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銀の魔王は棺に眠る  作者: 此島
一章
3/32

 アルトナージュ帝国、帝都レヴァン。活気に満ち繁栄を謳歌するその都の最奥に建つ荘厳なこの城は、瀟洒でありながらも清廉な印象を受ける造りをしている。

 均一に切り出されて精緻に組み上げられた灰白色の石壁を彩る飾り幕の色は優美な青。所々に配された調度の類は細やかな細工を施されてはいるものの、華美にはならない絶妙な加減で城内に色を添えている。ともすれば神殿か何かのような静謐な雰囲気の漂う城内だったが、城勤めの者達の足音や話し声が其処に生気を与えていた。

 ヴェインは鏡のように其処を行く者を映す床石に長靴の靴音を響かせて、塵一つ落ちていない廊下を歩いていた。

 道を譲って脇へと退いた女官達に頭を下げられ、白の軍服を纏う者等が負けじとするように背筋を伸ばし胸を張って歩くのと擦れ違い、目的の一室の前で立ち止まる。

 小振りな花を咲かせる蔓の装飾が彫り込まれた立派な扉の両脇に佇む衛兵は、ヴェインを認めると何の遣り取りも無く彼女を中へと通した。この時刻に報告に訪れる事を先に伝えていた為だろう。尤もそれを伝えておいたのはヴェインではなく、相棒のゼラの方なのだが。

 扉を抜けると、東西に長い部屋の北側一面を占める嵌め殺しの窓硝子から射し込む光が目に刺さる。僅かに顔を顰めてヴェインは室内の奥にある黒檀の大きな執務机に就く青年の方へと向かった。

 ヴェインは机の手前で片膝を折り、臣下としての礼を取る。読んでいた書類から顔を上げた青年は億劫そうに頬杖を突いた。

「ゼラは?」

 第一声はたった一言。言いながら額に掛かった銀の髪を払い、皇帝(エウリカ)フェルキース・ローゼ・アルトナージュは本来なら任務完了の報告に来るべき立場にある少年の不在を問うた。

「任されました」

 お陰で皇帝に謁見する為の最低限の身繕いを急ぎする羽目になったヴェインである。

「……またか」

 フェルキースの白皙の美貌に少々の険が浮かぶ。その怜悧で硬質の美貌故に彫像めいた迫力がある彼だが、高く通った鼻梁に皺を寄せる仕草は何処となく子供っぽい。

「…まあいい。顔を合わせたところでどうせ小言の応酬になるだけだからな」

 疲れた溜め息をついてフェルキースは報告を促す。応じてヴェインはヘインリール卿の一件についての次第を簡潔に語った。

「ご苦労」

 対する返答は短いが、フェルキースとの遣り取りはいつもこういった感じだ。ヴェインの方も務めに関する事柄以外では生来言葉数の少ない質であるし、交わす会話は端的になる。愛想など欠片も存在しないが、お互い初めからそのようなものなど求めていないし、必要だとも思っていなかった。ある意味では気安い関係と言えなくもない。

「では、失礼致します」

「いや。悪いがまだ話がある」

 辞して退室しようと一礼し掛けたヴェインだったが、引き留められた。フェルキースは書類を脇に寄せ、ヴェインの後方へと視線を投げる。

「お前達は少し下がっていろ」

 ぞんざいな主の命に、広い執務室の端に控えている近衛達が一斉に礼をして影のように扉へと消えた。

 近衛が出て行ったのを見計らってフェルキースは机上に両の肘を突いて十指を組み、その上に顎を乗せて口を開く。

「一つ困った事になった」

 重たげに一度言葉を切り、視線を逸らすように彼は窓の外を見遣った。先日降った初雪に、小さな湖を挟んで城の後背を守るかのように蹄鉄型にそそり立つヴィーテ山の絶壁の岩肌がうっすらと白粉を叩いたようになっていた。空には冬の気配を感じさせて厚い雲が懸かっている。

