7:聖女という道
「出るのか?」
私達が避難所を引き払おうとしていると、細々とした用事を終わらせて来たというヴィクトルが気軽な調子で訊ねてきたのですが……母は良くしてくれた事には感謝しているものの、その見返りに何を求められるのだろうといった表情でヴィクトルとその後ろに居る赤毛の聖女様を交互に見ていました。
「はい、吹雪も収まってきましたし…そろそろ家の様子を見に戻ろうかと」
「そうか、出ていく前に…いいか?」
ヴィクトルは「ここではなんだから」と別室を顎で示すと、母は一瞬退路を確認するように出入口の方を見たのですが……私の顔を見てからヴィクトル達に向き直ります。
「わかりました」
「小さな子供を連れていては到底逃げ切る事は出来ない」といった悲壮感すら滲む母の言葉に私の方まで緊張してきてしまったのですが、そんな私達を見たヴィクトルはニカリと笑うと肩をすくめてみせました。
「安心しろ、悪い話じゃないさ」
そうして私達はヴィクトルと赤毛の聖女様に連れられて……聖女様達の宿舎に案内される事になります。
「まずは適当に座ってくれ…で、俺の事は知っているよな?って事で省かせてもらうが、こっちはアネス・ヴァグナーで…見ての通り見習い聖女だ」
とはいえ客間とかではない適当な空き部屋に机と椅子を運び込みましたというだけの部屋に案内されたのですが、私が「ここが聖女様達の部屋なのか」とキョロキョロしているうちに同行者である赤毛の見習い聖女……アネス・ヴァグナーさんの紹介が終わっていました。
「そんでもって腹芸は苦手だから単刀直入に言うが…俺達はこいつの瞳の事を知っているし、それを踏まえた上での話し合いをしたいんだが?」
ヴィクトルが切り出すと母がビクリと体を震わせてから私の手をギュッと握りしめてきたのですが……ヴィクトルは「まあまあ」と軽く手を振ります。
「そりゃあ…まあ、報告しないといけない所には伝えたが…誰がどこで繋がっているかがわからないからな、聖女の中で知っているのは直接見てしまったコイツくらいっていうくらいには口が堅いからな、その点では安心して欲しい」
「って、事らしいね、アタシも聞いた時はビックリしたんだけど…偽らざる気持ちを言っても良いのならやる事やっているんだからそりゃー1人か2人くらい生まれて来ているんだろうねーっていう感じかな?」
ヴィクトルは「この状況で言いふらすほどバカじゃないさ」とおどけてみせて、その言葉を継いだアネスさんも軽く頷きながら話が重くなりすぎないように軽口で繋ぎ……他人との関わりが少なかった私にはよくわからなかったのですが、ヴァルシャイト皇帝が見境なく女性に手を出しているというのはよく知られている事のようで……そのご落胤や隠し子が居るのでは?というのはよくある噂話のようなもので、アネスさんが言うには「本当に居たんだ」というくらいの感覚なのだそうです。
「それで…何が言いたいんですか?私達は静かに暮らしたいだけなんです、もうほうっておいてください!」
そんな2人に対して、母が私の手を強く握りながら叫ぶのですが……ヴィクトルは困ったように頭を掻きました。
「俺もそうしてやりたいんだが、こっちにも色々と込み入った事情があってな…それも踏まえてなんだが、この前教えてもらったおまじないは憶えているか?」
いきなり話が飛んだような気がして反応が遅れたのですが、ヴィクトルの言う「おまじない」というのはアネスさんが教えてくれたおまじないの事でしょうか?
「いたいのいたいの…とんでいけ?」
私はよくわからないまま教えてもらったおまじないを繰り返すのですが、これが何だというのでしょう?
