エピローグ1
異世界に聖女として喚ばれたものの、いきなり人類が滅びかけている詰んだ状態からその世界の過去に遡って救済に動くなど、紆余曲折を経て使命を果たし、現代世界に還って来た呼葉。
ファンタジーな異世界で結構殺伐とした救世主生活を半年以上も送って来たが、召還魔法で還って来た時間軸は召喚された直ぐ後くらいなので、こちらの世界では十秒も経っていない。
それはそれで、自宅で一年近く行方不明などという事態にならなくて良かったと思えた呼葉は、暫く絨毯の上に伸びていたが気持ちの整理もついたので身体を起こす。
慣れ親しんでいた筈の自宅のリビングに、他所の家に来たかのような違和感など覚える。
ボンヤリ天井を眺め、壁を眺め、襖を見て懐かしく思い、騒がしいテレビに目を向けて内容が入って来ない事に何となく笑みがこぼれた。
少しずつ元の生活へ、現代世界に生きるごく普通の女子高生という、本来の自分に戻って行くような感覚。
そんな普通の自分を意識しながら、ワイワイと賑やかなテレビの画面に注意を向けると、今度は番組の内容が理解できた。
何やら芸能人達の大運動会みたいな生放送のお祭り企画。人気アイドルグループの若者達が、あざとい体操服姿で色々な種目を競い合う。
今は障害物競走をやっているようだった。
引き締まった躰に長い手足を惜しみなく駆使して障害を乗り越え、ラストスパートに入った長身アイドル選手の「俺って格好いいだろう?」アピールに、悲鳴のような黄色い声援が飛んでいる。
他の選手もそれに続き、アナウンサーの実況が白熱する盛り上がりの場面。そんなワンシーンの中で、一人皆から遅れている小柄なアイドル選手が映る。
可愛い系や癒し系の枠に入るのであろうその小柄な選手は、呼葉の記憶に辛うじて残っていた、推しだったような気がする男の子アイドルだった。
本命の俺様アイドルや熱血アイドル、爽やかアイドルに紳士アイドル達が上位でバチバチにやり合っている後ろから、「うわーん」と追い掛けて行くほのぼの子犬ポジション的な役割を感じさせる。
「……祝福を」
何となく、呼葉は推しだったかもしれないその小柄なアイドルに、聖女の祝福を与えるイメージを浮かべた。
次の瞬間、会場にわっと歓声が巻き起こる。遅れていたショタっ子アイドルが信じられないような猛ダッシュを見せて先頭グループに追い付き、追い越してしまったのだ。
抜き去った本人が「え? え?」みたいな戸惑った様子で何度も後ろを振り返っているが、トップ争いをしていた先輩アイドル達は誰も追いつけない。
(あ、これまずいわ)
呼葉が咄嗟に祝福を取り消すと、ショタっ子アイドルは足をもつれさせてコケた。急に身体能力が元に戻ったせいで、それまでの勢いに身体が付いていけなかったようだ。
存外ダメージも大きそうで、突っ伏したまま動かない。非常に申し訳ない気分になる呼葉。
その間に追い付いて来た先輩アイドル達が抜き去るが、熱血アイドルと爽やかアイドルが倒れているショタっ子アイドルに手を貸した。
紳士アイドルも彼等の傍に寄ってショタっ子アイドルに怪我が無いか診ている。
そんなライバル達の様子を見た俺様アイドルが数歩先で足を止めると、「しょーがねーなぁ」といった雰囲気で頭を掻き掻き面倒くさそうに歩み寄る。
――というアドリブらしい寸劇が披露され、実況が良いシーンだぞとばかりに煽り立て、ファンの女性達は絶叫染みた悲鳴で尊いと讃えた。
ある意味、阿鼻叫喚となっている狂乱のテレビ画面から目を離した呼葉は、じっと自分の手を見つめて、おもむろに呟く。
「能力は持ち越しって……こんな祝福の力、どうしよう?」
狙った対象の能力を数倍にまで強化できる聖女の祝福は、人が関わる物事全般に干渉できる。使い方次第では大国の経済にも大影響を与えられるだろう。
(車とか運転してる人を祝福したら車も強化されるのかな……? 馬車が強化されてたからされるんだろうなぁ)
現代世界で迂闊に使えば、想像以上の事態が引き起こされるのは必至。
例えばオリンピックのような国際大会の中継など視聴中に、うっかり『がんばれ日本』で全国民を丸ごと超人化したりすると大変な事になりそうだ。
「うん、気を付けよう」
それしかない。と、呼葉は未だ狂乱が続くテレビの様子を横目に溜め息を吐いたのだった。
人間は環境に適応する能力に秀でた生き物らしい、と呼葉は思う。
異世界から帰還した日は夜遅くまで寝就けず、落ち着かなかった現世界の近代的な居住空間も、翌日学校に通う時間を迎える頃にはすっかり『快適な我が家の生活空間』として馴染んでいた。
微量の祝福を自身に使っているので、寝不足にも関わらず朝からすこぶる体調が良い。
妙に機嫌が良さげに見える呼葉に、家族からは「何か良いことあった?」と訝しがられたりしたが、「別に何もないよ」と誤魔化した。
聖女の祝福などという超常的な力をその身に宿す、異世界帰りの女子高生。
そんな、少し変わった経歴を持ちながらも平凡な日常を過ごしていた呼葉だったが、非日常の方から歩み寄って来た。
「琴乃羽 呼葉さん?」
「はい?」
ある日の帰り道、呼葉は知らない女性から声を掛けられた。
「初めまして、あたしは都築 朔耶。貴女が今使っているその力について、少しお話しを聞きたいんだけど、時間あるかな?」
「え……?」
突然そんな事を言われて心臓が跳ねる呼葉。別に悪い事をしている訳ではないのだが、いつもこっそり祝福を使うのに何となく後ろめたい気持ちを抱いていたのも確かだ。
「ええっと……お姉さんは、こういうの分かる人なんですか?」
何かそういう特殊な人を管理する組織や団体でもあるのだろうかと問う呼葉に、都築と名乗った女性は意外な答えを告げる。
「そうね、組織や団体ってほど形にしたものじゃないけど、ちょっと変わった力を持つ人を支援したり観察したりする仕組みを作ってる最中かな。あたしも異世界に喚ばれた口だから」
「ええっ!?」
なんと、自分と同じような異世界帰りの経験を持つ人であるという。
思わぬ『先輩』からの接触に、呼葉は少々宙ぶらりん状態だった特殊な力を持って生活していく事への心構えや、世間との関わり方について学ぶ機会を得られたと、安堵する気持ちになった。
(あ、でも一応……)
念の為、微量の条件付き祝福を送って相手に何かしら悪意が含まれていないか確かめる。
「へぇ~、そうやって信頼できる人かどうかを見定めてるのね~」
「っ……!!」
祝福による選定があっさり気付かれた事で緊張する呼葉だったが、都築氏は気を悪くした様子も無く、「慎重なのは大事よね~」と、うんうん頷いていた。