「霊廟に賊が入り込んだのだ。賊は石棺ごと聖骸を盗んで逃げ去った」

「聖骸を?」

 ヴェインは片眉を顰めた。

 〝聖骸〟とは、アルトナージュ帝国建国の祖である初代皇帝の遺骸の事を指す。絶大なる力を有していたという初代皇帝は死して尚その亡骸に強い魔力を宿しており、その遺骸は国土を守護する守り神として祀られている。が、当然金銭的な値打ちがあるものではない。極論してしまえばただの古い死体であるのだ。幾ら強大な魔力が宿るものと言われているはいえ、そんなものを態々盗み出す賊がいるとは俄には信じ難い話だった。

「今、『金目の物でもないのにどうしてそんなものを盗む奴がいるんだ』と思っただろう?」

「…いえ」

「そうか?私はそう思ったがな」

 何処か冷めた表情でフェルキースはさらりと言い放つ。件の聖骸から続く血統に連なる者としては些か罰当たりな発言だが、彼にとって四百年少々昔の先祖の存在などはお伽噺の登場人物めいて、敬意を抱くには遠過ぎるのかも知れない。

「丁度昨日の今頃だったか。あれが盗まれたのは」

 皇族にしか現れない血筋の証である銀髪を空惚けた風に掻き上げ、フェルキースは続ける。

 昨日、フェルキースはいつものように聖骸を祀る霊廟を訪れた。廟は帝都の北東の郊外にあり、日課とまではいかないが、彼には廟へと参っては其処でぼんやりと時間を過ごすという風変わりな習慣があった。だからその日も常の通りに、お忍びの外出の際に同行する決まった近衛の者二名を伴って出掛けたという。

「私が到着すると奇妙な事に外門が開いていたのだ。近くには門番の物言わぬ死体が転がっていて、近衛達が大層驚いていたな」

 と、思い切り他人事の口調で語るフェルキース。確かにこの青年の性格ならば並大抵の事では動じないだろうが、番兵が殺害されている上に外門が破られていたのなら、もう少し危機感を持った方がいいのではなかろうか。その場に在っても平時と変わらぬ泰然とした態度を崩さない年若い皇帝の姿が簡単に想像出来て、ヴェインは顔には出さなかったが多少の呆れを抱いた。

「お前、『もう少し慌てろ、この莫迦』とか思っているだろう?」

「いいえ」

「即答に免じて差し許す。とにかくだ。門番が死んでいて入口が開け放たれていれば、私にだって何者かが押し入った事くらいは判る」

 ゼラとは配色が左右異なるフェルキースの銀と紫苑の瞳が鋭く虚空を見据える。

「となれば目的は聖骸くらいしかないだろう。あんな黴臭い死体を態々重い石棺ごと盗み出そうとする輩の気が知れんが、流石に見過ごす訳にもいかない。それ故私は近衛達と中に踏み込もうとしたのだが……折しも賊の方から飛び出して来てな。しかも馬車で」

 フェルキースはその時の事を思い出したのか舌打ちをし、渋面を作った。徐に椅子から立ち上がると室内を程良く暖めている暖炉の所まで歩いて行き、手にしていた覚え書きと思しき一枚の紙切れを炎にくべる。

「全く…。私が俊敏だったから良かったようなものの、一歩間違えば轢き殺されていたところだ」

 紙切れが燃え尽きるのを見届けてからフェルキースは椅子へと戻った。

 その後のフェルキースの話を纏めるとこうだ。

 飛び出して来た馬車にはやはり賊が乗っており、近衛の一人を端に引っ掛けて弾き飛ばし、駆けて行った。フェルキースは無傷の方の近衛にすぐさま馬車を追わせたが、しかし僅かに及ばず賊を取り逃してしまったらしい。

 馬車に撥ねられた一人は骨を折る重傷を負ったものの命に別状は無く、もう一人も馬車を追った際に妨害を受けて軽い怪我を負った。こそ泥如きも捕らえられない使えない連中だとフェルキースは憎まれ口を叩いたが、内実ある程度は彼等の怪我を案じているのが不満げに寄せられた眉根の辺りに表れている。

