16:第三次ドヌビス戦役
大陸歴623年、ドヌビス王国の度重なる挑発と西方辺境領域を武力占領するという暴挙に対してアインザルフ帝国が宣戦を布告、占領されたルーケルベルンに駐在するドヌビス軍を撃滅する為の部隊が編成される事になりました。
参加兵力としては陛下が直率する最精鋭の混成第一騎士団に第四騎士団の魔術師を組み込んだ5千人が中核となり、壊滅した第七騎士団を再編しなおした混成第七騎士団と第五騎士団から抽出した各1万人を足した合計2万5千人の遠征軍を結成し、これに第三騎士団の中堅とドヌビス憎しで参加して来た義勇兵の混成部隊となる臨時第十兵団の1万人が後方兵站を担う形となります。
総大将を務めるのはヴォルフスタン・エリュタス・フォン・アインザルフ皇帝であり、その補佐を行うのがヴィクトル・フォン・パージファル騎士団総長と第一騎士団のザイン・フォン・エスター団長という実績豊かな両名で、別動隊を率いるのがアインザルフ最強と名高い第五騎士団のベクター・クライン団長が自分の第五騎士団を、老練な部隊運用を得意とする第三騎士団のロベルト・フォン・カーナル団長が大怪我を負った第七騎士団長の代わりに再編された混成第七騎士団を率いる事になります。
そして練度も構成もバラバラな臨時第十兵団を率いるのが初戦において壊滅的な打撃を受ける事になった第七騎士団のアレクサンダー・フォン・クラウゼ団長になるのですが、これは命すら危ぶまれる大怪我を負っていた彼が「このままベッドに縛り付けられるのも忍びなくての~耄碌したと言ってもそこいらの若造より十分働けると思うんじゃが…後生だと思って連れて行ってくれんか?」と皇帝陛下に直訴した結果であり、包帯姿のまま後方兵站部隊の指揮官に捻じ込んでもらったのだそうです。
私も後方支援の臨時第十兵団に組み込まれる事になったのですが、これは色々な事情を知っているアレクサンダー団長に早まらないようにという配慮があったようで……私としても年季の入ったアレクサンダー団長の指揮下に入った事で軍務の大半を任せきる事が出来て、精神的な負担が減ったような気がします。
因みに度重なる被害で聖女の数が足りておらず、遠征軍に参加している聖女は私……マリアン・フォン・ロッシュフォールと第五騎士団のアネス・ヴァグナー聖女のみという偏った編成になっていました。
この辺りは本国の浄化を優先した形となり、第六騎士団のエディ聖女や第八騎士団のメリー聖女が第三騎士団のクラウディア・フォン・シュタイン聖女の指揮下に入って浄化任務に就く事となり……帝都周辺の治安維持についてはルドガルド・フォン・ローランド宰相と残存騎士団に任せ、国内全体の治安維持については第六騎士団と第八騎士団と第九騎士団が担当区域を広げるという形で対処する事になっています。
これがアインザルフの絞り出せる精一杯だったのですが、迎え撃つドヌビス王国からは中核となる王宮近衛が1万5千人、東部連合とアインザルフ嫌いで有名なモーゼルの騎士団を合わせた3万人に中部及び西部連合の3万人が足された合計7万5千人の動員が確認されており、こちらの倍以上の戦力が待ち構えているという盤石の布陣でした。
更にドヌビス側は日に日に増援を受けているようなのですが、これはドヌビスが貴族主義と呼ばれる分散主義である事が関係しており……アインザルフのように皇帝陛下の元に戦力が集まっているのではなく、各貴族に付き従う騎士団が各地に点在しているような感じで……ドヌビスでは各貴族の発言権が強くて足並みが揃っていないのが特徴なのだそうです。
「それは…どうなのでしょう?」
前線に向かっている間に御年57歳となるアレクサンダー団長からドヌビスについての話を聞いていたのですが……国王の発言権が弱い国なんていうものが本当にあるのでしょうか?
