九十二話:魔族の義勇兵部隊
遊撃歩兵小隊を撃退し、シェルニアから撤退中の魔族軍第一、第三師団に苛烈な追撃を加えて潰走させた呼葉は、案の定その後に掛かる負荷『付け焼き刃の悟りの境地』の反動で倒れた。
実際は、件の歩兵小隊を下して王都シェルニアに向かう辺りで既に反動は出ており、呼葉から放たれていた謎の威圧感は、反動の表れだったのだ。
『付け焼き刃の悟りの境地』の反動には幾つか種類があり、大抵は気分が沈んで落ち込んだり、無気力になって寝込む場合が多いのだが、稀に攻撃性が増すパターンもあった。
人類が滅んだ未来の、廃都での修業期間中にも何度かこの状態に入った事がある。
が、妙齢の淑女から貴族のお転婆令嬢まで、様々な女性の扱いにも長けたアレクトール達老いた六神官は、小さい子供をあやすように、荒ぶる呼葉をなだめすかせて鎮めていた。
しかし、現世の若い六神官達にはまだ、呼葉の感情の機微を見抜けなかった。
『攻撃型反動』の破壊衝動で怒りに任せた攻撃を放ち終えた呼葉は、我に返った後に来る自己嫌悪も重なり、防壁上で眠る様に倒れたのだ。
それを見たアレクトール達が、血相を変えて保護しに走ったのは言うまでもない。
王都シェルニア奪還によるルーシェント国解放の宣言は、若干の混乱もはらみながら成された。
そんな翌日。
「ん……」
呼葉は豪華なベッドで目を覚ました。細かい刺繍の入った薄いヴェールのような天幕をぼーっと見上げながら、眠る前の事を思い出す。
「……あれ? 私いつ寝たっけ?」
「聖女様、起きた」
ぽつりと呟くと、ベッド脇にシドが現れた。食事の乗ったトレーを持っている。
ここはシェルニアの王宮の客室。呼葉は昨日、撤退する魔族軍に追撃を仕掛けた後、防壁上で倒れたのだと言う。
「あ~……そういえば、そっちの反動が出てたんだっけか」
ぽりぽりと頭を掻いた呼葉は、シドに礼を言ってトレーを受け取る。結構おなかが空いていたので、食事をとりながら自分がダウンした後の話を聞いた。
あの騒ぎの後、降伏を申し出て来た魔族軍の兵士達が居たらしい。第三師団の師団長以下、十数人の魔族兵。
呼葉の殺意増し増しな圧縮火炎光線八倍攻撃によって皆散り散りに逃げ去った為、第三師団長と共に投降して来たのは彼の周囲にいた側近や直属の部下達が数人。
それと、近くで動けなくなっていた生き残りの負傷兵達だけだった。
第三師団長は投降魔族兵の代表者として「聖女に提案がある」と訴え、面会を求めた。
応対したクレイウッドやザナム達は、呼葉は話し合いを求める者を無下にはしないだろうと考え、一先ず留置して面会の機会を作る事にしたそうだ。
「第三師団か……ルイニエナさんの事とか聞き出せるかも」
ヒルキエラ国の内情やジッテ家の状況について、『縁合』でも掴みきれていないような、より突っ込んだ情報が得られるかもしれない。
呼葉は、シドからその時の様子など聞きながら、第三師団長等が留置されているという城の地下牢へと足を向けた。
「あ、コノハ殿」
「おはよう、アレクトールさん。ザナムさん」
途中、廊下で二人と出くわしたので、合流して一緒に向かう。
「身体はもう大丈夫ですか?」
「うん、何とも無いよ」
心配かけてごめんねと、軽く詫びつつ現状報告を受ける。投降した魔族兵のうち怪我の酷い者は、診療所の方で安静にさせているそうだ。
そちらの見張りと聞き取り調査などは、パークス達傭兵部隊とクラード指揮補佐が担当しており、地下牢の第三師団長達にはクレイウッド参謀と兵士隊が当たっているという。
「何か有用な情報でも聞けたかな?」
身分の高い人などを収容する独房は、質素ながら離宮の客室と遜色ない立派な部屋が広がっており、壁と扉の代わりに鉄格子で石の廊下と隔てられている。
そんな要人向け地下牢のあるエリアにやって来た呼葉は、鉄格子越しに魔族軍の第三師団長と面会を果たした。
騎士と神官に囲まれて現れた『聖女コノハ』を初めて間近で見た第三師団長は、予想以上に若かった事に驚いたらしく一瞬目を瞠るも、気を取り直して恭しく挨拶する。
「お初にお目にかかります聖女殿。自分は魔族軍第三師団長を務めるツェルオ・ダイードと申します」
「あ、これはご丁寧に。オーヴィスの聖女やってる呼葉です」
どーもどーもと挨拶を返した呼葉は、前置きもそこそこに早速本題に入った。
「それで、私に提案があるとか?」
「う、うむ」
あの苛烈な攻撃と強力な強化魔法――聖女の祝福で魔族軍を蹴散らして来た伝説の聖女と、目の前の少女のイメージがイマイチ噛み合わず、ツェルオは戸惑い気味に声を詰まらせる。
が、彼はここが正念場とばかりに、堂々とその提案を投げ掛ける。
「我々を、貴女の傘下に加えて頂きたい」
元魔族軍第三師団長であるツェルオは、魔族の義勇軍設立に聖女部隊との共闘を掲げた。
流石に師団長クラスの大物が共闘を申し出て来た事には驚く呼葉達。
理由を尋ねると、彼は元々前魔王に忠誠を誓っており、ヴァイルガリンの事は簒奪者という認識だそうだ。
「今のヒルキエラで穏健派と見做されれば、立場が危うくなる。それなりの家格に在る者は、一族を護る為にも、現魔王の配下に下るしかなかったのだ」
