12:愚者の夢
「なっ…なに、お…!?」
味方だと思っていた人物から突き刺された兵士は何が起きたのかわからないという顔をしていたのですが、見返す執事の視線は冷ややかで……むしろ侮蔑するような感情が見え隠れしているようでした。
「多少の暴力なら目を瞑りましょう、ですが…誰が傷つけて良いと言いました?コレにはどれだけの利用価値があると思っているのです?お前達の命ではとうてい贖いきれないのですから、もう少し丁寧に扱いなさい…失礼、数を優先したので少々質が…次からはこうならないように教育しておきますので」
そして自分の主に頭を下げながら剣を抜くとドバッと血が噴き出して来て……心臓を一突きされた兵士が崩れ落ちてくるのですが、そんな物に押し潰された私は小さな悲鳴を上げてしまいました。
「まったく、厄介な第八騎士団をノイラートくんだりまで追いやったのだ、このような些事で黄金の瞳を無くしたとあれば…どうなるのかはわかっているのだろうな?」
「申し訳ありません、重々言い聞かせておきますので」
ハインツの言葉に大人しく頭を下げる執事なのですが、あまりにも淡々とした言葉が逆に恐ろしくて、心臓がドキドキして、込み上がって来た物を飲み込んでいたのですが……そういう不快感を覚えたのは私だけではなかったようで、周囲の兵士達の何人かが青い顔をしていました。
「まったく、あのヘラヘラした出来損ないがさっさと援軍を連れて来れば良いのだが…どうにもうまくいかないものよな」
「おっしゃる通りです」
ここまで来たら隠す気もないといったノリで話しを続けていたのですが、私の心臓はもうバクバクとしていて、クラクラしていて、ただただよくわからず辺りの様子を窺いながら震える事しか出来ませんでした。
どうやら彼らは薄々先帝の私生児が居る事を掴んでいたようで、それを確信したのが私が母の治療の為に黄金の瞳を使ってゴリ押そうとした一件で……あの場所に居た全員の口を塞ぐ事は出来ませんし、何かしらの小金が掴めると思ってミュラー公爵の元に向かった人がいるのだそうです。
その人がどうなったのかはわかりませんし、まさかこんな事になるとは思ってもいなかったのですが……「何でこんな事に」という思考が頭の中をグルグルと回っていました。
言いつけを守らなかったから?
大丈夫だと油断したから?
「おい、コレを例の部屋に連れていけ…丁重に、な」
「ッ…!?」
取り留めのない思考に涙が滲むのですが、気がつけばハインツ達の話も終わっていたようで……いきなり両脇を抱えられて息が漏れるのですが、そのまま引っ張り上げられると……引きずるように部屋から運び出されてしまいます。
どうやら今すぐどうにかなるといった話ではないようで……というのも手籠めにするにしても肝心要となる人物が戻って来ておらず、一旦ミュラー公爵家の地下牢に放り込んでおく事になったのだそうです。
そこで逃げ出さないようにと錘付きの足枷までつけられてしまい……両手には手枷、足には錘付きの足枷と彼らにとっての聖女というのはどういう存在なのでしょう?
まさか分厚い枷を引き千切り、立ち塞がる兵士をバッタバッタと薙ぎ倒しながら脱走して行くような人物だと思われているのでしょうか?
