15:筆頭聖女として
「嫌…ッ、です!!」
本当ならもう少し理論整然とした言葉を使わなくてはいけなかったのですが、ミュラー公爵達が消し飛ばされてしまったという衝撃に頭の中がぐちゃぐちゃになっていた私は思っている事を言葉にするので精一杯で……ヴォルフスタン皇帝は私の“答え”に対して蔑むような顔をしたかと思うと、少しだけ空気が軽くなったような気がしました。
(正…解、だった?助か…った?)
たぶんあまりにも馬鹿らしい主張に「こいつは俺の敵ではないな」と思われたのかもしれませんが、呆れられただけで処刑を免れる事が出来るのだったらどんな道化にでもなろうと思います。
(これ…で)
対峙しているだけで精神力がゴリゴリと減っていた私は虎口を脱した安堵感にフラつきヴィクトルの腕に縋りつく事になったのですが……あの豪胆なヴィクトルも冷や汗をかいていましたし、さり気なく側に寄ってくれていたアネス先輩も微かに震えていました。
そしてひと段落した影響という訳ではないとは思うのですが、“敵”が居なくなった事で昂っていた陛下の魔力も落ち着いていき……そもそも皇帝陛下がわざわざおいでになったというのもミュラー公爵の処刑が確実に行われた事を確認する為だったようで……というより自分の手で処刑を行っていたのですが、この辺りはミュラー公爵家に繋がる者達の恨みが自分に向くようにというパフォーマンスで、陛下なりに色々と考えているのだという事が後々になってわかって来る事になります。
とはいえこの時の私はただただ生きた心地がしていなくて、何とか人生を全うできそうだと息を吐いていたのですが……事後処理を進める陛下の発言によってまたもや驚かされる事になりました。
「では…筆頭聖女の代わりを勤めよ」
ヴォルフスタン皇帝も自分の声に魔力が乗っている事を理解しているのか、短く喋る習慣がついているので抑揚のない声で話すのですが……その言葉はあまりにも説明不足の為、周囲に混乱をもたらす事がありました。
「は…?」
この時の発言もその類で間抜け面を晒してしまったのですが、「説明は以上だ」と言うように残務処理を済ますとヴォルフスタン皇帝は立ち去ってしまい……この件についてはヴィクトル経由で陛下の真意を聞く事になるのですが、まずハンナ筆頭聖女に情報を伏せていたというのはあるものの、この度の一件は不問にするには大きすぎる過失であり……筆頭聖女の役目を解く事になったのだそうです。
折しも北方の古代竜ゼバルダが活動期に入っており、知名度と実力が確かなハンナ筆頭聖女を第六騎士団に編入する事によって守りを盤石にしたい意図があるのだそうです。
「んで、代わりの聖女が必要になる訳だが…」
実力的には第三騎士団のクラウディア先輩が適任なのですが、彼女は精神面に大きな問題があり……全力で拒否したのだそうです。
その次となると第五騎士団のアネス先輩が良いのですが、彼女を第五騎士団から外すと戦力の低下が著しくて……四方騎士団に配属されている先輩達も似たような理由で除外される事となり、聖女としての能力がありながら配属先が決まっていなかった私にお鉢が回って来る事になったのだそうです。
「筆頭聖女と言っても会議に顔を出すくらいで大きな違いは…実務に関しては俺達も出来るだけ手伝うから…その、まあ…頑張れ?」
そんな有難いヴィクトルの言葉と共にハンナ筆頭聖女の後任に選ばれる事になったのですが、これは私という厄介者を目の届く所に置いておこうという思惑もあったようで……血筋的にも私が適任者だろうというのが筆頭聖女に選ばれた理由なのだそうです。
これが生まれて初めて腹違いの兄と顔を合わせる事になった日の話であり、私が筆頭聖女に就任する事になったあらましで……因みにひと段落してから合流して来た第八騎士団のメリー先輩とも無事に再会しましたし、またもや大泣きされる事になったのですが……とにかくミュラー公爵家の諸々を片付けた後、帝都に戻った私はハンナ筆頭聖女から引継ぎを受ける事になり、ハンナ筆頭……ハンナさんは北のリューザンブール砦に出立して行き、程なくして活動を開始した古代竜ゼバルダとの戦いで命を落とす事になります。
討伐部隊を率いたヴォルフスタン皇帝がボロボロになりながら戻って来た時の様子から考えると、よほどの激戦が繰り広げられていたようで……北方地域を蹂躙するだけ蹂躙したゼバルダはそれで満足したのか北の塒に帰って行ったのですが、殿を務める事になったハンナさんと第六聖女と数多の騎士が亡くなる事になりました。
そういう悲しい出来事もありましたし、筆頭聖女となった私も立場に合わせて色々な事が変わっていく事になるのですが……まず一番大きく変わったのは子供の頃からつけていた目隠しを止めた事でした。
