3:謎の場所と謎の大男
改めて周囲の様子を窺ってみるとわざわざ暖炉に火まで入れられている部屋には私と騎士の人しかいなかった事に気が付いてしまい……その事実に言い知れぬ恐怖と言いますか、悪辣な罠に引っかかってしまったような感覚に襲われてしまったのですが、これが母や騎士のおじちゃんとの言いつけを破ってしまった私への罰という奴なのでしょうか?
(じゃなくて…母さんが)
何か恐ろしい思考に首根っこを掴まれそうだった私は帰りを待っている母の事を思い出してしまい、よくわからない涙が込み上げてきました。
出かける時にあれだけ体調の悪そうだった母への不安が溢れてきて、どれだけ意識を失っていたのだろうかとか、どれだけの時間体調が悪そうだった母を置いて来てしまったのだろうかと怖くなってきてしまったのですが、窓には頑丈そうな木戸が嵌められているので日の光が入って来ておらず、日中なのか夜間なのかすらわかりませんでした。
そしてガタガタと木戸に吹き付けて来る吹雪の音を聞きながら……とにかく家に帰らないといけないと毛布に包まりながら気合を入れて立ち上がり、フラツキながら暖炉の傍にかけられている目隠しに手を伸ばしていると、先程の呑気そうな騎士が熱々のスープが入ったコップを持って戻って来たのですが……空いたドアの向こう側、廊下側から火の焚かれていないヒヤリとした冷気が漂っていた事や、私と同じように助け出された人達が毛布に包まれ寝ころばされている事に気が付いてしまい、私と彼らの扱いの違いに心臓がドキドキしてしまいます。
「おお…もうそんなに動けるのか?あんな所で寝転がっていた割には凍傷も軽度だったみたいだし、見かけの割には根性があるんだな」
それはまるで近所の子供に「元気だな~」と言うような軽い口調だったのですが、自分が隔離されているのだという事を認識した後では親切心の塊のような笑顔も私の事を油断させようとしているようにしか思えませんでした。
「どうした、飲まないのか?温まるぞ?」
そもそもこれほど良くしてもらう理由がわからず、怪しげな騎士から差し出された焼き物のコップを受け取れなかったのですが……中には温かいスープがなみなみと入っていて、物凄く美味しそうな匂いがしていて、喉とお腹が鳴ってしまって、それでも私はギュッと目を瞑ったまま不審者から距離を取ろうと部屋の隅に逃げ込みます。
「あ~…いや、そんなに警戒する事でもないと思うが…そうか、そうだな、いきなりこんな所に連れてこられたら驚くか」
助けた子供が警戒心をむき出しにしたまま部屋の隅で固まっているのを見て、私をここに連れて来た騎士は困ったようにガリガリと頭を掻いてから自分の着ている……赤く染められたクロースアーマーを示しながら名乗りました。
「まず俺の名前はヴィクトル・フォン・パージファルだ、こう見えても第五騎士団の団長をやっていてな…自分で言うのもなんだが、そんじょそこらの奴よりかは信用してもいいぞ?」
本当に自分で言う事でもないと思ってしまったのですが、彼……ヴィクトルはそんな事すら気がついていない様子で「安心しろ」と能天気に笑いながら自信満々に胸を叩くような仕草をしてみせました。
「………」
「それでここは避難所になっている中央通りにある騎士団の分所で…って、あ~…もしかして騎士とかはあんまり好きじゃない感じか?いやまあ確かに騎士にも色々な奴がいるにはいるんだが…う~ん、近所のガキとかだったら「うわーすげー!」ってなるんだが、女の子っていうのは何を考えているのかがわからんな」
ヴィクトルは私が無反応だった事に対して困ったように首を傾げながら腕を組んでいたのですが、「まあ男だったら色々とヤバかったが」と小さく呟いていて……この時はその意味が分からなかったのですが、力を尊ぶアインザルフの皇位継承権は皇子側が優先されますし、大逆を企てる事になるアルスウェイ・バンフォルツ・フォン・アインザルフ皇子と親しく、その手足として暗躍していたヴィクトルは皇帝陛下のご落胤の事も知っていたのだと思います。
ただこの時の私にはよくわからない事ばかりで、母や騎士のおじちゃんから散々「人に見せてはいけない」と言い聞かされていた黄金の瞳を見られてしまったかもしれないという事と、特別扱いされているという事に対しての警戒心や不信感しかありませんでした。
「カぁぇしで」
