【前編】 異世界から魔王様が来たけれど、特に何も起こらない。
私の暮らす村は、『ザ・ド田舎』である。
小学校は全校生徒が六人だった。私が二年生になると、六年生だった兄が卒業し、五人になった。
三年生になったら、二人卒業し、一人入学し、四人。
四年生は変わらず。
五年生で一人増え五人。
六年生の時にはまた四人になり、私が卒業し、廃校となった。
残った三人は、隣の市の小学校へと編入された。
中学、高校は村にはないので、隣の市へと高橋のおじさんが運転してくれるマイクロバスで通った。公共の交通機関などない。
バスもない。電車なんて勿論ない。
スマホの電波が入るのが奇跡のような気すらする。
インフラ整備を頑張ってくれた通信会社さん、ありがとう。
お礼と言っては何ですが、格安プランではなく通常プランでの契約をお願いします。
限界集落な上、人口も極端に少ない事から、平成の大合併でもどこにも併合されなかった悲しい村だ。……併合してしまったら、インフラ整備などで結構な資金が必要になる事もネックだったと思われる。
夏は腹が立つほど蒸し暑く、冬になると背丈ほどの雪が積もる。
何故か、降雪量の多い地域は、夏は涼しいのでは……と勘違いしている人が少なくない。
大間違いだからな!
夏はフツーに暑いんだよ! しかも盆地だから、雪の降らない平地より暑いんだよ! 県内の最高積雪の記録も、最高気温の記録も持ってるぜ!
……そんな、とても暮らし辛い『ザ・ド田舎』だ。
ただでさえ少ない若者は、やはりこの『何もなさすぎる』村を嫌い、街へ出て行く。
しかし皆、東京は大都会過ぎて怖いのか、近隣の都市に居たりするのが面白い。
かくいう私も、大学時分は県内一の大都市(県庁所在地)で、都会気分を満喫した。
イ〇ンモールでお買い物とかしちゃうもんね! ユ〇クロの服とか買っちゃったりして!
……ネットで見ると、私の休日の過ごし方が、典型的な『田舎者の休日』だった。が、比較論的に県庁所在地は大都会だ。歩いて行ける距離にコンビニがあるのだから、田舎の訳がない。
バスも電車もある。スマホの電波が入らない場所なんて存在しない。
外山さんちの畑、電波入らないんだよね……。何でピンポイントであそこだけ入らないんだろ?
大学を卒業し、村には就職口がないので、そのまま大都会・県庁所在地に就職し一人暮らしをしていた。
実家には兄が居る。
兄は村の役場に勤めている。
地域の見回りを兼ねて、新聞配達もしている。というか、新聞屋さんが配達してくれないから、兄が代わりにやっているのだ。
まあ、新聞を取っている家も、先日荒井のお爺ちゃんが亡くなって、とうとう五件に減ってしまった。たった五件の配達の為に、山を越えて新聞を運ぶのも面倒だろう。それは分かる。
昨年、祖母が亡くなり、実家に兄一人きりになってしまった。
兄は兄で古くて広い家で一人暮らしを満喫しているようだが、何となく「このままではいけない」と思い、実家へ帰る事にした。
幸いというべきか、リモートワークが推奨される時勢となり、仕事を辞めずとも、リモートで大丈夫という判断を会社からいただけた。
スマホの電波も入るし、ネットだってちゃんと繋がるんだぜ! サンキュー、電話会社! あなたたちが引いてくれた光回線のおかげで、めっちゃ快適にリモートワーク出来てますよ!
兄も「職場のパソコンが無駄に早い」とご満悦だし。
ていうか、総人口百人ちょっとの村で、クロック4.8Gとかマジで無駄じゃね? あと何で、めっちゃいいグラボ積んでんの? メモリも32Gとか、何するつもりなの? もしかして、マイニングとかしてんの?
デスクトップに堂々とゲームのショートカットアイコン貼り付けてあるけど、ちゃんと仕事してんの?
事務パソコンに4Kモニタとか、頭湧いてんのかと思ったら、マジで頭湧いてた。
こないだ見たら、キーボードが光ってた。マウスも光ってた。ついでに、最近三十歳になったばかりの兄の額も光り始めた。
仕事しろや、ゲーミング事務員!
