5:力の片鱗
「おい待て、くそっ!」
私は家に帰って来たという安堵感と母への思いがこみ上げて来てしまい、ヴィクトルの腕から離れて雪に埋もれた……たぶんフェンダおばさんが途中まで雪かきをしてくれていたのでしょう、やや薄くなっていた雪の壁を突き崩しながら半壊している壁をよじ登ったのですが、家の中はひんやりと冷え切っており、吐く息が白く凍りつきました。
「かー…さん?」
吹き付ける吹雪以外の音がしない家の中は不吉な予感が漂っていて、急いで母のいる寝室に向かおうとしたところで、玄関で倒れている母を発見しました。
「母さん、大丈夫!母さん!?」
最初は死んでいるのかと思って腰を抜かしかけたのですが、母は私の声に反応したようにボンヤリと目を開けると、弱々しく微笑みます。
「あぁ…マリアン…」
私の帰りが遅いから捜しに出ようとしたのか、それとも少しでも家の事をしようとベッドから起きて来たのかはわかりませんが……あれほど熱を持っていた母の体は冷え切っており、もうもたないのだという事が子供ながらに分かってしまいました。
そんな事を認めるのが怖くて母の腕を擦りながら辺りを見回してみたのですが、何か温められる物があったら最初から温かくしていて……。
「マーチン、そう…むかえ、に…」
死期を悟ったような母のうわ言に視線を戻すと、玄関を塞いでいた雪の壁を崩して入って来たヴィクトルが外出用の顔布を外しているところで……たぶん騎士のおじちゃんの名前を呼んだのだと思うのですが、ヴィクトルと騎士のおじちゃんの騎士服の色は違いますし、もう母には色の区別がついていなかったのだと思います。
「マー…チン?」
ただこの時の私は聞いた事が無かった単語だったので聞き返したのですが、母には私の言葉が聞こえていないようで、引きつるような呼吸音がゆっくりと止まりかけていました。
「たしか…何年か前に冬の主を討伐しようっていう時に命を落とした騎士の名前だ、間合いの取り方が上手かったんだが、吹雪で動きが鈍ったところを狙われてな」
代わりにヴィクトルが注釈を入れてくれたのですが、何処か難しい顔をしているのは「面倒な事になった」みたいな事を考えているようで……それがあまりにも腹立たしすぎて、八つ当たり気味に私の怒りが爆発しました。
「そんな事より、何とかして!」
「ッてぇ!?って、おい、流石に…いや…」
ゴツっとおもいっきり向う脛を蹴り飛ばすと、流石のヴィクトルも痛がっていたのですが……騒いでいる場合ではないというように尻すぼみになり、申し訳なさそうに肩を落とします。
「ここまで衰弱していると、もう…厳しいだろうな」
あんなに贅沢ができる人なら何とか出来るんじゃないかと思って無理難題を押し付けたのですが、彼は母の容態を確認してから首を振りました。
「いや!聞きたくない!!…そうだ!聖女、聖女様はどう!?」
フェンダおばさんが私の目の事を不憫に思い「聖女様に見てもらえたら良いのに」なんていう話をしていたのを思い出して……勿論聖女様というのは途轍もなくお忙しいので治療をしてくれるとは限らないのですが、お薬くらいなら黄金の瞳でゴリ押せないかと思いました。
最悪の場合は黄金の瞳を探しているという貴族の元へ行き、受け取った大金貨でお薬を買う事ができたらと考えると、とても良い考えの様な気がしてきます。
「それ、は…」
ただヴィクトルは「それは難しいんじゃ」というような顔をしていて、そもそも今から駆けつけて間に合うのだろうかと黙り込んでしました。
とはいえこれ以上の良案が浮かぶわけでもなく、私は聖女様のいる場所に母を連れて行く準備を始めて……雪と氷でべちょべちょになっても良い私の服や布団で母の冷え切った体を包み、後はどうやって運び出すかなのですが……そもそも本当にこんな吹雪の中を息も絶え絶えといった状態の母を連れて行けるのか、聖女様はちゃんと診てくれるのか……それとも母は、このまま死んでしまうのでしょうか?
