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遠い遠い、海の話。

お久しぶりです。

自〇シーンあるので苦手な方はブラウザバックして下さい。

楽しんで頂けたら、幸いです。

 潮騒の響く午前二時。

 洞のように、ぽっかりと浮かんだ月に、かすかに雲がかかる夜。

「自殺禁止」と、古びた張り紙が貼られた電話ボックスで。


 私は、私を辞める事に決めた。

 大した理由なんてない。

 ……ただ、ほんの少し、頑張るのが億劫になってしまっただけ。

 過ぎ去ってしまった時間(過去)よりも……ほんの少し、明日(未来)が重くなってしまっただけ。


 ―――あぁ、なんてつまらない理由だろうか。

 これが「太陽がまぶしかったから」なんて洒落た理由だったなら、きっと笑う事も出来ただろうに。


 電話ボックスの中で、小さく、小さく蹲りながら、手帳に文字を刻む。

 言葉に出来たのは、たったの数文字。

 それ以外は言葉にならず、澱のように沈んでいった。



「――――――――――もう、いいかな」



 零れた言葉は、たったそれだけ。

 誰にも届かず、人魚姫のように……夏の空へと溶けていく。





 手摺を乗り越え、崖下を覗く。

 岩礁に打ち寄せる荒波が、潮騒の音を響かせる。

 ―――おいでおいでと、呼んでいるみたいだ。



 トンッと軽く地面を蹴って、自由落下に身を任せる。

 見上げた空は、どこまでも黒く。

 輝く星は、どこまでも遠い。




 ―――風を切る音とともに、ただ落ちていく。



 潮の香りにふと、懐かしい匂いが混じった気がして。

 何の香りだったかなと、そう思って。


 私の意識は、それきり止まった。







 ◇

「いつまで寝てるんだい、お前さん」


 呆れるような声に、はっと目を覚ます。

 周囲を見渡すと、どうやら何処かの家の縁側で眠っていたようだ。


 朝顔の花、広がる茶畑、遠くに架かる橋。

 全く見覚えのない景色だというのに、どこか懐かしく感じる。

 声の主を探し、後ろを振り向こうとした瞬間、「振り向くな!!」と怒鳴る声が聞こえた。


「絶対に振り向くんじゃないよ。そのままじっとしてな」


 厳しい声音に思わず身が竦む。反射的に「ご、ごめんなさい」と言いながら体を抱えるようにして震える私に、声の主の気配が少し和らいだ。



「別に取って喰いやしないよ、お前さんを傷つける事もしない。だからじっとしてな。返事も無しだ。いいかい?お前さんはただ前を向いて、じっと座ってるんだ。それ以外の事は絶対にしちゃいけない。()()()()()()だ」



 口調は厳しいままだが、どこかいたわりを感じさせる声音が聞こえる。

 不思議な声だ。老婆の様にも、少女のようにも聞こえる。どこかで聞いたような気がするけれど、いつの事だったかは思い出せない。

 だがその優しい声色を聴くと、不思議と心が落ち着く感覚があった。



 声の主の言うとおり、ただ座ってじっと正面を眺める。

 風が茶畑を吹きわたり、朝顔の葉から水滴がポトリと落ちた。

 夏の風に乗せて、どこか懐かしい匂いがする。


 ――あぁ、なんて穏やかな景色だろう。

 思わず顔をほころばせた、その時。







 ――――ギィ、ギィ……







 何処からか、ひどく重いナニカが歩いてくるような、そんな音がした。

 いつの間にか空は曇り、ゴロゴロと雷の音がする。

 潮の匂いがどこからともなく広がり、気温がぐんと下がり始める。


 ――寒い。

 ―――寒い。

 ――――寒い。


 ついさっきまで汗ばむほどの陽気だったというのに、急にどうしたというのだろう。

 歯の根が合わず、ガチガチと歯を震わせながらまっすぐ前を見続ける。

 あまりの寒さに景色はぼやけ、あれほど美しく見えた景色は、今や見る影もない。







 ――――ギィ、ギィ……







 潮の匂いが濃くなり、少しづつナニカが近づいてくるのが分かる。

 私はガタガタと震えながら、ただ前を見続ける。

 もはや視界には何も映らず、立ち込める霧が全てを覆い隠していく。







 ――――ギィ、ギィ……







 潮の匂いがさらに強くなり、あまりの濃さに吐き気すら覚える。

 そして…………






 ――――ギィ、ギィ……







 ――――()()

 今、私の真後ろに、ナニカが()()

 耐え難いほどに強い潮の匂いと共に、ナニカが今、私の後ろに佇んでいる。

 ガタガタと震える事しか出来ず、私はただ前を見続ける。





「―――――――――――――」

 酷く不快な、声が聞こえる。

 敵意は無い。悪意もない。


 ―――ただ、()()()()()

 ―――私を、()()()()()

 ―――おいでおいでと、()()()()()


 空っぽな夜のように底知れないナニカが、()()()()()

