第十二話
朝は、何事もなかったみたいに来た。
霧が低く垂れ込め、地面を舐める。
冷たい空気が、肺の奥まで入り込む。
俺は、勇者の遺体を覆う布を確認した。
異常なし。
腐敗も、損壊もない。
それが、逆に不気味だった。
「……行けるか」
僧侶に声をかける。
彼女は、少し遅れてこちらを見た。
「うん」
短い返事。
でも、目が合わない。
俺たちは再び歩き出す。
勇者を中心に、俺が前、僧侶が後ろ。
魔法使いの遺体は、簡易的に埋葬した。
名前も刻めない、ただの土の盛り上がり。
足音だけが、続く。
午前中は、何も起きなかった。
魔物も出ない。
道も荒れていない。
だからこそ、僧侶の異変が目立った。
歩きながら、彼女は何度も呟く。
聞き取れないほど、小さな声で。
「……大丈夫……大丈夫……」
誰に向けた言葉なのか、分からない。
正午前。
森を抜ける手前で、魔物が出た。
狼型。
三体。
「来るぞ」
俺が剣を抜く。
魔物は、迷いなく僧侶を狙った。
「っ――!」
間に入る。
牙が、鎧をかすめた。
反撃で一体を斬る。
残り二体。
「僧侶! 回復を――」
「分かってる!」
詠唱が始まる。
だが。
魔法陣の光が、いつもより暗い。
回復魔法が、俺を包む。
痛みは引いた。
傷も、塞がる。
でも――
寒い。
血が止まったはずなのに、体が冷える。
「……何した?」
思わず聞いた。
「回復」
即答。
「いつも通り」
狼を斬り伏せ、戦闘は終わった。
俺は、自分の腕を見る。
治っている。
間違いなく。
それでも、違和感が残る。
「僧侶」
「なに?」
「今の魔法、少し――」
「失敗してない」
強い口調。
俺は、それ以上言えなかった。
僧侶は、勇者の遺体へ歩み寄る。
布の上に、そっと手を置いた。
「……ちゃんと、守ってる」
誰にも聞こえない声で。
午後。
歩みは遅くなった。
僧侶が、何度も立ち止まる。
「大丈夫か」
「……少し、疲れただけ」
でも、息が荒い。
額に、汗。
回復魔法は、使っていないはずなのに。
夕方、川辺で休憩を取る。
俺は、水を汲みに行った。
戻ると、僧侶が川を見つめている。
いや――違う。
川の水面に、何かを見ている。
「僧侶?」
呼ぶ。
「……ねえ」
振り返らずに言う。
「回復魔法ってさ」
嫌な予感がした。
「本当は、命を“作ってる”わけじゃないんだよね」
「……何を言い出す」
「流れを、繋ぎ直してるだけ」
彼女は、水面を指さす。
「糸みたいなものを」
俺は、言葉を失う。
それは――教義の外だ。
回復魔法の本質に、踏み込みすぎている。
「それ以上考えるな」
「考えちゃうよ」
僧侶は、笑った。
昨日の笑顔と、同じ種類の。
「だって……繋ぎ直せるなら」
その先を、言わせてはいけなかった。
「僧侶!」
彼女は、ようやく俺を見る。
目が、澄みすぎていた。
「……大丈夫」
「私、ちゃんと分かってる」
何が、だ。
夜。
野営。
僧侶は、祈らなかった。
代わりに、勇者の遺体の隣に座り続けた。
俺は、眠れない。
確信していた。
回復魔法が、変質している。
それは、技術の問題じゃない。
祈る先が、神じゃなくなっている。
僧侶は、もう神を見ていない。
彼女が見ているのは――
帰らないはずの、誰かの命だ。
俺は、剣を握りしめた。
守ると、言った。
勇者の遺体も。
僧侶も。
だが、この旅はもう――
剣で守れる領域を、超え始めている。




