第4話 成長と旅立ち
朝食が終わると、ハフスがセレンに声を掛けた。
「そうそう十三ノ書を、おまえの机の上に置いといたからな」
「うん、ありがとう、じーちゃん」
セレン達が部屋に戻ると机の上には、二冊の十三ノ書が置かれていた。
眠気に抗うセレンは、何度も欠伸を繰り返す。
十三ノ書は左開き、紺色を基調に表紙、背表紙、裏表紙それぞれ部分的に、模様が白銅色で箔押しされている。
表紙と背表紙の文字は、全て月白色で書かれている。
【〇ノ書】の表紙は【〇ノ書】の文字が、背表紙にはレミデンと0の文字が記されている。
【ニノ書】の表紙には、【ATノ書】の文字が、背表紙にはディオニと2の文字が記されている。
二冊ともに共通して裏表紙の中心部分には、魚の様な形の図形が箔押しされている。
文字以外の部分はプテラにも見る事が出来たが、書の表紙、背表紙、本文の文字は全てセレンにしか見えていなかった。
「うわー、本当に何も見えない、ただの白紙だ……。セレンには見えてるの?」
「えっ、うん、読める。読めるけど知らない言葉がいくつもある。どうしよー」
「それなら、こうするのはどうかなー? セレンが自分でわかるところは、自分の紙に書き出して、わからない言葉は別の紙に書き出す。別の紙に書き出された言葉を、私がセレンに教える。それで言葉を繋げて文章を完成させる。どう?」
「なるほど、それは良い方法だね。二人で協力して読むって事だね」
「そう言うこと」
「あーっ、しかし深刻な問題がもう一つ……」
「えっ、なに?」
自信に満ち溢れるセレンが、ドヤ顔で口を開いた。
「文字を見続けてると、強烈な眠気に襲われる」
「知るかぁー! それは自業自得!」
朝まで鏡の前で自分を見て、一睡もしてないからでしょーがっ!
「まーそれはそうなんだけど……」
なんだかんだ言いながらも、なんとか二人は書を読み進めた。
さすがセレン、ここにきてセレンの性質が顔を出す。
読み進めるにつれて、本に対する興味が膨らむ。
そして遂に、セレンの好奇心と知識欲が眠気を上回った。
その瞬間、セレンに巣食う眠気が姿を消した。
気が付くと二人は、取り憑かれたかのように、読書に没頭していた。
「おーい、おまえたち、昼食にするぞー。書を片付けろー」
二人は返事をすると、書に栞を挟み紙や筆と一纏めにした。
今日の昼食のメインは、魚介入りのトマトパスタだった。
「昼からはセレンに目の使い方を教える。読書は一旦保留な。十三ノ書を読むのも大切だが、目のチカラを自在に扱えるようになる事は、それ以上に大切な事だからな」
「もちろん、わかってる。早くチカラの使い方を教えて、じーちゃん」
「おー、やる気十分じゃねーかセレン。いいねー。まーおまえも少し目が見える様になった事だし、俺もこれから本気でおまえを鍛えるつもりだ」
「のぞむところさ」
昼食を終えたセレン達は、少し歓談した後、環境を壊す心配のなさそうな、戦闘の訓練には丁度良い、少し開けた場所に移動した。
そこでセレンとハフスが組み合っていた。
プテラは岩の上で横座りして、羨ましそうに、二人の楽しそうな姿を眺めていた。
あーあ、私がもう少し強ければ、もっとセレンの役にたてるのに……。
「準備運動はもー終わりだ。よぉーし、じゃあ、セレン、チカラを使わず右目を開けて、もっと本気でかかってこい!」
「えー良いのー? じゃあ、いくよー」
セレンとハフスの殴り合い、蹴り合い、攻防一体のラリーが続いた。
数分程続いた組手だったが、お互い攻撃を受ける事なく終わった。
「まぁー、当たり前っちゃー、当たり前だが、右目が見えるようになったぶん、見えてなかった時よりキレがある。しかも、まだ左目は閉じたままで」
「うん。右目が見えるようになったから、左目を閉じたままでも、瞼を閉じたままの時より明らかに視界が良いよ」
「そう、つまり両目が使えるようになれば、もっとおまえは強くなれるって事だ!」
「そっか、そう言う事になるのかっ」
「んじゃまぁー、目のチカラなしの、おまえの実力もわかったところで、今からおまえに目のチカラの使い方を教える」
「待ってましたぁー。お願いしますっ!」
「プテラちゃん、ちょっとこっちに来てくれ」
「はぁーい」
「プテラちゃんも一緒に話を聞いて、セレンの目について、しっかりと理解しておいて欲しい。長い旅の間にプテラちゃんの力も、必要になる時がくるかもしれないからな」
「わかりましたっ」
プテラの声は上ずっていた。明らかにプテラのテンションは上がっていた。
「少し長くなるが、しっかり聞いて理解しておいてくれ。わからなければ、訊き返してくれて構わんからな」