実家に帰ったら、そんなゲーミング事務員な兄タカヤに「え? マジで帰って来たの?」と真顔で言われた。
ていうか、部屋、きったねぇな! そうだろうとは思ってたけども!
ばーちゃん居なくなってから、まだ一年経ってないじゃん! ゴミ、溜めすぎなんだよ!
全然片付いてんじゃん、と動かない兄のケツを叩いて、家中の大掃除をした。というか、させた。
掃除中、廊下の隅でアシダカ軍曹と鉢合わせた緊張感たるや。軍曹がいらっしゃるという事は、黒く光る虫が居るという事に他ならない。
家中、徹底して磨き上げ、ブラッ〇キャップを至る場所に設置した。
……が、まだ軍曹は家の中を哨戒任務にあたっている。そろそろお引き取り願えませんか、軍曹……。まだアイツは家に潜伏してるのですか……。そうですか……。
ゲーミング事務員・兄タカヤであるが、意外な事に勉強や仕事は出来る。
大学卒業後、実は大手企業から内定を貰っていた。が、家に一人きりとなる祖母を心配し、家に残る事を決めたのだ。
大手の内定を蹴ったついでに、当時の彼女に振られた。
この限界集落在住の彼氏は、大手勤務という肩書がなければ価値がなかったらしい。
見る目ねぇ女と付き合ってんじゃねぇよ、タカヤ。
まあ、顔フツウ、中肉中背、ゲームオタク、マンガオタクと付き合うには、彼女はちょっと派手だったしね。
因みに私にも彼氏は居ない。
モテない訳ではない。ただ、いいなと思う相手が居ないだけだ。
決してモテない訳ではない。
大事な事なので、もう一回言っておこう。
決してモテない訳ではない。
家に祖母が一人で、では私たちの両親はというと、別に死んだりはしていない。
私の記憶にもない大昔、母が間男と出て行ったのだそうだ。
田舎過ぎて耐えられなかったらしい。
父は「結婚前からずっと『マジでド田舎だけど、いいのか?』って言ってたんだけどなぁ」と、どこか呆れたように言っていた。
男と出て行った母は、当然のように私と兄を置いて行った。
そして当然のように、養育費などは一切払っていない。父もそこは全く気にしていない。あいつに払える筈がないから、と言っていたが。母は一体、どういう人物だったのか……。
そんな父は会社員だったのだが、一日に片道二時間かけて職場へ通う生活に疲れ、「すげぇ割のイイ仕事みつけた!」と遠洋漁船の乗組員になってしまった。
確かに割はいいけど、父よ……。
振り幅が大きすぎて、娘としてはポカーンだよ……。
現在、父は二年に一度くらい家に帰ってくる。すっかり居なくて当然だ。
仕送りは、家の口座に三か月に一度ある。しかもかなりな大金だ。
陸地が近ければ電話はつながるので、こんなに家に振り込んで、お父さんの生活は大丈夫なのかと訊ねたら、会社勤めの頃とは大違いの溌剌とした声が返って来た。
「大丈夫、大丈夫! 俺、持ってるとあるだけ全部使っちまうから! だからそっちで管理しといて!」
……宵越しの金を持たない江戸っ子かよ。
しかし、父のおかげで、高校も大学も学費の心配などを全くせずに済んだ。
インド洋のクロマグロには足を向けて寝られない。大間と三崎には足向けとこうかな。いや、マグロには罪はないな。産地がどこであろうが、マグロは美味い。それが真実だ。
* * *
実家でリモートワーク生活を初め、三か月経った。
予想通りで、兄は祖母が亡くなって以来、『幸せインスタント生活』(本人談)を送っていた。
兄は仕事は出来るが、生活能力がない。
掃除が出来ない。洗濯は洗濯機がやってくれるが、シャツが皺だらけでも気にしない。タオル系は週に一度洗えばいい方。料理はそもそもやる気もない。
そんな兄の『幸せインスタント生活』とは、ネット通販で様々な料理やインスタント食品を大量に購入し、それを食べる生活である。
台所の隅にある山積みのカップ麺の段ボールに、「コンビニのバックヤードかな?」と思ったものだ。
しかも絶対に不味いであろう色物系が多い。
兄はアホに違いない。……いや、知ってたけど。
どうせ買うなら、定番商品を買ってくれ。色物の箱買いは勘弁してくれ。
何故買う前から不味いと分かるチョコ味の焼きそばを箱で買うのか。「ソースと麺で、別々で使いでがあるかもしれない」と言っていたが、チョコ味の焼きそばソースに使い道など存在しない。
七月に入り、梅雨真っ只中なある日。
我が家で唯一エアコンのある居間で仕事をしていると、昼下がりというのに兄が帰って来た。
仕事はどうした、ゲーミング事務員。
それともなんか忘れ物でもしたのか?