そもそもよくわからない大男と言うだけで当時の私としては恐怖の対象で、泣き出しそうで、何より一番悲しかったのが言いつけを破った事への罪悪感で、早く家に帰りたいといった一心で言葉が漏れたのですが……冷気にやられている私の喉からは引きつったような掠れた声しか出てきませんでした。
「かーして?…ああ、帰してか?それは…」
泣き言のような枯れた言葉を受け止め考えてくれたヴィクトルが困惑した様子を見せていたのですが、すんなりと帰す気が無い事に対してやっぱり碌でもない事に巻き込まれたのだと青ざめていると、彼は慌てたようにコップを持っていない方の手を振りました。
「ああいや、別にやましい気持ちがある訳じゃないぞ、ただちょっと今は難しいというか何というか……天気が…な、回復した後だったら兄ちゃんが家まで送ってやるから」
冷静に考えればヴィクトルの言っている事は至極真っ当で、吹雪が収まるまで安全な場所に居た方が良いと言っているだけなのですが、この時の私はよくわからない騎士に監禁されているのだという恐慌状態に陥ってしまっていて、彼の言葉は私を閉じ込める為の方便だとしか思えませんでした。
「いぃ…」
なので「家までついて来る」なんて恐ろしい事を言っている騎士から逃げ出さなければいけないと思って、ヴィクトルがコップを机の上に置いた瞬間を見計らって扉に向かって走ったのですが、足に力が入らずフラついて……。
「いや、だから…ちょっと待てって、今出て行ったら本当に命にかかわるぞ…って!?」
「っ!?」
ヴィクトルが倒れかけた私の背中側の布地を掴んで支えてくれたのですが、それが逃げ出そうとした私を捕まえようとしているのだと勘違いしてしまい、体が硬直してしまいます。
「たぁ…ぅけてーーっっ!!」
そして大男に捕まえられているという恐怖に身が竦み、それでも何とか母のもとに帰らないといけないと一杯一杯だった私はやたらめったら手足を振り回して、精一杯の大声を上げて助けを求めました。
「って、おい、待てっ!!」
「ふむ…むーーーっぐぐぐっっ!!!」
この時は目の前の怪しげな騎士から逃げる事しか考えていませんでしたし、喉が痛んでケホケホと咳が出るくらいの大声で助けを呼んだのですが、すぐさまヴィクトルに取り押さえられて口と目を押えつけられてしまいます。
「パージファル様!叫び声が聞こえてきましたが、どうしました!?」
いきなり女の子の叫び声が響いた事で赤布の騎士達がやって来てくれたのですが、ヴィクトルは「ややこしい事になった」とうような顔をしただけで……因みにこの時の私はヴィクトルの腕をつねったり引っ掻いたりおもいっきり噛みついたりしていたのですが、その程度の抵抗では無意味だという様に振り払おうともしませんでした。
実はかなり痛かったと後日教えられたのですが、私を振り払って怪我をさせる訳にもいかずにやせ我慢をするしかなかったと笑いながらその時についた歯形の痕を見せてくれました。
いえまあやったのは私ではあるのですが、そんな傷痕を今更見せてどうするつもりなのかと思いながらおもいっきり向う脛を蹴っ飛ばしてやる事になるのですが……。
「大丈夫だ、知り合いの子に似ているような気がして話しかけたら叫ばれた、お前達は気にしなくていい」
「そ、そう…ですか?」
おもいっきり噛みつかれながらよくわからない言い訳をしている訳ですからね、流石に怪訝な顔をする騎士達なのですが……ヴィクトルに対する信頼とか忠誠心的なものを発揮したのか、バタバタと暴れている女の子は見なかった事にするようです。
「それより…アイツヴェンドに動きはあったのか?」
「いえ、それはまだ…吹雪いて来ているので近くまで来ているのだと思いますが、この雪では捜索もままならず…申し訳ありません」
この時のアインザルフはヴォルフスタン陛下の粛清が始まる前でしたからね、色々な趣味をした貴族や騎士達が居たようで……もしかしたらヴィクトルもそういう趣味があるのでは?と思われたのかもしれませんが、話が実務的な内容に移っていった事で私の事は無視される形となりました。
因みにあまり話を聞いていなかった私はこんな人が騎士団長をしているのだからその部下も全部敵なんだと絶望していたのですが……とにかくヴィクトルはこの吹雪を起こしている原因ともいえる魔獣についての確認と指示を出していました。
