11:ハインツ・フォン・ミュラー公爵
ズムウルフとの戦いの後、怪我人を抱えながら領都ミュラーに近づくと出迎えの兵士と豪華な馬車がやって来て……。
「主が首を長くしてお待ちですので、ロッシュフォール様や隊長殿達はこちらへ…残りの者は宿舎を用意しておりますので、そちらでゆっくりとお休みください」
との事で、最終的には私とグラート隊長と案内役の執事、そして隊を率いる20名ほどの上級騎士がミュラー公爵に招待される事となり……別々の馬車に乗ってハインツ様の居城に向かう事になりました。
(ようやく…休めると思っていたのですが)
グラード隊長はこうなる可能性も考え「街に入る前に休んでいきますか?」と聞いてきていたのかもしれませんが……今更引き返す訳にもいきませんし、ため息を飲み込み大人しく馬車に乗り込むしかありません。
「そういう訳だ!俺達は少しばかり顔を見せて来るが…あまり羽目を外しすぎないように!ロッシュフォール様がどれほど滞在されるかはわからないが…会談が終わりしだい第八騎士団と合流、南方地域を回る予定だ!それを踏まえてしっかりと体を休めておくように!」
因みに南方地域に布陣している第八騎士団とメリー先輩はエントンシュング大湿地帯を見張るノイラート砦の方に駐留しているようで、こちらの用事が終わり次第合流する手筈となっております。
そういう急がない日程の為、身嗜みを整える時間くらいは確保できるのだろうと思っていたのですが……ハインツ様というのは私が思っていたよりせっかちな性格をしているのかもしれません。
「「「はっ!!」」」
「…はっ!」
「「…はっ!」」
「「「「………はっ」」」」
そうしてグラート隊長の簡単な訓辞が終わると熟練の騎士はすかさず敬礼を返していたのですが、疲れ果てている新人達の反応が遅れていて……たぶん遅れた人達にはこの後地獄のようなしごきがあるのだと思います。
そういう私もズムウルフの浄化で力を使い果たしており、蹲りそうな騎士達と共に宿舎のベッドに直行したいのですが……名指しで呼ばれている以上、行かないという選択肢はありません。
「流石にこのままというのもどうかと思いますし…見苦しくありませんか?」
汗と汚れで人前に出る事が出来るような恰好ではないと言ってみたのですが、お城で湯浴みや着替えの準備がされているのだそうです。
「その辺りは抜かりなく、ロッシュフォール様には何不自由なく過ごしていただけるかと」
との事で、隊長さんや執事の人と同じ馬車に乗り込む事になったのですが、会話も弾まずただただ蹄と車輪の音だけが車内に響き……。
「人通りがありませんが…何かしらの催し物でもあるのですか?」
スタンピードでもあるまいし、ズムウルフが徘徊していただけでここまで静まり返るとは思えないのですが……物陰から物珍しそうに眺めて来るような人達もおらず、人気が無さ過ぎる事に首を傾げてしまいます。
「はて?わたくし共も帰って来たばかりですので…下々の者は悪戯に怯えて隠れるものですから、魔物の襲撃というだけで一大事と慌てて避難でもしているのでしょう」
案内役の執事が適当な事を言うのですが、その言葉にグラード隊長が「ふむ?」と訝し気に呻き、小窓から豪華なだけの町並みを眺めて考え込んでしまいました。
とにかく馬車の中の空気は最悪なのですが、私達が乗った馬車は小高い丘に建てられている居城に向かい……こちらは静まり返った城下町と違い、バタバタと人が動き回っている気配がありますし……薄暗い暗闇を払うように無数の篝火が焚かれており、今まさに戦いが始まるといった熱気を孕んでいるようでした。
そんな物々しい空気が漂う中、私達は鋼鉄づくりの門を越えて城内に入るのですが……ピリピリとした空気にグラード隊長が自身の剣に手を添えたのがわかります。
「ロッシュフォール様はこちらへ」
