18:決断
ラークジェアリーが参戦して来るという報告を受けてから数期、到着するまでに時間がかかったのは率いている人物の配慮だったのかもしれませんが、到着してからの鬱陶しさは群を抜いていて……致命傷を与えたと思っても次の日にはケロっと戦線復帰してくる不死身のラークジェアリーを相手にしなくてはならなくなった私達は徐々に追いつめられていく事になりました。
局地的には勝っている筈なのにクワンリープ要塞にちょっかいをかける事が出来るまで進んでいた前線が後退し、セルン=フェネヘンを最終防衛線に……後ろにはスタンピードで崩壊したルーケルベルンが広がっており、この防御陣地を抜かれるとアインザルフの農業地帯がドヌビスの手に落ちてしまう可能性までありました。
こうなってくると講和の目はなく……というより相手からすると押し切れる戦いなので講和に拘る必要がありませんし、ラークジェアリーから無尽蔵に近い補給を受ける事が出来るので戦いを辞める理由がありません。
因みにこの時押し寄せて来ていたドヌビスの総数は10万前後で、これにラークジェアリーから派遣されて来た1万近い騎士団が合流していたのですが……ラークジェアリーは数が少ないものの1人1人がポーションを持っていますし、手足の一本や二本くらいならその場で治療をおこなえるという厄介な連中です。
迎え撃つアインザルフの残存戦力は2万5千程度で、だいたい3割近い被害を出しながら奮戦していたのですが……万単位の騎士に対して聖女が1人という比率なのに対してラークジェアリーは500人から1000人程度の部隊にも聖女が配属されていて……積極的に前線支援を行っている聖女を集中的に狙ったり倒した敵からポーションを奪ったりしながら何とか戦いを続けていたのですが、それでも覆す事の出来ない物量差にジワジワと押され始める事になります。
回復と補給が間に合わずに押し切られていくという戦いに皆が疲弊していき……それでも相手が襲ってくるので戦う必要があって、戦うからには被害が出て……輸送任務の途中で奇襲を受けた際、護衛の騎士の大半が笑顔を浮かべながら散っていった時にはとうとう耐えきれなくなって胃の中の物を吐き出す事になりました。
まともな食事すらありつけていない状態なので胃液くらいしか出てこなかったのですが、何時まで続くかわからないドンケーに嫌気がさしてきていると、チラホラと白い物がちらつく時期になっていました。
こうなって来るとお互いに動きが取れなくなり、メネシア期の目前まで小競り合いを続ける事になるのですが……どうやら相手側はヴァルテー明けからの大攻勢に向けて兵力の温存をおこなっているようで、束の間の静けさも僅かばかりの休憩時間でしかないのかもしれません。
それに敵側の動きが低調だからといってのんびりとしていられるような状況でもありませんし、本国の事を任せているルドガルド宰相からは残りの物資が3期分を切ったという報告が入り……私達は岐路に立たされる事になりました。
「………」
そんな状態で評定が行われる事になったのですが、集まった人達で無傷の者はおらず……人によっては包帯姿のままの集合となります。
そして天幕に入る前に何故か微笑んでいる気持ち悪いヴィクトルに頭をぐしゃぐしゃにされたのですが、血と汗と埃がついている手で撫でられるのは汚いからやめて欲しいと思いながらも奇妙な空気感に何も言えず……そういう異質な空気の中、アインザルフのこれからを決める会議が始まりました。
「皆、ご苦労…こんな状態でわざわざ集まってもらって申し訳ないと思うが…どうやら食料が枯渇するらしい」
ヴォルフスタン皇帝はいつも通り少し離れた場所で腰を掛けており、だいぶ人数の減った作戦会議はヴィクトルの発言から始まったのですが……物資不足の事は薄々勘付いていた者も多く、全員が奇妙な呻き声を上げながら腕を組んだり天井を見上げたりする事になります。
「メネシアを待ちたいと言いたいところだが、このまま自給自足で万単位の人間を養うっていうのは限界がある…って事で、だ…アレクサンダー団長と筆頭聖女には負傷者を連れて後退して貰おうと思う」
そして続いた言葉に皆が何とも言えない顔をしながら「やはり駄目だったか」という感じに項垂れる事となり……どのあたりに防衛線を引き直すのかはわかりませんが、正直に言うと私は少しだけホッとしてしまいました。