「フミカ! ヤベーよ! マジ、ヤベェ!」
会話を『ヤバい』だけで済ますな。ヤバいのはお前の語彙だ。
「タカヤ、うるさい! どたどた歩かないで!」
玄関からばたばたと賑やかな足音を響かせ歩いて来る兄に言うと、兄は居間のふすまをスターン!と勢いよく開けた。
「いちいち、行動がやかましい!」
「いや、それどころじゃねぇから! マジヤベーから!」
「『ヤバい』だけで会話しようとするな! ちゃんと日本語喋れ!」
「ハワユー!」
「ファイン、センキュー! ……で、何がヤバいって……」
言いかけて、言葉を飲んでしまった。
タカヤの隣に、男性がひょこっと現れたからだ。
タカヤより頭一つくらい背が高い。古い日本家屋の我が家の鴨居に、頭をぶつけそうな勢いだ。
長身痩躯な男性で、肌が驚くほど白い。青白い、とでも言おうか。
彫りの深い顔立ちは、どう見ても日本人ではない。目も紫色なのだが、カラコンだろうか。紫の虹彩はアルビノにしか出ない筈だ。
そして、髪が青みがかった銀色という、なかなか見ない色をしている。その珍しい色の髪は、背中の中ほどまであるサラサラストレートだ。
「……観光客?」
「多分、違う」
タカヤに真剣な表情で否定された。
当然、村の住人ではない。
百人に満たない村民は、全員が顔見知りだ。
こんな人物は村には居ない。
私服ですか?と問いたくなる、ずるずるとした衣服を着ている。アレだ、アレ。ローブという代物。
まるでピアノのカバーのような、光沢のある黒いズルズルだ。
……外国のコスプレイヤーの人? 観光客より謎だな、そんな人種。ウチの村に用事なんてなかろうに。
そして何より、街中ですれ違ったなら二度見してしまいそうな程に顔が良い。
異国の方の顔の見分けは余り自信がないのだが、彼を誰かと間違う事はまずないだろうというレベルで、抜群に顔が良い。少女漫画的な整ったお顔だ。
「ていうかその人、どうしたの? ウチの村になんか用事でもあんの?」
「俺がさ、木村のじーさんちに行こうと思って、歩いてたんだよ!」
知らんけど、そーかね。
「したらさ、この人がいきなり俺の目の前に現れたんだよ! いきなり! 唐突に! フッと!」
……さっきまで『ヤバい』しか言わなかったのに、今度は各種表現を織り込んできたな。
「ていうか、『いきなり現れた』って、なに?」
曲がり角を曲がったら、気になるあの子とぶつかっちゃった☆ みたいな感じ?
ところが、そんなものではなかったらしい。
「いきなりはいきなりだろ! 目の前のなーんもねえとこに、急に出てきたんだよ! テレポートしてきたとか、そんな感じで!」
「……は? タカヤ、大丈夫? 何言ってんの?」
「な、何を言っているのかわからねーと思うが……」
「いや、ポル〇レフとかいいから。ネタいらんから」
「つっても、マジなんだよー! んで、どーしていいか分かんなかったから、取り敢えずウチ連れてきた!」
……うん。さっぱり分からん。
良く分からないながらも、客は客なので、お茶の支度をする。
お菓子、何かあったっけなー?