そうして私達を乗せた馬車は妙に開けた中庭のような場所で止まったのですが、そこで執事の人に手を差し伸べられる形で馬車を降りる事となり、続いてグラード隊長や上級騎士達が馬車から降りて来るのですが……。
「よし、残りは始末しろ」
執事が手を上げると、塀の上から矢の雨が降り注ぎました。
「なっ、どういう事だ!ミュラー公は血迷った…ぐッ!?…お前、達…?」
矢の一斉掃射を咄嗟に弾いたグラード隊長なのですが、馬車の中に潜んでいた騎士や御者に扮した伏兵に斬りかかられてしまい……たぶんミュラー公爵の息がかかっている裏切者なのだと思いまが、背後から味方だと思っていた者達に襲われたのではいくら隊長でも防ぐ事が出来ず、背中を斬り裂かれてその場に崩れ落ちてしまいます。
「隊長!?貴方達は…何を!?」
私は負傷者に駆け寄り治療をおこなおうと思ったのですが、執事に腕を掴まれ引っ張られてしまい……。
「そちらは危のうございます…私共の主はハインツ・フォン・ミュラー様であり、これからはロッシュフォール様になりますので…ご自愛くださいませ」
「な、ぜ…?ぐっ…ロッシュフォー…る…?」
「グラード隊長っ!?」
逃げろと目配せをして来た隊長の顔から命の灯が消えてしまい……状況についていけずに固まっていると、唖然と立ち尽くす私に執事の人が剣を向けてきました。
「動かないでください、出来れば貴女様には手を出したくないのですが…ハインツ様からは手足の一本くらいなら構わないと言われておりますので」
「貴方達は…何を!!」
聞こえるのは呻き声と血だまりに沈む人達の断末魔、私は恐怖から逃れるように剣の柄を掴むのですが、目の前には魔法剣を持つ執事と300人近い兵士がいて……塀の上から数百という弓矢に狙われていてはどうする事もできません。
どうやら反乱に参加した騎士も半数近くいるようで、残りは事情がよくわかっていない遠征部隊の指揮官達だったのですが、困惑している内に矢を射かけられて打ち取られてしまい……そのまま押し切られるように1人また1人と止めを刺されていきました。
宿舎に向かった騎士達も襲撃を受けているのではないかという徹底的なやり方だったのですが、そもそもこの遠征は私の個人的な旅行という訳でもなくて、ハンナ筆頭聖女を通した正式な訓練であり、第三騎士団から正規の手順で派遣されて来た騎士達です。
そんな人達に手をかけておきながら平然としているミュラー公爵の兵士達を唖然と見返してしまったのですが、そんな私を見ながら胡散臭い執事がニヤリと笑いました。
「勿論、我々が何をしているのかはわかっているつもりですよ…マリアン・エリュタス・フォン・アインザルフ陛下!」
そして生まれた時からつけていた目隠しが剥ぎ取られてしまったのですが、私の瞳を見た人達から「本当に黄金の瞳だったのか」といった唸り声のような音が漏れてきました。
「不幸な行き違い起きないよう、陛下には大人しくついて来ていただけると助かるのですが…よろしいですかな?」
そんな私に対して、ミュラー公爵家の執事が敬意を感じさせない慇懃無礼な笑顔を張り付けたまま頭を下げるのですが、近づいて来た別の兵士に武器を取り上げられてしまい、腕には金属製の手枷がはめられてしまいます。
まるで囚人のような扱いなのですが、とにかく執事は顎をしゃくるようにグラード隊長達の亡骸を示すと、兵士達が黙々と片付けにかかりました。
「どこ…へ?」
私は乾いた声で運ばれて行くグラード隊長達の事を聞いたのですが、執事は「私をどこにつれていくの?」と聞いているのだと勘違いしたようで、少しだけズレた答えを返してきました。
「ハインツ様がお待ちですので、まずはそちらに…それはもう、陛下のお越しを心待ちにされておりましたので」
心待ちにしていた結果がこの虐殺かと思うと吐き気がするのですが、何が起きているのかがわからず頭の中がグチャグチャして、泣きそうになるのを堪えるので精一杯でした。
(どうして…こんな、事に?)
