第3話 アウトクラトルと十三ノ書
窓からセレンの様子を窺っていた、ハフスがポツリと呟いた。
「―――時代の歯車達が、音をたて回り始めた」
「それって、どう言う意味なんですか?」
「セレンの点と、プテラちゃんの点が、繋がって線になるって事だ。プテラちゃんも、俺についてきてくれ」
「わかりました」
セレンが家の中に入ってきた。
「じーちゃん、僕………」
「ああ、わかってる。セレンとプテラちゃんが出会った瞬間から、時は動き始めた。二人とも、俺についてくきてくれ」
ハフスは、家から少し離れた場所に二人をつれ出した。
そこには満月の日にだけ花開く、白に近い薄黄色の花、『夢月下』が咲き乱れていた。
幻想的な美しさに、宙を舞うプテラが思わず声をあげた。
「なんて華麗で幻想的な光景なの」
「綺麗な良い場所だろー、ここ」
「えーっ、それ僕も見てみたい」
「まー慌てるな。セレン、今からおまえの目の封印を解く。そのまま、じっとしてろ」
ハフスは夢月下の前に立ち止まり、立ったままの状態で右手をセレンの顔に翳した。
「ではいくぞセレン、《八域連鎖絶解》」
するとセレンの両目の上下左右、計七カ所に小さな黄色い点が現れ、中心部分となる重る点(両目の目頭の延長線上にある鼻の上あたり)は一際光を放っていた。
中心部分から始まった黄色い光は、8の字を描く様に点を順に繋いでいく。光の辿った跡には、黄色く光る鎖が現れていた。光が再び中心点に戻り、全ての点が繋がり8の字になった瞬間、鎖がパリンと砕け散った。
「今、封印は解けた。目を開けてみるんだ、セレン」
セレンは感覚を思い出し、恐る恐る瞼を上げる。
「み、見える。見えるけど……色がない。白と黒の世界だ」
記憶の戻ったセレンは、色の概念を取り戻していた。
「そうだ。まだおまえの目は、完全には光を取り戻してはいない。それも後で説明する。だが今はまだ、先にやるべき事がある。もう一度目を閉じるんだ」
「うん、わかった」
ハフスが、豪華に装飾された小さな箱を取り出した。箱の蓋を開けると中には直径一センチほどの、金色に光る小さな球体が収まっていた。
「今からおまえのチカラを解放するものを渡す。目を開けて、箱の中身を手に取るんだ」
セレンが目を開けて、箱の中身を手に取った。
「セレン、それは『アグノス』と言って、おまえが本来持つ目のチカラを、解放してくれるものだ。だがそれは、本物の目を取り戻すために必要な、一時的な代用品でしかない。故に片目にしか使用出来ない。だから、今どちらの目にするか選んでくれ」
「そうなんだ……じゃー右目で」
「わかった。その球を右目の前に近づけて、右目だけ開いてその球を見るんだ」
「こうかな」
セレンは右目で球を凝視した。球は形をなくし光を放つと、セレンの黒目の中へと吸い込まれていった。
吸い込まれた光が黒目の中で、『三日月の形』をなして光っていた。
「よーし、上手くいったみたいだな。ひとまずやるべき事は、無事に終わった。今から、二人に話せる事は全て話そう。立ち話もなんだ、あそこに座って話そう」
三人が大きく平らな岩の上に座ると、ハフスが話し始めた。
「そーだな、何から話すべきか……。まずは、セレンの目について、話しとかねーとな。セレン、おまえの瞼は、これから自由に開けることが出来る。そして右目だけ、本物の目と同じ様なチカラも使える。まー本物よりは、かなり劣るがな。だがさっきも言ったが、あくまでも本物の目を取り戻すまでの、繋ぎだからな。でっ、これは重要な話だが、普段右目を開けとく分には、何も問題はねー。だが、とりあえず左目は、あまり開けるんじゃねーぞ。んまー左目についての詳しい話は、明日からの実践の時に話す」
「明日からの実践?」
「そうだ、目のチカラを使いこなすための、訓練が必要だからな」
「なるほど、そう言うことか」
「あのー、ハフスさんがさっき言ってた『セレンの点と私の点が繋がって線になる』って言うのは、どー言う意味だったんですか?」
「あーそれは、プテラちゃんの探すレミデンが、―――セレンだって意味だ」
「えっ!? まさか、そんな……」
「セレンは、レミデンの父とディオニの母の間から生まれたハーフ。そして、長男であるセレンは、レミデンの血を色濃く継承している」