多分ヴィクトルが魔獣の名前を出したのは任務を放り出して私の面倒を見ている事への穴埋めだったり、駆けつけて来た騎士達の意識を私以外のモノに向ける為だったり、吹雪を起こす魔物が暴れているから外に出るのは危ないという事を私に説明したかったのだと思います。
「はぁ~…ったく、お前な、どんな状況かわかっているのか?」
そうしてヴィクトルが幾つか指示を出すと、どこか釈然としない様子の騎士達が略式の敬礼をおこなってから持ち場に帰って行ってしまい……状況のわかっていない私は逃げられなかった絶望感に目の前が真っ暗になり、もう二度と母に会えないのだと思ってポロポロと涙を零す事になりました。
「しぃらない、いぇに、かえ…ぃて」
母からも騎士のおじちゃんからもややこしい貴族の話しか聞いておらず、ただただこの黄金の瞳は厄介ごとに巻き込まれるだけだからとしつこく言い聞かせられていて……。
「そう…か」
私のうわ言のような言葉にヴィクトルは一度グッと強く目を閉じて息を吐くと、小脇に抱えた私を改めてベッドに座らせます。
それから部屋のドアがきっちり閉まっている事や、誰かが聞き耳を立てていないかという事を確かめて……その物々しさに何が起きるのだろうと緊張してしまい、私はしゃくりあげるように唾を飲み込みました。
「お前は年の割にはしっかりしているようだし、濁さずハッキリと言うのが俺なりの誠意の現れって事でちゃんと説明しようと思うが…まずその瞳について誰かに…例えば母親から何か聞いていないのか?」
この時は何故母親限定と思わなくもなかったのですが、父親から事情を聞いている可能性が限りなく0だったからで……それより改めてヴィクトルから黄金の瞳についての言及があり、私は体を強張らせました。
「し…らない」
母としてはもう少し私が大きくなるか政局が落ち着いてから伝えようとしていたのだと思いますが、この時点で詳しい事情を知らなかった私は咄嗟に首を振ります。
「そう、か…それじゃあ、皇帝陛下に会った事はあるか?」
「…?」
いきなり何を言っているのだろうと思ったのですが、貴族といっても殆ど平民と変わらない私達が皇帝陛下に会えるものだろうかと質問の意図が掴みきれなくて、虚を衝かれたような気持ちで首を傾げてしまい……。
「陛下は黄金の瞳を持っていらっしゃる」
それから言われた言葉に息を飲み、キラキラと光る黄金の瞳をめい一杯開いてヴィクトルを見返してしまいました。
・ネタバレのようなただの補足
※騎士に助けられただけでここまで警戒するかなとは思いますが、この当時の騎士の質はマチマチだというのもありますし、子供の頃から貴族はややこしいと言い聞かせられていたから警戒心が勝ちました。
わかりやすく猫達の感覚に言い換えると、色々と人に言えない事情がある状態で冬山で遭難し、目が覚めたら一流ホテルのスイートルームのフカフカベッドの上にいて、目の前の大男に「私は警察署の所長です、いやー助かってよかったですね」とか言われたくらい胡散臭い状況で、たぶん他の人と一緒にその辺りの廊下に寝かされていたら「助けてくれてありがとー」で済んだと思います。
※ヴィクトルがやけに早くスープを持って来たのは別にマリアンの為ではなく、治療した民間人に配ったり外回りをした騎士達が温まるために常備していたからです。
※暖炉のあった部屋は団長室で、ちょっと奮発して暖炉がありました。マリアンをその部屋で匿ったのは他の連中に黄金の瞳を見られないようにするためです。
というのもこの当時はあちらこちらに勢力違いの間諜のような人達が紛れ込んでおり、途中で駈け込んで来た騎士の内の1人は後々敵対派閥側という扱いで処刑されたりもしているという情勢です。
※因みにヴィクトルは元アルスウェイ(大公)派です、というより本編側のヴォルフスタン派の重鎮はだいたい元アルスウェイ派の中途脱落者ばかりなのですが、この辺りの事情は幼かったという年齢的な理由もありますし、政治的なものから距離をとっていたマリアンはよくわかっていません。
※ヴィクトルが探り探り会話をしていたのはマリアンが何処まで知っているかが分からなかった事と、最悪の場合はまったく関係の無い突然変異的に黄金の瞳をしているだけというパターンを考えていたからです。最終的には泣く子には勝てぬと真実を伝える事にしましたが、下手に言いふらすようなら自分の手で処分する事も辞さぬ覚悟で伝えています。