4:黄金の瞳
「全員が黄金の瞳を持っているっていう訳じゃないし、魔力の流れが影響を及ぼしているだけっていう奴もいるが…皇室っていうのはそういう色を持っている血筋なんだろうな…って、その辺りの学術的な事はどうでも良いんだが」
ヴィクトルからしれっと教えられた事実が耳から耳に抜けていくのですが、何でもヴァルシャイト陛下の後継が色々と問題のあるヴォルフスタン皇子しかいないようで……。
「よくある家督争いっていう奴なんだが、どうやら貴族の一部が黄金の瞳を…本物だろうとそうじゃなかろうと関係なしに掻き集めてご落胤として擁立しようとしているみたいでな、見つけた奴には大金貨を払うとか言っているみたいなんだ」
ヴィクトルは肩をすくめてみせると「気軽にやれるのならやってみろよ、こっちはどれだけ苦労していると思っているんだ」と愚痴っぽく呟いてみせたのですが、誤魔化すように咳払いをしてから話を続けます。
「あー…すまん、気にすんな…現実の見えていない奴らへの鬱憤が溜まっていてな」
「だい、きぃか?」
いきなり予想もしていなかった話がポンポンと出てきた事に驚き、その報奨金の大きさがよくわからず繰り返すとヴィクトルは大きく頷きました。
「そうだ、大金貨だ。ごく普通の平民が10年働いて手に入れる額だな…しかも見つけて連れて来ただけで…だぞ?」
この時の私は色々と疑り深くなっていて、やっぱりこの人は大金貨目当てで私を捕まえに来たのだろうかと疑い背後の壁にぶつかったのですが、ヴィクトルは慌てて手を振ります。
「ああ、だから…すまん、脅かすつもりじゃないんだ、それくらい面倒な事になっているって事で…って言っても、いきなりこんな事を言われても信用できないか」
ヴィクトルは大きく息を吐いてから腰に差している剣を外して……反射的に殴られると思ってギュッと目を瞑ったのですが、ヴィクトルは鞘付きの剣を押し付けるように私の膝の上に乗せました。
「……?」
「危害を加えるつもりはないっていう証拠だ、不安だって言うのなら抜いていても構わんが…切れ味が良いからな、怪我だけはするなよ?」
言いながら渡して来た実戦的なつくりの剣は9歳の女の子の腕には重くて、持ち上げようとすると腕がプルプルと振るえてしまいます。
「ふ、ぁ…」
それでも何とか鞘から抜くと、実用一点張りの鞘から出て来たとは思えないくらい白くて綺麗な刀身が現れました。
「お前、容赦なく抜いたな…一応パージファル家の家宝だからな、大事に扱ってくれよ?」
早々に抜かれるとは思っていなかったヴィクトルはどこか呆れたように肩をすくめたのですが……。
「っか…ケホ、ぁえるのまえるの?」
そんなヴィクトルを脅す為に剣先を向けると、切っ先が重くてスコンと地面まで落ちていってしまいました。
「おまっ!?だから…うん?ああ、捕まえるの…ってか?いや、捕まえる気があったら剣は渡さないだろ?危害を加える意味が無いし、お前が無茶をしないかだけが心配で…その瞳が他の連中に知られたら色々とややこしい事になるんだって事を理解してくれたら良い」
傷ついた床や私の事を心の奥底から心配しているこの人は嘘を言っていないような気がしたのですが、あまりにもあまりすぎる話についていけずに私は無表情のまま言われた内容を咀嚼しようとして……咀嚼しきれずに頭の中がゴチャゴチャしてしまいます。
(私が皇帝陛下のご落胤?何かの冗談…だよね?)