 ガタガタと震えながら、私はただ前を見続ける。




「―――――――――――――」

 ………あぁ、そうだ。どうして忘れていたのだろう。

 この声は、この音は………これは潮騒の音だった。



 ()()()、呼んでいたのだ。

 あの、潮騒の響く夏の夜に。


 私を、呼んでいたのだ。

 ―――おいでおいでと、潮騒を響かせ(手招きし)ながら。



 ガタガタと震えながら、私はただ前を見続ける。

 他に、何が出来るというのだろう。


 震え続ける私の肩を、ナニカが掴む。

 とてつもない力だ。ミシミシと肩が鳴る。

 それはまるで、深海に引き摺り込むかのようで。


 ………これで終わりなんだなと、他人事のように目を瞑った。









 ――――――――――その時だった。





「ダメだよ」



 ―――力強い声が響く。

 老婆のような、或いは少女のような、不思議な声が。

 何処かで聞いた、優しい声が。


 ……何処からか、あの懐かしい匂いがする。




「その人は、連れて行かせない」

 まるで幼児のような小さな小さな手が、私の背中に触れる。


 途端、ナニカが私から手を離した。

 夏の風が、咽せ返るような潮の香りを押し流していく。

 瞑っていた目を開けると、先ほどと同じ、夏の庭が広がっていた。



「―――もう、ここには来ないで」


 声の主がそう告げると共に、何処からともなく、風鈴の鳴る音が聞こえる。


 ゴウッと吹き寄せた夏の風に、思わず目を瞑る。

 風に乗って運ばれて来た、何処か懐かしい匂いと共に、フッと意識が遠のいていく最中。


「じゃあね、お姉ちゃん」と、そう聞こえた気がした。








 ◇

「先生!◯◯さんが、目を覚まされました!!」


 殺菌されたような真っ白な光に、目を覚ます。

 目に映ったのは、少し古ぼけた天井と、慌ただしく動く人々。

 ここは………病院だろうか。


「◯◯さん、目を覚まされたんですね。意識はハッキリしておられますか?………良かった。まだ体が痛むでしょうし、詳しい検査は後に回しましょう。もう暫く、眠っていて下さって構いませんよ」

 眼鏡をかけた、初老のお医者様が言う。


 優しく笑う彼に、強張っていた体がフッと軽くなった気がして……次に目を覚ましたのは翌日の事だった。



「正直な所、奇跡のようなものです。あの海に飛び込んで、生きて帰ってくるなんて」


 改めて検査をしに来てくれた、お医者様が言う。

 高い所から飛び降りて、その後も潮に揉まれたものだから、体の方は随分とボロボロになっていたらしい。

 後遺症は少し残るかもしれないが、社会生活に支障はあまり出ないだろうと、そう言われた。


「天気が良い日にでも、花を供えに行ってあげて下さい。きっと喜ぶでしょう。…………え?あぁ、都会の方には馴染みの無い話でしたか。この辺りでは、海で事故にあって生きて帰れた時、海に花を供えるんです。伝統とも呼べない、ただの噂や迷信のようなものですがね。良ければ花の手配もいたしますので、どうですか?」


 初めて聞く風習だが、漁港として長年続いてきた地域ならではの話だ。助かったのは奇跡としか言いようがないような状態だったらしいし、花の一つや二つ、供えてみるのも良いかもしれない。

 お願いすると、少しホッとした様子で承諾してくれた。


「ではまた、明日にでもお渡ししますね。海に行かれる際は、看護師に声をかけて下さい」


 そう言った翌日、看護師さんが持ってきた花は、随分と立派な蓮の花だった。


 お値段は幾らかと聞いたが、ご近所さんからタダで譲ってもらったのでお気になさらずと言われてしまう。

 それでも申し訳ない気持ちがして、ポケットに入っていた五百円玉をお礼として渡す。足りないのは分かるが、財布を流されてしまったらしく、渡せるものはこれしか無いのだ。看護師さんが受け取って下さって助かった。



 看護師さんに車椅子を押してもらって海へ行き、蓮の花をそっと海に流す。波に揺られ、遠くへと運ばれていく蓮の花をじっと眺めていると、ビュウッと吹いた風に乗って、蓮の匂いが運ばれてきた。


 その匂いに不思議と懐かしい気持ちになったが、何故そう感じたのかは分からない。

 何か大切なことがあったような気がするけれど、それが思い出せなくて。


 蓮の花が、波間に消えるのを見送って。

 寒くなってきたので帰りましょうと言う看護師さんに従った時。


 ―――ふと、「ありがとう」と告げる声が聞こえた気がした。








 ◇

 あれから、どれほど月日が経っただろう。


 自殺未遂をして、小さな漁港のお医者様に助けられて、蓮の花を海に手向けて。


 あの時、財布もスマホも無くなって、残されたものは、本当にこの身だけだった。それ以外の持ち物は、自殺する前に無くなってしまっていたから。

 随分と大変だったけれど、今でも何とか生き延びている。初孫も生まれて、今度遊びに来るらしい。


 海から遠く離れたこの町で、ふと、昔を思う時。

 疑問に思うことがある。


 ―――はて、お医者様のいた町は、いったい何処だったかしら、と。

 病院から、町まで送って頂いた記憶はある。何とか稼いだお金で、せっせと入院費を払った記憶も。



 けれど、住所が思い出せない。お礼に行きたいと探しても、見つからない。

 あの、蓮の花が咲く街の病院は………一体何処だったのだろう?


 そう言えば、あのお医者様達は何故、私の名前を知っていたのだろう?

 何もかもを失ったのに、どうして五百円玉だけ、私のポケットに残っていたのだろう?



 ―――もし、海に花を手向けていなかったなら。

 ―――もし、五百円玉を支払っていなかったなら。


 私は、どうなっていたのだろう?



 朝顔の咲く、夏色に染まる縁側で。

 風に揺れる茶畑を眺めながら………。


 私は一人、首を傾げた。

誤字報告、ありがとうございます。

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― 新着の感想 ―
[良い点] お久しぶりです。 やはり著者様の作品は『言葉を選びに選んで』が本作でも非常に強く感じられます。 久々のハーピスト節を堪能させて頂きました。 [気になる点] ―――もし、海に花を手向けていな…
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