第2話 レミデンとディオニ
セレン達が家に到着した。
「じーちゃん、ただいまー」
「おー、おかえりー。って、何だおまえ頭のそれは?」
「うん、危ないところを、助けてあげたんだ」
「ほーそうか。やるじゃねーか、セレン」
「ニャーウ、ニャーウ、ニャーウ………」
「何々、ふむふむ、『お爺さんって言ってたから、てっきりもっとヨボヨボの人を、想像してたのに、こんな筋肉質で体格が良いとは、思ってなかったわ』かー」
「えーどうして? まさか……」
「うん。じーちゃんも、プテラの言葉がわかるよ」
「えーっ!」
プテラの全身の毛が一斉に逆立った。
ハフスは右手で顎を摩りながら、全てを見透かした様な表情をして、セレンの頭の上で急に身構えたプテラに話し掛けた。
「ほぉーぅ、お嬢ちゃんは、プテラって言うのか。俺はセレンの祖父であり、男手一つでセレンをここまで育てた、親の代わりもこなすハフスだ、よろしくな」
「はいっ、プ、プテラです。こちらこそよろしくお願いします。今日は危ないところをお孫さんに助けてもらいました。凄く感謝してます。セレンは私の命の恩人です」
「そうか、プテラちゃんが無事でなによりだ」
あからさまに恐縮したプテラは、セレンの頭の上で姿勢を正すと、ハフスにお辞儀とお礼の言葉を、何度も何度も繰り返していた。
「ハフスさん、あの……セレンが私を助けた時に、左手に怪我を負ってしまって。早くセレンの怪我の治療をしてあげて下さい」
「そりゃーすぐに治療しねーとな。セレン、とりあえず椅子に座って、手ぇ見せてみろ」
室内には、木製でこげ茶色のダイニングテーブルと、四脚の椅子が並んでいた。
プテラがテーブルの上に飛び移った。
セレンは椅子に座ると、ハフスに左手を見せた。
「おー、こりゃーまあまあな、怪我じゃねーか。無茶しやがって」
「そうだったんだ。痛かったけど、そこまでとは思ってなかった」
テーブルの上のプテラが、二人の様子を少し心配そうに見ていた。
「ちょっと道具取ってくるから待ってろ」
ハフスが奥の部屋に、道具を取りに行った。
戻ってきたハフスは、道具を一式並べると、手際良く見事な処置を施した。
「患部を縫っておいたから、おまえの治癒力なら、一週間ほどで治るだろうぜ」
「ありがとう、じーちゃん」
「ハフスさん、凄い。医術の心得が?」
「まーな。これくらいの傷なら、何とか治療出来る」
日も暮れ夕食になり、テーブルにはハフスお手製のビーフシチュー、彩り鮮やかなサラダと煮豆、数種のパンなどが並んでいた。
家事は勿論、気遣いも自然に出来る、器用で万能な男ハフスは、プテラの分はプテラが食べやすい様に、浅い器に装っていた。
セレンとプテラはハフスの料理に舌鼓を打ち、三人は歓談の時を過ごしていた。
食事が終わると、お茶をすすりながら、話に花を咲かせていた。
閑散とした地に、ポツリ佇む平屋の一軒家。
そこから漏れ出す笑い声は、満天の星々、神々しい月明かりも手伝い、静寂の夜に彩りを添えていた。
「ねー、プテラはどこから来たの? どうしてアルヒの街に?」
「私は………」
プテラは間を取り、話を少しぼかして伝えた。
「ここからずっと遠い所から……。とある人を探して、世界を旅して回ってるの」
「ここよりずっと遠くから、人を探して世界を……たった一人で?」
「うん、一人で」
「プテラは凄いね。こう言うと少し失礼かもしれないけど、か弱い君がたった一人で世界を旅するだなんて。とても簡単な事じゃないと思う。でも、だからこそそんな君の事を、僕は心から尊敬してしまう」
「そーだな、ここまで一人で生きて辿り着くとは、すげー話だな」
「ハフスさん、そんな事は……。確かに、そう聞くと凄い事なのかもしれないけど。でも本当のところは、仲間を作る事ができなかった。それが事実です」
「プテラちゃん、君がここに一人で辿り着いている事も、また同じ事実だ。だとしたら、君はここに至るまで幾重にも及ぶ苦難を、たった一人で乗り越えてきたって事だ。つまりそれは、強い意志を持ち、諦めず、生きてきた証であり、十分過ぎるほど頑張ってきたって事だ。だから今は、もっと自分を褒めて良いんだ。そしてこれから先、君はもう一人じゃない。俺やセレンがいる」
