第5話 変な癖とマルティ王国
空気の澄んだ高い場所から、周囲を見渡すセレン。
大空を優雅に舞い、それよりも高みから見渡すプテラ。
光の示すその先に、まだ目的の場所は見えていない。
だとしても、二人の旅は着実に前進していた。
そして今………。
プテラがセレンのリュックから、顔だけ出して収まっている。
話はセレンが右目のチカラで、身体強化して走り出した時まで話は遡る。
旅を始めてしばらくの間、セレンは初めて見る景色に心を躍らせ、歩いて進むと言う急がない旅を存分に楽しんでいた。
だが、待てど暮らせど変わらぬ景色に、セレンは遂に飽きた。
「ねープテラ、いつまでこの感じの景色は続くの?」
「まだ、当分続くと思う」
「えー、そうなのー。それはちょっと……あれだな。正直キツイ」
「そんなこと言っても、しょうがない。変えられないものは、変えられない」
「あーぁ。せめてもう少し変化がある場所に、辿り着ければなー」
セレンの好奇心と知識欲が、チクチクとセレンを刺激する。
「そうだっ、良いこと思いついた。右目のチカラを使って先を急ごう。身体強化して、景色が変わるところまで走っていくんだ」
「なるほどね。それは良い考えかもね。うん、良いと思う」
「よぉーし、さっそく身体強化だっ!」
―――セレンが右目に命令した。
セレンの全身の内部が、黄色い光で満たされた。
「プテラ、振り落とされない様に気を付けて」
「う、うん。わかった」
「セレン、行きまーす」
セレンが走り出し、徐々に速度をあげ、セレンのミディアムヘアがなびく。
「うわー、早い早い! よぉーし、もっと速度を上げるよ、プテラ」
その勢いに下半身は流され、セレンの頭に、前足だけで必死にしがみつくプテラ。
「ちょっ、ちょっと待ってぇーーー。飛ばされるーー。あぁぁぁーー」
プテラの声が遠ざかっていく。
飛ばされたプテラに気付いたセレンが、プテラを迎えに戻った。
プテラはセレンの頭にチョップを入れた。
「大馬鹿者めー。んもぉー、きみはもうちょっと、私に気遣いしなさい」
「ごめん、プテラ。次からは気を付けます」
「まー謝ったから、許してあげる。でもどーしたものか……」
二人は飛ばされない、良い方法を考えていた。
困ったなー、私がセレンのあの速度についていくのは、絶対に不可能だし、だっこしてもらうのも無くはないけど、安定にかけるのよね……。うーん……はっ!
プテラがなにか閃いた。
「セレン、私の顔だけ出してリュッックに入れて」
「おーなるほど。それ良いかも。でも本当に良いの?」
「早く先に進みたいんでしょ?」
「それは……はい」
「だったら、しょうがない。それに自分で言い出したことだしね」
「ありがとう、プテラ」
そんな経緯があってプテラは今、リュックから顔だけ出しているのである。
「いやーかなり進んだみたいだ。やっと景色も変わった。うんうん、こーでないと」
「セレンは現金で、わかりやすい人だねー。嘘つけないタイプね」
「僕ってそうなの?」
「話に食いつかなくてよろしー。ほら、先を急いで」
セレンは陽が出ている間ほぼ走り続けた。
出来るだけ早く目的地に辿り着けるよう、迂回を避け最短距離で。
セレンは途中で目にした、色のない世界で良さそうな景色の場所を記憶し、「色を取り戻した時に改めて訪れよう」と心の中で考えながら走っていた。
走っている間、小さな村にいくつか出会った。だがそこには寄らず走り続けた。
二人で相談して、手持ちの食料が尽きるギリギリまでは、とにかく先を急ぐことにしようと言う話になっていた。
セレンは人生初となる、野宿も経験した。当然の様に興奮していた。
プテラはその様子を、少しだけ冷めた目で見ていた。大きな目を細目にして。
それもそのはず。プテラは野宿が当たり前で、二年もそうして過ごしていた。
だが、たかが野宿でここまで燥げる、純粋なセレンを羨ましく思っていた。
そしてプテラはこうも思っていた。
セレンは、ハフスじーじの言う「今と言う時間を楽しめ」、その言葉を教えられる前から、意識せず自然に出来ていた人間なのだろうと。
私も変なプライドは捨てて、セレンから見習えるところは、見習わないとね!
