17:和平交渉
「荒野が当たり前になっている爺達からすると…この自然の豊かさは少しばかり目に毒ですな」
疎らな林を超えた先にあるセルン=フェネヘンを通り過ぎると、鬱蒼とした森林地帯が広がっていて……寒冷なアインザルフと比べると少しだけ気温が上がったような気もしますし、あまりにも違いすぎる環境に戸惑う事になりました。
「そう…ですね、本当に」
アレクサンダー団長が言うにはこれも大陸におわす神々の力の一端なのだそうで……そういう不思議な力が満ち溢れている場所がエントンシュング大湿地帯であり魔峰ゼバルダだったりするのですが、ドヌビスの場合はフォンダリア大森林というドラゴンが闊歩しているような樹海が王国の南部に広がっているのだそうです。
そして大森林から漏れ出す樹木の力のおかげで豊かな自然が広がっているのがドヌビスという国で……わざわざアインザルフに攻めてこなくてもと思わなくもないのですが、アインザルフとドヌビスの間にある因縁というのはそう簡単に払拭できるようなものでもないのだそうです。
「不安…ですかな?」
「はい…ここからはあまりにも未知の領域ですので」
まず難物だと思われていたセルン=フェネヘンの攻略についてなのですが、少しでも有利な状況に持ち込もうと偵察を行った結果……ドヌビスが喧伝しているような強固な防衛陣地ではなく、意外とボロくなっている事がわかってきました。
この辺りはドヌビスの指揮系統が統一されていなかった事も関係しているのですが、叱責や発言権の低下を嫌って担当区域が崩れ落ちている事を報告していなかったようで……弱点を看破したアインザルフが脆弱な部分に向かって強攻を仕掛ける事になりました。
そして長年余力のあるドヌビスが攻め込み遠征能力のないアインザルフが防御に徹するといった状況が続いていた事もあって……それともセルン=フェネヘンの防御力について自信を持っていた故の過信なのかはわからないのですが、大した反撃を受ける事なく突入した第五騎士団が乱戦に持ち込み……必死に戦おうとする東部連合を他所に中部や西部の連合は及び腰で、彼らを纏めるべき王宮近衛ですら浮足だっているという状況だったのだそうです。
最初は何かしらの罠ではないかと疑うほどの狼狽っぷりだったのですが、後の調査で“杖持ち”が悪さをしていた事がわかってきて……というのも大規模なスタンピードを生み出すのはドヌビスにとっても一苦労だったみたいで、私達が攻め込んだ時には扱いきれなかった魔物達が自陣内で暴れ回った後だったのだそうです。
まるで魔物の氾濫で自滅したバルデドウ騎士国と同じような状況に陥っていたのですが、そんなタイミングで決死の思いで突撃して来たアインザルフの猛攻を受ける事となり……王宮近衛は魔物の制御で手一杯、中部や西部の貴族が日和見を決め込んだのも有利に働き、奮戦する東部連合を蹴散らし何とか辛勝をもぎ取ったという形になります。
(ただ…)
乱戦になったのでこちら側にも被害が出ており……昨日まで顔を合わせていた人が物言わぬ躯になっていたり、重傷を負って後送されて行く人達を見送っていると気持ちが落ち込んでしまいます。
食料を絞っているので常に空きっ腹を抱えていますし、それなのに活気だけはあるという瞳をギラつかせた状態で……一種異様な光景だったのですが、私達は一連の戦いで傷ついた騎士達の治療をおこないながら、セルン=フェネヘンの実効支配を盤石なものにしていかねばなりませんでした。
というのも実効支配を深めようとしている私達に対して東部地域に利権を持つ貴族が定期的に襲い掛かって来ますし、逃げ散ってた人達もドヌビス最大の要塞であり交通の要所にもなっているクワンリープ要塞に立て籠って徹底抗戦の構えを見せており、アインザルフ側から気軽に攻め込んで行くという訳にもいかなくなってしまったからです。
現状としては何とも言えない状況だったのですが、アインザルフの士気は天を突かんばかりの勢いで……これは初代様の時代に奪われた西方領域の奪還が達成できたからで、果断な判断を下して見事に成功させたヴォルフスタン皇帝の偉業を称える声が響き渡る事になりました。
(ここまでは…良かったのですが)
ヴォルフスタン皇帝やヴィクトル達はこのまま押し切ろうといきり立つ人達を諭し、当初の予定通り有利な条件での和平交渉を開始する事にしたのですが……こちらには“杖持ち”という人為的なスタンピードを起こしていたという物的証拠があり、交渉自体は上手くいくものだと考えられていました。