台所のお菓子の入っている棚を覗くと、チョコチップクッキーとポテチがあった。両方とも、太字の油性ペンで『タカヤ』と名前が書いてある。
が、見なかった事にしよう。そうしよう。何なら、除光液で名前消してやろう。
ポテチを深皿にあけ、お茶を淹れた湯呑と共に居間へ運んだ。
「それ、俺んじゃね!?」
うるせえ。お客様ファーストだ。
ポテチ一袋でガタガタ抜かすな。小せえ男だな。
謎の客は、座布団の上に片膝を立てて座っている。行儀がよろしくないが、異国の方に正座をしろと言うのは無体だろう。
彼は物珍しそうに、周囲をきょろきょろと見回して居る。
「お茶、どうぞ」
男性の正面にお茶を置いてみたが、男性は不思議そうに首を傾げるのみだ。
言葉、通じてない可能性あるな……。
さて、これからどうしたものか……。
タカヤはさっきまでの慌てぶりは何処へやら、呑気に茶をすすっている。……というか、木村のじーちゃんちに用事あったんじゃねぇの? 行って来いよ、事務員。
取り敢えず、何か言った方がいいのだろうか。
そんな事を考えていると、男性が口を開いた。
「縺薙%縺ッ菴募?縺?繧阪≧縺具シ」
……は!?
何か言ったけど、何言ったのかさっぱり分かんないし、何語かも分かんなかったぞ!?
「……タカヤ、今の聞き取れた?」
「さっぱり。てか、何語だ?」
「全然分かんなかった……。すんごい聞き馴染みのない音だったけど……」
そんな事を言い合う私たちを見て、男性が軽く首を傾げた。
「縺昴≧縺九?ゅ%縺ョ縺セ縺セ縺ァ縺ッ騾壹§縺ェ縺?°……」
「なんかスゲー、文字化けしてる気配……」
「なんの気配だ」
タカヤの発言は、時々というか大半が良く分からない。
「……これで、私の言葉が分かるだろうか?」
聞き取れた!
ていうか、日本語だった!
私の隣ではタカヤが「シャベッタァァァ!!」と叫んでいるが、無視しておこう。
「言葉、お分かりになるんですか……?」
「おおよそのニュアンスは理解出来ていると思う。理解に齟齬があるのだとしたら、そこは会話で埋めるしかなかろうよ」
「そうですか……」
ていうか、何だろうか、この大仰な言葉遣いは……。
なりきり系コスプレイヤー?
「……で、えーと、あの……、どちら様でしょうか?」
タカヤが茶を飲むだけで進行をしてくれないので、仕方なしに質問してみる。
「その前に、ここは何処だろうか?」
何処、と問われても……。
「えーと、〇×県〇×郡〇〇村です」
答えてみたが、男性はどうも首を傾げている。
自分でここまで来たんじゃないの? そんな不思議そうな顔をされても困るんだけど。
「この国の名は?」
「日本です」
え? いや、ちょっと待て。
普通に入国してきたなら、国名を知らないは無理がある。
ていうか、タカヤが変な事言ってたよな……。
『いきなり目の前に現れた』とか何とか……。
「ところでお兄さん、お名前は? 俺は野田隆也ね。こっちは妹の文香」
ポテチをバリバリと貪りつつの自己紹介に、男性は一度軽く頷いた。
「私の名は恐らくだが、あなた方には聞き取れない。先ほどの私の言葉と同じ言語だ。名乗ったところで聞き取れぬのでは意味がない」
「あー……。アレ、何語?」
タカヤ、フレンドリーだな……。じーさんばーさんに囲まれて育ったおかげで、タカヤはちょっとコミュ力が化け物並だ。
「それも聞き取れなかろう」
「おぅふ……。仰る通りで……」
別におどけている訳ではないのだが、タカヤは喋りがコミカルだ。
その口調に、男性も表情が柔らかくなってきている。
コミカルなのは構わないが、突然何の脈絡もなく「フォカヌポウ」とか声に出すのはやめて欲しい。確かに、ちょっと声に出して読んでみたい日本語である事は認めるけれど、本当に声に出す奴があるかと思う。
「んじゃ、俺らに分かるように言うとするなら、どちら様?」
バリバリとポテチを食べつつ尋ねたタカヤに、男性は僅かに考えるような仕草をした。
ややして伏せていた視線を上げると、タカヤと私を交互に見た。
「恐らくなのだが、私はこの世界の者ではない」
……ん?