セレンは日中消費したルナジーを補うため、毎夜月を眺めてルナジーを補充していた。
人気のない綺麗な水場を見つけると、風呂代りに身を清めた。
セレンは起きて朝食を食べると走り、昼食を食べてまた走る。
プテラはただリュックから顔を出す。
旅に出て六日間、セレンとプテラは、この生活リズムを繰り返していた。
そして七日目にして遂に辿り着く。
二人の眼前には、大きな街が見えてきた。
「んー、ようやく辿り着いたー。うわー大きな建物、それに広い敷地。アルヒの街より全然広い。プテラ、〇ノ書は、間違いなくここを示してる。それに、ニノ書もここを……。でも、光の示す場所は、違ってるんだけどね」
「えっ、ニノ書もここを? じゃー、まず先に、〇ノ書が示すところを目指しましょっ」
「うん。そうだね」
入り口に到着すると、連日リュックの中が定位置だったプテラは、定位置その一であるセレンの頭上に移った。
「【マルティ】。それがこの街の名前か」
「マルティは王国の名前であり、街の名前でもあるの」
「へぇー。プテラは詳しいね」
そう、そして……【サトリス】が治める国。ハフスじーじのあの言葉「時代の歯車が動き出した」と、何故かこの国にある一ノ書。私の推測が正しければ、この国にある点と、セレンの点は繋がり線になる。そして恐らく、その「点」とは「人」のこと。
「まあね。国のことなら、何でも訊いてくれて大丈夫よ」
「本当に? 何でも? いいの?」
しまった。セレンは〝追究型粘着人間〟だったの、すっかり忘れてた。
「まー、常識の範囲内でね。常識の!」
「わかった」
セレンにサトリスのことを話すと、質問攻めに合うこと請け合い。なら、ここはあえて黙っておくのも一つの手。いや違う、正解はその一択のみ。それこそが最善であり得策であり、紛うことなき正義。ごめんね……セレン。
プテラは少し悩んだ結果、サトリスのことは、セレンに黙っておくことにした。
「この国は、そんなに入国手続きは厳しくないから、すぐに中に入れるはずよ」
「そうなんだ。じゃー、さらっと手続きして、中に入ろー」
二人は急いで手続きを済ませた。
セレン史上初となる他国への入国、その第一歩を右足で大きく踏み出した。
「遂に来たよー、マルティ王国。プテラ、街だよ、街。人だよ、人」
「逸る気持ちはわかるけど、まずは一ノ書を見つけるのが先よ」
「うん、そうだね。街はあとでゆっくり見て回ろう」
あれ? 意外。少しは成長してるのかもね。
「ねープテラ、あの奥に建ってる、背の高い建物は何だろう? ちょうど、〇ノ書の光が示す辺りに建っている、建物なんだけど」
セレンが奥に聳える、高さにして三十階以上はありそうな、明らかにここマルティに、異質に見える建物を指差した。
「何だろうね、あの建物? ここからじゃ、何なのかさっぱりわからないわね……。でも目印としては、これ以上ないくらいに、わかりやすいわね」
「確かにそうだね。よしっ、光はあの辺りを示してることだし、行ってみよう」
右目に光を取り戻し〝白黒の世界〟だが、セレンがその目で初めて見る大きな街。
逸る気持ちを必死に抑えながら、着々と一ノ書に近付いていた。
賑やかな街の雰囲気、立ち並ぶ店々、セレンのキョロキョロは止まらない。
しばらく歩いていると、急にセレンの足が止まった。
セレンはとある店の方を、じぃーっと見つめながら佇んでいた。
目的地に着いたと思い、プテラがセレンに訊ねた。
「もしかして、あのお店に一ノ書が?」
セレンはプテラの声も無視して、その店に近付いた。
その店の外は大きなガラス張りで、中の陳列も良く見える服屋だった。
「ねーセレン、聞いてる? ねー」
セレンがどんどん近付き、ガラスと五十センチの距離まで近付いていた。
ガラスには、消炭色の長い前髪で左目が隠れた、いつものセレンの顔が映っていた。
プテラは、セレンの顔の動きを見て何かに気付いた。
セレンの顔はゆっくりと上下し、その目はガラスに映る、ただ一点だけを見ていた。
そう、セレンはガラスに映る――初めての全身の自分を、じっと見つめていた。
プテラの、あまり表に出すことのない怒りの感情が、ここにきて遂に爆発した。
「きみねー何かと思えば、まさかの、ガラスに映る自分を見つめてるとか、どんだけナルシスト。いやもーそれは、れっきとした病気よ病気。アルヒで目に光を取り戻し、それから一ヶ月、毎日毎日朝早起きして、鏡の前に三十分ただ佇み一度だけ笑う。この七日間も朝早起きして、三十分手鏡を見つめ一度だけ笑う。挙句には、ガラスに映る自分を見つめるとか……。もーね、馬鹿よ馬鹿。変態よ変態。本当、治した方が良いよ、その変な癖」
しかし、プテラの怒りの声は、ゾーン中のセレンの耳には、一切届いていなかった。
セレンの無意識の〝無視〟という行為が、プテラの怒りに油を注いだ。
「ふんぬぅー。セーレーンー歯を食い縛りなさい……そして、目を覚ましなさーい!」
プテラは後ろ足で地面を強く蹴り上げ、全身を独楽の様に回転させながら、硬く握り締めた右前足で、セレンの右頬に渾身の一撃、《昇猫拳》をお見舞いした。
