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銀の魔王は棺に眠る  作者: 此島
一章
6/32

 瀬戸際で逃亡を阻止した賊は、如何にもひ弱そうな少年だった。

 見た目はゼラと同じような年頃だろうか。どんなに高く見積もっても十五の齢は越えていないだろう。生成りのシャツの上から小作りな体格をすっぽりと覆い隠すように地味な色の上着を被り、同系色の頭巾付きの肩掛けを羽織っている。東の小国エルタータ風の衣服は全体的に体形に合っていない大きめの物のようで、まだあどけなさの残る面立ちも相俟って少年を推定出来る実年齢よりも幼く見せていた。

「ヴェインがまじまじと観察するからその子、怖がってるよ?」

 廊下に通じる扉がそっと閉められ、部屋が秘やかに閉ざされる。扉を閉めたゼラはずり落ちそうな眼鏡の向こうから怖々と相対する人間達を窺う少年に「ねえ?」と微笑み掛け、彼の座らされている長椅子の裏に回って背凭れ部分に両腕を乗せた。賊の少年を庇うかのような台詞だが、その実本当は彼をからかっている事がゼラの表情に如実に表れている。

 ヴェインはゼラに淡泊な視線を返し、問う。

「どうして牢ではなく此処に連れて来た?」

 数架の本棚が目立つ以外には最低限の調度しかない、全体的に生活感に乏しい殺風景なこの部屋はゼラの私室だった。廊下とは反対側にもう一つ扉があり、其方は寝室となっている。

 城下で賊の少年を捕らえた後、引き立てて再び牢へ連れて行こうとするヴェインにゼラは自身の私室の方へと行くよう口を挟んだ。その場で説明はされなくても、そうやってゼラが彼女に指図をする時にはそれが妥当であると思わせるだけの意味や理由がある。だからこそ言う通りに手早くこの部屋まで連行して来たが、そろそろ意図を尋ねてもよいだろう。

「その方が騒ぎにならないと思って」

 ゼラはにこりと笑んで、火の気の無いどころか薪一本入れられていない暖炉に向かって左腕を伸ばした。白い指が空に細かな図形を描き出し、指の跡をなぞるように星の瞬きめいた銀の魔力光が走る。

 空中に描かれた図形の中心にゼラが無造作に触れると、拳大の炎が生まれ、残光の尾を引いて暖炉の中に飛び込んだ。頭の側を通り抜けた火球に賊の少年が怯え、びくっと跳ねて身を縮める。

「今年はいつもより冬が来るのが早いみたい。雪も沢山降るかな?」

 警備、安全上の問題から城内での魔術の使用は訓練所などの一部区画を除いて原則禁止である。にも拘わらずゼラは規則など気にも留めずに何処であっても魔術を使う。城内の至る所に刻み込まれた結界さえも物ともしないその様は、まるで自身が特別であると周囲に見せ付けるかのようだ。

 暖炉の底に刻まれている術式を自動で維持する魔法陣が淡く輝き、投じられた炎が静かに燃え始める。作り物めいて灯る炎から視線をゼラへと戻し、ヴェインは先の答えに対する補足を求めた。

 見つめるヴェインにゼラは肩を竦める。

「だって、大騒ぎになるよ?この子の()()がばれたら」

 言って、ゼラは少年の首許に手を伸ばした。

「…っ!?」

 ゼラの手を押し止めようと少年が抵抗して身を捩る。だがゼラは構わず肩掛けの留め紐に指を掛け、結び目を解く。小さく悲鳴を上げた少年が両手で頭巾を押さえるが、その隙にゼラは今度は彼から眼鏡を奪う。

