第二十四話
夜明け前、雨が降り始めた。
冷たい雨だった。
音を消す代わりに、体温を奪う。
僧侶は、歩きながら何度も咳き込んでいた。
「無理するな」
俺が言うと、彼女は小さく首を振る。
「……止まったら、追いつかれる」
正しい判断だ。
それが、余計に苦しい。
川沿いの岩陰で、ようやく足を止めた。
僧侶は、壁に背を預けて座り込む。
「……戦士」
声が、かすれている。
「私ね……分かった」
「何をだ」
「もう、助けられないってこと」
俺は、黙って聞く。
「祈るたびに……誰かを壊す」
指先が、震えている。
「だったら……」
言葉を切り、
僧侶は俺を見上げた。
「私、ここで――」
「言うな」
強く遮った。
「その続きを言うな」
僧侶は、少し驚いた顔をする。
「……でも」
「まだ、終わってない」
それは、慰めじゃない。
自分に言い聞かせる言葉だった。
その時。
――空気が変わる。
雨音の中に、
人の足音が混じった。
「伏せろ」
僧侶を庇い、岩陰に引き寄せる。
橋の向こう。
松明の光が、二つ。
近づいてくる。
「……伝令兵だ」
鎧は軽装。
戦闘用じゃない。
だが、胸に下げた紋章で分かる。
王都直轄。
兵士の一人が、紙を広げて読み上げた。
「――通達」
雨の中でも、声ははっきりしている。
「勇者同行僧侶、
呪い汚染レベル《危険域》に到達」
僧侶の肩が、びくりと跳ねる。
「よって」
兵士は、淡々と続ける。
「当該人物を
処分対象と指定する」
世界が、静かになる。
「……処分?」
僧侶が、かすれた声で聞き返す。
兵士は、視線を逸らさない。
「暴走前に排除する」
俺は、前に出た。
「ふざけるな」
「命令だ」
「彼女は、人だ」
「違う」
兵士は、紙を畳む。
「勇者の呪いを引き受けた時点で、
もう“個人”ではない」
その言葉で、全てが決まった。
俺は、剣を抜く。
「通すと思うか」
兵士たちは、互いに目配せした。
「……抵抗する場合」
一人が言う。
「同行戦士も、同罪とみなす」
「上等だ」
その瞬間。
僧侶が、俺の背中を掴んだ。
「……戦士」
「下がれ」
「違う」
僧侶は、立ち上がる。
雨に濡れた顔は、驚くほど静かだった。
「私が、行く」
「何言って――」
「逃げても、同じ」
僧侶は、俺を見る。
「私がいる限り、
あなたは戦い続ける」
それは、正論だった。
「……私が消えれば」
僧侶は、微かに笑う。
「あなたは、生きられる」
俺は、声が出なかった。
僧侶は、一歩前に出る。
「抵抗しません」
兵士たちが、少しだけ戸惑う。
「僧侶……」
俺は、手を伸ばす。
だが。
僧侶は、振り返らなかった。
「戦士」
最後に、言う。
「勇者のこと……守ってくれて、ありがとう」
その言葉で、
足が、動かなくなった。
兵士たちは、僧侶の両腕を拘束する。
魔封じの鎖。
紋様が、鎖に触れた瞬間、
僧侶は苦しそうに息を吐いた。
「連行する」
兵士の声。
雨の中、
僧侶は連れていかれる。
俺は、剣を握り締めたまま、
動けなかった。
追えば、殺される。
殺せば、彼女の選択を踏みにじる。
――守れなかった。
それが、現実だった。
雨は、止まない。
川は、静かに流れ続ける。
俺は、一人で立ち尽くす。
勇者を守れなかった。
魔法使いを守れなかった。
そして――
僧侶も。
世界は、何も変わらない顔で、
俺から全てを奪っていった。