「そうよのぉ…それも良し悪しと言った感じかの?」
アレクサンダー団長は自慢の髭を扱きながら眉を顰めてみせるのですが……相手は曲がりなりにもドヌビスの正規兵である事に変わりがなく、そもそも各地に出没する魔物を討伐する場合はある程度の戦力が散らばっている方が好都合なのだそうです。
むしろ戦力を集めて要所要所に振り分けているアインザルフの方が魔物による被害が出やすくて……大規模な戦闘になった場合も纏まった攻撃を受けるか小規模な奇襲攻撃を受け続けるかの違いですし、どちらが良いというものでもないのだそうです。
「ま~何かある度に指揮権争いを起こすのはどうかと思うが…とはいえこちらがちょっかいをかけたら喧嘩もしておれんだろうし…はてさてどうなる事じゃろうな」
なんてとぼけて見せるのですが、その笑い声は緊張でガチガチになりがちな新米騎士達の緊張を解く効果があるようでした。
そういう独特な空気を持っている人なのですが、騎士であればアレクサンダー団長か同期であり騎士団最高齢のロベルト団長のどちらかに鍛えられた事があるという有名人で……経験に裏打ちされた冷静な判断力と防衛戦の巧みさからアインザルフの双璧とまで呼ばれている名将なのだそうです。
因みにアレクサンダー団長の自慢の長髭の話もされたのですが、これは身嗜みが整えられずに髭が伸び放題になっていた時に同期から「髭爺」と揶揄われたのが切っ掛けで……それからウケ狙いで髭を伸ばしているというアインザルフでは珍しいシャレの分かる人物で、逆に言うとそのような人物でなければ悪辣なドヌビスと長年渡り合う事が出来なかったという事なのですが……やや生真面目なところがある第三騎士団のロベルト団長からは小言を言われる事が多いのだそうです。
「あいつは色々と口うるさくていかんのよなー…あんまり煩い時には耳にワタを詰めておくんじゃが…って、あー…そんな事をワシが言っていたって事は秘密にしておいてくれんか?」
なんてお茶目なところのあるお爺ちゃんなのですが、いくら指揮官として優れているといっても寄る年波には勝てずに前線指揮は優秀な副団長達に任せていたようで……初戦では目をかけていた副団長と第七聖女が死亡するという被害を出してしまい、自分だけが生き残るという恥辱に塗れる結果になったのだそうです。
その復讐を誓い、死に所を求めるほどの気迫をみせて臨時第十兵団の団長職をもぎ取って来たという噂なのですが……そのような気迫を微塵も感じさせずに淡々とやるべき事をこなしているのがアインザルフの宿将の宿将たる所以なのかもしれません。
「はて?爺の顔に何かついていますかな?」
「いえ…前線部隊はどこまで進んだのでしょうね」
様子を窺っていたらヘラリと笑われたのですが、たぶん私が何を考えているのかがわかった上でとぼけてみせているようで……いくら国内を移動中とはいえ、そろそろ前線に到着するので集中する事にしましょう。
「ホッホッホッ、若い者は元気が有り余っておるようじゃが…なに、役割というのは自ずとやって来るものじゃよ、それにほれ…他に者にも働かせんと疲れてしまうわい」
私達の任務は後方の兵站を整える事で、それには後方地域の浄化も含まれていたのですが……。
「そう、ですね」
国境に近づけば死体の山が折り重なっており、メネシア期の中旬ともなれば気温が上がって来ているので腐敗が始まっていたのですが……漂い始めている瘴気を浄化しようにも1人でこなせる量ではなくて……その辺りの役割分担はアレクサンダー団長と国内に残る騎士団との間で話がついているのだそうです。
(行方不明になっている人達は…見つける事が出来なさそうですね)
ドヌビスが犯した蛮行の痕跡を目の当たりにした私達は怒りを飲み込みながら進み続ける事になったのですが、これだけ酷い有様だと特定の誰かを探している場合では無くて……アレクサンダー団長も同胞達の亡骸を放置して進まねばならないといった事には忸怩たる思いを抱いていたようなのですが、そんな事はおくびにも出さずに笑って見せるところがこの老将の凄いところなのかもしれません。
「おお、見えてきた見えてきた…どうやらあっちの方は順調のようじゃな」
程なくしてドヌビスに占領されていたルーケルベルン……スタンピードによりほとんど原型の留めていない廃墟が広がっている土地なのですが、無事に奪還できたのかアインザルフの旗がはためいているのが見えました。
そして先行部隊とのやり取りで事の顛末を知る事になったのですが、魔物に蹂躙された土地はいらないという事なのかそれとも混成軍の弱点が露呈した結果なのかアインザルフが攻め込むとドヌビス軍は大した防戦もせずに引いて行ったようで……ルーケルベルンの奪還はあっさりと達成する事ができたのだそうです。
「ふむ…まあ、掘っ立て小屋のような砦で守るよりセルン=フェネヘンでの決戦を意図しているのかもしれんが、それとも…意外とあやつらも“杖持ち”の扱いに困っておるのかもしれんな」
ほんの少しだけ瞳の裏に憎しみの炎を滾らせたアレクサンダー団長が「ぶん殴る相手が居なくなってしまったわい」と言いたげな表情を浮かべるのですが、すぐさまいつもの好々爺然とした笑顔に戻ると「はてさて」と自慢の髭を扱きながら呟いて……因みにアレクサンダー団長が言った“杖持ち”というのは特徴的な杖を持った魔物使いの事で、大規模なスタンピードを起こした元凶ともいえる連中なのだそうです。