本当に尊い血筋であるというのなら何故母があんなに苦労しているのかがわからなくて……。
「かぇる」
母の口から父親の事を聞かないと納得できないという思いと家に残してきている母への心配があって……後は大きすぎる話への現実逃避などもあったのですが、私はフラフラとベッドの傍に置かれていた皮の靴を履きなおして、回収した自分の服やコートを着込んでから巻き付けられていた毛布を羽織ります。
「だからお前、外は…」
「どいて」
あちこちヒリヒリしているので満足に動く事が出来なかったのですが、近づこうとするヴィクトルを剣で脅しながら私は歩き出しました。
そうして私が廊下に出るとあちらこちらから叫び声があがってザワついたのですが……いきなり目を閉じた女の子が抜身の剣を持ちながらノシノシと歩いて来た訳ですからね、しかもその後ろを騎士団長のヴィクトルがついて来るという異様な光景でしたし、好奇の視線やら「何事だ!?」みたいな視線が突き刺さってきます。
中には剣を抜こうとする騎士もいたのですが、そんな人達に対してヴィクトルが事情を説明しながらついて来るのですが、それでも私を止めないのは外の吹雪を見たら引き返して来るだろうと考えているようで、事実その建物……騎士団の詰所の一つなのですが、私が正面の扉をバーンと開けると猛烈な吹雪が吹き込んで来て、あちらこちらから悲鳴やら罵声があがりました。
(寒ッ…!?)
一応分所の周りは第五騎士団の人達が雪かきを続けているのですが、バスバスとぶつかって来る氷交じりの吹雪のせいで視界は白く、みるみるうちにドアの周辺には雪が積もっていき……今まで温かな部屋の中にいた反動で余計にそう思うのですが、一気に熱が奪われ皮膚の表面がパリパリと凍り付くように痛みました。
「これでわかったか?天候が落ち着いたら家に送ってやるから、それまでは大人しく…」
ヴィクトルはまるで子供に言い聞かせるように諭してくるのですが、私は家にいる母の事を思いだしながら痛むほどの冷気をおいっきり吸い込んで……吹雪の中に朧気に浮かぶ建物を目印に何となくこっちだと思う方向に歩き始めます。
「おい、だから…くそっ!」
猛烈に吹き荒れている雪と氷、薄暗い空模様のせいでわかりづらいのですが、たぶん時間は朝方で……数日寝込んでいたとかでない限り丸々一晩意識を失っていたのでしょう。
(母さんは…大丈夫かな?)
微熱が続いていた母の体調が心配で、方向もあやふやなまま母の待つ家に向かって足を動かすのですが……目も開けていられない吹雪は容赦なく体温を奪い続けて気配の輪郭がぼやけていきます。
吐く息は凍り……冷静に考えれば近くの建物に避難させてもらうか引き返すべきなのですが、ここまで来ると自暴自棄になりかけていて……少しでも早く母の顔を見て安心したいという一心だけで足を動かして、酷くなっていく吹雪に意識が朦朧としてきました。
治療を受けたと言っても飲まず食わずで胃が痛みますし、私が着ているのは寝間着と言っても差し支えがないような厚手のローブにペラペラのコートで……その上に毛布を被って何とか冷気を耐え忍んでいるのですが、除雪された道も分所を離れると積もったままになっていて……へんてこな騎士から受け取った剣を杖代わりに膝より上に積もった雪道を無理やり進んで行くと、薄い皮製の靴は冷気を通して体力と指先の感覚を奪っていきます。
「まったく、その頑固さは誰に似たんだろうな!」
「ッ…!?」
そんな風にフラフラと歩いていると、ついて来ていたヴィクトルが私を抱き上げ着込んでいる毛皮のコートで包み込んでくれたのですが……連れ戻されるのかと体を硬くしながら彼の着ている毛皮のコートの温かさにビックリしてしまい、私は言葉を発する時期を逃してしまいます。
「こっちで良いのか?」
ヴィクトルは分厚い服と分厚いズボンを着ており、膝まで届く裏地のしっかりした毛皮のコートを羽織った上で特別仕様の手袋やら靴を身に着けているという完全防寒で、たぶんその下にはまだまだ何かしらの肌着やら鎧下を着ているのかもしれません。
暖かそうな布で顔を覆っているという姿は小憎らしいやら呆れるやらだったのですが、詰め所に連れ戻すとか大金貨を払うと言っている貴族のもとに連れて行くとかではない事に首を傾げてしまいました。
「なぁ…で?」