タカヤもきょとんとしている。
「私はある一族を統治する者なのだが、そこへ侵略者がやって来てな。……日頃、諍いなどもない、平和な土地であったのが災いした。その連中の潜入を易々と許してしまった」
悔し気な口調で言うが、一体何を言っているのだろうか、この人は……。
ていうか、すっげー気になってる事があるんだけど……。
「侵略者は、私を『魔の王』と呼び、私が人々の平穏を侵す者と断じてきた」
お父さん! お父さん! 魔王が居るよ!
……あんまり怖くないけど。
「その連中に、『次元の狭間へ落ちろ』と、何らかの術をかけられ、今ここにこうして居るという訳だ」
男性の言葉が終わるやいなや、タカヤが叫んだ。
「リップシンクがおかしい!! クッソ気になる!」
「それ!!」
思わず同意した私に、タカヤが深く頷いた。
さっきからずっと気になっていた。
男性の口の動きと、発せられる言葉が全く一致していないのだ。
まるで洋画を吹き替えで観ているような、あの現象だ。
吹き替えはそれでも、出来るだけ演者の口の動きと台詞を合わせている。けれど目の前の男性は、明らかに口と言葉が合っていない。
因みに『リップシンク』とは、『台詞に口の動きを同調させる』という、アニメやゲームなどの表現技法だ。
アニメやゲームのリップシンクに異常に煩い人々がいるが、私はそれらは特に気にしない性質だ。が、現実で目の前でそれをやられると、こうも気になるのか……。
いっ〇く堂の芸を見ている気分だ……。
「えーと、魔王様」
『魔王様』と呼びかけたタカヤに、男性が僅かに嫌そうな顔をした。
「その呼び名は何だ?」
「いや、名前分かんないんで。魔王様、言葉と口の動きが合ってないんだけど、何で?」
「ああ、それか。……私の言葉は聞き取れないのだろう?」
「うん、全く」
ていうか、何語かも分かんないしね。
「私が口から出している言語は、先ほど話していたものと同じなのだが、そこに『意味』を『念』として乗せているのだ。なのであなた達には、あなた達に理解できるような言語として聞こえている。そういう事だ」
……どういう事だ???
さっぱり、まったく、ビタイチ理解できない。
理解できないが……。
「分からんが、とにかくヨシ!!」
「ヨシ!!」
タカヤと互いを指さし合い、頷き合う。
だって、全然分かんないし。理解できる気もしないし。
意思の疎通が出来ているのだ(多分)。それで良しとしようではないか!
そう。考えるんじゃない。感じるんだ!
「ていうか、この世界って『次元の狭間』だったんか……」
ぼそっとタカヤが呟いた。
確かに、先ほど魔王様がそんな事を言っていたけれど……。
「てことは、どっかにネオエ〇スデスが居るって事か!」
絶対違う!
「宝箱からしんりゅうが!」
だから、違う! あとどうせ『しんりゅう』なんだったら、神龍と書いて『シェンロン』て読む方がいい!
「ていうか、魔王様は世界を滅ぼしたり、『愚かな人類に裁きの鉄槌を』とか言って人間を滅ぼしたりとかすんの?」
「しないが?」
魔王様は少しきょとんとしている。
「そもそも、私は別に『魔王』などではない。我が一族は多少普通の人間と異なる性質を持つが、ただそれだけだ。それに、世界を滅ぼしたりしたら、我らは何処で暮らせばよいのだ?」
「御尤もです」
思わず頷いてしまった。
「そしてわたしも消えよう。永遠に!!」
うるせえ、エク〇デス! 黙っとけ!