 少年は目の前でちらつかされた眼鏡を奪い返そうとして、片手を頭巾から離した。ゼラが彼にしては強引な動作で少年の肩掛けを剥ぎ取る。

「魔具にするには少し珍しくて、面白いかな。其方の腕環の方は魔力切れみたいだけど」

 肩掛けと眼鏡を長椅子の端に放り、ゼラは少年の左の袖口から覗く金細工の細い腕環を指差す。

 ヴェインは驚愕して少年を凝視した。ゼラが肩掛けと眼鏡を奪い取った途端、少年に思いも寄らぬ変化が起こったのだ。

 多少暗い色をしている他には何の変哲も無い少年の茶色の髪と瞳が、瞬く間に鮮やかな煌めきを迸らせる金の色へと変わってゆく。さながら上から色を塗り替えるかのように。細かく散る光が肩まで届く髪の先端まで行き渡ると、其処にはこの場に存在する事など絶対に有り得ない金髪金瞳の容貌が現れる。

「〝聖なる金〟!?」

 想像すらしなかった事態に思わず声が大きくなるヴェイン。ゼラが立てた人差し指を自分の唇に当てて「静かに」との手振りをする。

「冷静沈着で有名なヴェインでさえそれだもの。人目は避けた方がいいでしょう?」

 秘密が露呈して恐れ慄く少年を見下ろし、ゼラは大輪の薔薇のような笑みを零す。一大事だというのに平生と変わらぬ調子のゼラに呆れつつもヴェインは幾らか落ち着きを取り戻し、一度大きく息を吐いてから口を開いた。

「聖ナージュの王族が何故此処にいる?」

 アルトナージュ皇族の〝銀〟と同様、〝金〟の色は聖ナージュ王国の王族だけに現れる特別な色彩であった。アルトナージュでは銀髪銀瞳の者を〝帝銀〟と呼ぶように、聖ナージュでは金の髪と瞳を持つ者を〝聖なる金〟と言う。彼の王家曰く、輝く光の神の血を引く半神半人を祖先とする証であるらしい。

「それをこれから訊くんじゃない?」

 他国の王族を相手にしても人を喰ったような態度を崩さないゼラは、笑い混じりに少年に話し掛ける。

「確か、今のナージュ王家に〝聖なる金〟はたった一人だけだったよね。ようこそ、アルトナージュへ。リーファ・ラクリシア・ナージュ王女殿下。僭越ながら、そのような変装までして我が国へと賊に入った理由をお聞かせ頂いても?」

 少年――否、男装の少女は胸の前で両手を重ねて肩を縮こまらせながらも、口許を引き結び、精一杯の厳しい顔でゼラを睨んだ。

「…私の事を知っているの?」

「お隣の国の姫君の名前くらい、知っていても不思議は無いでしょう?因みに、貴女が大きな行事を除いてほとんど表に出て来ない事も知っているけどね。久し振りに生まれた〝金色〟だから王宮の奥の奥に大切にしまわれているらしいって噂。…ああ、そういえば別の噂の方も聞いた事あるけど、正しいかどうか確認してみる?」

「…っ、何で……!?」

 それぞれ大陸の北部と中央を支配する大国として隣り合っていながら、アルトナージュ帝国と聖ナージュ王国の間の国交は無いに等しい。だというのに、故国の内情に詳しいらしいゼラにリーファが驚きを隠せずに言葉を詰まらせる。

「公的な外交だけが国同士の付き合いじゃないよ。アルトナージュ(うち)にだって余所に送り込んだ密偵くらいいるしね」

 ゼラが嗤う。喋り過ぎだとヴェインは軽く其方を睨んだが、ゼラは微笑むだけで取り合おうとしない。

 暖炉の内で蠢く炎に暖められた空気は広い部屋全体に行き渡る前に再び冷えてしまう。少しも暖まらない部屋の温度は場に横たわる刺々しさに変わり、一層空気を凍えさせる。

 ヴェインは仄かだが珍しくそれと判る敵意を映し出すゼラの横顔に、リーファへほんの微かにだが同情めいたものを抱いた。相対する相手が相手であるので普段よりも抑制が効かないのは無理も無いのだろうが。