グラード隊長だったモノが処理されていくのを見ている事しか出来なかったのですが、どうやら彼らは私をどこかに連れて行こうとしているようで……なのに、足が震えて上手く歩けません。
それでも殺されたくないので必死について行こうとしたのですが、ノロノロとした動きにイラついたのか、連行している兵士が私の背中をおもいっきり蹴とばしてきました。
「ぐずぐずするな、さっさと歩け!」
「なら…蹴とばさないください!!」
「なーにぃぃっ!!」
もう殆ど売り言葉に買い言葉で言い返してしまったのですが、するとその兵士におもいっきり殴られてしまい……口の中を切ったのか、血の味が広がります。
「はっ、こんなどんくさい女が皇帝の血筋とはな…流石蛮族の国だ」
まるで自分達は違うというような言い方なのですが、そんな疑問より「アネス先輩に殴られる方が痛いですね」と何処か場違いな感想が浮かんでしまい、少しだけ笑えました。
(こんな時に思い出すのはアネス先輩の拳骨…ですか)
そのおかげで少しだけ落ち着き、周囲を窺う余裕が生まれたのですが……どうやら嘲るように笑っている兵士の数は7割から8割程度で、暴行を加える兵士に対して眉を顰めている兵士もいるようです。
だからといって助けてくれるような感じでもないのですが、この辺りにミュラー公爵家の歪さがあるようで……何て言いますか、まるで所属の違う者同士がごちゃ混ぜになっているような感じがするのですよね。
「何を遊んでいるのです?ハインツ様がお待ちですよ」
とにかくこれ以上見世物になるつもりは無いという意思表示の為に目を閉じ、連れていかれたのが奥まった場所にある一室で……合理性を突き詰めたがるアインザルフ的な美意識から考えるとゴチャゴチャしすぎている悪趣味な部屋だったのですが、そんな部屋に負けず劣らずの格好をした貴族が待ち構えていました。
「おお、コレがヴァルシャイトの隠し子という少女か……ふむ、おい、目を開かせろ」
「はっ…おい、ジッとしていろ!」
早速私の目の色を確認しようという事なのか、先程蹴りつけて来た兵士が私の頭を固定するように締め上げてきて、眼球に指を突っ込む勢いで無理矢理瞼を開かせようとしてきました。
「はっ、な…はなし…てっ、くだ…さいッ!!」
状況が状況なので大人しく従っていれば良いのですが、妙なところで反抗的になるといいますか、「こうしろ」と言われるとつい逆らいたくなってしまうといいますか……自分でも面倒な性格をしていると思います。
「暴れるな!ミュラー公爵様がお前の目が見たいと仰っているのだ、つべこべ言わずに目を開け…このガキ!」
ささやかな抵抗を試みていると、兵士は引き千切る勢いで私の髪の毛を掴んで……勢いよく床に叩きつけました。
「長生きをしたかたら俺達の言う事を聞くんだな!大人しくしていたらブライツ様が可愛がってくれるかもしれないぞ!!」
その「可愛がる」というのがどういう事なのかはわかりませんが、碌でもない事であるのは確かな事なのでしょう。
「ッ…!!?」
そうして叩きつけられた衝撃と目に指を突っ込まれるという物理的な痛みに暴れたのですが、その兵士は体重と腕力で無理やり頭を固定すると、目が傷つくのもいとわないと言った様子で無理矢理瞼を開かせました。
「おお、確かに見事な黄金の瞳だ…だが、な」
痛みと涙で滲む視界に映るのは豪華な服を着た40前後の男性だったのですが、チャラチャラとしたブライツが歳をとればこういう感じになるのだろうといった容貌をしていて……血縁関係を感じさせる顔立ちをしていますし、きっとこの人がハインツ・フォン・ミュラー公爵なのでしょう。
そんな人が黄金の瞳を眺めながらホクホクとした笑顔で頷いているのですが、そのままチラリと執事に合図を送り……その合図を受けて進み出た執事が剣を構えて、今まさに私を押さつけている兵士を突き殺してしまいました。
・ネタバレのようなただの補足
※グラード隊長も様子が可笑しいとは思っていたのですが、流石に無警告で殺害されるとは思ってもいませんでした。
※まったくどうでもいい話なのですが、名前に「エリュタス」がつくのは現皇帝か後継者に指名された人物だけで、「マリアン(名前)・エリュタス(土地)・フォン・アインザルフ(国号)」は正当後継者であるヴォルフスタン皇帝の指名を受けるかヴォルフスタン皇帝が倒れるかしない限り誤りです。
「マリアン・ロッシュフォール・フォン・アインザルフ」が正式な名前となり、あえて「エリュタス」を付けたのは彼らの野心の現れであり、現政権打倒を掲げているという意思表明でもあります。