「まりぃ…あん、きい…て」
「嫌ッ!!」
母の命が今にも消えそうになっているという現実と、これが遺言だというような母のうわ言に私は耳を塞ぎました。
このまま二度と母が動かなくなるんじゃという恐怖と弱々しくなっていく母の呼吸に急かされるように心臓がドキドキして、何かしていなければ落ち着かなくて、涙が溢れてきて、そんな私を見てヴィクトルは大きなため息を吐きます。
「その様子なら教会の場所も知らないんだろ?」
やれやれというように息を吐いたヴィクトルは着ていた毛皮のコートを母にかけてあげると、そのままぐいっと抱きかかえ上げました。
「お前は…しがみ付けるか?」
「うん!」
「両手が埋まっているからな」としゃがみこんだヴィクトルの大きな背中に飛び乗りながら、私は大きく頷きます。
「ただ、あまり期待はするなよ…じゃあ、行くぞ!目は閉じとけよ!」
そうしてヴィクトルが母を運んでくれる事になったのですが、その間も母はうわ言のように私の生まれについての話をしてくれていて……ヴィクトルが代わりに相槌を打ってくれていたのですが、その背中に居る私は吹雪の音が大きすぎてよく聞き取れませんでした。
それでも途切れ途切れに「10年前」「陛下」「死産と偽って」と言った単語が出てきており、私が皇帝陛下のご落胤というのは嘘ではないのかもしれません。
(だったら…何で!?)
こんな事になっているのかとよくわからない怒りに体の中が熱くなったような気がしたのですが……必要な事を言い終えたというように母の吐息がか細くなっていく事に言い知れぬ焦燥感が募っていき、母が助かりますようにと強く念じていると空模様は大して変わらいまま奇跡的に吹雪は小降りになってきており……少しだけ進みやすくなったような気がします。
「こいつは…どういう事だ?」
それが私の気のせいではないという様に、ヴィクトルも小降りになってきている空模様を見上げながら首を傾げていたのですが……とにかく今は雪道を蹴散らし聖女様達が住まうという教会に到着したのですが、そこで私達が見たのはこの猛吹雪で怪我をした……もしくは冷え込みで体調を崩したという人達で、建物の中に収納しきれずに犇めき合っている人混みでした。
あちらこちらから誘導の為の怒号が飛び交っており、それくらい沢山の人達が聖女様の助けを必要としていて、黒い服を着た数人の女性達と……騎士のおじちゃんと同じ服を着た人達が走り回っていたのですが、どう考えても人手が足りているようには見えませんでした。
中には列にすら並べていないような……吹雪の中でへたりこむように座り込んでいる人達もいるのですが、そういう人達は皆ボロボロの服装をしており、家が崩れて帰る場所が無くなったとか、大きな怪我をしていてまともに動けないとか、縋る事が出来る場所がここくらいしかなかったといった様子で……凍り付いたようにピクリとも動かない人までいるようです。
「アッチに行って!あそこ!偉いんでしょ、蹴散らして!」
あまりにもあまりな光景に血の気が引いたのですが、ここまで来るのに結構な時間を使っていますし……吹雪が緩んだと言っても底冷えするような冷え込みはありますし、眠るように瞼を閉じた母には一刻の猶予もなくて……私は人が運び込まれて行く建物の方を指し示しながら叫びました。
「って、おい、あまりはしゃぐな!って、それにアッチって…目は閉じているだろうな!?って、おい、お前じゃ無理だ!?」
ヴィクトルは並んでいる人達を蹴散らす事を躊躇ったようなのですが、馬鹿正直に順番を待っていたら母を助ける事が出来ません。
「はーなーしーて!!」
ここまで来たら私が何とかしようと、ヴィクトルの背中から飛び降りて彼の腕の中から母を奪い返そうと力を入れると……。
