第四話
異変は、音もなく始まった。
森に入ってから、風が止んだ。
葉擦れの音が消え、鳥の声も聞こえなくなる。
静かすぎる。
「……止まれ」
俺が言うと、隊列が止まった。
兵士たちも、少し緊張した様子で周囲を見回す。
「魔法使い、感知は」
彼女は首を振った。
「魔力反応なし。
少なくとも、生きてるものは……」
そこで言葉を切る。
「“生きてるものは”?」
「ええ」
僧侶が、担架の布を強く握った。
「……嫌な言い方ですね」
「事実よ」
魔法使いは淡々としていた。
だが、その目は勇者から離れない。
「進むぞ」
俺は言った。
止まる理由はない。
戻る選択肢もない。
しばらく歩くと、森の奥に小さな祠が見えた。
苔むして、長い間手入れされていない。
「こんな場所、地図にあったか?」
兵士の一人が呟く。
「……あったわ」
魔法使いが言った。
「でも、位置が違う。
本来なら、もっと奥のはず」
「動いたってことか?」
「祠が?」
俺の言葉に、魔法使いは肩をすくめる。
「冗談よ。
でも……おかしいのは確か」
僧侶が祠に視線を向ける。
「……ここで、祈ってもいいですか」
返事を待たず、彼女は一歩踏み出した。
「僧侶」
俺は止めようとしたが、遅かった。
彼女は祠の前に膝をつき、短く祈りを捧げる。
「勇者様を……どうか……」
その瞬間。
祠の奥で、何かが軋む音がした。
剣を抜く。
「下がれ!」
兵士たちが構える。
魔法使いも、詠唱に入ろうとして――
何も起きなかった。
音は止み、祠は沈黙したまま。
「……終わり?」
魔法使いが言う。
「終わりだ。行くぞ」
俺はそう判断した。
僧侶が立ち上がり、担架の元に戻る。
そのとき、彼女が小さく息を呑んだ。
「……あれ?」
「どうした」
「勇者様の……」
彼女は、勇者の胸元を見つめている。
「傷が……少し、黒くなってる」
俺も覗き込む。
確かに、昨日より色が濃い。
「腐敗じゃないわ」
魔法使いが即座に言った。
「これは……」
言いかけて、口を閉じる。
「何だ」
「……分からない」
嘘ではなかった。
だが、全部を言っていない顔だった。
俺は布を戻す。
「見るな」
「でも――」
「見るな」
僧侶は、何も言わずに従った。
再び歩き出す。
森の静けさは、戻らない。
背後で、祠が見えなくなるまで、
俺は一度も振り返らなかった。