「ふ~む」
呼葉は、提案を検討するに当たって幾つか聞いておきたい事があると質問する。
「オーヴィスの辺境にあるカルモアって街に駐留してた魔族軍部隊の事なんだけど」
「カルモア……先遣隊か」
ツェルオはオーヴィス攻略に向けた進軍作戦で、前線基地になる予定だったパルマムが奪還されてしまった為に、急遽代わりの拠点にする街の攻略に移動中の部隊を向かわせた事を思い出す。
「そう、その先遣隊でルイニエナさん達の部隊がどうなってたか、どこまで把握してる?」
「ルイニエナ? ジッテ家の御令嬢の事なら随行救護隊か。どうなっていたか、とは?」
現在のヒルキエラでもっとも厄介な立ち位置に在るジッテ家当主カラセオス。
その愛娘の出征とあって、取り扱いに困った人事の担当が配属先に苦慮した結果、捻り出した特別部隊の新設とその部隊長への着任。
いきなり小隊規模の指揮官という身分を与える事に関しては、名誉兵長なる役職を同時に新設して辻褄を合わせた。
救護隊に所属させるメンバーも、穏健派絡みの問題を抱える似た境遇の者ばかり。
これは、連帯感の高そうな者達を一纏めにする事で彼等の身の安全を図りつつ、トラブルの芽を摘む効果を狙ったらしい。
魔族軍の中でも穏健派に対して、最も穏当な第三師団への編入はそうして成った。
「軍内での評判とか噂とか」
「んむ? あまり良い噂は聞かなかったが、先遣隊には第一師団志望で穏健派を目の敵にしている者も少なくなかったからな」
救護隊を批難する噂は当てにならないとして、聞き流していたという。
「ふーん? じゃあ、ルイニエナさん個人宛の手紙とか援助物資とか、握り潰されたり横領されてた事は把握してないんだ?」
「……何ですと?」
ツェルオは俄かに怪訝な表情を浮かべた。聖女が魔族軍部隊の内情に詳しい事にも困惑するが、それよりも今し方並べられた不穏な言葉が気になる。
「カラセオスさんの事は私達も把握してて、協力を求められないか調べてる内にルイニエナさんをカルモアで捕虜にしてる事が分かったのよ。それで彼女とまず話をしようとしたんだけど――」
呼葉はルイニエナ嬢を保護した時の事を語った。同胞に命を狙われていたと聞いて、ツェルオは表情の困惑を深めていく。
「何故そのような……」
「で、更に調べてみたら先遣隊の一部の人がカラセオスさんとルイニエナさんの双方の手紙を握り潰してて、カラセオスさんが送って来た物資もネコババしてたのが分かったのよ」
ルイニエナ嬢の命が狙われたのは、彼女が生きていると、いずれカラセオスと連絡が付いた時に様々な不正行為が明るみに出てしまう。それを恐れたものと考えられた。
ちなみに、一連の情報は既に『縁合』経由でカラセオスに伝えている。
「ばかな事を……確実にジッテ家を敵に回す行為じゃないか」
まさかそんな事態になっていたとはと呆れたように呟いたツェルオは、頭を振って自嘲する。
「いや、私の監督不行き届きか。色々と裏目に出てしまった」
随行救護隊を先遣隊に同行させたのは、急な拠点制圧任務で負傷者も出る筈なので、救護隊にも活躍の場面が与えられる。
それによって師団内での立場も少しはマシになると考えたからだ。
「そういうのって、先遣隊のエライ人には伝えてなかったの?」
「いや、彼は立場というか思想が少しな……」
ツェルオによると、先遣隊の総司令官は元々第一師団入りを希望していたヴァイルガリンの信望者だという。
先遣隊の総司令官には、熟練兵を集めた精鋭歩兵部隊の『突剣隊』や、機動力と突破力に優れる『騎獣隊』。
範囲殲滅魔法・過縮爆裂魔弾を扱える『紅魔隊』など、優秀な部隊が配下に揃っていた。
彼等は大きな手柄を上げて第三師団から独立し、第六師団の立ち上げを認められて名を上げ、ゆくゆくは第一師団に精鋭部隊の指揮官として迎えられる、という計画を立てていたらしい。
「先遣隊の総司令官が率先してやらせていたとは思いたくないが……カラセオス殿に詫びを入れねばならんだろうな、これは」
「じゃあ、その時は付き添ってあげるね」
呼葉はそう言って、ツェルオ達を義勇兵として受け入れる事を表明した。
「よろしいのですか?」
「大丈夫。この人は信用出来るから」
アレクトールとザナムが、そんなに簡単に信用して良いものかと危惧するも、呼葉は問題無いと断言する。
呼葉は聖女の祝福を与えた相手の存在を何となく感知できるので、祝福が掛かればそれを把握できる。祝福の『付与条件』に偽りは通用しない。
魔族派の燻り出しや、味方の選定にも利用した祝福の使い方なら、特定の思想を暴き出せる。嘘も本音も看破できるので、信じる信じないの問答は必要ないのだ。
この会話の最中、ツェルオには微量の祝福を条件を変えながら何度も送っていた。結果、彼の言葉と心情に偽りはない事が証明された。
彼の部下達も同じ方法で選別すれば、互いに裏切られる心配を限りなくゼロにした、信頼出来る強固な部隊を立ち上げられる。
こうして、元魔族軍第三師団長の率いる魔族の義勇兵が、聖女部隊に加わる事となった。




