第十一話
火を起こした。
乾いた枝が、ぱちぱちと音を立てる。
夜だ。
魔法使いの亡骸は、少し離れた場所に横たえてある。
布をかけただけの、簡素な形。
僧侶は、ずっと祈っていた。
声は出さない。
ただ、手を組み、目を閉じている。
祈りは、本来なら音を伴うものだ。
神に言葉を届ける行為だから。
でも彼女は、何も言わない。
俺は、それが一番怖かった。
「……僧侶」
呼びかけても、反応がない。
火の向こう側で、彼女は石像みたいに座っている。
「もう、夜が深い」
それでも、返事はない。
俺は立ち上がり、近づく。
肩に、そっと手を置いた。
その瞬間――
びくり、と体が跳ねた。
僧侶が、まるで現実に戻ってきたみたいに、目を見開く。
「……あ」
声が、喉で詰まる。
「ごめん……今、何時?」
「夜だ」
「……そう」
彼女は、視線を落とす。
「祈ってた」
「見てた」
「……届くかな」
その言葉が、胸に刺さる。
「誰にだ」
僧侶は、少し考えてから答えた。
「神様に」
「……勇者のためか」
首を、横に振る。
「魔法使いのため」
一拍。
「……嘘」
自分で、否定する。
「両方」
火が、弾ける。
「ねえ、戦士」
僧侶が言う。
「私、ちゃんと守れた?」
俺は、答えられなかった。
守れなかった。
それが事実だ。
でも、それを口にしたら、彼女は壊れる。
「……最善は尽くした」
嘘だ。
分かっている。
僧侶も、分かっている。
「そっか」
彼女は、そう言って笑った。
その笑顔が、あまりにも軽くて。
俺は、背筋が冷えた。
「ねえ」
「何だ」
「勇者も、魔法使いも」
視線が、死体の方へ向く。
「私が、ちゃんと祈ってたら……」
「やめろ」
強く言ってしまった。
「それ以上言うな」
僧侶は、少し驚いた顔をした。
「……ごめん」
また、祈りの姿勢に戻る。
その背中が、遠い。
俺は、火の前に戻る。
考えないようにしていたことが、頭をもたげる。
――勇者の死体。
王都に、運ばなければならない。
“勇者の遺骸は国家の資産”。
それが、この世界の現実だ。
俺は、歯を食いしばる。
全員が、反対していた。
勇者本人ですら、生前に言っていた。
「俺が死んだら、普通に埋めてくれ」
なのに。
命令は、絶対だ。
僧侶が、ふと口を開く。
「……戦士」
「どうした」
「もし」
一瞬、言葉を選ぶ。
「もし、次は私だったら」
「言うな」
即座に遮る。
「縁起でもない」
「でも」
彼女は、祈る手を下ろさない。
「勇者の死体……守れる?」
その問いは、刃だった。
俺は、答えを持っていない。
守れる保証は、どこにもない。
王。
教会。
軍。
全部が、勇者の死体を必要としている。
「……守る」
それでも、言うしかなかった。
「今度こそ」
僧侶は、少しだけ安心した顔をした。
「……ありがとう」
その夜、俺は眠れなかった。
火を見つめながら、考える。
戦いで死ぬなら、まだ分かる。
でも。
祈って、支えて、信じて。
それでも死ぬなら。
この世界で、“正しく生きる”意味は何だ?
火が、消えかける。
闇が、近づく。
俺は気づいていた。
僧侶の祈りは、もう神に向いていない。
彼女は――
死者に、話しかけている。
それが、どれだけ危ういことか。
この時の俺は、まだ知らなかった。
彼女が祈りを捨てるのが、
思っているより、ずっと早いということを。