セレンとプテラは頷き返事をした。
「まず、今のセレンの右目と左目の持つチカラは全く異なったものだ。右目を陽とするなら、左目はその反対の陰だ。右目のチカラは、身体能力を向上させたり、治癒できたり、イクリープ=見えざる者を視認できたり、十三ノ書を読むことができたり、まー感覚的イメージ的に、良い方向性の事象を可能にする。そして左目、具体的なチカラについては、実践の時に改めて話をする。その前にだ、左目の注意すべき点を先に話しておく。これはとても重要な事なんでな。よく聞いておいてくれ。セレン、今のおまえの左目は不安定な代物で、扱いを誤ると左目のチカラによって―――おまえは暴走する」
「暴走……ですか?」
「じーちゃん、暴走って?」
「暴走とはつまり、セレン、おまえが自我を失い、別人格の人間になるってことだ」
「えー、僕が別の人間になるの?」
「そうだ。だがこれは最悪の場合の話だ。そのためにプテラちゃんにも、この話を聞いてもらってるんだ。まぁー正直、おまえ一人なら心配するところだが、しっかり者のプテラちゃんが一緒となると、俺はなぜだか安心できる」
プテラの尻尾がピーンとした。
「まかせて下さい」
「まー左目の扱いについての注意喚起も込めて、あえて左目の怖さを優先して話してみたんだが、ちょっと煽り過ぎたかな。実際のところ上手く使いさえすれば、そこまで身構えなくても大丈夫だ。そのための実践訓練なんだからな。それに左目が暴走する前には必ずその兆候が出る。兆候には段階があってな、まず性格が威圧的になり口調も変化する。そして攻撃的になり、暴力的な人間になる。これは左目の依存が高くなるにつれて変化していく。暴力的だとしても、自我を残している状態ならまだ大丈夫な範疇だ。自我を失い暴力的になった状態、それが暴走だ。理想は右目のチカラだけで、相手を倒せるのが一番なんだがな。とは言え長い旅になる、強い奴と戦う可能性は十分考えられる。もしそうなった時、必然的に左目のチカラにも、頼らざるを得なくなる。だから、左目のチカラの使い方も教えるんだ。俺の伝えたかった事は、二人にも理解してもらえたかな?」
「うん、良くわかった」
「はい」
「そうか、伝わって何よりだ。で、俺からプテラちゃんにお願いなんだが、もしもセレンが暴走しそうになったら、セレンの制御をお願いしたい」
「もちろん、言われるまでもありません。そのつもりでしたから」
「んー頼もしいなー、プテラちゃんはっ!」
「よぉーし、これから1ヶ月みっちり鍛えてやるから、覚悟しとけ、セレン」
「頑張りますっ!」
この日から、セレンの中身の濃い一ヶ月の幕が開いた。
午前中と空き時間には、プテラと十三ノ書を読み、午後からはハフスの鬼の実践訓練と言う、わかり易くも、集中力を要求される日々を消化していた。
二冊の書の読書は一週間ほどで終わり、残りの四週間弱は、一日中ハフスと実践訓練に明け暮れていた。
一ヶ月間全力で向き合ったセレンは、右目と左目のチカラの使い方を、バランス良く学び会得した。そしてその両目のチカラを、自在に扱えるまで自身を高めていた。
セレンは一ヶ月前と比べ、見違えるほど強く、そして逞しくなっていた。
旅立ちの日の朝を迎えた。
今日も早起きして三十分間、鏡の前にただ佇む安定のセレン。
だがしかし、いつもより慌ただしい光景がそこにはあった。
そしていつも以上に、三人の話し声が屋外に響いていた。
屋外には〝いつもとは何かが違う〟声に反応した、小動物達が足を止め集まり、木の実を頬張りながら家の方を眺め、漏れ出る三人の会話に耳を傾けていた。
「じーちゃん、僕の財布どこにあるか知らない?」
「知るわけがねぇーだろっ!」
「もー、はい、これでしょ」
プテラは前足で財布を器用に挟み、宙を飛びながらセレンに財布を渡した。
「あーそれそれ。ありがとう、プテラ」
「セレン、お前、相変わらずそう言うとこ抜けてるよなー。本当、プテラがいてくれて良かったよ、まったく」
「じーちゃん、人間には得手不得手ってのがあるんだよ」
「んなこたー、おまえに言われんでも、知ってるわ! 半人前のおまえが何偉そうに、俺に高説垂れてんだ。五十年早いわ! 己の失態を得手不得手で片付けるんじゃねー」
「まぁーまぁー落ち着いて、じーちゃん。冷静に、冷静に、ねっ」
「なんだとっ、セレン、おまえなー」
慌ただしくも、微笑ましくもある、三人のやりとりはしばらくの間続いた。
「おー、良く似合ってるじゃねーか、その服。孫にも衣装とは、正にこのことだな」
