り、その下に隠されていた本能が目覚め始める。不規則で、激しく、だがとてつもなく美しい、鋼鉄の脳波。
「適合率、上昇……! 脳波の変質を確認。偽装プログラム、レイヤー2に移行!」
紗江の声が遠くで聞こえる。彼女もまた、モニターを見つめながら必死にタケルの精神状態と脳波をコントロールしていた。
もしここでタケルが意識を失えば、そのまま脳死に至る。彼女にとっても、これは最大の賭けだった。
数時間後。
接続解除の信号が鳴り、ラボに静寂が戻った。
タケルはぐったりと手術台に横たわり、荒い息を吐いていた。
「……タケル君?」
紗江が恐る恐る声をかける。
タケルはゆっくりと目を開けた。その瞳には、以前の怯えは微塵もなかった。
深く、鋭く、そしてどこまでも熱い、メタラーの瞳。
「……聴こえる。」
タケルはかすれた声で呟いた。
「耳の奥で……まだ、あの音が聴こえます。」
紗江はホログラムを確認し、安堵の溜息をついた。
モニターには、JASAの監視を欺く「平坦なダミー波形」が映っていた。
激しく脈動し続ける「鋼鉄の鼓動」を隠して。
「とりあえず...成功ね。表面上は『模範的な市民』、しかし実のところは『50年前のメタラー』。これでJASAの干渉を受けずに動けるわ。」
こうしてタケルは紗江の協力のもと、鉄心と同じ脳波を手に入れることが出来た。
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数日後。
タケルは、管理局エリアの中心部にそびえる白亜の巨大建造物、『国立マーチング・フィルハーモニー』の通用口に立っていた。
手には、紗江が偽造したIDカード。
全身を管理局推奨の無機質な白いユニフォームに包み、髪も短く整えられている。
目の前を、整然と足並みを揃えた楽員たちが通り過ぎていく。一分の狂いもない歩行、冷徹な表情。そこは、完璧に制御された「規律」の聖域だった。
「……、新入り。速やかに荷物を運ぶこと。」
先輩スタッフにどやされ、タケルは重い機材ケースを持ち上げた。
ケースの中には、鉄心の部屋から持ってきた音楽雑誌が隠されている。
練習用スタジオの最深部から、完璧に統制された打楽器の演奏が聞こえてくる。それは美しいが、タケルの脳に焼き付いた「あの音」に比べれば、あまりにも空虚で、魂のない音だった。
タケルはIDをゲートにかざし、聖域の中へと足を踏み入れた。
(父さん……俺の脳には今、あなたが愛した最高の宝物が詰まっている。)
メタル再興への一歩として、最も静かで、最も危険な潜入作戦が、今始まった。
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一方そのころ、鉄心は...。
「ふむ、この時代でも登山は問題ないんだな。どれ、装備はどれだけ進化してるかな、っと。」
趣味の登山情報の収集をしていた。
読んでいただきありがとうございます。
メタル音楽の素晴らしさを伝えたいと思い稚拙ながら執筆いたしました。
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