ハフスの言葉で、プテラの感情や思いの詰まった器に亀裂が入った。そしてガラスの様に繊細なその器は、パリンと音をたて粉々に飛び散った。割れた器からプテラがこれまで一人抱えていた、様々な思い、感情が溢れ出す。それと同時に蒼く透き通る瞳から、朝露の様な雫が滴り落ちた。
―――プテラが報われた瞬間だった。
諦めず〝生きてて良かった〟と、プテラは心の底からそう感じていた。
ハフスとセレンは、感情を露わにしたプテラが落ち着くまで、暖かく見守っていた。
「ごめんなさい、ちょっと色々思い出しちゃって思わず……」
「大丈夫?」
「うん、もう大丈夫だから」
プテラが落ち着きを取り戻すと、セレンが訊ねた。
「プテラの探してる人って、どんな人なの?」
「私の探してる人は、【レミデン】って種族の人」
セレンは耳にした事のない単語に、興味津々(きょうみしんしん)に訊き返す。
「レミデンって言うのは?」
「レミデンは〝目にチカラを宿す種族〟の事なの」
「へー目にチカラを宿す人か。世界にはそんな人達もいるんだ。知らなかった。世界って凄いんだね、じーちゃん」
「そーだ。世界には、セレン、おまえの知らない種族の人間が、他にもたくさんいる」
「そっか。僕も会ったみたいな、もっと色んな人に。そして話をしたい。プテラは、そのレミデンの人達に会う事が出来たら、どうするの?」
「もし会う事が出来たら私は………。実は私、本当は………」
ハフスがプテラの言葉を遮る様に割って入り、プテラの発言を制止した。
「おーっとプテラちゃん、今はそれ以上は言っちゃいけねー」
「えーなんでだよ、じーちゃん?」
「なんででもだ。プテラちゃんも、今は俺の言う通りにしてくれ」
「わ、わかりました」
「あー、余計気になるよ」
「セレン、いいからおまえは風呂にでも入ってこい。患部は湯船に浸けるなよ」
「はーい。あっそうだ、プテラも一緒に入らない?」
「入りません!」
即答されたセレンは残念そうに俯き、一人しぶしぶと風呂場に向かった。
セレンは湯船に浸かりながら考えていた。
あーあ、やっぱり気になるなー、プテラがさっき何て言おうとしてたのか。僕に聞かれちゃいけない話なのかな………。あー考えれば考えるほど、好奇心と知識欲が抑えられない。じーちゃんにバレない様に、後でプテラにこっそり訊いてみよう。
セレンが風呂に入ってる間、ハフスとプテラはハフスの部屋で話し込んでいた。
ハフスが椅子に座り足を組み、プテラはベッドの上でしっぽ巻き座りしていた。
「さーまずは何から話すべきか……。んーそうだな、プテラちゃん、まずは君の事から話そうか。そうだな………君の正体と、レミデンを探してる、その理由でも話そうか」
真に迫るハフスの口調に、プテラは威圧され固唾を飲み、少し背筋を伸ばした。
「君は………。金色の翼を有する君は………。そして、レミデンを探す理由は………」
「はい。その通りです。でもどうしてそれを?」
「それは俺が、―――【ディオニ】だからだ」
「やっぱりそうだったんですね。〝万物の声を聴く事が出来る種族〟ディオニ。これでセレンが私と話せる事も、理解できました」
「まーでも、セレンは俺ほどディオニの血を、色濃く受け継いでねー。俺は純潔だが、セレンは純潔じゃねーからな。とは言えセレンも、それなりの力は持っているがな」
「ハフスさんは、一体何者なんですか?」
「俺か、俺はこの十年間セレンを守り、鍛え、そして育ててきた、孫をこよなく愛する、ただの孫馬鹿のジジイさ」
ハフスはそう言うと、プテラにウインクして見せた。
「それって……なんか誤魔化された気もしますが。言えないなら、深く詮索はしません。じゃー話を変えます。さっきハフスさんが私の話を遮った理由って、セレンに聞かせたくなかったからですか? それとも他に理由が?」
