第9話 想像と暴走
まいったな、これは痛い。それに強い、この人。全力で戦わないと倒せない。
セレンは口元の血を拭うと、治癒と思案をしながら、ゆっくりと起き上がった。
じーちゃん、初戦から左目のチカラを使わないと、勝てそうにないよ。
じーちゃんの言ってた通り、世界には強い人がたくさんいるんだね。
―――セレンは左目に命令した。
セレンの体が裏返る。
―――この世界で人が動物が生命体が、別の何に変化することを【裏返り】と呼ぶ。
セレンの両腕の肘から先と、両脚の膝から下が、人肌から黒くて硬い鉱物に変化した。
「アイツの体が……一体何をした?」
気を取り直したセレンは、再び息を吹き返し攻撃にでた。
裏返った腕で、脚で、殴打と蹴りをコシックに連続で浴びせる。
セレンは攻撃しながら、ハフスとの訓練を思い出していた。
「いいかセレン、お前の左目は裏返りさせることができる。つまり、生命体を別の何かに変化させることができる。だが今は、そのチカラを自分以外の生命体に対して、絶対使っちゃーならねー。なぜなら、今のおまえには、それを元に戻すチカラはねーからだ。節度を遵守した上で、自分自身に使うのは構わねー、元に戻せるからな」
セレンの攻撃が少なからず、コシックに届きつつあった。
それまで涼しげな表情だったコシックが、少しずつだがその表情に歪みをみせた。
うんうん、効いてる効いてる。このまま押し切る。
だがコシックも、ただ守るだけではなかった。
コシックは状況を冷静に判断し、セレンの生身の部分を積極的に攻める。
二人の激しい打ち合い攻防が続く。
プテラ達の元に戻った翼の男が、スミを上手く丸め込もうと画策していた。
「さて、【オクトハ】の君」
「はーっ、なんだ?」
「君は、空を飛びたいと思ったことはない?」
「まーそりゃー、一回くれーは………」
「そう……なら、俺がその夢を叶えてやろう。なんせ俺は、正義の味方だからな。その代わり、この二人から手を引くんだ」
「いいだろう」
ふっ、馬鹿が誰がそんな約束守るか。空さえ飛べりゃー、テメーなんて相手じゃねー。
「よし、契約成立だ」
翼の男が羽を二本飛ばし、スミの肩甲骨あたりに刺さった。
するとスミの背中から、髪の色と同じ唐茶色の翼が生えた。
「その翼は、君の意思に従い動く」
「こうか……おー飛んでる、飛んでる。オレは今、空を飛んでる」
「じゃー、約束通り、この場から去るんだ」
「そんな約束オレが守ると、本気で思ってたのか?」
まー、予想通りだけどね。予想通りの悪党で安心したよ。
「そうか。じゃー空中戦で、決着をつけるとしよう」
「のぞむところだ、オレに翼を与えた事を、せいぜい後悔するんだな」
「その生まれたての翼で、どこまでついてこれるかな?」
「コツは既に掴んだ。どこまでついてこれるか? 答えは、テメーが死ぬまでだ」
頭は回らないが、口だけは良く回る男だな、この男は。あはははぁっ。
翼の男はスミが付いてこれるように、わざと速度を抑えスミを引きつけた。
徐々に速度をあげる。
マルティ王国の領土から外れると、翼の男がスミにネタをバラした。
「君は本気で俺が翼を授けるとでも?」
「なんだと?」
翼の男を追いかけるスミの翼がすぅーっと消えた。
スミは惰性の勢いを伴い、重力に従い斜めに落下する。
落下するスミの叫び声は、一瞬で遠ざかり聞こえなくなった。
「時間切れだ。最期に君の夢が、一つ叶って良かった。まっ、君の運が良ければ……」
翼の男は、プテラ達の元へ急いで戻った。
セレンの呼吸はコシックと比べ、明らかに乱れていた。
両目のチカラの濫用、派手な動きによる体力の消耗、現状ではコシックに分があった。
セレンは再び、ハフスとの訓練を思い出していた。
「セレン、左目はおまえの意思に従い、想像したものを具現化する。想像しろ、より強いものを。想像がおまえを強くする」
そうだった。想像だ。想像するんだ、あの硬い体を崩せる、より強いものを!
セレンの脚は元に戻り、両腕の肘から先だけが、鋭利な漆黒の刃物に変化した。
「なにっ!? また変化した……だと!」
変化したセレンの漆黒の腕が、ほんの僅かだが、コシックの体に傷をつけ始めた。
セレンは一秒の間に、左右交互で「×」の字に何度も斬り、そして想像し続ける。
まだだ、もっと、もっとだ。想像しろ、想像するんだ!