「つまりそれは、セレンは、レミデンの〝目のチカラ〟を強く宿し、更に〝万物の声を聴く事が出来る〟と言う、二つのチカラを持つ人間……と言うことですか?」
「そう言うことだ」
「ちょっと二人とも、僕をおいてかないでよー。僕がレミデンで、ディオニでって、さっぱりわからないんですけどー」
「そりゃーそうだ。おまえを守るために、今まで話してこなかったからな。俺なりの危機管理ってやつだ、許せセレン」
ハフスはセレンに、レミデンとディオニについて、事細かく説明した。
「まーつまり、プテラちゃんの探してた人物ってのが、おまえだったんだって話だ。理解できたか?」
「理解できたけど。まだ訊きたい事があって、それじゃー納得できない」
「わかった。それは、また後で付き合うから、今は二人に共通する話をさせてくれ」
「それなら……。ちゃんと約束したんだから、絶対後で付き合ってもらうからね」
ハフスが、後日延々と付き合わされた事は、言うまでもない。
「セレンの記憶が繋がり、時代の歯車が回り始めた以上、セレンは本物の目、―――王の目【アウトクラトル】を取り戻す必要がある。じゃーどうするか? 二人にはこれから世界を旅してもらう。そして出来るだけ早く、アウトクラトルを取り戻してもらう」
「僕が、王の目アウトクラトルを、取り戻す旅に? 本当に? 良いの?」
「あー、今がその時なんだ」
「でも、どうすればアウトクラトルを取り戻せるのか、全く手掛かりがありません。そんな状態で闇雲に旅なんかしてたら、いつその方法、在り処に辿り着けるのか……」
「……確かに。プテラの言う通り、そーかもしれない」
「それは大丈夫だ。世界に散らばる【十三ノ書】が、その道を示してくれる。十三ノ書は、いわゆる普通の人間が見ても、単なる白紙の書でしかない。だが、レミデンの血を色濃く継承するセレンの目は、その十三ノ書の文字を読み、書の照らす光が見える」
「そうだったんですね。十三ノ書が光を……知らなかった。じゃーまずは、その書を見つける事から、始めれば良いってことですね?」
「いや、それも大丈夫だ。家に原始ノ書たる【〇ノ書】がある。更に、もう一冊【ニノ書】もある。まずは〇ノ書の示す、一ノ書を目指せば良い」
「では、最初の目的地は、わかるって事ですね」
「あーそう言うことだ。それらの書を辿れば、いずれアウトクラトルを取り戻す方法に辿り着く。そしてセレンが、アウトクラトルを取り戻した時、プテラちゃん、君も……」
「そう言うこと……だったんですね」
「そう言うことっ!」
ハフスとプテラが目を合わせ、そしてハフスが笑った。
「ねーじーちゃん、父さん、母さん、セレネ、メノエイデスは今どこに?」
「あーそうだったな。おまえが記憶を取り戻したんなら、その話もちゃんとしておかないとな。父親のハテラスは連れ去られた妹のセレネを、奪い返すために出て行ったまま、未だ消息不明。母親のミテラは、おまえを助けるために命を落とした。その場にいた弟のメノエイデスも、その時一緒に……」
「そっか、やっぱりあの記憶は母さんだったんだ。そして母さんの横に倒れていたのが、メノエイデス。じゃーもしかして、あの日セレネも……」
「あー、そうだ。セレネも、その日拐われた」
「十年前、何があったの?」
「十年前のあの日、レミデンの目を悪用する組織【アウエルサ】が、レミデンの治める国【アティ王国】に大挙し、多くのレミデンの民の目を奪い、命まで奪った。そしてアティ王国は滅された。だが、それだけじゃなかった。【イエナリス帝国】と言う、我々の頂点に立っていた国も、時を同じくアウエルサの侵略に遭い、壊滅的な被害を被り、王族は根絶やしにされ、事実上イエナリス帝国は滅んだ。そして、イエナリス帝国を乗っ取ったアウエルサが、国の名を【アウエルサ帝国】に変え、世界を統治し始めた。奴らは世界を暴力で支配している。そして今も尚その悪手は、着実に勢力を拡大し続けてる」
「そんな事が今もこの世界のどこかで、起きてるなんて……許せない」
「そうね、絶対に許されない」
「まー、悪い話ばかりでもない。そのアウエルサ帝国に、果敢に抵抗する勢力も存在しているんだ。―――ニルセアーネと言う女性の率いる、【アナリシア】と言う正義の組織が、アウエルサ帝国の侵攻を抑止している」