「ぅおふっ!」
プテラの愛ある一撃が効いたのか、セレンが我に返った。
横座りしたセレンが、右頬を押さえながらプテラに訊ねた。
「あれ、僕は一体どうしたんだ?」
「えっ、覚えてないの? セレン、きみは、急に立ち止まってこの店に近付いて、ガラスを見てボーっとしてたのよ」
「あー、そうだ。思い出した。そう、この店のガラスに、凄く気になる人が映ってて、あれは一体誰なんだろうと? すると、僕の体は無意識のうちに、足を前へと進めていた。気がつくと、僕はガラスの前に佇んでた。そして、ガラスを見ると、それは自分だった。あははっ。それで自分の顔を見てたら、いつもの癖が出てしまってた。いやー、危うく三十分見つめるところだったよ。本当、ありがとうプテラ、我に返してくれて」
プテラは既に諦めかけていた。この癖を治すのは至難なのだと。今の自分の容姿に対しての好奇心、それを納得するまで追究する性質、興味の対象が自分と言う、あらゆる偶然が重なり生まれた命、奇跡の産物なのだと。もはやこれは神の御業。神がセレンに与え賜うた運命。でもやっぱり治ると良いなーこの変な癖、と小さな希望は残していた。
「まー、今すぐとは言わないけど、治した方が良いよ、その癖」
「は、はい……。努力します」
「じゃー、この件はもーお終い。一ノ書を目指しましょっ」
「うん。気を取り直して、いざ」
セレンはプテラを頭の上に乗せ再び歩き出した。
しばらく歩いていると、「ぐぅーーっ、ぎゅるぎゅる」と言う音が聞こえた。
「プテラごめん。僕、お腹空いた」
「そうね。確かに私も少しお腹が空いてきたかも。じゃー、良い感じのお店でも見付けてご飯にしますか」
「うん、賛成」
二人は良い感じの飲食店を探し、街中をうろうろしていた。
「んー、唆られる店が、なかなか見付からないなー」
「とりあえず時間も勿体ないし、セレンの唆られるお店は夜にして、ひとまずサクっと食べられそうなお店にしましょっ。もしくは、持ち帰り出来るお店とか」
「わかった、そうしよ」
持ち帰りのできる店を見付けた二人は、店内に入ると持ち帰りで購入した。
ゆっくりできそうな場所を探していると、人通りの多い広場に辿り着いた。
そこには、丸い噴水があり、噴水の中心には、広げた書を左手に持つ女性の像が立っていた。
その広場の所々に、木製の長椅子が設置されていた。
二人は空いていた長椅子に座り、先ほど購入したパンを食べ始めた。
セレンはエビを潰して揚げたものを挟んだバーガーを、プテラは白身の魚を揚げたものを挟んだバーガーを食べていた。
そして二人とも、フルーツジュースで喉を潤した。
「うーん。これはなかなか美味しい」
「うん。私のも美味しぃ」
人と同じように座り背もたれにもたれながら、バーガーを器用に持って頬張るプテラの姿は、どこか不思議で違和感を感じるが、それ以上にキュンとする可愛い絵面だった。
ただでさえ可愛い見た目のプテラ。そんなプテラが人の真似事をして、まるで人の様にバーガーを食べている。そのプシプナらしからぬ姿に、人々は目を奪われていた。
二人の前を行き交う人の視線は、プテラに集中して向けられていた。
そして、綺麗な二人組の若い女性が、セレンに話しかけてきた。
「あの…このプシプナちゃん、凄く可愛くて、賢いですね。なんて名前ですか?」
「プテラ」
「プテラちゃんか。名前からするとメスですか?」
「たぶん、そうだったと思うけど……。だよねプテラ?」
プテラの右の鉄拳が、セレンの左頬に炸裂した。
「おっふ!」
「ニャーウ、ニャーウ」
「そ、そう。女の子だって」
「プテラちゃんはプシプナっていうか、本当に人間みたいに見えますね」
「そうですか。でも確かに賢いですね、プテラは」
頷くプテラ。
「きゃーこの子、頷いてるよー可愛いー。可愛過ぎるよー。あのちょっとだけ、抱かせてもらっても良いですか?」
「ニャーウ」
「良いよって言ってる」
「本当ですかー、ありがとうございます」
プテラが半分ほど食べたバーガーを置き、鞄を置き、その女性たちに身を委ねた。
「うわー可愛いー。プテラちゃん翼が生えてる、すごーい!」
「えっ本当だ、珍しい」
「毛も綺麗な色でフサフサしてて、凄く良い匂いがする。家に持って帰りたいよー」
「あの……家には持って帰らないで下さい。僕の大切な家族なので」
私が大切な家族……セレン……。
あからさまにプテラの表情が緩んだ。
「あーっ、この子、いまニヤッてした。ニヤッた顔も可愛過ぎるー。この子欲しー」
「もー私もだっこしたーい。代わってよー」
気が付くと、セレン達の周りにちょっとした人集りが出来ていた。
しばらくの間、噴水前にて第一回プテラをだっこする会が行われた。
そして、想定の範疇を越えた〝だっこ〟がようやく落ち着いた。
青天の霹靂に二人は少し気疲れしていた。
暖かかったバーガーは冷め、食欲もすっかり薄れていた。
セレンは残ったバーガーを袋に直し、リュックにしまった。
二人は気を取り直して、一ノ書を目指し再び歩き始めた。