セレンの両腕は、今受け身になっている、コシックを斬るたびに変化した。
―――いや、進化した。
セレンの千変万化の攻撃は、時の刻みと共にその精度を高め、コシックの堅守な肉体を掻っ切るまでに至った。
コシックの皮膚の裂け目からは、生暖かい鮮血が流れ出した。
よし、やった、僕の硬度がこの人の硬度を越えた!
自身の限界を超えた悦び、破壊への執着で、セレンは徐々に理性を失っていった。
「どうだ、どうだぁ、どうだぁっ。きゃっはー、どうよ、俺に斬られる気分は? さー、言ってみろ、今の気分を。最高か、最高なのか、どうなんだ、あぁーっ?」
―――セレンの中から、少しずつ人格が溢れ落ちる。
すでにコシックの耐久を、軽く超えるほど、腕は進化を遂げていた。
抵抗も防御もできず、ただ斬られ続けるコシックの体から、激しく鮮血が飛び散る。
セレンは返り血を浴び、恍惚の表情を浮かべ、お構いなく斬り続ける。
「おいおい、テメーは、もー終わりか? 俺は、まだ始まったばかりなのによー。もっと俺に無秩序に抗えっ! さっきみたいによー。そして、もっと俺を狂喜させろ」
「オマエは一体……誰だ? 最初とは……まるで別人のようだ」
コシックはなんとか話せるものの、体力的には既に立っているのが、やっとの状態にまで追い込まれていた。
「………!? あぁーっ、俺はセレンだ。最初も今もな。テメー頭は大丈夫か? てか、テメーのその使えねー、無能な目を、刳り貫いてやろーか?」
セレンは、左目のチカラに依存し過ぎて、暴走を起こし始めていた。
妙な胸騒ぎを感じていたプテラは、少女を一人残しセレンの元へと向かっていた。
そして、既にボロボロになった相手を斬り続ける、らしくないセレンを目の当たりにして、プテラは確信した。
セレンが―――左目のチカラに堕ちかけているのだと。
セレン、それ以上はダメ。その人を殺したら……もう戻れなくなる。
セレンが意識を失ったコシックに馬乗りになり、今にもトドメを刺そうとしている。
「おい、なんか言えよ。あーあ、つまんねーの。テメーはもー死ね」
セレンは右手を振りかざし、心臓をひと突きにしようとしていた。
―――そこに勇敢な金色のプシプナが、颯爽と姿を現した。
「プテラか。今、良いところなんだ、邪魔すんじゃねーよ!」
あぁ、良かった、まだセレンだ。
プテラがセレンの頭の上で浮いていた。
見上げているセレン。
「セレン、元に戻って!」
プテラがセレンの左目に液体を、ぽたっと一滴垂らした。
一滴の雫がゆっくりと、セレンの瞳に落下する。
セレンは気づいてはいない……。
雫が瞳に触れた瞬間、その雫は瞳の曇りを払拭―――そして全てを潤す。
「くはぁっ………ああぁぁーー」
プテラがハフスから手渡された、目薬の容器に似た、それよりも少し大きめの容器を見つめながら、ハフスとの会話を思い出していた。
「プテラ、これはセレンが暴走しかけた時、それを沈静化するための薬だ。ディオニの封印術を施してある。もっとも効果的なのは、左目に一滴さすこと。数分で効果が現れ元のセレンに戻る。それが無理なら皮膚に数滴垂らす。その場合だと数十分で効果が現れて、元のセレンに戻る。とにかくまー、使わなくて済むことを願ってるぜ」
ハフスじーじ、さっそく使うことになっちゃった。
セレンはその場に倒れ込み、左目を押さえて悶えていた。
そのかたわらに座り、冷静な目で、感情で見守るプテラ。
もうちょっと我慢してて、セレン。
そして数分後、〝本物のセレン〟が帰ってきた。
「おかえり、セレン」
「ただいま……!? えっ? どう言うこと?」
「暴走しかけてたのよ、きみ」
「そっか………。途中から全く覚えてない。これが、じーちゃんの言ってた暴走の兆候ってやつなのか。プテラが僕を元に戻してくれたんだね、ありがとう」
「まー、ハフスじーじに任されてますから。当然のことをしたまでですよっ」
「うん。わかってる。でも、プテラにはすごく感謝してるから」
セレンが自分の横で倒れる、コシックの無残な姿を見て驚愕した。
「これは、まさか……」
「そう、きみの仕業」
「まさか死んでるんじゃ……」
「それは大丈夫、確認したから。でもそのままじゃ、確実に死ぬわ。ある程度治してあげた方が良いかもね」
「そっか、うん、そうする」
セレンが右目のチカラで、コシックの傷口を全て塞いだ。
「終わったみたいだね。俺たちも、彼らの元にいくよ。しっかりつかまって」
「はい」
少女を抱えた翼の男が、セレン達に合流した。