「プテラちゃん、その答えは後者の方だ」
「それはつまり……?」
ハフスがその理由を伝えた。
「まーそもそも、プテラちゃんと会話出来る人間が、そうそういねーから、その心配もそんなにしなくても大丈夫なんだが。とは言え、俺やセレンみてーな例外もいるし、どこで誰が聞いてるとも限らねーからな、注意するに越したこたーねー」
「そう……だったんですね。そんなの全然、知らなかった。今後は十分注意します」
「ああ、それでいい」
「教えてくれて、ありがとうございます。それで、もう一つ訊いても良いですか?」
「もちろん。なんだ?」
「あの……レミデンについて、知っている事があれば教えてもらえませんか? 人と話せるこんな好機が、次いつ訪れるか想像もできないので………」
「レミデンについてね……」
「はい、どんなに些細な事でも構いません。教えて下さい」
「―――ああ、知ってるとも。君の探してるレミデンを。その人物までも」
「えっ!? それってどう言う意味なんですか?」
「君の探し人は満月たるこの日、その封印を解き、君の前にその姿を露わにする」
風呂から上がったセレンは、プテラからこっそり話を訊く計画を実行すべく、すぐさま行動を起こしていた。
「プテラー、どこにいるの? プーテーラー」
セレンがプテラの名を何度も呼び、その声はハフスの部屋にも聞こえてきた。
「はーんぐぅ…」
「静かに」
ハフスが「はー」でプテラの口を塞ぎ、プテラに理由を説明した。
「セレンの事だ、おおかたさっき俺に止められて訊けなかった、プテラの話の続きを俺にバレない様に、訊き出そうと企んでるんだろうよ」
「どうしてそんな事がわかるんですか?」
「まー、十年もセレンと生活してりゃー、アイツの考えてる事が手に取る様にわかる。それにアイツは、好奇心と知識欲の塊みてーな人間だからな。一度気になっちまうと、自分の納得のいく許容範囲に事が収まるまで、その追究は終わりを見ない。俺が今まで何度それに付き合わされた事か………」
「えーっ!」
「プーテーラー」
セレンの声が近付く。
「そして何より、セレンが訊きたい話の内容は、さっき俺がプテラちゃんに注意を促した、プテラちゃんの最重要禁止事項の話だ。接触は絶対に避けなければならない」
「はい! 全力でっ!」
「プーテーラー」
セレンがハフスの部屋の扉を開け、ハフスに訊ねた。
「じーちゃん、プテラ見なかった?」
「おー見たぞ。プテラちゃんなら『ちょっと外の空気を吸ってくる』って言って、外に出ていったぞ」
「そっか。じゃー僕、外探しに行ってくる。ありがとう、じーちゃん」
「おー、気いつけてな。夜は昼間ほど見えねんだし、無理はするんじゃねーぞ」
「わかってるって」
セレンは足早に外を目指した。
「もー大丈夫だぞ」
布団に潜り隠れていたプテラが、安堵の表情を浮かべた顔をひょいっと覗かせた。
「ふー助かったー」
その頃セレンは、外でプテラの名を叫んでいた。
「プテラー、どこにいるのかなー。出ておいでー。セレンが探してますよー」
ハフスは窓からセレンを見守っていた。
プテラは、少し良心の呵責に襲われていた。
止むを得ないとは言え、ちょっと心が痛くなってきた。セレン、ごめんね。
セレンが夜空を見上げて月に目を向け、月の輪郭を感じていた。
今日は特に明るいなー。
そっか、今日は満月か。それにしても今日の月は、一際大きく感じる。
「ザザザーザザーザー」
漏れ出した記憶が、満月に魅入られ、立ち尽くすセレンの脳裏に、ノイズと共に昼間と同じ、幼子を守る大人の女性が、数人の大人に囲まれている映像を見せた。
月から放たれる壮麗な光の矢が、セレンの瞼をすり抜け、その先にあるセレンの記憶を隔離し閉じ込めている箱に突き刺さった。ほんの僅かにズレた蓋の隙間から、記憶の一つだけが漏れ出していた。重厚かつ強固な箱は、それ以外の記憶を鉄壁に守護していた。その矢に意志でもあるのか、その箱をこじ開けんとして、数多の矢が止め処なく降り注ぐ。ようやく箱に一つ穴が空いた。そして、その穴から幼い頃の記憶が漏れ出した。