彼が向かおうとしているのはどうやら私が進もうとしていた方向で……つまり私の家がある方角だったのですが、黄金の瞳を持っている私の事を殺すのも連れ去るのも自由だという状況でわざわざ家の場所を突き止める必要はない筈です。
「何でって…そりゃお前、無理やり連れて帰ってもまた脱走するだろ?それならさっさと用事をすました方がマシだ」
ヴィクトルは顔にかかる吹雪にあっぷあっぷしながら「何当たり前の事を?」みたいな顔をしていたのですが、私としては「そういう事じゃない」という感じで……結局何て言ったらいいのかわからず口を閉じました。
「汗臭い」
よく知らない人が家に押しかけて来るというのはやっぱり少しだけ怖いのですが、ただただ筋肉質なヴィクトルの体は硬くて大きくて温かくて……私を抱き上げたままノシノシと歩くヴィクトルは膝下辺りまで積もった雪を蹴散らしながら進んでおり、今は彼に運んでもらった方が早いと思い込む事にしました。
「すまんな、それよりこっちで本当に合っているのか?いろいろな事を任せっきりにしていたからよくわからないんだが?」
そんな不快感と奇妙なドキドキから目を逸らしつつ、少しずつこの能天気な騎士の事を信用してもいいんじゃないかと思い始めていたと思うのですが……擦れた子供であった私は剥き出しの善意を受け取る事が出来ずに何か裏があるのではないかと疑っていました。
「任せっきり…って?」
すぐに教えてあげなかったのは複雑な警戒心の表れでもあったのですが、そもそも目の見えない子供として育てられていた私の行動範囲は狭く、こっちにどれだけ行ったらラリアン商店があってあっち側だと共用の井戸があってといった憶え方なので、正式な地名や住所なんていうものはわかりません。
「あ~…俺達第五騎士団は魔物退治が仕事だからな、見回りをしている第三騎士団と違って土地勘が曖昧なんだ」
言いながらおどけたように肩をすくめてみせるヴィクトルは隠し事をしている様子だったのですが、私はバタバタと顔にぶつかって来る吹雪に薄目を開けながら周囲の様子を確認してから、家のある方向だと思う方向を指差しました。
「お城がアッチだから…たぶん、こっち」
素直に従おうと思ったのはこのまま一緒に遭難するのも嫌だったからで、これで騙されていたらどうしようとドキドキしていたのですが……とにかくぼんやりと見える巨大な影から逆算した方向を指さすと、ヴィクトルはホッとしたように「そうか」と呟き少しだけ進路を変えました。
「そっちの方角となるとキース地区かグラン地区だと思うが…たぶんグラン地区の方だな」
「なん…で?」
簡単に特定されると自分達が必死に隠しているのが馬鹿らしくなるといいますか、グラン地区だと断言した理由が気になって聞き返したのですが、ヴィクトルは何とも言えないような顔をして答えます。
「勘だ」
どう考えても嘘をついている顔ではぐらかしてきたので不信感が増したのですが、キース地区は上流貴族が住むような場所で、グラン地区は寂れた貴族街という感じの場所なのだそうです。
言葉を濁したのは「お前が貧乏そうだから」と言う訳にもいかなかっただけなのですが、この時の私はやっぱりこの人は嘘をつく悪い大人なのでは?と疑い始めていて、今はそんな胡散臭い人でも頼るしかないと渋々と家に案内する事にしました。
最悪の場合は母と一緒にどこか遠くに逃げればいいやと子供らしく楽観的に考えていたのですが、とにかく私だけだったら何十倍もかかるような道のりを踏破すると、やっとの事で雪の中に埋もれている半壊した家が見えて来たのですが……。
「おいおい、こりゃあ…」
ヴィクトルは「本当に人が住んでいるのか?」と言いたげな様子だったのですが、そんなボロ屋敷に住んでいる私としては何も言えずに口を閉ざしました。
・ネタバレのようなただの補足
※出会った当時からヴィクトルの言う事を聞かない事に定評があるマリアンですが、逆に言うとヴィクトルくらいにしか我が儘を言ったりしないのがマリアンです。
※ヴィクトルは第五騎士団として帝都の外での仕事をしており、マリアンの事は別の人物に任せていました。というより彼はおもいっきり顔に出るタイプなので、この当時(後々昇進してそうも言っていられなくなるのですが)情報を仕入れない事で色々と誤魔化していました。