 だが、これで賊が霊廟の扉を開ける事が出来た理由がはっきりした。恐らくは賊として捕らえられたこの王女が扉を開いたのだ。ゼラも開扉の謎と王女が魔具を身に付けている事を併せて考え、その素性に察しが付いたのだろう。

 アルトナージュ帝国の始祖は、元は聖ナージュ王国の王家の出である。数百年の昔に故あって祖国に反旗を翻し、その国土の北半分を奪い取るに至ったが、元は一つの王家、一つの血族だ。アルトナージュ皇家の血統の者にしか開けられない扉を聖ナージュ王家の人間に開く事が出来ても何らおかしくはない。

「それで――王女様がいるんだからまず犯人に間違いは無いと思うけど、リト(金の)ナージュがどうしてうちから聖骸なんか盗んだの?」

 リーファを捕らえた際に彼女から取り上げた短剣を弄びながら、ゼラが言う。詰問よりは穏やかに、しかし声音の奥に無数の氷の針を潜ませて。

 かつて袂を分かったとはいえ同じ血族が築き上げたアルト(銀の)ナージュ帝国を頑として認めようとしない聖ナージュ王国への、積年の皮肉の込められた彼の国の呼び方。あからさまな悪意にリーファは挑むように顔を上げ口を開き掛けたが、はっとしたように歯噛みをして、迫り上がった言葉を噛み殺した。少女は目線を斜め下の床に落として沈黙する。

「答えろ。返答如何によってお前の処遇を決める」

「……っ…」

 追撃のようなヴェインの低い恫喝にリーファは怯んだ風に息を呑んだ。けれども言葉は発さない。きつく目を瞑り、震える膝の上で拳を固めるだけだ。

 恐怖に苛まれながらも決して質問に答えようとしないリーファの必死な姿は、目の前の敵に対して震えつつも奮闘する子犬か何かのようだった。だからといって可哀想だと思うような感傷的な人間ではないが、その身分も含めて扱いかねる少女を前にヴェインは対処に悩んだ。

 どうしても口を割らないなら力ずくで吐かせてもいいのだが、他国の王女が相手では後々支障が生じるかも知れない。そもそも王女の強張った表情の裏には相当な覚悟が透けている。こういった相手を力だけで捩じ伏せるのは難しいだろう。

 どうする、とヴェインはゼラに視線をくれた。ゼラは長椅子の背凭れに片手を掛け、ひらりと宙を舞ってヴェインの隣に並ぶ。

「まあ、喋らないのなら仕方が無いんじゃない?」

「それでは片付かないだろう」

「じゃあ、どうやって口を割らせる?定番に一本ずつ指でも切り落としてみる?僕は別に止めないけど」

「それで白状するのなら行うに吝かではない」

 平然と行われる物騒な相談にリーファがぎょっとヴェイン等を見る。しかし彼女が動揺を見せたのは僅かの間で、すぐに顔を逸らして何でもない風を装った。尤も、リーファが口の中で呟くように光の神への祈りの文句を唱えたのをヴェインは聞き逃さなかったが。

「だって。どうする?」

 ゼラは瞳だけをリーファに向け、愉しげに破顔一笑した。リーファが会話の内容に努めて反応を示さないようにしているのを知っていての態度な辺り、極めて質が悪い。

「どうするかを決めるのはお前だろう。私は決定に従うだけだ」

 放っておけばどのくらい続くか判らないゼラの悪巫山戯に横槍を入れる形でヴェインはその指示を仰いだ。フェルキースから賊の確保及びに聖骸の奪還を命じられたディオールの隊長はゼラなのである。