(そう感じる事が…駄目な事なのかもしれませんが)
これでようやく凄惨な戦場から離れられるという安堵感が強く、私の意識はどのように撤退を行っていくのかという事に向いていて、任務に忠実なアレクサンダー団長は二つ返事で応じるものだと思っていたのですが……彼は眉間に皺を寄せてから口を開きました。
「ワシらは、いい…お前達はどうするのだ?」
私は段階的に撤退を行うものだと考えたのですが、どうやらアレクサンダー団長の考えは違うようで……。
「俺達は…ここを狙う」
後退しようものなら怒り狂うドヌビスが猛追をかけて来る事が目に見えていて、下がるにしても誰かしらが残らなければいけません。
私はそんな基本的な事すら失念していたのですが、セルン=フェネヘンに殿部隊を残すにしても兵力差は4倍以上で……半数以上の負傷者と最低限の護衛部隊を切り離す事を考えればせいぜい5千程度の兵力しか残す事ができません。
そんな状態で防御に徹していても仕方が無いという事で、敵を誘引する目的で部分的な攻勢に出ようというのがヴィクトル達の考えのようで……机の上に置かれていた地図のとある場所をコンコンと叩きました。
「ここ、って…どこを攻めるつもりなんじゃ?今更クワンリープなんぞに手を出しても無…って、お前…そこは!?」
そして撤退部隊を率いる事になるアレクサンダー団長には伝えられていなかったのか、身を乗り出して机の上を覗き込む事になるのですが……そもそも時間を稼ぐにしても連合として動いているドヌビスの指揮系統は曖昧ですし、ここを叩けばよいという明確な場所がありません。
純軍事的な面からの理想を言えばクワンリープ要塞を落とす事が出来たら最良なのですが、ラークジェアリーも本拠地としているドヌビス最大の要塞を落とすなんて事は夢のまた夢で……そんな事が出来るのならとうの昔に実行に移している筈です。
なので何処を狙っているのだろうとヴィクトルが示している場所を覗き込むのですが、思わず「死にに行くようなものでは?」と呟きかけて……口を噤みました。
「俺達の狙いはリピッド=ラム=ダム…ドヌビス王国の最奥にある王宮を狙う、流石にここを攻撃されるってなったらあいつらも引き返さざるを得ないだろう…その間にアレクの爺さんには負傷者と筆頭聖女を連れて撤退してもらいたい」
ヴィクトルを見返すと微笑むように頷かれてしまい、本当の本当に帰りの事を考えていない破れかぶれの作戦なのだという事を理解してしまいました。
(そりゃあ…敵も引き返すかもしれませんが!)
いくらアインザルフより王族の価値が低いとはいえ自分達の王宮が攻撃を受けるとなれば追撃どころではありませんし、自分達の面子を守るためにも必死になるのかもしれませんが……追撃を受けるという事は何万ものドヌビス軍の攻撃を受ける事になりますし、王宮を守る為の部隊が立ち塞がってもいるのでしょう。
「…断る!」
因みにドヌビスの国土を大雑把に言い表すと森林に覆われた縦長の長方形で、クワンリープを中心とした十字路が広がっているのですが……私達の居る場所が東の端だとすれば、リピッド=ラム=ダムは山と湖に囲まれた北の端に建てられているのだそうです。
そんな場所に半個騎士団で攻め込もうなんていうのは無謀どころの話ではなくて、ギリギリと握りこぶしを握ったアレクサンダー団長の口から初めて命令拒否の言葉が発せられたのですが、「言うと思った」なんていう気楽な調子でヴィクトルが肩を竦めてみせました。
「と、言われてもな…今や怪我人の方が多いんだ、そんなのを抱えながらの撤退戦を完遂できるのがアレクの爺さんくらいしかいないんだが?」
「うるさい!ワシが爺ならアイツはどうなる!アレの方がワシより年上なんじゃからそっちの年寄りに任せれば良いじゃろうに!?」
ヴィクトルの軽口を声の大きさで捻じ伏せ、唾を飛ばしながら指をさしたのは混成第七騎士団の団長であり唯一アレクサンダー団長より年上のロベルト団長だったのですが……彼は彼で「やれやれ」と言いたげに肩を竦めながら大きく溜め息を吐いてみせました。
「年寄りに年寄り扱いされたくはありませんが…剣の腕ではまだまだ私の方が上ですし、最後の見せ場は年長者に譲っていただきたいのですが?」
