6:アインザルフの聖女
今にも命の灯が消えてしまいそうな母を聖女様達の居る教会まで連れて来る事が出来たのですが、私達以外にも聖女様の助けを求めている人が沢山いて……ここまで来てと絶望しかけたのですが、流石に死にかけている母を見捨てるのもどうかと思ったのか、調整や誘導をおこなっていた赤毛の女性が腰に手を当てながらおもいっきりため息を吐いていました。
「本当なら温存しておかないといけないんだけど、このままだと寝覚めがわりーし…って事で、とっておきのおまじないをかけて…いや、教えてか?とにかくそれで我慢してくれねーか?」
「おまじ…ない?」
この時の私は本当に余裕が無くて、怪しげなおまじないというものを教えてもらう事になったのですが……先に種明かしをしてしまうとこの時教えてもらったのが癒しの聖印という治癒の力で、聖女でもない人間がマネをしても意味の無い代物だったのですが……後日なぜ私に癒しの聖印を教えてくれたのかという事を聞いてみると「何となくいけるような気がした」というよくわからない答えが返ってきました。
「こうやってな、痛いの痛いのとんでいけーってやるんだ…わかるか?」
周囲を探る技術というのが体内のマナを利用する技術で、放出されているマナの動きを見ていたアネス先輩が「この子なら奇跡を扱う事が出来るのかもしれない」と思ったのかもしれませんが……とにかくこの糞忙しい時に、気休め程度にはなるのだろうという軽いノリで聖印を使ってくれて、その方法を教えてくれました。
「痛いの痛いの?」
ぐったりしている母が痛がっているのかはよくわからなかったのですが、言いながら聖女様がおまじないを唱えるとキラキラとした光が私と母を包んでいき……危篤状態に陥っている母の回復まではいかなかったのですが、少しだけ母の呼吸が落ち着いたような気がして……ついでのように頭の痛みが止まりましたし、効果を実感した私は縋りつくように教えてもらったおまじないを唱えながら母が助かるように強く祈るとフワリとした光に包まれたような気がしました。
「その調子だ、後はクラウに…って、そこのお前!何喧嘩してんだゴラァ!!そんな元気があるのなら雪かきを手伝えやぁ!!!」
ニヤリと笑った赤毛の女の人は私の頭をガシガシと撫でると、喧嘩の仲裁に走って行ったのですが……私は教えてもらったばかりの“おまじない”を母に向かって使い続けていました。
「おいおい、これは…」
この時のヴィクトルは赤毛の女性が教えてくれたのが癒しの奇跡だという事に気が付いていましたし、私が不完全ながら癒しの力を振るっている事に驚いていたようなのですが……強く願うと体の中からスッと何か抜けていくような気がして、その度に母の呼吸が少しだけ戻ったような気がして……おまじないを止めたら母の呼吸が止まってしまうのではと怖くなってしまい、おまじないを止める事ができなくなります。
因みにこの時ぶっつけ本番で癒しの奇跡が発動したのは騎士のおじちゃんから気配の読み方を教わっていたからで、マナの動きについての基本的な土台が出来ていたのだと思いますが……とにかくこの時教えてもらったおまじないが効いたのか、絶望的だと思っていた人の列も何とか終わり、20過ぎの……金髪糸目の色々と大きな聖女様が治療を施してくれる事になりました。
「お願いします、母さんを、母さんを助けて!」
母がベッドの上に寝かされた時にはおまじないの連発で意識が朦朧としていたのですが、それでも必死に母の事を頼み込むと聖女様は柔らかく微笑みながら本物の奇跡をみせてくれて……この時の笑顔は本当に聖女様にふさわしい微笑みだったのですが、後で聞いてみたら「疲れていただけだから、だからそんなに畏まられると困ってしまうのだけど」と苦笑い気味に言われてしまい、喋るのが億劫なだけだったという事実に呆れてしまいました。
とはいえその辺りの事情を知らない私はただただ聖女様に母を助けて欲しいと願っていて、聖女様が聖印をきるとゆっくりと母の肌には血の気が戻っていき……そんな奇跡の様な光景に涙が出たのですが、この時はたまたま冬の主の討伐を諦め防衛に回っていた事、そのおかげで聖女の手が空いていた事、アネス先輩が重病者用の列に並ばしてくれて治癒の奇跡を教えてくれていた事、そして母の治療をしてくれたのが第三軍つきの聖女で治療の専門家であるクラウディア・フォン・シュタイン先輩だったという奇跡のようなたまたまが重なった結果でした。
後々クラウディア先輩は精神面が脆すぎる奇妙な人だという事を知る事になるのですが、この時の私は聖女様は凄いなって感銘を受けていて、母の呼吸が安定してきた事が嬉しすぎて声を上げておもいっきり泣いてしまいました。
