第六話
獣が去ったあとも、誰もすぐには剣を収めなかった。
森は静かだった。
だがそれは、安全を意味しない静けさだった。
「……もう一度、来るかもしれん」
兵士が、低く言う。
「来る」
魔法使いは即答した。
「間違いなく」
俺は担架の横に立ち、周囲を睨む。
勇者の遺体は布で覆われている。
だが、隠しているつもりなのは俺たちだけだ。
「さっきの魔獣……」
僧侶が、震える声で言った。
「勇者様に、向かってましたよね」
「ああ」
「……魔王の呪い、ですか」
魔法使いが、頷く。
「死んでから発動する類のもの」
兵士が息を呑む。
「そんなものが……」
「珍しくはないわ」
魔法使いは淡々と言った。
「魔王は、“勝ち逃げ”を許さない」
俺は歯を食いしばる。
「つまり、これから先も――」
「狙われる」
魔法使いが言った。
「昼も夜も関係なく」
僧侶が勇者の担架に近づこうとする。
俺は思わず、腕を伸ばした。
「近づくな」
「……!」
僧侶は、はっとして立ち止まる。
「ごめんなさい……」
「いや」
俺は言葉を選ぶ。
「触れられる距離にいると、危ない」
「私、僧侶です。浄化なら――」
「効かない」
魔法使いが遮った。
「これは“呪い”じゃない」
僧侶が、顔を上げる。
「……どういう意味ですか」
「魔王の意思そのものよ」
魔法使いは、勇者を見る。
「勇者が“英雄として扱われること”を、拒絶する呪詛」
「拒絶……?」
「ええ。
死体でさえ、世界を救う象徴になるのを嫌った」
兵士が呟く。
「……そんな」
「だから、こうなる」
魔法使いは森を見回す。
「近づくものを引き寄せて、壊す」
俺は、拳を握る。
「だったら、王都に着く前に――」
「何もできない」
魔法使いの声は冷たい。
「壊せば国家が敵になる。
隠せば魔獣が来る。
置いていけば、もっとひどいことになる」
誰も、反論できなかった。
そのとき。
草が、再び揺れた。
「……来るぞ」
今度は、音が多い。
足音が複数。
獣だけじゃない。
「人影だ!」
兵士が叫ぶ。
松明の光が、闇を切り裂く。
現れたのは――盗賊だった。
剣、斧、粗末な魔道具。
だが、目は全員、担架を見ている。
「……死体だぞ」
盗賊の一人が、舌なめずりをする。
「勇者の、だろ」
俺は一歩前に出る。
「下がれ」
「やだね」
盗賊が笑う。
「金になる。
臓器も、装備も」
その瞬間、僧侶が声を上げた。
「やめてください!」
「うるせえ!」
盗賊が踏み出す。
俺は、迷わなかった。
剣を振る。
一人、倒れる。
「戦闘だ!」
兵士が応戦する。
魔法使いの魔法が、夜を裂く。
だが、盗賊は引かない。
狙いは、勇者だけだ。
「触らせるな!」
俺は叫び、前に立つ。
刃が交わる。
血が飛ぶ。
俺の腕に、鈍い痛み。
だが、下がれない。
僧侶が後ろで祈っている。
回復の光が、かすかに届く。
盗賊は数を減らし、やがて逃げた。
残ったのは、荒れた地面と、重い沈黙。
俺は息を整えながら、担架を見る。
無事だ。
だが、分かった。
これは偶然じゃない。
「……もう、隠せないな」
俺が言う。
魔法使いが、静かに頷いた。
「ええ」
「勇者は……」
僧侶が、唇を噛む。
「死んでも、戦わされる」
俺は剣を地面に突き立てる。
「……それでも運ぶ」
誰も否定しなかった。
否定できなかった。




