9:暗中飛躍
「いつもありがとうございます、ですがわざわざブライツ様が届けに来られなくても…ミュラー領から帝都の間も安全とは言えませんし、寄進であれば巡視の騎士達に納めていただいても?」
私は目の見えない聖女として知られているのですが、ハンナ筆頭聖女やクラウディア先輩が忙しい時は対応に出る事もあり……教会の前に止められているウィトーやポタトが山ほど積まれている馬車を眺めるように呆れてみせると、指摘されたブライツ・フォン・ミュラー様は大袈裟に驚いてみせました。
「おおっ、私共めの事まで心配してくださるとは、さすが聖女様であらせますな!勿論危険は承知の上、これもアインザルフの事を思えば軽い事ですよ!それに国に治めれば安全かもしれませんが、どうしても騎士団の方に物資が優先されてしまいますからね、それはそれで国民の為なのかもしれませんが…こうして教会に届けた方が皆々に直接届く上、美しい女性との語らいが出来るという役得があるもので」
そして大げさな身振り手振りを交えながら私の手を握ろうとしてくる下心満載の手を躱し……その動きに合わせてブライツ様の衣類に縫い付けられている金糸の肩章や飾緒がチカチカと揺れていたりと、色々な意味で眩暈がしてきそうな御仁なのですよね。
(本当に…何でわざわざ)
御年20になるブライツ様は南方行路の基幹地であるミュラー公爵領のご子息様であり、装飾のついた緑色の詰襟に膝丈のロングブーツというあまりアインザルフでは見かけない服装をしている洒落者で……というより外国かぶれの奇妙な変人といった感じです。
因みに見た目がそこそこ整っているので下働きの下女達からの評判は良かったのですが、聖女や見習い聖女からはチャラチャラとした優男風の言動が不評で……カリンなんかは「いつもマリ姉の事を嫌らしい目で見てくるから嫌い」と口をとがらせられている有様でした。
「お勤めも大事だとは思いますが、適切な休憩も必要と言うもの…よろしければどこか静かな場所でこれからの事について語り合いませんか?バーハから取り寄せた最高級の茶葉があるのですが…それともピエニモンタの甘いお菓子の方が好みですかな?」
「いえ、そういう訳には…」
そういうよくわからない人だったのですが、一応これでも血筋的には7代前だったか8代前の皇帝陛下から分家した妹君の血筋というれっきとした公爵家の公子であり……。
(だから甘やかされすぎたのでしょうか?)
苦労知らずのボンボンというのは生理的に受け付けないのですが、食料を融通してくれるお得意様でもあるので無下には出来ず……とにかく大昔に降嫁した妹君以外に皇室との交わりが無かったようで、公爵といえども年代を重ねるごとにごく一般的な貴族という扱いになっていくのですが、それでも南方商業路の要であるミュラー公爵領を治めている大貴族である事に違いはありません。
正確にはブライツ様のお父様であるハインツ・フォン・ミュラー公爵が現当主であり、子宝に恵まれなかったハインツ様唯一の後継者がブライツ様という事になるのですが……そんな2人が粛清を免れたのは200年近く前の血筋を引っ張り出してくる事もないだろうという事で、先の政争では中立を保っていた事もあってヴォルフスタン皇帝の大粛清から免れる形となっていました。
事実洒落者や海外通として知られた彼らの行いは貴族の道楽という範疇に収まっており、ヴォルフスタン政権が本格的に動き出した後におこなった政治的な動きは教会や平民への寄進を始めたくらいで……これに関してはバンフォルツ公爵が倒れた事で一念発起したとも人気取りをする事で命乞いをしているのだとも揶揄されているのですが、彼らのおかげで助かっている人達が居るのも事実ではあります。
「ブライツ様、荷下ろしが完了いたしましたので…そろそろ」
しつこく付きまとって来ていたブライツ様との会話に入って来たのは黒い背広に身を包んだひょろりとした色白の男性で、名前は知りません。
身体のあちこちに古傷があり、腰には実用的な剣を下げながら剣呑な空気を発しているのですが……ブライツ様が言うにはミュラー公爵家の執事兼護衛兼自分の御目付け役なのだそうです。
「おお、なんと…美女との語らいとは短いものだが…ふむ、そうだな、では日を改めて語らう時間を作れないだろうか?父にも貴女の事を紹介したいのだが?」
片膝をついた告白まがいの言葉を紡ぐブライツ様なのですが、その熱烈な押し付けに下女達から黄色い声援やら熱い眼差しが飛んで来て……本当に頭の痛い問題ですね。
「また…そのうち」
よくわからないブライツ様の誘いがミュラー公爵流の社交辞令だと思って適当に流しておいたのですが、後日ミュラー公爵本人から『一度会ってみたいからミュラー領へ来てみないか?』という招待状が届き、困惑する事になりました。
「そう、ね…どうしたものかしら?」
一端の戦力になっている聖女が気軽に隣の領までとはいきませんし、ハンナ筆頭聖女に手紙を見せる事になったのですが……彼女は思案顔で考え込んでしまいます。
これが帝都にあるミュラー邸ならすぐに決断が出来たのかもしれませんが、ミュラー公爵領となると二泊三日……強行軍で2日程度の距離なのですが、滞在が半日だけだったとしても往復で5日はかかる計算になります。
(ブライツ様にも困らされたものですが)