「そうだ、もう少し強く念じる事は出来るか?」
言われるままに私がおまじないを唱えようとすると、指先がホワッと光り……。
「ッ!?違います、何かの間違いです!」
母が慌てたように私の上に覆いかぶさって来たので光が途切れたのですが、私は先程の感触を確かめるように手のひらを開いたり閉じたりしながらドキドキしていました。
「これは…当たりか?」
独り言のように呟いたアネスさんの話では何かしらの切っ掛けでマナが扱えるようになる聖女が大半で、私の場合は母が倒れた事でその力が覚醒したのだろうという事でした。
そうしてアインザルフでは聖女の力に目覚めた者は例外なく聖女としての訓練を受ける事が義務付けられていて……それは国家に取り込まれるという事に他なりませんし、母としては否応なく政争に巻き込まれていく私の身を案じていたのだそうです。
「今の情勢なら見つかるのは遅かれ早かれだからな、聖女であればよほどの事が無ければ大丈夫だろうし」
ヴィクトルが言うにはただのマリアン・フォン・ロッシュフォールとして隠れているより聖女マリアンとして認知されていた方が護衛をつける事も出来るし、守りやすくなるのだそうです。
それくらい聖女と言うのは貴重な存在で、何かあった時の為に戦闘訓練を受ける事も出来て……能力があれば暫定的な指揮権の掌握も可能になり、自衛する力を手に入れる事も出来るのだろうという話でした。
具体的に言うと正式な聖女になると騎士団の団長か副団長くらい偉くなって……ヴィクトルと同程度と言われるとちょっとだけ不安になってくるのですが、その権力は九つある騎士団の1番目か2番目で……第一騎士団付きの筆頭聖女ともなれば騎士団のトップとも同格となり、国家運営を担う会議にも出席する権利が手に入るのだそうです。
「その辺りの事情はどうでもいいんだけど…聖女不足は深刻だからね、アタシとしてはやる気があるのなら歓迎だけど…どう、やれそう?」
「こっちとしては変な政争に巻き込まないで欲しい」と言いたげなアネスさんに詰められると尻込みをしてしまうのですが、多分このまま家に帰っても厄介ごとはやって来るような気がしますし……何より目の見えない子供として知られている私にはまともな就職先が無く、このままだと一生母のお荷物になってしまいます。
ですが、聖女になれば結構なお給金が出るようで……そのお金があれば母に楽をさせてあげる事も出来ますし、聖女様の中には不思議な力で周囲の状況を把握する事が出来た人も居たようで、私も修行してそういう力を得たという事にすればそれほど違和感なく外出できるようになるのかもしれません。
勿論聖女にならなくてもそういう力が使えるようになったという事にすれば良いだけなのですが、それだと結局不思議な力を持っているんじゃないか?という事で教会に送られる事になると思いますし、変な奴らに見つかる前に聖女になっておいた方が良いような気がします。
そして何より……そういう現実的な問題や論理的な事を抜きにしても、母を助けてくれた聖女様のように癒しの奇跡を使えるようになる事に対しての漠然とした憧れみたいなものがフツフツと湧いて来ていました。
「よろしくお願いします!」
そんな色々な事を考えてから頭を下げると、ヴィクトルとアネスさんは何処か安心したような表情を浮かべていて……母だけが難しい顔をしていました。
勿論聖女になるという事はどこかの騎士団に組み込まれるという事ですし、場合によってはお城での勤務という可能性もあって……不安そうにしている母の説得は大変だったのですが、ここまで身バレしていては逃げる事も隠れる事も出来ないという事で、渋々と同意をしてくれました。
「うっし、それじゃあハンナさんとクリスに聖女を見つけたって報告しないと…え~っと、マリアンだっけか?よろしくな」
ぐしぐしと頭を撫でてくるアネスさんの力が無駄に強くて少しだけおっかない人だという印象を植え付けられたのですが、事情を知っているという事で色々と面倒をみてくれる事となり……尊敬できる数少ない人の内の一人となるのですが、人生というのはよくわからないものだと思います。
とにかくアインザルフの聖女不足は深刻なようで、ハンナ・フォリサー筆頭聖女と第三騎士団の聖女であるクラウディア・フォン・シュタインさんと会っておまじないをみせる事となり、その後はトントン拍子で見習い聖女になる事が出来ました。
そして見習い聖女の服を渡された時に初めて黒いローブだけの見習い聖女と白いケープをつけた正式な聖女様がいる事を知りましたし、聖女様が被っているベールの模様によってどの騎士団に所属しているのかが分かるのだという事を知りました。
因みにこの時紹介されたクラウディアさんというのが母の治療をしてくれた聖女だったのですが、挨拶をした時のクラウディアさんはベッドの上でウネウネしていて……アネスさんが言うにはこっちの方が素に近いのだそうです。
「ごめんねー今はすっごく気持ち悪ぐで…よろしくー…マリアンちゃ…ぐふ」
クラウディアさんは疲労困憊といった顔でほわほわとした挨拶をしてくれたのですが、後日会った時は青ざめた顔でお腹を押さえながらフラフラしていて……。
「あれは後輩に不甲斐ないところを見せてしまったと落ち込んでいるだけだから…その、あんまり気にしないであげて?」
アネスさんが言うにはクラウディア先輩はめちゃくちゃ打たれ弱い人で……いつも大体つまらない事で落ち込んでいるのだそうです。
「それに弱いといっても戦闘中にぶっ倒れる訳でも無いし、むしろ人一倍頑張りすぎているだけなんだけど…なんつーか…気にしーっていうか、とにかくウダウダと考えすぎる質なんだよね」