これは私も色々な経験を積んで図太くなって来たというのもあるのですが、公然の秘密みたいな状態では隠している意味が無くて……隠していても事件に巻き込まれた事があるという事への当てつけでもあったのですが、とにかく心機一転とかそういう意味で外して生活をするようになりました。
流石に黄金の瞳を見せびらかそうとは思っていなかったので目を瞑っていましたし、政権が落ち着き始めてからはヴォルフスタン皇帝の寝室に皇妃候補を送り込むという事も始めていて……これはヴィクトルなどが青筋を立てて「止めておけ!」と言って来ていたのですが、ヴォルフスタン皇帝がお世継ぎを作ってくれないと何時まで経っても自由の身になる事が出来なくて、いつなんどき女帝に担ぎあげようとしてくる馬鹿な連中が出て来るとも限りません。
つまり私にとっては生存をかけた一大事業でしたし、配偶者が必要なのは周りも理解していたので黙認される形で色々な女性を送り込む事になったのですが……中には野心的な女性もいて、陛下の寝室に媚薬を持ち込もうとして問題になった事もありました。
とにかくそういう事が出来るくらいには図太くなり、筆頭聖女という仕事をこなせるようになってきた頃、隣国のドヌビス王国から大量の魔物が雪崩込んで来るという事件がありました。
瞬く間に押し寄せて来た魔物達によって国境付近の町や村々が蹂躙されて行き、応戦を試みた第七騎士団は甚大な被害を出して撤退、副団長と第七聖女が殉職するという大惨事となり……中央からの援軍が魔物を食い止め国境付近まで追い返したのは良いのですが、その時彼らが見る事になったのは惨殺された死体の山と悠々自適に砦を築こうとしていたドヌビス王国の騎士達の姿でした。
彼らは「人々を助ける」とか「魔物を討伐する!」というお題目で進駐して来ていたのですが、第七騎士団の生き残りやその後の調査などによって魔物を操る術を手に入れていた事がわかり……これは80年以上前に滅びたバルデドウ騎士国から流れて来た技術の産物だったのですが、人為的に起こしたスタンピードによってアインザルフに先制の一撃を入れた後に我が物顔で進駐して来たものだと思われます。
この行いにアインザルフの国民は激怒しました。
というのもピエニモンタから奪い取った鉱山がやっとの思いで動き始めていて、余剰鉄器による農業改革を行い食料生産が軌道に乗り始めていた時期だったからで……「これで俺達の生活も良くなる、今までの苦労は無駄ではなかった!」と希望が見えはじめていたタイミングだった事もあり、その希望の芽が摘まれた国民の怒りは相当なものでした。
「またドヌビスか!いい加減にしてくれ!!」
そういうウンザリとした気持ちとドヌビスとの小競り合いが起きる度に「あいつらが攻めて来なければ!」という不満が積もり積もっていった結果であり、内包していた不満がわかりやすい外敵に対して噴出した形になるのですが……ここで弱腰な姿勢を見せていれば瞬く間にヴォルフスタン政権を焼くような勢いで国民の怒りが燃え上がる事になります。
それでも考えなしに戦争に踏み切るというのは更なる悲劇の元凶になると陛下達は粘り強い交渉を続けていたのですが、貧困が直接自分達の生活に響いて来る国民の方が我慢の限界で……前線から後送されて来る死者や着の身着のまま疎開して来る疲れ切った人達の姿を見せつけられ、ドヌビスが国境の村々を我がもの顔で占領しているという情報が広がるにつれてドヌビス憎しという感情が高まっていき、反撃をしようとしないヴォルフスタン政権に対する怒りが蓄積されていきました。
「陛下は何故ご出陣なされないのだ!?このような蛮行をお許しになられるというのか!!」
筆頭聖女として後送されて来る怪我人の治療に奔走していた私もたびたび怒り狂う住人に掴まり「そうだ!」「そうだ!」と気勢を上げる人達に詰められる事となり、その思いをぶつけられる事になります。
「あ、あの~…筆頭聖女様、私の孫がルーケルベルンに移り住んでいるのですが…無事なのでしょうか?」
中にはスタンピードに巻き込まれた家族や知人の安否を確かめようする人達もいたのですが、国境沿いにはドヌビスが駐留していますし、辺境のルーケルベルン砦が壊滅的な状態では後送されて来ている人達以外の生存は絶望的で……。
「純軍事的な事柄については私の口からお伝えできる事はありません…生存者の捜索は続けておりますので、安否確認の為にもお名前をお聞きしてもよろしいですか?」
ただでさえ先輩達が抜けて激務になって来ていますし、そういう質問や怒りに晒され続けていると心が摩耗していくのがわかるのですが、怒っていられる内はまだマシなのかもしれません。
(占領されただけであれば、どれだけ良かった事か)
アインザルフの食料生産を支えていた西方地域がスタンピードの影響で壊滅的な被害を受けており、その復旧を今から行うとしても……来年の収穫量は今年の4割減という試算が出ていました。