アインザルフの南西部に広がるエントンシュング大湿地帯から出てくる魔物の抑えとして発展したのがミュラー公爵領であり、南方商業路を取りまとめる重要な場所を治める人のお願いを無下にするというのも後々問題が出てくるような気がするのですよね。
(だからといって…ですが)
本当に面倒臭いのですが、この頃の私はクラウディア先輩と共に帝都周辺の浄化作業を担当しており、もう少し経験を積んだら配属先を決めて任地に派遣されるかもしれないという時期で……そんな聖女が長期間帝都を留守にする訳にはいきません。
しかも塩の産地であるローランド領でスタンピードの兆候が見られるとかでルドガルド宰相が対応に当たっていますし、ヴォルフスタン皇帝やヴィクトルが第一騎士団と第五騎士団を率いて魔物退治に出ているという慌ただしい時期で……とはいえミュラー公爵がフィリス教会に多大な寄進をしているのも事実であり、どうしたものかとハンナ筆頭聖女は悩んでいるようでした。
「わかりました、今回は特別に許可を出しますが…後日陛下に俎上し、ミュラー公爵にはお誘いを控えてもらうように言ってもらいますが……貴女はそれでいいのですか?」
最後の確認はブライツ様が言い寄ってきているのが周知の事実であり、そんな人のもとに行っても大丈夫なのか?と聞いてきているようでした。
「はい、ハインツ様にも困っている事を説明しておいた方が良いと思いますし…それより帝都に残る聖女がクラウディア先輩だけになりますが、大丈夫でしょうか?」
もしくは「一緒になるつもりなのか?」と聞かれていたのかもしれませんが、私の願いは平穏無事に過ごせるのんびりとした生活ですし……大貴族であるブライツ様と一緒になるつもりはありません。そもそも血筋的に結婚を許されているのかもわかりませんし、子供を残そうとした瞬間に「憂いを断つ!」と処断される可能性を考えたら誰かと一緒になる事なんて考えられません。
それより心配なのが皆の事で、魔物退治にアネス先輩が出ていますし、ハンナ筆頭聖女も後詰として本隊を追いかける予定で……帝都に残るのがクラウディア先輩だけになってしまいます。
勿論見習い聖女としてパトリシアやカリンが残っているのですが、二人はまだまだこれからといった段階で……パトリシアに至ってはマナを保有しているのは確実なのですが、聖印が上手く切れずになかなか奇跡を扱う事が出来ないという有様です。
「貴女の考えはわかりました…そして質問への答えなのですが、帝都の近くは安全だという事が確認できましたし、クラウディアへの試練だと考える事にしました」
というのも、クラウディア先輩の実力は誰もが認めるところではあるのですが、精神面での脆さが致命的であり……一度頼る者のいない状況になって心構えを鍛え直した方が良いのかもしれないとの事でした。
それらと合わせて従士の訓練もおこなおうと考えているようで……因みに私が心配している聖女の配置なのですが、東方の魔物に対応するために出動している第五騎士団にアネス先輩が……ハンナ筆頭聖女は帝都周辺に小規模の群れを発見したという報告があって残っていたのですが、誤報とわかったので後続を連れて本隊を追いかけるのだそうです。
「ミュラー行きには第三騎士団から臨時の護衛騎士を募りますので、彼らと共に赴き…会談の後はメリー第八聖女と合流し、状況に応じて南方地域を見て回って来てください」
との事なのですが、どうやらこれは私の実地訓練という意味合いや、急遽第八騎士団に配属されたメリー先輩の様子を見てきて欲しいというお願いも含まれているのかもしれません。
「戻ってきたら配属先を決めようと思いますので、修行と思って気を抜かないように…貴女の場合はやる気さえあれば大抵の事はこなせますよ、自信を持ってお行きなさい」
「わかりました、行ってまいります!」
南方行路はたびたび問題が出てきたという事もあって徹底した巡回が行われていますし、魔物が活性化しているという話も聞かないのですが……片道二日とはいえ先輩聖女のいない任務は初めてですし、その重責に身が引き締まります。
それにメリー先輩とは1年ぶりの再会で……最後の記憶がザーラ先輩の訃報を聞いて大泣きをしている姿ですし、南方を回って来いというのはメリー先輩との親交を温めなおし、場合によっては励まして来て欲しいという事なのだと思います。
(聖女不足でなければハンナさんが直接様子を見に行きたいのだと思いますが)
赴任した聖女が心配だからという理由で筆頭聖女が帝都を離れる訳にもいきませんし、ミュラー公爵の要望に応える形で半人前の聖女に様子を見に行かせるのが精一杯なのでしょう。
なので不安はあったものの気負いはなく、護衛についてくれる第三騎士団の騎士達やハンナ筆頭聖女と詳細を詰めてから……私は軽い気持ちで帝都を発つ事になりました。
・ネタバレのようなただの補足
※巡視 = 定期的に行われている魔物を間引くための巡回の事で、物品やら報告書やら人事の移動やらがこのタイミングで行われています。
※クラウディアさん単独云々 = 何だかんだ言って相棒のアネス先輩が居ましたし、時期によってはアネスさんの同期であるエディという聖女がいました。この聖女はガサつなアネスさんより先に第9騎士団へ転属となっており、その後も補充要因として四方(東西南北)騎士団を転々としているので中央には戻って来ていません。
その2人が居なくなった後もザーラ先輩やメリー先輩が、この2人が居なくなった後はマリアンが伸びてきていたのでなかなか1人だけという状況になる事がありませんでした。