「『多少普通と違う』って、具体的にどういう感じ?」
訊ねたタカヤに、魔王様は軽く首を傾げた。
「私の居た世界では、『人間』というものは、百年足らずの寿命しかない。……こちらはどうなのだろうか?」
「同じ同じ。百年生きればご長寿だね」
タカヤの言葉に、魔王様は納得したように頷く。
「我が一族は、平均して四百年程度の寿命がある」
「長生き!」
「そして、人間とは違い、個々が様々な特殊能力を持っている。たとえば、大岩を拳で砕く者も居れば、触れた物を凍らせる者も居る。発火能力を持つ者も居る」
私とタカヤは、魔王様の話を「ほへぇ~……」と呆けつつ聞いている。
ていうか、そういうリアクションになるって。日常に唐突にファンタジー要素ぶっこまれたら。
魔王様の話はどこまで本当なのかも分からないが、嘘を言っている雰囲気ではない。何より、口の動きと声が合っていないという不思議を、目の前で見せられているのだ。
ほへぇ~、以外に感想がない。
「そういったちょっとした特殊能力を持つだけの一族だ。別に、世界の敵になろうなどと、たいそれた野望などない」
「……で、そこにある日、侵略者がやって来た……と」
「そうだ。奴らは『勇者』とやらを旗頭に、我らに宣戦布告をしてきた」
「『勇者』」
ほへぇ~となりながら繰り返したタカヤに、魔王様が頷いた。
「そう言っていた。……が、『勇者』とは何だ?」
「何だ、とは? 勇者は勇者なんじゃないですか?」
私の中では『勇者』というのは、RPGにおける『職業』だ。……よくよく考えてみると、『勇者という職業』というのも何かおかしい気がするが。
しかし神殿で転職できる世界の話だ。深く考えた方が負けだ。
魔王様は不思議そうに、僅かに首を傾げている。
「そもそも、『勇者』だとか『英雄』だとかの称号は、その者が為した行いに対して贈られるものなのではないか? 私は勇者を自称するその男を、初めて目にしたし、名も初めて聞いた。彼は果たして、『勇者』と称されるに相応しい行いを、何か為した者なのだろうか?」
確かに……。
ファンタジー世界ではなく、この世界にも『聖人』や『聖女』や『英雄』は居る。『聖人』たちは、死後ローマ教皇から列聖を受けた人たちだ。『英雄』も、彼らの国の歴史で偉業を為した人々だ。
『強大な力を持つ』がイコールで『聖女』や『勇者』ではない。
その常識が、彼らの世界でも常識なのだとしたら、疑問を持つのは当然だ。
「その『勇者一行』が、我が国へ観光へ来たと言って入り込んだのだ。真実、ただの観光客であったなら、こちらは何も手は出せん。……が、案の定だ。外交問題になってはまずいと、警戒を最低限に抑えたのが裏目に出た」
「あらー……。相手が無法者だったねぇー……」
苦笑したタカヤに、魔王様も苦笑しつつ小さく息を吐いた。
「ああ。端から疑ってかかるというのは、どうにも性に合わんのでな。……甘いと言われた事も何度もあったが、……自業自得と言うのかな」
何だろう……。
この魔王様、めっちゃ『イイ人』の気配がぎゅんぎゅんする。
恐らく、タカヤもそう思っているのだろう。
魔王様にしきりに茶とポテチを勧めている。
「……で、魔王様は、これからどーすんの? 帰る方法でも探す?」
「帰る方法……と言われても、さっぱり見当もつかん。このように『全く別の世界』に飛ばす術など、初めて見た」
「その『術』とやらは、勇者が使ったんですか?」
「いや。勇者と共に居た術師だな。勇者は一言も口を利いていないのではないかな?」
なんだ、その勇者……。
「この世界に、私の居た世界へと戻れる方法などはあるだろうか?」
魔王様に問われ、タカヤと二人で顔を見合わせてしまう。
異世界へ行く方法……。ある訳がない。
「一番可能性あんのは、トラックじゃね?」
「轢かれろってか!?」
正気か、タカヤ!! ていうか、フツーに死ぬだろ、それ!
「二番目に可能性高いのは、ブラック企業勤務で過労死」
「だから、死ぬから! 死んでるから!」
あとそれ、『異世界へ行く』方法じゃなくて、『異世界へ転生する』方法だから!
「何か方法があるのだろうか?」
ほら見ろー! 魔王様が食いついて来ちゃったじゃんか! これで魔王様がマジでトラックの前に飛び出したりしたら、寝覚めが悪いどころの話じゃないからなー!
「いや。もしかしたらあるのかもしれないけど、俺らには分かんないや。申し訳ない」
苦笑して頭を下げたタカヤに、魔王様も苦笑した。
「いや、あなたが謝る事ではない。こちらこそ、困らせてしまうような事を言い、申し訳なかった」
「あー、いやいや! 帰れるなら帰りたいって、当然の発想だから! 魔王様、悪い事ないから!」
互いに頭を下げあう二人を見て思った。
魔王様、フツーに日本でやってけんじゃね? と。
話し方こそ大仰ではあるが、この腰の低さや滲み出る『イイ人』オーラ。
なんかフツーに馴染めるんじゃね?