「アナリシアか……。ねー、じーちゃん、僕がアウトクラトルを取り戻す事が出来たら、僕もその人達みたいに、アウエルサ帝国から、みんなを守る事はできるかな?」
「あー、セレン、おまえなら出来る。そうだな、二人に少し歴史を話そうか。一千年前、この世界の生命体は【暗黙示録=スコタディアポカリプス】によって裏返った。影響を受けなかった生命体は、本来の姿のまま、つまり表の姿のまま。だが影響を受けた生命体は、別の何かに姿を変えた。つまり裏返った。影響を受けて表と裏どちらでもなく、狭間に姿を閉じ込められた透明の存在、レミデンにしか視認できない、【イクリープ=見えざる者】も生まれた。大きく分けて、この三種類が今も存在している。影響を受けた生命体は、今も尚その影響下で生きている。そしてアウエルサ帝国は、規模は小さいものの、その〝裏返り〟のチカラを使える。小さいと言っても、それでも国一つ程度なら、裏返す事が出来るチカラはある。だがセレン、おまえがアウトクラトルを取り戻した時、裏返った全ての生命体を、本来の姿に戻せる。そう、レミデンとしての、真のチカラを発揮できる」
「じゃー、僕の目は世界のみんなを、この世界を救う事ができるんだね」
「そう言う事だ。おまえの目は無限の可能性を秘めた、王の目アウトクラトル。そうだな、試しに今日怪我した左手を、『治れ』と念じながら、右目で凝視してみるんだ」
セレンはハフスに言われるがまま、包帯を解き患部を右目で凝視してみた。
すると、程無くして不思議な現象が起こった。
右目から三日月形の光が照射され、患部がみるみるうちに治癒し、傷跡を一切残さず完治した。
「どーだ、驚いたか? それがレミデンの目のチカラだ」
「凄い! これが僕の目のチカラ……」
「えーっ、セレンの左手の傷が、完治しちゃった!」
「だが、今はまだチカラを、多用するんじゃねーぞ。使えば使うほど、『ルナジー』が減っていくからな。ルナジーが無くなると、目のチカラは使えなくなる。使ったらちゃんと、ルナジーを補充するんだ」
「そのルナジーって、一体なんなの?」
「ルナジーは、月の光から得る、燃料みたいなもんだ。使ったら月見てりゃー、自然と溜まってくれる。因みにチカラが最大限発揮出来るのも、ルナジーを大量に得られるのも、満月の日だから、ちゃんと覚えとけよ」
「うん、わかった」
「まぁー、ルナジーが減れば、黒目の光の部分が欠けていくから、そこは判断しやすい。とは言え自分じゃわからねーと思うから、プテラちゃんに見てもらって、その都度補充するのが確実な方法だろうな。因みに教えとくとだな、約百年分のルナジーを貯めて出来ているのが、今セレンの右目の三日月分の光だからな」
この事実に二人は顔を見合わせ、そしてハモりながら驚愕の声を上げた。
「えーっ! ひゃくねーん?」
「あーそーだ、百年だ。満月となると、いったい何年掛かるんだろうな……。よーし、そろそろ家に戻るぞ、二人とも。続きはまた明日だ」
「はーい」
家に戻ったセレンは、急いでどこかに向かった。
「セレンどこいくのー?」
「洗面所」
「洗面所?」
セレンを走って追いかけるプテラ。
洗面所に到着したプテラが、少し開いた状態の扉の隙間から、そっと中を覗いた。
そこには周囲をガラスタイルで囲われた、大きな鏡の前に佇むセレンの姿があった。
逸るセレンは照明も点けず、風呂場の窓から差し込む月明かりを頼りに、無言で、ただひたすらに、鏡に映る自分をじっと見つめていた。
プテラはセレンに声を掛けるのを止めた。そしてセレンを静かに見守っていた。
そう……だよね、十年振りだもんね、気になるよね、今の自分。十年振りに自分を見た感想はどんな感じなのかな? 十年前のセレンを私は知らないけど、でも間違いなく言える、今のきみはすごく格好良いんだよって!
しばらくの間様子を見ていたプテラは、その場を離れセレンの部屋に向かった。
プテラはセレンの布団の上にうずくまり、気持ちよさそうに眠った。
セレンは気の済むまで、鏡の前で今の自分を見つめていた。
そしてセレンは……………、鏡の前に立ち続けたまま朝を迎えた。