第3話:鋼鉄(メタル)なき世界へ
「一言で言えば、父さんは『奇跡の氷像』だったんだ。」
71歳の息子、真は、2076年の最新式タブレットにホログラムのグラフを浮かべながら淡々と告げた。
滑落事故から一年後。捜索が打ち切られようとしていた矢先、鉄心は万年雪の層から発見された。通常なら即死のはずが、極度の低温と雪の圧力が、彼の細胞を「極低温冬眠」の状態に固定していたのだという。
「……過去に、24日間も雪山で遭難して体温が22度まで下がりながら、脳に障害もなく生還した事例があった。父さんのケースはその究極系だ。発見後、当時の政府は父さんを『超長期仮死状態における生体維持』の最重要被検体として認定し、50年間、この病院の深層部で管理し続けてきたんだよ。」
「感動の再会と言いてぇところだが、つまり俺は50年もモルモットだった。そして息子は、俺より年上...。こいつぁ、ヘヴィを通り越してプログレみたいな超難解な構成だってことだな。」
鉄心は強がってみせたが、真が次に放った言葉に、その余裕は一瞬で瓦解した。
「……母さんは、2066年に亡くなった。100歳だったよ。」
千春。あの日、おにぎりを握って送り出してくれた妻。
彼女は鉄心が発見された後も、彼がいつか目覚めることを信じ、40年もの間、病院の面会室に通い続けたという。
「母さんは最後まで言っていたよ。『あのお父さんが、無音のまま終わるはずがないわ』ってね。
父さんが愛用していたギブソンのレスポールも、変形ギターのエクスプローラーも、母さんが一本も捨てずに守り抜いた。」
「千春……。」
鉄心は視界が熱くなるのを堪えるように天を仰いだ。100歳まで生きて、自分を待ち続けた妻。その不在が、50年という歳月の重さを鉄心の胸に叩きつける。
「……家はどうなった?俺たちの、あの家は?」
「今は紗江が住んでいるよ。改築はしたけれど、土地はそのまま持っている。元気に暮らしているよ。」
「行くぞ、真。今すぐその家に連れて行け。」
鉄心は、再び点滴スタンドをひったくるようにして立ち上がった。
「無茶を言わないでくれ! 父さんのバイタルはまだ不安定だ。最低でも一週間は精密検査の――」
「うるせえ! 俺の身体のボリュームは俺が決める! 50年も寝てたんだ、一週間も待てるかよ!」
「父さん、今の外の世界は父さんの知っている場所じゃない! 騒音規制法もあれば、未登録者の外出制限も――」
「知るか! 行かせねえって言うなら、この『マイクスタンド』で病院中の窓ガラスを割って、ヘヴィな不協和音を響かせてやるからな!」
「……やめてくれ。私の理事長としてのキャリアに傷がつく。」
真はこめかみを押さえ、苦々しく吐き捨てた。
「理事長? お前、さっきから何の話をしてやがる。」
「父さんが眠っている間に世界は変わったんだ。私は現在、**『全日本音響平準化機構(JASA)』**の理事長を務めている。……端的に言えば、この国の『音』のすべてを監視し、国民の精神衛生を守るための基準を策定する、最高責任者だ」
「音の監視……? 警察か何かか?」
「それ以上の権限だ。2040年代、過剰な情報と騒音による精神疾患が社会問題になった。そこで制定された『音響調和法』によって、公共の場での『許可なき不協和音』や『基準値を超える低周波』は、法的に制限されるようになったんだよ。私はその法を運用し、この国を『世界一静かで、世界一幸福な国』に作り変えた第一人者として、今の地位にいる。」
真の言葉は冷めきっていた。
かつてサックスのリードを丁寧に手入れしていた繊細な少年は、その潔癖さを極限まで突き詰め、「ノイズのない完璧な社会」を築き上げることで、国家的なエリートへと登り詰めていたのだ。
「つまりなんだ。お前は、俺が命を懸けてきたメタルを『ゴミ』として掃除して、今の地位を築いたってことか。」
「……『不必要な刺激の排除』と呼んでほしいな。父さんの存在は今の私にとって、キャリアを根底から揺るがしかねない『特大のバグ』なんだ。理事長の父が、病院の窓を叩き割って叫んだなんてニュースが漏れてみろ。明日の私の椅子はなくなっている。」
「ハッ、最高じゃねえか! 出世とメタル、どっちが重いか試してやろうぜ!」
鉄心が点滴スタンドを振り回そうとした瞬間、真は素早くデバイスを操作し、部屋の「静謐維持」の出力を上げた。鉄心の声が、まるで水の中にいるようにこもって消える。
「……これだから、昭和のメタラーは。……いいだろう、家に連れて行く。ただし、極秘だ。」
結局、真の権限をフル活用した「極秘の退院」という形で、鉄心は50年ぶりに外の空気を吸うことになった。
無音で滑るように走るリニアタクシーに揺られ、到着した場所。
そこには、見覚えのある坂道と、かつての面影を残した門構えがあった。
家は最新の防音・耐震素材でコーティングされ、要塞のように洗練されていたが、庭の隅にある古びた物置の形だけは、あの日のままだった。
「……着いたよ。紗江は仕事で留守だが、中に入ろう」
真が指紋認証でドアを開ける。
家の中は、不快なほどに静かだった。空気清浄機の音さえしない。
だが、二階へと続く階段を上がった突き当たり。そこだけは、50年前の空気がそのまま淀んで残っているような気がした。
「父さんの部屋だけは……母さんの遺言で、何一つ動かしていないんだ。」
真がドアを開ける。
埃一つないその部屋には、懐かしい木の匂いと、微かなレモンの油の香りが漂っていた。
そして、鉄心の目に飛び込んできたのは。
壁際に鎮座する、黒いハードケース。
千春が守り抜き、紗江が引き継いだ、鋼鉄の咆哮を封じ込めた宝物。
50年の沈黙を貫いてきた、ギブソンのレスポールが、主人の帰還を待っていた。
「……お前も、変わってねぇな、相棒」
鉄心の指が、50年ぶりに黒いケースのラッチに触れた。
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