「とりあえず、暫くウチで預かるってのでどう?」
言うと、タカヤが頷いた。
「だなー。魔王様、一応訊くけど、お金持ってる?」
「いや。床に就こうとしたところを襲われたので、持ち合わせは何もないな」
「それ、パジャマ!?」
思わず、魔王様を指さしてしまった。その指を、タカヤがグッと掴んでおかしな方向に捻じ曲げて来る。
「痛い痛い痛い……!」
「人指さすなって、ばーちゃんに言われたろ!」
「ゴメン、ゴメン! つい、思わず、咄嗟に!」
「咄嗟の仕草に品性は出る!」
「タカヤの癖に、言う事マトモ!」
「いや、寝る時はこれは脱ぐのだが……」
魔王様はズルズルとした黒いローブを見て、小さく息を吐いた。
「この下には何も着ていないので、今脱ぐ訳にはいかんのだ……」
まさかの変質者仕様!!
「イケメン無罪!」
「イケメンだろうが、ブサメンだろうが、猥褻物陳列罪には変わりはないわ!」
「イケメンの全裸とか、絶対売れるって!」
「どこに売る気だよ!」
タカヤとそんな下らない言い合いをしていたのだが、魔王様の小さな声に我に返った。
「私は……、売られてしまうのだろうか……」
ピュア!!
魔王様、ちょっと怯えてらっしゃる!! イケメンなのに小動物っぽいとか、何それ!
タカヤの魔王様を見る目が、綺麗なものを見る目になってる!!
「フミカ、俺とお前で、生活費折半な」
「家事なんかは全般引き受けるから、村の人たちへの根回しその他お願いね」
「おう!!」
がしっと互いの腕を組み合わせ、タカヤと合意をはかる。
放っておけない。
このピュアピュア・イケメン魔王様は放っておけない。
無一文で全裸のピュアなイケメンを放り出したら、その後、どんな悲惨な運命が待ち受けている事か!
下手したら、トラックに轢かれるより悲惨な事になりかねない。
幸い我が家は、趣味に生きる独身男性と、浪費に興味のない独身女性の二人暮らしだ。そこに更に、父親からの仕送りという不労所得もある。
金銭的には窮していないどころか、むしろ貯蓄万歳だ。
魔王様の一人くらい、余裕で養える。
タカヤが魔王様に向き直り、にこっと笑った。……タカヤの笑顔、胡散臭いんだよ……。
「魔王様、とりあえずさ、ウチに居候しときなよ。せめて、この世界の常識やら何やらを理解できるまででもさ」
「それは……有難いのだが……。いいのだろうか……」
「いいって、いいって! 『困ったときはお互い様』って言葉があんだよ、この国には! 俺が魔王様拾ったのも、何かの縁って事でさ!」
「置いてくれるのなら、助かるが……」
魔王様は、ちらちらと私の方を見ている。
「いきなり、素性の怪しい男が転がり込むのは、不安ではないか……? いや! 私は決して、不埒な事などはしないと誓えるのだが!」
魔王様……!!
困ってるとこに手を差し伸べられて、渡りに船とホイホイ乗っからず、こちらの心情を慮ってくださるなんて……!!
「ヤベェ、惚れそう……」
お前が惚れんな、タカヤ!!
「大丈夫だよ、魔王様! フミカ、どうせモテねぇし! 手ぇ出したとしても、無問題!」
お前が言うな!!
あと別に、モテない訳じゃない!!
それと、流石に手ぇ出されたら問題あるわ!!
「お気遣いは無用です。さっきタカヤが言った通り、困った時はお互い様です。魔王様をこのまま放りだしたら、寝覚めが悪いどころの話じゃないんで」
タカヤを一発ぶん殴って言うと、魔王様は少し苦笑するように笑った。
「そうか……。では、申し訳ないが、暫くの間世話になっても構わないだろうか……」
「ウェルカム!」
「どうぞ、遠慮はいりませんので」
申し訳なさそうに笑う魔王様と私たち兄妹で、がっしりと固い握手を交わし合い、私たちは共同生活を送る事になったのだった。