「ヴェインが決めてくれてもいいけど?」

「莫迦を言え」

 幾ら副長の立場にあるとはいえ、隣にいる隊長を差し置いてヴェインが決定を下す事など出来る筈が無い。その意を込めて軽く睨み付けると、汲み取ったゼラがまた笑う。

「仕事に対してつくづく真面目だよね、ヴェインって。そういうところ、嫌いじゃないけど」

 矯めつ眇めつしていたリーファの短剣をヴェインに手渡して、ゼラはくるりと長椅子に背を向けた。

「その子を連れて、南に向かったっていう賊を追い掛ける。恐れ多くも〝聖なる金〟の王女様だし、聖骸との交換とか、そういう交渉にくらいは使えると思うしね。出発は明日」

「すぐ発たなくていいのか?」

「今すぐ発つんじゃ僕達は良くても、其処のか弱い王女様の体力が持つかどうか判らないでしょう?昨夜は冷たい地下牢にいた上に尋問攻めで碌に寝ていないだろうから。交渉材料にするにしても五体満足の健康体でいてもらわないと。丁重に扱ってこそ人質としての価値が保てる訳だしね」

 銀の一瞥にリーファが探るような視線を返す。差し当たっては危害を加えられる事は無いと見て、幾らか安心したようだ。

 ゼラの下した決定に異存は無かったので、ヴェインは何も言わずそれに従う事にする。

「それじゃ、僕はルキにそう伝えて来るから。王女殿下がいらしている事くらいは教えておかないと。という事で後は宜しくね、ヴェイン」

「後?」

 だが、次いでの言葉の中に婉曲に面倒事を押し付ける雰囲気を嗅ぎ取ってヴェインはやや顔を顰めた。

「うん。今夜はこの部屋でその子と一緒に過ごしてね。牢に戻したらまた逃げられるかも知れないし、その方が安心でしょう?監視役宜しくね」

 訝るヴェインに最早決定事項としてそう言って、ゼラは然り気無く部屋を出て行こうとする。

 軟禁にゼラの私室を利用するのは解る。城内に与えられたヴェインの部屋がある区画と比較して、皇族の居住空間があるこの西棟四階は余計な人間の出入りが少ないからだろう。逃げたという仲間などが王女であるリーファの救出の為に潜入しようとしても、衛兵に見咎められる可能性も高い。それは理解しているが、監視役がヴェインである必要は感じなかった。

 彼の私室なのだから、ゼラが自分でリーファの動向を見張っていればいい。ヴェインはそう意見を述べた。するとゼラは小鳥のように首を傾げた。

「考えてもみて。年頃の姫君と一晩同じ部屋で過ごして、あらぬ言い掛かりを付けられたらどうするの?そんなの堪ったものじゃないよ」

 待てと呼び止めるヴェインを肩越しに小莫迦にするように見て、ゼラは冗談めかして言ってそのまま扉を押し開けた。

「僕はルキの所にでも泊まるから気にしなくていいよ。女官にもそう伝えておくし、部屋は寝室も含めて自由に使っていいから」

「おい、ゼラ」

「また明日ね。大分早いけど、おやすみなさい」

 廊下に消えるゼラと、無情にも閉まる扉。廊下からの入り込んだ寒気に身を震わせる、先程までよりも怯えの色を濃くしたリーファと正面から目が合う。

「…ひ…っ…」

 少女は明らかにヴェインの事を怖がっていた。元々小さい身体をまるで魔物か何かを前にしているかのように縮め、更にはいつ牙を突き立てられるのかと慄き、目許には涙さえ浮かべている。

 これなら監視役がゼラの方が彼女にとってまだましなのではないか。というか、何も監視役を一人に絞らなくても良かったのではないだろうか。逃亡を防ぐ為ならばヴェインとゼラの双方が同時に監視に付いていた方が確実である。

 どうやら厄介な子守り仕事を任されたらしい。確実に得意分野ではない役目を割り振られたヴェインはゼラの去って行った扉を暫しの間無言で見つめていた。が、扉は誰も通さぬかの如くに重厚に閉ざされたままで、待てど暮らせどゼラが戻って来る気配は些かも無いのであった。

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