との事で、この辺りから聖女には変な人しかいないのだろうかと思い始めたのですが……そんな変人達をまとめるがハンナ筆頭聖女で、こちらはいつもキリっとした表情をしている規律の塊のような人で、キビキビ動く姿はなかなか格好いいと思えるような女性でした。
「まずは基礎からと言いたいですが…聖女不足は逼迫しています。のんびりと貴女の成長を待っている余裕はありませんので、指導は厳しくなると思っていてください」
最初の言葉は見た目通りの厳しさだったのでのですが、この時は第五騎士団所属のベルという聖女が猛吹雪を起こしていた冬の主との戦いで命を落としており、その穴埋めにハンナ筆頭聖女が奔走していたりとバタついた時期だったのだそうです。
そしてバタバタとしながらも見習い聖女仲間となるザーラとメリーの2人も紹介されたのですが、帝都に居る聖女は新しく入った私を含めてもこの6人だけでした。
因みに定数という意味では第一騎士団から第九騎士団に聖女が1人ずつ必要で、その補佐を行う見習い聖女が同数以上必要なのですが……第一騎士団と第三騎士団と四方の聖女は健在なのですが、第二騎士団は色々な事情があって解体中、第四騎士団は魔導の研究を行う騎士団なので優先順位が低いと配属されておらず、第五騎士団は先日戦死と中央騎士団の半数以上が未配属の状態なのだそうです。
このギリギリの配置を見ただけでもアインザルフの聖女不足が分かるというもので、アネス先輩達には鉄拳制裁も辞さないという詰め込み式の聖女教育を施される事となるのですが……アインザルフの聖女は従軍する事が前提となるのでこの程度の鉄拳教育は当たり前なのだそうです。
それについては色々と思う事はあるのですが、聖女が倒れるという事は騎士団の撤退に繋がりますし、騎士団の撤退はそこに住む人達の悲劇を意味するので殴られて泣く程度の聖女が前線に出てくるのは迷惑だという事で容赦がありませんでした。
場合によっては泥水をすすってでも従軍し、騎士達を支える強さをもった聖女が求められているので猛訓練は続き、聖女でありながら格闘術や木剣を使った戦闘方法まで叩き込まれていきます。
「その程度で集中力を乱すなゴラァ!根性あるのかてめぇ!!」
勿論私だけが殴られるだけならただの苛めなのですが、教える方は私以上の厳しい訓練を行っており……何かあれば私からも殴り返しているのでこういうものだと納得するしかありませんでした。
「大丈夫です!!まだやれます!!」
そんな聖女教育の中でも特に厳しく指導してくれたのは第五騎士団に派遣される事になったアネス先輩で、戦闘訓練の時は容赦なく殴られ転がされて、そして私も容赦なく殴り返していたのですが……身体強化の強さや戦闘技術に差がありすぎてどうする事も出来ません。
とにかく過酷な扱きも人々を助けるためであり、私が戦場に出ても死なないように鍛えてくれているという事がわかったので何とかその厳しさについていけたのですが、それでもいつかアネス先輩をボコボコにしてやろうと心の中で誓いました。
・ネタバレのようなただの補足
※マナが使えるようになる切っ掛け = 不発でも良いので最初に何かしらの力が発動すればマナの通り道が出来るので扱えるようになります。
この辺りは偶発的なものに左右されるのですが、聖女が多いとされるラークジェアリーの場合は潜在的なマナの量を測定して一定以上の力を持っている人を見つけ出すというアーティファクトがあり、最初の切っ掛けもアーティファクトを光らせる事で人為的に起こしていたりと「発見・教育」の方法が確立していたりします(ただここまでしているのはラークジェアリーくらいで、それ以外の国はアインザルフと同程度です)。
※吹雪が収まってから聖女の話をしたのはヴィクトルが色々と忙しかったからで、上に報告を上げていたりアルスウェイ公爵に相談しに行っていたりしたので日数がかかりました。
※反体制派の貴族に見つかるまでこっそりしていて、見つかってから聖女だと名乗れば良いのかもしれませんが、周知していなければ“そんな聖女はいなかった”とされる可能性があるのでその方法はとりませんでした。
※聖女が暫定的な軍事権の掌握も可能というのは団長や副団長が倒れた場合(小規模の場合は最初から率いる場合もある)の臨時指揮の事で、よほどの事が無ければ聖女を護衛する騎士達の指揮権が与えられています。ここでいう“よほどの事”というのはどうしても性格的なものや能力的なもので向き不向きがあるからです。
※聖女様の中には不思議な力で周囲を把握していた人 = 気配探知系の奇跡なのですが、アインザルフでは体系立てられていなかったのでその聖女固有の力だと思われていました。
※体罰が日常化しているのは猫達の感覚では違和感があるのかもしれませんが、アインザルフの場合は一つの国を10名前後の聖女で守っている状態で、その訓練は容赦のないスパルタ教育になっています。勿論その厳しさに応じた権力や立場が貰えるのですが、付随する色々なものに恥じない立ち振る舞いや努力が求められてもいます。
※アインザルフの聖女はどのような状況でも戦える能力が求められているので戦闘訓練が多く、騎士を率いる立場という事で帯剣が許可されていたりします。
これがラークジェアリー(聖女に余裕のある国)の場合は大聖女が門の浄化を行う事で国単位の全体浄化を行い、80~90人前後の聖女(この中で巡回聖女として国を回っているのは20~30人)更に100人以上の見習い聖女が後ろに控えているので余裕がありますし、教育や設備も整っているので3~5年周期の配置転換で複数分野の教育を受け直す事が出来たりと、本人の希望や特性に応じた教育が比較的のんびりとおこなわれております。