つまりギリギリの食料でやりくりをしている私達はこのままだと4割近い餓死者を出してしまうという事になり……奪い取られたルーケルベルン地方を奪い返さない限りは恒常的な食糧難を抱える事にもなりますし、アインザルフは根っこを切られた植物のように枯れ果ててしまう未来しかありませんでした。
その影響が出て来るのはまだ先なのですが、全権大使としてドヌビスに送られたザイン団長との交渉も決裂……ドヌビスは「人為的なスタンピードなどあり得ない、アインザルフのでっちあげである」というスタンスを崩さず、ルーケルベルンを制圧したのも人民を助ける為だと嘯いているのだそうです。
ドヌビス王国からすれば交渉を長引かせるだけでアインザルフが弱っていくような状況ですし、国力的にも攻めて来る余裕がないだろうと高を括っており……そんな驕り高ぶるドヌビスに、アインザルフの怒りを叩きつける日が刻一刻と近づいていました。
「ドヌビスへ宣戦を布告する」
私が19歳になって少し経った頃、とうとう国内の不満を押さえつけておく事が出来なくなったヴォルフスタン皇帝がドヌビス王国に最後通牒を送り、宣戦を布告、失地奪還の為の部隊が編成される事となりました。
こうして第三次ドヌビス戦役が始まったのですが、本格的な戦争となるとスタンピードどころでは無い被害が予想されて……それでも散々ちょっかいをかけられ続けた国民はドヌビス憎しで目にものを見せてやれといった感情の方が強いようで、編成された遠征軍は国民の声援を受けながらドヌビスが待ち構えるルーケルベルンに向けて出立する事になります。
私も筆頭聖女として後方の安全確保や治療任務に就く事となり……この戦いは思いもしないような大規模な戦争に発展していく事となるのですが、この時の私は周囲の激情とどうする事も出来ない時代の流れのようなものに押し流されていくように、人間同士の殺し合いの場にその身を投じる事になるのでした。
・ネタバレのようなただの補足
※マリアンへの質問は資質を計るものではなく、やりたければやってみせよくらいの感覚でした。
これは体質的な問題で子孫を残せない自分がトップに居るよりマリアンを女帝に祭り上げて自分が補佐をする(もしくはさっさと隠居する)状態にしたいと思っていたからです。
ただあまりにも簡潔な拒否反応とヴィクトル達からマリアンには政治的なセンスや資質が欠けすぎているという事を指摘されていた事もあって、自分は皇帝という苦行を押し付けようとしているだけなのだという事を理解して苦笑いを浮かべる事になります。
この時点ではヴォルフスタンの細かな心情を理解する人が居ませんし、そもそも皇帝陛下というのは感情を表に出すものではないと思っているので歩み寄る事もなく、理解できるようになるのは魔力やマナの揺らぎだけで感情を読み取る事が出来るヴォルフスタンの翻訳者とか第一人者とか言われるようになるレティシア皇后の登場を待つ必要があります。
※筆頭聖女 = 最も実力のある聖女で国家運営をつかさどる会議への参加権を有しており、聖女目線での献策や聖女達の意見や要望を纏めて上告を行うという立場ではあるのですが、聖女不足のアインザルフでは第一聖女も兼任する事が通例となっており、遠征や浄化業務にも携わる事になっています。
そもそも聖女の人数が理想状態でも20人から30人程度(実際はこの半数以下)のため、聖女(10人前後)の纏め役というポジションを脱する事が出来ていないのが現状です。
※古代竜ゼバルダ = アインザルフに存在する魔境の内の一つ(もう一つはエントンシュング大湿地帯)魔峰ゼバルダとかゼバルダ山脈とか言われている場所に巣くう古代竜で、コレが居るせいで北方山脈の豊富な資源を確保できずにいるという厄介な存在です。
定期的に活動期に入って(この周期の謎が判明するのは本編側がある程度進んでから)北方地域を荒らしまわる存在なのですが、その生態はよくわかっておらず、諦め気味に一種の自然災害的なものだという認識のされ方をしています。
※バルデドウ騎士国 = 現バーハ共和国(ドヌビスの南、アインザルフからは湿地帯を超えた南西の国)の東地区にあった国で、「率先して魔物を狩ろうぜ!」みたいなノリノリな国でした。最終的には魔物を軍事力として利用できないかという研究に失敗し、人工的なスタンピードで自滅する事になります。この辺りの事実が伏せられているので魔物の氾濫で滅びた事になっているのですが、この技術がドヌビスに流れて来る事になりました。
※第一次ドヌビス戦役は建国時のゴタゴタしていた時期の話で、初代アインザルフ皇帝と始まりの聖女の時代に起きた戦争です。第二次が72年前(本編時空では73年前)に起きた戦いで、これ以外にも毎年の恒例行事のような小競り合いが続いているのですが、動員人数が1万人以下で領地に変動の無い戦いについては特に名前がついている訳ではありません。