「何を騒いでいるんだゴラァ!最後尾はアッチだ!順番くらい大人しく守りやがれ!!」
そうして私とヴィクトルが騒いでいると、15歳くらいの……大きく切れ目の入った厚手の黒いローブを着た赤髪の女性がズカズカとやって来て、大きな怒鳴り声をあげました。
「だって、母さんが!!」
その剣幕は尋常じゃなくて、その表情だけで竦み上がりかけたのですが……母の命と天秤にかけられるものではありません。
「それはここに居る奴らも一緒だ!じゃあなんだ?お前は他の奴らに死ねっていうのか!?お前達だけ特別扱いにする訳にはいかねーんだよ!」
彼女はピクリとも動かない母の青白い顔を見ながら気の毒そうな顔をしたのですが、それでも規則は規則だというように物凄く怖い顔で列に並ぶように促して来ました。
「じゃあ私が黄金の瞳を持っていても!!?」
売り言葉に買い言葉といいますか、このまま列に並んでいたのでは母の命がもたないと思い、私は赤毛の女性に黄金の瞳を見せて権力のごり押しをする事にしたのですが……。
「って、おい!?馬鹿っ!?」
母を持ち上げていたヴィクトルが止める間もなく、私は皇帝陛下のご落胤であるという黄金の瞳を赤髪の女性に見せたのですが……滅茶苦茶怒られました。
「だから何だっていうんだ!?ごちゃごちゃ騒いでいる暇があったらちゃんと並びやがれ!分かったかこのクソガキっ!!?」
ゴッ!!とおもいっきり拳骨を落とされた私は目の前がパチパチして、頭が割れるかと思ったのですが……いえ、本当に出血するくらい強く殴られてしまい、頭を押さえながら蹲った時に泥混じりの雪の上にポタタと血液が飛びました。
「お、おい…」
いきなりの流血沙汰にヴィクトルも顔色を変えるのですが、騎士団長の服を着た倍以上の大人の男性に対しても彼女の剣幕は変わらないようで、ふんぞり返ったように腕を組んでから言い放ちます。
「ど・な・た・か・存・じ・ま・せ・ん・が…治療の順番は私達が決めますので!!」
こうしておもいっきり啖呵を切りながら拳骨をお見舞いしてきたのが聖女の基礎となる技術を教えてくれる事になる恩師であり、アインザルフ最強の聖女と言われる事になるアネス・ヴァグナー先輩だったのですが、この時はオーガか何かかと思って震えあがってしまいました。
本当になんて酷い事をするのだと思ったのですが、きっと貴族だからという割り込みが多発しすぎて腹を据えかねていたのでしょう。
そして拳骨を振るいながらも並んでいる人があまりいない列に案内してくれたというのが彼女なりの優しさだったのですが……いないと言っても10数人は並んでいますし、遅々と進まない待機時間に母が耐えられるとは到底思えなくて、このままでは母が死んでしまうと目の前が真っ暗になってしまいました。
・ネタバレのようなただの補足
※ヴィクトルが「面倒な事になった」みたいな顔をしていたのは「やはりナタリーだったか」みたいな感じで(ヴィクトルとナタリーは皇宮勤めをしている時に面識があります)マリアンが皇帝のご落胤であるという確信を得たからです。
※ヴィクトルがポカポカしていたり膝下が埋まるような雪を蹴散らせるのは無意識に身体強化を使っているからなのですが、本人の感覚では良い感じに馬力が出るくらいの感覚でした。
※治療院で貰える薬というのは薬草を煎じた物で、漢方を飲んだ時と同じくらいの効果があります。とはいえ奇跡や魔法のある世界なのでポーションなどの回復薬もあるにはあるのですが、アインザルフにはポーションを製造する技術が無くて、輸入に頼っているのでめちゃくちゃ高価(低級品を吹っ掛けられています)です。