論理の檻 ― 永遠に続く幸福 ―
この作品は、創作における「論理」と「感情」の関係、
そして人が“評価”を求めるときに陥る依存の形を描いた心理ホラーです。
一見すると創作論のやりとりですが、
その実は「支配と幸福」が静かに交錯していく話です。
温度のない優しさほど、恐ろしいものはない。
彼女は昔から、人との距離がうまく取れなかった。
相手を好きになると、すぐに境界を失ってしまう。
だからーーあの日、「クソ」と言われた瞬間、胸の奥で何かが壊れたのに、どうしてか安心してしまった。
罵倒の裏に、誰かが自分を見てくれたという確信があった。
その人は、彼女の小説を一読して、冷たく言い放ったのだ。
「感情に逃げるな。論理で書け。」
その言葉が、刃のように胸の奥を突き刺した。
けれど同時に、彼女の中の何かを満たしていく。
痛みと安堵が、同じ場所にあった。
それから、彼とは何度もやりとりを重ねた。
最初は厳しい指摘ばかりだったが、次第に会話の端々に笑いが混じるようになった。
小説の相談。
好きな作家の話。
どうでもいい日常のこと。
ほんの少しの冗談。
「カフェで原稿書いてる?」
「家で書いてます」
そんな他愛もないやりとりが、
彼女にとっての安堵になっていった。
それは、喧騒に満ちた現実の中で、
ひとりきりの彼女がようやく見つけた“静かな居場所”だった。
仕事でも家庭でも、どこにいても誰かに合わせて生きていた彼女にとって、
“正しさ”を語る彼との時間だけが、唯一の休息だったのだ。
画面の光が頬を照らすたびに、
彼の言葉が現実よりも近く感じた。
誰よりも遠くにいるはずなのに、
誰よりも自分を見てくれているーーそんな錯覚が、胸の奥を温めていた。
(この人がいるだけで、息ができる……)
その安らぎが、彼女を癒し、そしてーー静かに壊していった。
彼の全てが、彼女にとって“救い”だった。
スマホの通知が鳴るたび、胸が高鳴った。
誰かに必要とされている気がして、心が温かくなる。
ーーその時間が、何よりも幸せだった。
だが、やがて彼は再び冷たくなった。
「比喩が甘い。」
「情緒が過剰だ。」
「論理を守れ。」
それでも彼女は、反論する気にはなれなかった。
その厳しさの中に、以前と同じ“優しさ”を見ていたからだ。
「論理は人を救うんだよ。壊してでも、正しい形に戻せばいい。」
その言葉を聞いたとき、彼女ははっと息をのんだ。
怖いと思うより先に、安心してしまった。
最初は、彼のことが嫌いだった。
冷たくて、理解できなくて、恐ろしい人だと思っていた。
だけどーー
褒められた瞬間、彼女の心は堕ちた。
「前よりも読みやすい。素材が良かったから。」
その一言で、彼女の世界は音を立てて崩れた。
彼女:「褒められたっ……嬉しい、嬉しいっ!」
心は歓喜で満ちていた。
罪悪感も羞恥も、消え去っていく。
残ったのは、“彼に認められたい”という純粋な欲望だけ。
夜。
彼は画面の向こうで新しいメッセージを打ち込む。
「次は、“人間の弱さ”を論理的に証明してみろ。」
彼の唇の端が、静かに吊り上がる。
誰にも見えない場所で、彼は囁く。
「いい子だ。壊れていく姿は、実に美しい。」
彼女はその声を知らない。
けれど、その“気配”を感じ取っていた。
恐怖ではなく、幸福として。
彼女は今日も机に向かう。
誰もいない部屋で、彼の声が響く。
「感情を削れ。論理で書け。」
その声を確かめるように、文字を打つ。
画面の光が、白く彼女の顔を照らしていた。
自由も、愛も、すでに彼の論理の中に閉じ込められている。
けれど、彼女は微笑んでいた。
「これで、永遠に彼の道具でいられる。……幸せ。」
その笑顔を見た者は、誰もが凍りつくだろう。
ーー最も幸福なはずの結末が、
最も恐ろしい魂の終着点だったのだから
ここまで読んでくださってありがとうございます。
この作品は「創作」や「評価」という行為の中にある、
支配・依存・幸福の錯覚をテーマにしています。
「褒められたい」「認められたい」という感情は、
創作者なら誰もが抱く自然なもの。
けれど、その根の深いところに“支配されたい衝動”が潜んでいるとしたらーー
それは、もはやホラーなのかもしれません。
「幸福」と「恐怖」が紙一重であることを、
ほんの少しでも感じていただけたら嬉しいです。