(ヴィクトルなら引き千切る事が出来るのかもしれないけど…私には無理、どんな化け物だと思われているのでしょうね)
そんな皮肉な考えが浮かぶのですが、こんな状態だと頭の中で馬鹿にするのが精一杯で……最初の内は脱走する機会を窺ったりもしたのですが、枷がつけられているという事と一応貴人扱いするつもりがあるのか身の回りの世話をしてくれる女中達が付けられる事となり、他にも棒を持った兵士が檻の中に5人、檻の外には10人と……合計20人近い見張りが入れ代わり立ち代わり私の一挙手一投足を見張る事となりました。
そしてあれだけ言われていたのに容赦なく棒で殴られ小突かれる事となり……勿論死なないように手加減はされていますし、あまりにも酷く打ち据えられた後は他国から取り寄せたポーションを使った治療を受ける事ができたのですが、輸入に頼るしかないアインザルフのポーションは相手側の言い値に近い物ですし、数を揃えるために薄められた粗悪品だったので傷の治りはいまいちでした。
多分肉体的に追い詰める事で従わせようとしているのだと思いますが、どうにも中途半端なような気がしてしまい……。
(要するに…頭の中がお花畑なのでしょうね)
実行力の無いただのお馬鹿、自分の願いは何でも叶うと思っている愚か者、誰かに唆されていると言われた方がしっくりくるようなただの間抜けです。
意思の統一すら出来ていないのか、中には便宜を図ろうとしてくれた人もいたのですが……私と親しく話している事がバレると酷い仕打ちを受けた後に連れていかれてしまい、酷い時には首だけとなって戻って来ました。
私と話していても死、私の行動を報告をしなくても死、時には見せしめのように痛めつけてというのを繰り返している内に、女中達の顔色は気の毒なくらい真っ青になってしまい……会話どころではなくなってしまいました。
10日もすれば3つの生首が牢屋の中に転がる事となり、徐々に腐敗し耐え難い悪臭を放っているのですが……本当に、何がしたいのでしょうね。
とはいえ地味な嫌がらせで精神的にも追い詰められていきますし、湯あみや排泄が丸見えなのもなかなか堪えて……何かあっては困るという事で使用中は女中達だけになるのですが、マジマジと見られている事には変わりがありませんし……最初の内は見張りが弛んでいる隙に逃げ出せないかとも考えたのですが、鎖に繋がれていてはどうする事もできませんし、奇跡的に逃げ出せたとしても到底逃げ切れるとは思えませんでした。
(もし、これで…)
宿舎に向かった騎士達が無事なら何とかなったのかもしれませんが、それっぽい動きが無いので彼等もハインツ達にやられてしまったのかもしれません。
そして彼らを頼れないとなると、たった1人で魔物が徘徊している街道を通って帝都まで辿り着かねばならず……そんな蛮勇が上手くいく訳がありません。
それに女中達の隙を突こうにも、誰もが怯えたような顔をしながらギラギラと目を血走らせていて……。
「…」
自由は無し、逃げるのも無理、そんな生活が1か月近く続くと何とかしなければという焦燥感も摩耗しきってしまい、常に軽い頭痛と脱力感に襲われながら、今日も飽きずに顔を出した執事の顔をぼんやりと眺めていました。
「ここまで国に義理立ててやるような恩もないと思いますが…陛下には挙兵の意思を固めていただけるだけで良いのです、それですぐさまこのような冷たい檻の中から解き放ってあげられるというのに」
とはいえ相手が一方的に喋り尽くして帰って行くという事の繰り返しなのですが、弱っている私なら説得が通じると思っているようで……結局「我々の傀儡になれ」と言っているだけなのですが、反乱という暴挙に対してピエニモンタが力を貸してくれるので政権の打倒も夢物語ではないのだそうです。
曰く、当初からいるミュラーの兵士が千に、金に物を言わせて雇ったハンターが500、そこにピエニモンタから送られて来た兵士達が二千と……すでにミュラー領の兵士数は2千500となっており、ブライツが更に3千の増援を連れて来ようとしている真っ最中なのだそうです。
それらを合わせても6千足らずで、対するアインザルフは四方騎士団だけでも各1万、中央から送られて来る第五騎士団が1万5千と、練度もバラバラな6千足らずが勝てるような相手ではありません。
本格的な戦闘となれば3万近い精兵が押し寄せてくる事になりますし、言うほど上手くいくのだろうかというのが私の感想だったのですが……ピエニモンタからは後詰として万単位の増援が約束されているとの事で、それがやって来るまでもてばいいのだそうです。
(それで…本当に上手くいくと?)