セレンは姿勢を正し、翼の男に深々と礼をした。
「あの、助けてくれて、ありがとうございます。あなたのおかげで、無事二人を守ることができました」
「いいの、いいの、気にしない。俺は正義の味方だから」
続けて少女が、セレン達にお礼をした。
「あたしはレトラと言います。あの……助けてくれて、本当にありがとうございました。皆さんが助けてくれなければ、あたしは今頃……」
「レトラか。君が無事で本当に良かった」
「うんうん、無事で良かった。俺は彼の手助けしただけだからね。元々、君を助けたのは紛れもなく彼だ。感謝なら彼だけで十分だよ」
レトラは二人の暖かい言葉に、少し涙ぐんでいた。
「それにしても、見事だったね、彼の硬度を越えたんだね」
「どうして、この人が硬いって? この人のこと、知ってるんですか?」
「いや、彼のことは知らないよ。知らないけど、それをすぐに見抜いただけさ。まー、戦いの経験値と知識の差ってやつかな。そうだ、まだ君の名前を、訊いてなかったね。俺はアペレフ・L・セロス、セロスと呼んでくれ。君、名前は?」
やっぱり、この人がセロスだったんだ。紅翼のセロス……。
「セロスさんですか。僕はセレンです」
セレン、まさか……でもあのチカラは……。
「ちなみに正式な名前は?」
「レクス・M・セレンです」
「レクス・M・セレンくんね。ありがとう」
やっぱりそうか。ようやく……。君の息子は立派な男になってるよ、ハテラス。
「セロスさん、この子、このプシプナが、僕の家族のプテラです」
「ニャーウ」
セロスが、どこかいやらしい目で、プテラを舐め回すようにじっくり見ていた。
「ふぅーん、プーテーラーねー」
そしてそれが終わると、プテラの頭を優しく撫でながら、ニヤついた表情で挨拶した。
「よろしくねー、プテラちゃーん」
なに、セロスの私を見るその目は。なにかを企んでいるような、見透かすような……。
「おーっと、どこかで俺を呼ぶ声が聞こえる! 助けにいかないと」
「えー、訊きたいことが、まだたくさんあるのに、いっちゃうの、セロスさん?」
「正義の味方は、一分一秒が勝負なんでね。じゃー俺はこの辺で失礼するよ。セレン、君とは近いうちに、また会える気がする」
「わかりました。次会ったら絶対、色々話してもらいますからねー」
「了解! あっ、そうそう君に、これを渡しとく。俺の紙だ。これがあれば、いつでも駆けつけられる。とは言え、これを扱える人が必要だけどね」
セロスはセレンに、数枚の白紙を手渡した。
「その紙はもしかして?」
「んっ、レトラ、ひょっとして君は、この紙知ってるの?」
「はい。【生命の書】ですよね。あたしも持っていますので」
「ふーん、なるほど。もしかして君は………。なら、紙についての詳しい説明は、君に任せたよ、レトラ。セレン達に色々教えてあげて」
「わかりましたっ」
セロスがバサッと翼を広げ、夜空へと飛び立つ。
羽は真紅から白への、綺麗なグラデーション。
抜け落ちた一本の羽が、螺旋を描きながら、セレンの前にひらひらと舞い落ちる。
「では、また会おう、セレン、レトラ、プテラ姫ぇー」
「……………!?」
「自由な人だな、セロスさん。面白い人だ。いくらプテラが可愛いからって、プテラ姫はさすがに褒め過ぎだよね、プテラ?」
プテラの右の鉄拳が、セレンの左頬に炸裂した。
「おっふ!」
私と同じ……。紅翼のセロス、いえ、紅翼のエロス、以後気をつけよー。
「さてと、この人はどうしたら良いものか……」
「そうね……。ひとまず、今日のところはここに放置しましょ。そのうち誰かが見つけてくれるでしょ。治療もしてあるんだし、死ぬ心配もないしね。それよりも、レトラちゃんを早く家に送ってあげましょ」
「プテラそうが言うなら、そうする。レトラ、今から君を家まで送るよ」
「本当ですか? ありがとうございます。でも目的地は家じゃなくて、その……姉のところなんです。そちらでも構いませんか?」
「セレン、夜道を少女一人で歩かせてはダメよ。目的地がどこであろうと、どんなに遠かろうと、最後まで責任を持って送り届ける、それが男と言うものよ」
なるほど……男とはそうなのか。
「もちろん、構わないよ。それで、姉さんのいる場所はどこなの?」
「レグラと言う宿です」
「えっ!? そうなんだ。すごい偶然。そんなこともあるんだね。その宿、僕達の泊まってる宿だよ。じゃーみんなで一緒に、レグラに帰ろー」
三人はレグラを目指して歩き始めた。
次の戦闘回は、第13話と第14話です。