そうして母の容体が安定してから併設されている礼拝堂……難民でギチギチになっている避難所に移る事になったのですが、その頃になると私の体力も限界にきていて……私は護身用に渡されていた剣を抱きしめながら気絶するように倒れてしまいます。
気が付いた時には筵を敷いただけの石畳の上に寝転がっていたのですが、先に目を覚ましていた母が笑いかけてくれるともう一度大泣きしてしまって、気が抜けると眩暈を伴う喉の渇きと飢えが一気にこみ上げてきてしまい……そんなタイミングで顔を出したヴィクトルがカチコチに固まったパンとぬるくなったトーメイスのスープを持って来てくれました。
「この度は、本当にありがとうございました…ですが、その…施しを受け取る理由がありませんので」
母はヴィクトルの事を疑っているのかなかなか受け取ろうとしなかったのですが、差し出されている食べ物にお腹がキュルルと鳴っていて……。
「気にすんな、ついでみたいなもんだ…それにさっさと食べてくれると色々と助かるんだが?」
ヴィクトルはザワザワとした周囲の人達の視線を気にしながら困ったように眉尻を下げるのですが……これはこの避難所で出てくるのが井戸の水くらいしかなく、食べる物といえば各々が持ち込んでいる食料かその辺りに生えている雑草だけだったからです。
そんな物ですら奪い合いの取っ組み合いが起きている状況ですし、食料を持っているのがガタイのいい騎士でなければ奪い取られていたのかもしれないというくらい周囲からはギラギラとした視線を向けられていました。
「母さんも…食べられる時に食べないと」
私も人の多い場所だからという事でいつの間にかつけられていた目隠しの結び目を気にしながら母の説得を試みるのですが、母の中で騎士というのは国に所属しているという意識が強いようで……ここで食料を受け取ったらどのような無理難題を押し付けてくるのだろうといった感じだったのですが、私の顔を見てから促されるように差し出されていた食料を受け取ります。
「ありがとうございます、この御恩は必ず」
因みに私の中ではヴィクトルはヴィクトルという枠組みが出来ている感じで「それはそれ」で「これはこれ」と施しを受ける事に頓着は無く、それより目の前のパンとスープの方が問題です。
ヴィクトルが持って来てくれたカチコチのパンはギュッと味が詰まっていて、トーメイスの粒がトロトロになるまで煮込んだのスープに浸してふやかせると甘さが混じり合って食べやすくなります。
その美味しさと久しぶりにちゃんとした食事にありつけた喜びに対して表情が緩んでしまい……そんな私を見て母も表情を緩めて、意地を張っていてもしょうがないと食べ始めてくれたのですが……母もお腹は空いているのでペロリと食べきっていました。
「さて、俺は一度詰め所に戻らないといけないが…本当に大丈夫か?」
そうして私達が食事するのを見届けてからヴィクトルが聞いてきたのですが、これはもう少し安全な場所に移動しないかといった誘いだったのですが……「そこまでしてもらう訳にはいきません」と母が固辞した事や、調子の悪い状態で吹雪の中を移動するのはきついだろうという事となり……。
「はい、何から何までありがとうございました」
「うん、平気」
「そう、か…まあ俺も見回りついでに様子を見に来るから、何か不便があったら言ってくれ」
流石にサボりすぎたと慌ただしく出て行くヴィクトルなのですが、「見回りついで」と言っていた割には支給品の筵とペラペラの布団だけだと寒いだろうと騎士の人達が着ていたボロボロのコートを持ってきてくれたりと、色々な理由をつけて顔を出してくれました。
あまりにも細々とやって来るので母とヴィクトルは夫婦ではないかと囁かれる事となり、周りの人達には目の見えない騎士の娘とその母親と思われていたようで、ヴィクトルの威光もあって大きな喧嘩や事件に巻き込まれるといった事もありませんでした。
そういう訳で食事は1日に1回か2回くらい顔を出すヴィクトルが持って来てくれて、私が剣を手放さない事に呆れながらも剣帯まで持って来てくれたりもしたのですが、大人用の使い古しなのでブカブカで……引きずるように吊るしているとヴィクトルに笑われてしまい、鞘付きのままおもいっきり殴ってやると母も苦笑いを浮かべるように笑っていました。
そんな風に母の笑顔も久しぶりに見れた避難所生活を満喫していたのですが、流石に1日2日と経過してくると暇になってくるもので、私は聖女様達の事や教会の事を母や周囲の人達に聞くようになっていました。
それによると聖女様達は奇跡のような力を使う人達の事で、魔物の発生源である瘴気という物を払う事が出来る凄い人達のようです。