その技術は100年近く前に滅びたバルデドウ騎士国からドヌビスに流れて来たようで……魔物を操るといえば夢のような技術に思えるのですが、そもそも大本の騎士国が魔物の氾濫で滅びていますし、制御力に問題があるのではないかという事が後々の調査でわかって来る事になります。
「ここにおられましたか…今から評定を行いますので、お2人とも陛下のおられる天幕へお越しください」
そのような情報のやり取りを行いながらルーケルベルンに向かっていると伝令がやって来て……。
「伝令ご苦労…さって、どっちに転ぶじゃろうな」
アレクサンダー団長が本隊からの伝令を労い、率いている部隊を副官達に任せてから指定の場所に向かうのですが……思ったより進捗が悪いのか、天幕の中の空気は最悪でした。
「………」
そんな状態で作戦会議が始まるのですが、議題となるのはルーケルベルンを奪還したところで良しとするのか、それとも勢いに任せて国境を超えるのかという事でした。
「どちらを選んでも一長一短っていう感じだな…で、どうするかっていう話なんだが」
会議を主導するのは鉄板のような黒曜鉄製の大剣を背負い、装備を一新した事で多少見違える事になったヴィクトルだったのですが……しかめっ面をしていたので小さく手を振ってみると睨まれてしまいます。
「ここまで来て引き返せるか!奪い返したのは廃墟だけ、日陰野郎どもにもまともな打撃を与えていないんだ、性懲りもなく攻めてくる前にこちらから打って出るべきだ!」
とにかくこのまま攻め込もうという言う人が大多数を占めていたのですが、中には慎重論を唱える人も居て……。
「セルン=フェネヘンはアインザルフが攻めて来る事を考えて作られた要塞だ、そこに8万近い兵力が集結中だとも聞く…いくら何でも無謀すぎる、まずはルーケルベルンの守りを固めるべきだと思うが?」
そんな喧々諤々とした議論の中、少しだけ離れた場所に腰を掛けていた皇帝陛下は目を閉じたまま皆の意見に耳を傾けながら腕を組んでいたのですが、一通り話し合いが終わったところで全員の視線がヴォルフスタン皇帝へ向き……。
「このままでは防衛もままならぬのだろう?」
廃墟のようなルーケルベルンでは防戦もままならず、この時は“杖持ち”の事もよくわかっていたので下手に戦闘が長引けば再度スタンピードを押し付けられる可能性も考えなくてはいけなくて……ドヌビスが奇妙な脆さをみせている点に活路を見出したのだそうです。
そしてこの判断の根底にはこちらの食料が尽きる前に決着をつけないといけないという事と、少しでもマシな条件で講和し賠償金をふんだくらないと多数の餓死者を出してしまうという悲しいアインザルフの懐事情がありました。
「陛下の言う通りだ!ここで足踏みをしていても我々が自滅するだけだ!だったらせめて…奴らに目にもの見せてやろう!」
誰かの叫びがアインザルフの苦境を言い表していたのですが、その意見に反対できる者はおらず……私達は破れかぶれ気味にドヌビス王国に攻め込む事になりました。
・ネタバレのようなただの補足
※アインザルフがこの戦いを「戦役」と呼んでいるのは辺境地域の奪還を目指すという限定的な戦いを目指していたからで、そういう意図しかないという事を内外に示すために「戦役」呼びを続けているからです。他国を巻き込む形で戦線が広がって行くので戦役の規模ではありませんし、国によって呼び方が違うのですが、ドヌビス側からは「オーベルの悲劇」とか呼ばれる事となり「ちゃんと戦っていたら我々が勝っていた」みたいな扱いを受ける事になります。
※大陸歴 = 各国それぞれの暦を作っていたりするのですが、歴史を語る上では大陸に移住して来た年を元年とした大陸歴が使われていたりします。
※陛下の部隊が一番少ないのですが、戦闘に参加するというより司令部要員とかに近い感じで、ガンガン前に出ていくタイプの部隊ではありません。両翼に展開した混成第七騎士団と第五騎士団の指揮を執る形となり、陛下の護衛とか指示伝達要員に近い人材となります。
とはいえ戦えば滅茶苦茶強いのですが、皇帝陛下がやられた時点でアインザルフが終わってしまうので早々前に出せる部隊でもありません。
※アレクサンダー団長が再編された第七騎士団を率いなかったのは流石に前線任務はきついだろうという理由で、気心の知れた第三騎士団のロベルト団長が率いる事になりました。
※魔物の被害を考えると分散方式の方が優れているのですが、聖女の数が限られているアインザルフの場合は集中させて運用しないと倒せても浄化が出来ないという事態に陥るので一極集中型にこだわっています。後は中央集権化していないと何かあった時に対応が遅れる事や、各貴族の足の引っ張り合いを嫌った結果などがお国柄に出ている感じです。
※高齢なアレクサンダー団長(57歳)とロベルト団長(58歳)が現役でいられるのが色々と可笑しいのですが、第七騎士団はドヌビスとの外交交渉があるのである程度の知名度が必要で(新米が赴任して来るとドヌビスが攻めて来る)、第三騎士団も新人の教育があるので実戦経験豊富な教え上手な人材が良かったという事で、直接的な武力が必要なかった(指揮能力があれば良かった)事と本人達の希望もあってそのままになっていました。
とはいえ流石にずっと同じ役職というのも問題があるので時々役職を交代させているのですが、結果としてアインザルフの騎士はアレクサンダー団長かロベルト団長のどちらかに教わった教え子が多く、頭の上がらない爺ちゃんズといった感じの扱いになっています。