最悪の場合はセルン=フェネヘンの部分的な返還を条件に加えても良いという寛大な内容だったのですが……和平交渉は失敗に終わる事となります。
「申し訳ありません、ドヌビスの連中は頑なに講和を拒否しており…」
停戦交渉の使者として赴いたヴィクトルが申し訳なさそうに頭を下げるのですが、どうやらこのような状況になってもドヌビス側は徹底抗戦を叫んでいるようで……何かしらの反攻作戦を考えているのではないかという事でした。
単純に考えればもう一度スタンピードを起こすなどの作戦が考えられるのですが、この頃になるとドヌビスの切り札である”杖持ち”の欠点が色々とわかってきており……前兆さえ掴んでおけばあまり脅威ではないというのが上層部の判断でした。
というのも“杖持ち”はどちらかというと大声を出して獲物を誘導していくような技術なのですが、少数の魔物を特定の方向に向かわせるくらいならともかく、スタンピードを発生させようとすると魔物を一か所に集めておく必要があって……下手をすればセルン=フェネヘンのように集めた魔物達が暴れ出してしまう可能性が高いのだそうです。
どうやらドヌビスもその辺りの欠点は把握済みのようで、大規模な襲撃から小規模での運用に切り替えていたのですが……その程度の襲撃で大崩れする程アインザルフは軟弱ではありません。
そういう訳で比較的アインザルフが優位な立場で戦況が進んでおり……今のところヴォルフスタン陛下の果断な判断がプラスに働いている状態なのですが、流石に守りを固めたドヌビスは固く、これ以上進むのは危険が大きすぎるというのが皆の意見でした。
(交渉が上手くいってくれると良いのですが)
小競り合いの合間合間に根負けを期待する粘り強い交渉が続いていたのですが、ここまで長期戦になると人手が足りなくなってきて……私もアレクサンダー団長と離れ離れとなり、後方兵站の維持や傷ついた騎士達の治療に奔走する事になりました。
勿論血筋的には色々と問題があったのですが、陛下としても落ち着いている間に色々な経験を積ませておこうという意図があったようで、筆頭聖女という肩書を持ちながら後方に居続けるのが難しいという事情もありました。
(それが…意外ときついのですよね)
国内では魔物が出たから討伐に向かってという流れで……言ってしまうと到着が早いか遅いかという違いで、そこまで責任を感じる事がありませんでした。
少なからずそういうものだと納得させる事が出来るようになっていたのですが、敵地での活動や敵兵との戦いになると私の判断がダイレクトに響いて来て、それがそのまま人の生き死にに直結してきます。
それこそ右の道を行くか左の道を行くかの違いで人が死んでいくのですが……なのに誰も文句を言わずに散っていくのが本当に心苦しくて、泣きたくなる事がありました。
私は人の上に立てるような人物ではないのだという事をヒシヒシと感じる事になったのですが、数期もすればドヌビス側も何かしらの……例えば自傷覚悟のスタンピードを起こそうとしているのではないかとか、破れかぶれで突撃して来るのだとか、大規模な反攻作戦が考えられているのではないかという噂が囁かれ始めました。
その反撃をしのぎ切れば今度こそ和平交渉が纏まるのではないかという事で、ドヌビス側の思惑を探ろうと連日のように偵察隊を送り出しながら小競り合いを繰り返し、じれったく思いながらもセルン=フェネヘンの防備を固めながらジリジリとした日々を過ごしていたのですが……戦端を開いてから半年ほどたった頃、事態が大きく動く事になります。
その大きな出来事というのが、西の大国であるラークジェアリー聖王国がドヌビスの要請を受けて参戦してくるという大事件でした。
「申し訳ありません、どうやらドヌビスの強気も友軍が来るまでの時間稼ぎだったようで…」
因みにラークジェアリー聖王国というのは長年周辺国家の仲裁をおこなって来たという正義と信義の国だったのですが、そんな国が敵に回ったという事実は多少なりとも私達を驚かせて……。
「陛下…こうなると撤退もやむなしかと」
「……」
緊急の作戦会議ではヴィクトルやザイン団長が青ざめながら和平交渉が上手くいかなかった事を謝罪するのですが、ここで責任の擦り付け合いをしていてもしかたがありません。
