プレゼンランチ
しいなここみ様『華麗なる短編料理企画』参加作品
PC画面右下の時計は12:54分を示している。
私は意識的にキーボードの音を立て、いつもより20%ほどタイピングスピードを上げた。
本当は昼前にやるべき仕事は全て終わっている。しかし訳あって、しばらく仕事に集中するフリをしているのだ。
今日、私はランチにカレーが食べたい。
それもインドカレー屋のマトンカレーだ。
この主張をなんとかして通さねばならない。
いつもランチは同じ部署の高田さん、渋谷さん、そして私こと神田の3人で行くのが慣例だ。
何を食べるかはこの3人の合議で決まる。
特にそれぞれに要望が無ければ、最初に言った者勝ちになることが多いのだが、今日の主張には少々ハードルがある。
というのも、一昨日のランチがカツカレーだったからだ。
いや、カツカレーとインドカレーは全くの別物だ。私はそう思う。別に中1日開けなくても連日でもいいぐらいだ。しかし、3人は食の好みがそれぞれ違うのが問題だ。
だから、私は念入りに作戦を考えた。
時刻が、13時20分を回った所で私はキーボードから手を離し、大きく息を吐いて言った。
「おっ、もうこんな時間か。腹へりましたね」
「ようやくですか!なんか珍しく必死に仕事してるから、邪魔しちゃ悪いと思って待ってましたよ!」
すかさず高田さんが乗って来る。
高田さんは、基本的に腹いっぱい食べたい人。だから、空腹感を募らせれば私の意見は通りやすくなる。なぜならランチ行きつけのインドカレー屋さんはナンかライスのお代わりが自由だからだ。
しかし油断は禁物だ。『カレー』と言ったら、この前食べた印象になる。『ナンが腹一杯食いたい』と表現しようと思う。
「さて今日はどこ行きましょう?昨日なに食べましたっけ?」
私は逸る気持ちを押さえ、渋谷さんに1度話をふった。あくまでランチは3人の合議である必要があるからだ。
「中華ですね。高田さんが角煮麺で自分が上海焼そば、神田さんは酢豚でしたっけ」
渋谷さんが答えた。
「そうだ、そうだ!」
私は、さも今思い出したように言い、今考えてる素振りで続けた。
「じゃあ中華以外ですね。そんで、2人とも昨日麺だったから麺類以外かな・・・」
渋谷さんは変化を好む人、新しく出来た店をいち早く見つけて来るのも彼だ。
メニューかぶりを一番気にするのも彼。
だから彼に忖度する素振りで『中華と麺以外』と選択肢を狭めてしまう。さらに私は別に昨日は麺を食べていない。この『麺以外』という条件は2人に恩を売ることになるのだ。もちろん、ただでは売らない。
「ただ、すみません。自分、今日はハンバーグって気分じゃないんですよね。最近ウチ、ハンバーガーのデリバリー多いんですよ。息子が気に入っちゃって」
2人に忖度した分自分の主張として、また選択肢を減らす。しかも『ハンバーグ』と言いつつ『ハンバーガー』も外してしまうファインプレーだ。
「分かるな。ウチもそうですよ。ハンバーガーだけじゃなくて、セットのオマケも目当てなんですよね」
ありがたいことに、渋谷さんが乗って来た。
私は、そのまま話を広げつつ、2人を促してオフィスを出て、エレベーターに乗った。
ここで決めきらないのも作戦の一つだ。
エレベーター内でも、あえて、たわいもない話をして決めきらない。
玄関を出た所で私が言った。
「とりあえず駅の方向かって、歩きながら決めますか」
そう、その道すがら件のインドカレー屋さんがあるのは、言うまでもない。
空腹の状態でカレーの匂いを受け、みなの頭に(悪くない!)というスイッチが入った所で、例の言葉を放つのだ。『ナンが腹一杯食べたい』と。
我ながら完璧な作戦!
そう思った時・・・
「あっ、この道なら」
渋谷さんが言った。
「最近出来たステーキ屋がありますよ」
なんだと!?
「・・・でも、ステーキって高くないですか?」
「オープン記念でランチ1000円からだったはず」
「ステーキでその値段なら有りですね!」
まずい!高田さんが乗り気だ。
「いいですね!でも、それなら混んでないかな?」
私は精一杯の抵抗を試みる。
「12時~13時はヤバいですね。でも今日は少し遅いから入れると思います」
「神田さんに待たされたからね!」
事情通の渋谷さんに、空腹の高田さんが掩護射撃をするという、最悪の展開だ。
そして、渋谷さんがトドメの一言を放つ。
「ここ、サラダバーにカレーありますよ。神田さん好みだと思います」
私は、首を縦に振らざるをえなかった。
いや、この闘いは敗北ではない。むしろ、ここから始まるのだ。
ステーキとサラダバーのカレーで、マトンカレーに匹敵する満足感を構築してみせる!
了