セレンはハフスの用意した衣装を身に纏っていた。襟の部分で切り返しのある、臙脂色のシャツに、紺色のカーディガン。伸縮性のある黒のスリムパンツ。意外とクッションがしっかりしている、歩きやすい焦茶色のブーツ。そして首元には、鎖の部分は銀色、金色っぽい色で半円の球体をあしらった、首飾りを掛けていた。その球体はガラスの様な素材で作られ、球体の平らな部分には〝セレン〟と掘られていた。
「まぁ、色がわからないから、そこだけが気になるけど。でも、すごく気に入ってるよ、この服。ありがとう、じーちゃん。大切にするよ」
「どういたしまして。プテラのその鞄も似合ってて可愛いな」
「はい。私もすごぉーーーく気に入ってます。本当、ありがとうございます」
「いいの、いいの」
旅の準備は着々と進んでいた。
準備が落ち着くと、三人が食卓で話を始めた。
「とうとう、この日が来たな。いつか来るとは思っていたが『あー、もう来たのか』って言うのが率直な感想だ。人間歳を重ねると、時間の流れを早く感じるようになる。まーおまえにもそのうちわかる。何を言いたかったかと言うとだな、おまえと過ごした十年は長い様で短い十年間だった。気付いたら、おまえはもう十六になってた。まーそんな感じだ。おまえはこれから旅に出る。別にこれで今生の別れって訳でもねー。だから感傷的になる必要もない。ない……んだ。あーダメだ……。これだから歳は取りたくねーな」
ハフスがセレンの前で初めて涙を見せた。
「じーちゃん……」
「ハフスさん……」
ハフスは顔を上に向け、涙が止むまで天井の梁を見ていた。
少し落ち着いたハフスが、涙ぐみながらも話を再開した。
「二人とも悪いな。見苦しい姿を見せてしまったな。娘のミテラからおまえを託され、我が子の様に育て立派になったおまえが、いざ旅に出るって思うと、正直なところ嬉しい反面、寂しくもある。まーこの寂しいってのは、セレンともっと一緒にいたいって言う、孫馬鹿ジジイのただのエゴだから、気にするんじゃねーぞ、セレン」
セレンは、ハフスと過ごした時間を思い返していた。押し寄せる感情の波が、セレンの心を突き動かす。セレンの目から、自然と涙が溢れていた。
「じーちゃん……。僕も……じーちゃんと離れるのは、すごく寂しい。僕だって、もっとじーちゃんと一緒にいたいよ。だって、じーちゃんのこと―――大好きだから」
「うぉー、やめろセレン。これ以上、俺を泣かせるんじゃねぇー」
プテラがもらい泣きしていた。
うっうっ、二人は本当に良い関係だね。家族かぁー良いな、羨ましい。
全員が涙を流し落ち着くまで、しばらく時間を費やした。
「ふぅーっ。おまえのせっかくの門出だ、元気に送り出してやらねーとな」
「そうだよ」
「まだまだ色々と言いたいことはあるが、掻い摘んで言いたいことだけ伝える」
「わかった」
「おまえは、―――今と言う時間を楽しめ。そして悔いのないよう全力で生きろっ。以上だ」
「えっ!? それだけ? てっきり、もっと話が長くなると思ってた。でも、じーちゃんのその言葉、しっかり〝ここ〟に刻んどいたから」
そう言いながらセレンが、右手を心臓の前にそっと近づけ、服をギュっと掴んだ。
明るい灰黄色のリュックを背負っているセレン、紐が短く調節された真紅の肩掛け鞄をかけ、セレンの頭の上に座るプテラ、いつも通りのハフスが、家の前で話している。
「二人とも忘れ物はねーな?」
「たぶん、大丈夫」
「大丈夫でーす」
「よし。そーだセレン、おまえ、お金の使い方には気をつけろ。まぁーでも、その辺の事はプテラに任せてあるし、大丈夫か。頼むな、プテラ」
「任せてください」
「それと、プテラ、セレンがもしも暴走しかけたら、その時は……」
「はい、安心して下さい。ちゃんとここに入れてあります」
プテラはそう言いながら、鞄をポンポンと叩いた。
「いいかセレン、おまえがプテラのこと、ちゃんと守ってやるんだ。わかったか? 何かあれば〝風の便り〟を使って連絡してこい」
「うん、わかった。プテラのこともちゃんと守るよ。じーちゃん」
「えーっと……プテラっ」
「はいっ?」
「おまえは、もう俺たちの家族だ。旅が終わったら、セレンと一緒に帰ってこい」
「うっ……うん。ありがとう、ハフスじーじ」
ハフスは右手でプテラの頭を優しく撫でたあと、その手をそっとセレンの肩に置いた。
「じゃー、二人とも気を付けて行ってこい」
「うん。じゃあ、行ってくる」
「はいっ。行ってきますっ」
二人は〇ノ書の紫の光が示す、一ノ書を目指し歩き始めた。
ハフスはその場に佇み、二人の姿が見えなくなるまで、穏やかに暖かい眼差しで見守っていた。
結局最後まで、お前に面と向かって言えなかったな。
「―――セレン、お前……本当、良い男になったなっ」