「交渉は…出来そうか?」
ドヌビス一国でも手に余るというのに、ラークジェアリーという大国まで出て来たらアインザルフの滅亡が決まった様なもので……何とかして参戦を取り止めてもらうか、出来たらドヌビスとの和平交渉を取り持って欲しいところではあるのですが……。
「身命を賭しまして」
ザイン団長が決死の覚悟で集結中のラークジェアリーと接触し、この度の戦争はドヌビス側から仕掛けて来た戦いであり、アインザルフは反撃を行っているだけだという事を説明し……条件次第ではセルン=フェネヘンの返還も視野に入れているのだという事を伝えに行く事になりました。
「申し訳ありません、どうやら向こうの指揮官も国王陛下…というには少し歯切れが悪かったのですが、下知がくだされた以上は引き下がれぬと…改めて事情を説明してみるとの事でしたが、どこまで信用できるかは」
帰って来たザイン団長からはどうする事も出来ない悲報を伝えられる事になるのですが、彼らも命令を受けて派遣されて来た騎士であり、勝手に引き下がる訳にもいかないのだそうです。
ただラークジェアリーを率いているのは理知的な人物だったようで、一定の譲歩としてドヌビスの救援という枠組みを越えるつもりが無いという約束を取り付ける事が出来たのですが……国王陛下の説得までは確約が出来ぬとの事でした。
なんでもラークジェアリーの王様はドヌビスが一方的に吹き込んだ内容を信じ切っているようで、アインザルフという蛮族が攻めて来るから助けて欲しいという話を鵜呑みにしているのだそうです。
「馬鹿な!そのような妄言を信じて他国に騎士団を送るなどと…ラークジェアリーの王は耄碌したのか!?」
あまりの馬鹿さ加減に周囲がザワついたのですが、王様が耄碌していようとしていまいと攻めて来るという事実には変わりがなく……精強無比で知られるラークジェアリーの騎士団が戦場に現れる前に進退を決める必要がありました。
「戦線は縮小する…だが、引かぬ」
そしてヴォルフスタン皇帝が出した答えは……ここで引いても待っているのは復讐に燃えるドヌビスの猛追と食糧難による餓死者の山だけだという事で、2国を相手に徹底抗戦を命じられました。
・ネタバレのようなただの補足
※ちょっとした補足なのですが、国の位置関係としては「ラークジェアリー聖王国」「ドヌビス王国」「アインザルフ帝国」の順番で、ラークジェアリーの西に「ファルミナ王国」が、これら4国の南に「バーハ共和国」が横たわっています。
※ドヌビスの戦力を語る上で出てこない北部と南部についてなのですが、北部は王宮近衛に吸収されており、南部はフォンダリア大森林の防衛や維持を担当しているので出て来る事はありません。この辺りの事情を詳しくやっても仕方がないですし、アインザルフから見た場合は大雑把な括りしかわからないので端折る事にしまいた。
※まったくの余談になるのですが、“杖持ち”の特定の力場を特定の方向に発生させるという技術と本編側に出てくる特定の技術が合わさった結果、数十年後(開発は10年~20年、実戦投入が約30年後)に魔導銃(偽装名としては“魔導杖”)が生まれる事になります。なのでここで“杖持ち”の技術を接収する事ができたのは大陸史においてもかなり重要な出来事なのですが、あまりにも未来の話になるので閑話休題という事にしておこうと思います。
※大陸南部にある国は『ファルミナ王国(技術力と海運)』と『バーハ共和国(農業)』と『ドヌビス王国(林業)』と、それらと交流を持ちながら場合によっては聖女を送って瘴気の浄化を行う『ラークジェアリー聖王国』があり、ややハブられた(ドヌビスを挟んだ)東の端に蛮族の国と言われている『アインザルフ』が存在しています。
因みに南端のバーハ(の東)とアインザルフ(の南西)は微かに接しているのですが、間にエントンシュング大湿地帯が横たわっているので交流らしい交流はありません。
※ラークジェアリーの王様は聖王呼びなのですが、そういう知識が無いアインザルフの人達は普通に王様呼びをしています。逆に言うとその程度の知識しかないような状況で、交流らしい交流もありませんでした。
実はこの当時のラークジェアリーの国内では色々とあったのですが、たぶんその辺りの事情は本編側で語られると思います。
※少しだけ訂正しました(4/20)。