私達が居る建物はそんな聖女様達がおられる場所の一角で、一般的には「教会」と呼ばれているそうなのですが……これらの名称は他国のものをそのまま輸入しただけなので宗教的な意味合いがある訳でも無く、ごくごく普通の人達からするとお薬を売っていたりごくたまに治療をしてくれたりする場所という事で「治療院」とも呼ばれているのだそうです。
建物は猛吹雪の時や魔物の襲撃があった時の一時的な避難場所として使う事を前提としているので石造りの小さな砦といった感じで、構造としては人の集まる“礼拝堂”とお薬の販売や治療を行う“治療院”と聖女様達が寝泊まりをしている“宿舎”の3つの建物が集まって構成されているのだそうです。
因みに他の町にある教会と区別する場合は帝都にある教会を「フィリス教会」と呼び、その他の場所にある教会は「町の名前+教会」と呼ぶのですが、帝都の教会だけがフィリスの名で呼ばれているのは始まりの聖女であるフィリス・ブラウン様の名前から取ったとされており、聖女様達の学び舎である宿舎はフィリス様の時代から脈々と受け継がれた歴史ある建物なのだそうです。
そうして聖女様達の逸話や歴史、その不思議な力の事も教えてもらっていたのですが、そんな生活が3日くらい続いた辺りから徐々に吹雪も弱まっていき、外出する事が出来るようになりました。
こうなって来るとチラホラと家の様子を見に行く人や食料を求めて出て行く人が居て、最初はぎゅうぎゅう詰めだった避難所もだんだんと人が減っていき……ゆっくりと寛げるようにはなったのは良い事なのですが、私達も半壊している家の事を考えなければいけません。
「………」
母は口に出さないものの「どうしたものかしら?」と考え込んでいるようで……これは単純に半壊した家の問題だけではなくヴィクトルに対しての警戒心もあったみたいなのですが、最悪の場合は親子2人で帝都から逃げ出す事も考えていて……コネもなければツテもなく、そもそも先立つ旅費すらない状態ではどうする事も出来ないと思い悩んでいたのだそうです。
とにかく一旦家に帰ってフェンダおばさん達に無事を知らせようという話になったのですが、避難所を出ようと借りていた筵や布団を綺麗にしていると、ヴィクトルと……癒しの聖印を教えてくれた赤毛の聖女様がやって来ました。
・ネタバレのようなただの補足
※マリアンの力が覚醒した日であり、帝都にいる三聖女(第一筆頭、第三、第五)が顔を合わせた歴史的な日となります。因みに第二聖女は本編開始時点において空位(第二騎士団自体が存在していない)ですし、第四騎士団も再編までに時間がかかるので聖女が配属されるのはもっと先の話になります。
※アネス先輩が奇跡を使うのを躊躇ったのは見習い聖女だった事や、突発的な魔物の襲撃に備えてマナの温存をしないといけないからで、そういう規則を破ってまで“おまじない”という形でかけてくれたといった感じです。
※病気や体調不良を直す奇跡は治癒と身体強化の混合となるのでコツが必要となり、種類ごとに特化させているアインザルフ式の奇跡だとその辺りが上手くいきません。そんな中でも良い感じのセンスと努力で上手く混ぜ合わせているのがクラウディアさんで、単純な技術力だとアインザルフでは一番の腕前だったりします。アネスさんが最強と呼ばれているのは戦闘面での話で、戦闘技術と運用方法に優れているといった感じです。
※因みにクラウディアさんの落ち着いた見た目から20すぎくらいかな?とか思われていたのですが、この当時はまだ18歳で、20代に間違われた事を知って「まだ10代なのに」と1月間くらいへこむ事になります。
※マリアン(一般人)には知らされていませんが、この時第五騎士団所属の聖女が戦死しており、その影響で防衛に回る判断が下されていました。そして団としての行動が取れなくなっていた第五騎士団団長のヴィクトルが再編の為に前線から引いて来ており、これが無かったらマリアンの未来は色々と変わっていたのかもしれません。
※始まりの聖女 = 本編開始時点からみて264年前に(フェルダルフィ:現バーハ共和国から)アインザルフに聖女の御業を持ち込んだ聖女で、初代アインザルフ皇帝となるエリュタス・アインザルフと共に帝国の基礎を作った人物です。アインザルフ帝国を建国した後に2人は結ばれており、アインザルフでは最も名の知れた聖女と言われています。
※最後にアネスさんの事を「赤毛の聖女様」といっていますが、この当時は見習い聖女です。マリアンが聖女と見習いの違いがわかっていないので「聖女っぽい事をしてくれた人」みたいな感じで「聖女様」と呼んでいます。