公爵達の余裕が日に日に無くなっていくのは何かしらの予定が狂っているようにしか思えないのですが、彼らとしては「反乱は必ず成功する」という印象を植え付けたいようで……そういう軍事的な動きと共に中立派の切り崩しもおこなっているようで、動員を遅らせている間に中央を叩けば良いというのが彼らの計画のあらましのようです。
「何が不服なのです?このまま順調に進めば労せず至高の座が手に入るというのに…しかも夫となる人物はブライツ様という美男子です、すべてが叶う権力と良き夫、それこそ良き人生ではありませんか?」
「……」
それこそまさにくだらないと吐き捨てたくなるのですが、そもそも私は政治の世界に踏み込みたくはありませんでした。
政治の世界に踏み込んでしまったからの監禁ですし、一挙手一投足を見張られるような生活は絶対にごめんだというのがこの一か月でよくわかりましたし……彼らの言うとおり皇帝陛下になったとしても、ブライツに無理矢理孕まされた後は「産後の肥立ちが悪く」とか言って殺されるのがオチです。
そんな事に私を巻き込まないでと大声で喚きたくなるのですが、言うと殴られるだけですし……そしてこれは少しだけ意外だったのですが、あまり酷い拷問をしないようにというブライツからの命令があるようで……彼なりに情が湧いていたのかただただ甘いのかはわかりませんが、痛めつけすぎて死んでしまいましたでは笑い話にもなりませんし、棒で殴る以上の事はないと高を括って彼らの主張をせせら笑いました。
そんな私を見ながら胡散臭い執事が忌々し気に檻を叩くのですが……どうやら「手足の一本や二本」と言っていたのはただのハッタリだったようですね。
そして彼等はしきりに勝算があると言っているのですが、ピエニモンタからの増援も、中立派の切り崩しも、上手くいっているようには思えませんでした。
確かにこの一か月、中央が動かなかったのは何かしらの政治的な動きが成功しているのかもしれませんが、足止めが出来ている内にピエニモンタからの援軍が到着していなければ何の意味もありません。
中立派の切り崩しに関しても、本当に切り崩せているのなら反乱と言う手を使わず正々堂々政権を掌握すればいいだけで、それが出来ないのは……文官を纏めているローランド宰相は人道に厚い政策を施し国民にも人気がある人ですし、軍事面を司っているヴィクトルも……馬鹿っぽいけど道理を説けば分かってくれる人です。
陛下の考えはよくわからないのですが、物の道理がわかっている人達との交渉が上手くいっていない事を考えると、彼らの主張がどこかで破綻しているのでしょう。
そもそも必死の思いでその日一日を頑張って生き延びようとしているアインザルフで内乱を起こすというのは国民の事をまったく考えておらず……このまま何かの間違いで彼らが政権を打ち立てたとしても、その先に待っているのは今以上の地獄でしかありません。
その事に気がついているのかと皮肉気に笑いながら、今日の説得はどれくらい続くのかとウンザリしていたのですが……バタバタとした足取りの兵士が駆け寄って来たかと思うと、この一か月でほんの少しだけ痩せた執事に耳打ちをおこなっていました。
「何…?」
まったく気にも留めていなかったので話の内容はよく聞こえなかったのですが、その報告を聞いた執事の顔は驚愕と怒りと困惑の入り混じった恐ろしいものに変わり、その圧から逃れようと耳打ちをした兵士が軽く仰け反ったほどです。
それが私にとって良い事なのか悪い事なのかはわかりませんが……彼らが困惑しているのならそれはそれはきっと楽しい事なのでしょう。
「いいか…絶対に“コレ”を逃がすなよ!」
執事は一瞬考えこむようなそぶりを見せたのですが、そう言い残すとズカズカと足早にこの場を後にして……残された兵士や女中達はどこか不安そうに顔を見合わせていました。
そんな状況の変化に顔を上げると、どうやら外では大規模な戦闘が起きているようで……最初はかなり遠くから聞こえてきていた怒声やら何かが倒壊する音が大きくなっていき、徐々にこちらに近づいて来ているようでした。
・ネタバレのようなただの補足
※ブライツが戻って来ていなければ自分が手籠めにするという方法も取れたのですが、公的な奥さんがいる公爵がそれをやると要らないところで波風が立ちそうですし、年齢があっている1人身の息子が居るのならそちらの方が適任だろうという判断です。この当時は多少遅れているけど近々戻って来るみたいな感覚でした。
※ヴィクトルなら引き千切る事が出来るのかもしれない = この世界の騎士(などの戦闘職の人)は無意識に身体強化を使っていたりするので、鍛えていない一般人との差があります。そしてマリアンは無邪気に「引き千切れる」と思っているのですが、ヴィクトル本人に言ったら「無茶言うな」と一蹴されてしまうような事を平然と考えていました。
※魔物を飼育していた場所なのでゴミ(人肉を含む)や糞尿を流す為の排水口があるのですが、これに手を加えて人間用のトイレとして使用できるようになっています。ただこの辺りの描写に力を入れても助長になりそうなので、本文中では色々とカットする事になりました。
※肉体的・精神的に追い詰めるのなら爪くらい剥がせと思われるかもしれませんが、この辺りはミュラー公爵達がやや呑気だった事と、聖女として使い潰す事も考え不具になるような拷問をしませんでした。「どれだけ強情を張ったとしても先帝のご落胤は我らの手に」と言った感じで、誰の子を孕んだのかわからないという状況を避けるために過度な接触をしないように言いつけていたのもマリアンへの暴行が少なかった理由ではありますし、うっかり殺してしまったら自分が殺されてしまうので実はおっかなびっくりだったのかもしれません。
※殺された3人はマリアンを逃がそうとしたり窮屈だろうと枷を外してあげようとした人達で、見せしめとして殺されました。