「はぁ~ああん!?こんな時だけ年寄りぶりやがって!だからワシゃあ昔っからお前の事が気に入らんのだ!!」
こんな時にアインザルフの双璧と呼ばれている2人が喧嘩を始めてしまったのですが、指揮能力という点ではアレクサンダー団長の方に軍配が上がるものの単純な戦闘力という点ではロベルト団長の方が上のようで……。
「若者代表としてはどっちの爺さんもごめん被りたいんだが…まっ、ロベルトの爺さんの方がまだ動けるからな…それと髭爺、そんなに怒鳴っていると敵と戦う前に頭の血管が切れちまうぞ?」
そして第五騎士団のベクター団長まで軽口を叩くのですが、この場でその軽口を笑う者は誰もいませんでした。
「何でじゃ!?何でワシより先に皆が死んでいく!?どうして死なせてくれん!?く、ッ…チクショウッ!!」
あれ程温厚だったアレクサンダー団長が怒りに任せて机を叩く音が響き渡り……静まり返った天幕の中で、今まで押し黙っていたヴォルフスタン皇帝が口を開きました。
「負傷者を多く抱えている、そのような困難な撤退戦を指揮できるのはアレクサンダーしかいない…アインザルフの事を、頼む」
いつも言葉少ないヴォルフスタン皇帝にしては少しだけ長文を喋ったのですが、一字一句逃さぬといった気迫で聞き入っていたアレクサンダー団長はやっとの事で顔を上げると、皇帝陛下に向けて目を瞠るような美しい敬礼をおこないました。
「勅命…承りました、かならずや…誰1人死なせず、帝都まで撤退させる事を誓いましょう」
血を吐くような思いで言葉を絞り出すアレクサンダー団長の瞳には涙が滲んでいたのですが、全員が静かに返礼を行い……それから重苦しい静寂の中、実務的な話に入っていく事になります。
作戦の概要としては第五騎士団と混成第一騎士団の生き残りがリピッド=ラム=ダムに突撃、混成第七騎士団が後衛を務めて追撃して来る部隊の足止めを行いながら残存部隊の突撃と撤退部隊の援護をおこなうという行き当たりばったりのもので……ドヌビスに一泡吹かせてやれればいいという作戦とも呼べない何かなのだそうです。
こうなって来ると敵側の動きも未知数ではあるのですが、追撃戦となると功名争いが起きる訳で……その時に狙われるのは混成第一騎士団、つまりヴォルフスタン皇帝が居る部隊が狙われる確率が高いとされていました。
というのもアインザルフに攻め込むのはヴォルフスタン皇帝を討った後でもいい訳ですし、せいぜい追いかけて来たくなるように相手を挑発しながらドヌビスの王宮を目指す事になるのだそうで……。
「マリアン…ちょっと良いか?」
「アネスせ…ぐっ」
そんな作戦会議ともいえない決起集会の後、アネスさんに呼ばれて駆け寄ると無言の腹パンを食らう事になったのですが……私が抗議の視線を向けるとアネスさんは奇妙な程サッパリとした笑顔を浮かべていました。
「もう少し鍛えろ、後…クラウには泣くなと言っておいてくれ」
それだけ言って離れて行ったアネスさんに何も言えなくなってしまい、私はただただ滲む視界でドヌビスの猛追を防ぐためだけの囮部隊が出立して行くのを見送る事しか出来ませんでした。
・ネタバレのようなただの補足
※時々言っているドンケーというのは闇の神様の事で、死後向かう事になる2つの世界の内の1つです。その2つというのが「ヴォルチェルス」や「ドンケー」で、これが我々で言うところの天国と地獄みたいな概念になっています。
善き魂はヴォルチェルスへ向かい、悪い魂はドンケーに落ちると言われているのですが、混じりっけなく完全に善い人間とか悪い人間なんていうのが存在しないように、よほどの事が無ければ魂が2分割された後に別の魂と混ざり合って生まれ変わる事になります。
なので完全な形での転生というのは存在しないのですが、前世の記憶とかデジャヴみたいな感覚というのは魂の破片が記憶している知識ではないかと言われていたりする世界です。
因みにこの2つの世界は本当に存在する場所なので、2つの世界を認識した後に引き返して来た人が居たりもします。
※三か月の物資というとそれなりにあるような気がするのですが、ここでいう枯渇というのは結構ガチ目の枯渇です。3か月後にはアインザルフで餓死者が出始めるという状態なので、進退を決める必要がありました。