「ザザザーザー」
見た事もない、記憶にもない映像が、セレンの脳裏で渦を巻く。
「ママ、目が見えないよー」
「セレン、大丈夫よ……。あなた達は私が絶対に守るから」
矢が突き刺さるたび、セレンは欠けていた記憶を取り戻していった。
「ママどこにいるの?」
「ここよセレン。あなたの目の前にいるわ」
「ママ……泣いてるの?」
「セレン……」
「よーし、よーし。ママ、大丈夫、大丈夫だからね」
セレンはそう言いながら、小さな右手でミテラの頭を何度も何度も撫でた。
ミテラが小さなその手を握りしめると、止め処なく涙が溢れ落ちた。
「ありがとう、セレン。セレンの手はあったかいね。あなたは本当に優しい子。良い子に育ってくれて、ママ本当に嬉しいわ。あなたは私の宝物よ。ごめんねセレン、ママはあなたと離れたくなくて、苦しくて、悲しくて、寂しくて、涙が止まらないの。だけどね、そろそろお別れしなくちゃいけないの。これ以上ママと一緒にいると、あなたを危険に巻き込んでしまうの。だから……ね」
「ママ、何言ってるの? ボク、ママとお別れなんてしない」
「今だけは、我儘言わないでセレン。お願い。ママの言う事を聞いて」
「わっ、わかった」
「良い子ね。じゃー少しの間、セレンにはねんねしてもらうね」
ミテラは右手をセレンの顔に翳した。しかし気持ちが揺らいだのか、一旦その手を下ろしセレンに話かけた。
「セレンごめんね。あなたを守るために、今はこうする方法しかないの。あなたは今日、光を失ってしまった。でもこの先、その光を再び取り戻す時が必ず訪れる。だけど、今はそれも理解しなくたって良い。だからその時が訪れるまで、あなたのこの悲しい記憶と光を失ったその目を封印します。あなたが光を取り戻す時が訪れた時、失われた記憶はあなたの今と繋がり、十三の歯車が回り始める。たとえ光を失ったままだとしても、その時まで強く生きて―――私の愛するセレン」
そう言うと、ミテラはセレンをギュっと抱きしめ、おでこにそっと口付けした。
ミテラは再びセレンの顔に右手を翳すと、気持ちを押し殺し封印を施した。
「《八域連鎖一寝》」
するとセレンの両目の上下左右、計七カ所に小さな黄色い点が現れ、中心部分となる重る点(両目の目頭の延長線上にある鼻の上あたり)は、一際光を放っていた。
中心部分から始まった黄色い光は、8の字を描く様に点を順に繋いでいく。光の辿った跡には、黄色く光る鎖が現れていた。光が再び中心点に戻り、全ての点が繋がり8の字になった瞬間、鎖が繋がり錠が現れその中心点で鍵を掛けた。
それと同時に、セレンの脳内ではミテラが口付けしたあたりを中心に、木が根を張るように黄色い光が根を張り脳内を巡る。そしてセレンの六年分の記憶から、家族の記憶、目の記憶、今日の記憶を探す。記憶を見付けると、その記憶をひと所に集約した。そこに蓋の空いた立方体が現れ、その中に記憶を全て収めると蓋をした。
「マ…マ……」
セレンはそう言いながら気を失った。
「セレン、ママのたった一つの望み、それはね………」
ミテラ達のいる建物にも火の手が迫っていた。
ハフスが風の声を聞きこの場に駆けつけた。
「ミテラ、おまえ……」
「今は時間がないのパパ。セレンをつれて、急いでここから離れて」
「おまえ達を置いてなんて……」
「敵の手の者も、火の手も、もうそこまで迫ってきてる。今の私は足手まといになる。私からパパへの最後のお願い。セレンを死なせないで、絶対に守って」
「わかった……セレンは俺の命に代えても必ず守る。だから……安心しろ」
「ありがとう……パパ」
ハフスは奥歯をギュっと噛み締め、セレンを連れその場をあとにした。
「―――セレーン愛してる」
ミテラの慈愛に満ちた大きな最期の叫び声が、遠く離れたハフスの耳にも届いた。
おまえの意志は俺が受け継ぐ。だから安心して眠れ最愛の娘ミテラ。
記憶を封印していた、鉄壁の守護者は月の矢の前に砕け散った。
―――失われていた全ての記憶が、セレンの今と繋がった。