第十六話
夜の森は、音がない。
俺たちは街道を外れ、獣道を進んでいた。
僧侶は、勇者の遺体から一歩も離れない。
まるで、生きている人間を支えるみたいに。
「……戦士」
背後から、小さな声。
「さっきの兵……」
「死んでない」
即答する。
「気絶してるだけだ」
それは、事実だ。
だが――問題はそこじゃない。
僧侶は、少し安心した顔をする。
「よかった……」
その反応が、胸に刺さる。
俺は、思っていた。
もし、あの兵が死んでいたら。
僧侶は、どうしただろうか。
勇者の遺体を、見下ろす。
布の下から、かすかな熱。
まだ、ある。
だがそれは、安定していない。
揺らぎだ。
火を起こす。
最低限の明かり。
僧侶は、すぐに勇者の胸に手を当てた。
「……だめ」
「何がだ」
「離れかけてる」
息が、浅い。
額に、冷や汗。
「繋ぐ」
「今はやるな」
「今じゃないと」
俺は、僧侶の手首を掴む。
「もう十分だ」
「これ以上やったら――」
「離して!」
初めて、怒鳴られた。
僧侶の目が、見開かれる。
「あなたは、勇者様を守るって言った!」
「守ってる!」
「違う!」
彼女は、叫ぶ。
「あなたは、“死体”を守ってるだけ!」
言葉が、突き刺さる。
「私は……」
声が、震える。
「私は、この人を……」
最後まで言えなかった。
勇者の手が、僧侶の指に触れた。
偶然か。
反射か。
それでも――
僧侶は、息を呑む。
「……今、触った」
俺も、見た。
確かに、動いた。
だが。
それは、生じゃない。
引き戻されているだけだ。
「僧侶」
低く言う。
「それは、勇者じゃない」
「違う」
即座に否定。
「勇者様だ」
「死んだだけ」
その言葉に、背筋が凍る。
「……死んだ人は、人じゃない」
「でも、物でもない!」
噛み合わない。
いや――
もう、噛み合う余地がない。
遠くで、角笛の音がした。
一つ。
続いて、二つ。
追手だ。
「……来てる」
俺が言う。
僧侶は、勇者の遺体を抱き寄せる。
「行かないと」
「どこへ」
「安全な場所」
「そんなものはない」
俺は、剣を抜く。
「僧侶」
真っ直ぐ、見る。
「ここから先は、戦いになる」
「人も、死ぬ」
「それでも、やるか」
僧侶は、迷わなかった。
ただ、静かに頷く。
「……うん」
その瞬間。
俺は、理解した。
彼女は、もう戻らない。
勇者を失った時点で。
魔法使いを埋めた時点で。
そして今。
選んだ。
俺は、僧侶の前に立つ。
追手の気配が、近づく。
「分かった」
低く言う。
「なら、最後まで守る」
「……ありがとう」
その言葉が、胸を締め付ける。
これは、救いじゃない。
破滅だ。
剣を構える。
森の奥から、兵の影が現れる。
俺は、一歩前に出た。
勇者の遺体と、僧侶を背に。
世界が、俺たちを切り捨てようとしている。
だから――
俺が、世界を切る。
その覚悟だけが、
この手に残っていた。