「という訳だ。ヴェイン・ブランクーゲル。お前とゼラに新たな任務を言い渡す」

 フェルキースが皇帝としての威厳を存分に発揮して命を下す。これで行儀悪く机に両足を乗せながらでなければ様になるのだろうが、敢えてそれを指摘するつもりはヴェインには無かった。

「聖骸を賊の手から取り戻して来い。捕らえた場合の賊の処分はお前達の判断に任す。私は取り敢えず、聖骸さえ戻ればそれで構わないからな」

「承知致しました。支度が整い次第出立致します」

「頼んだぞ。賊の足取りは先行したシェリスタが追っている。どうやら南に向かっているらしいが、その内また私の方に連絡が来るだろう。詳しい所在が判ったら此方からお前達に伝える。…ああ、それから地下牢に捕らえた賊の一味の一人がいる。追跡を妨害して馬車から飛び降り、体当たりして来た奴だ。一通りの尋問はしたが、結局黙りを決め込まれた。お前達――というか、ゼラ辺りなら何か気付く事があるかも知れん。一応会って行け」

 敬礼を承知の返事に代え、ヴェインは今度こそフェルキースの執務室を後にした。

 何にせよ、まずは彼女に報告を押し付けたゼラの居場所を探さなければ。彼のいそうな所として思い付く所は幾つかあるが、ヴェインはまず一番近くから心当たりを見て行く事にした。

 目的の人物はあっさりと見付かった。

 一階の玄関広間から真っ直ぐ延びる大階段で繋がった吹き抜けの二階廊下。矩形の内側を刳り抜いたような構造になっているその廊下の、城の正門側にある大窓は、表庭に面した露台へと続いている。其処に彼はいた。

 露台の手摺りに腰掛け、宙空へ投げ出した足をぶらぶらと揺らす少年の華奢な背が見える。ヴェインが声を掛けるよりもほんの少し早く、少年が振り返る。澄んで冷たく香る風が少年の黒髪を撫でた。

「報告お疲れ様」

 悪怯れもせず微笑むゼラにヴェインは一つ忠告をしてやった。

「突き落とされても知らんぞ」

 けれどもゼラは意に介さず、手摺りを掴んだ両手を支えにして、一層身を乗り出すように上体を前に傾けた。

「そんな度胸のある人、いないと思うけど?それに僕、気配には敏感な方だから大丈夫だよ。特に不穏な感じの人はね」

 フェルキースと良く似た、しかし彼に比べて柔らかで、どちらかと言えば少女めいた造作をした美貌に艶を含んだ笑みが浮かぶ。それは、不用意に触れれば忽ち心身を蝕れる毒花の美しさだった。

 巫山戯ているようなゼラの言葉は無視して、ヴェインはさっさと本題に入る事にした。

「次の任務が決まった」

「そう。すぐ出掛けるの?」

「先に寄る場所がある。細かい支度はその後でいい」

 ゼラは特に詳細を聞き返しはせずにそのまま手摺りの上に立って、露台の此方側に飛び降りる。

「じゃあ上着もいらない?」

 定められた制服をきちんと着用する気の無いゼラは、いつだって普段着の上に軍服の上着を着込むだけで任務に出ている。特に任務の無い平時であっても部隊の制服である黒ずくめの軍服一揃いを纏っているヴェインと違って、彼は今も平服姿でいた。

「態々必要無いが、制服くらい日頃から真面目に着ておけ」

「ディオールって、ヴェインみたいにきちんと着ている人の方が珍しいと思うけど?」

「お前がそれだからだろう」

「別にいいんじゃない?特に命令が無ければ皆好き勝手動いているような部隊なんだから」

 ゼラは「ヴェインってば真面目なんだから」と笑って、尋ねる。

「口振りからすると城内みたいだけど、何処に行くの?」

「地下牢だ」

「ふうん。まあ、秘密の逢い引きには悪くない場所かもね」

 態となのか、ずれた感想を呟いてゼラがヴェインの左腕に自分の腕を絡める。行動を共にさせられるようになってから早幾年。ゼラのこういう行動にもすっかり慣れたヴェインは遠慮無く彼を振り解いた。

 仮にも皇子殿下に対する態度ではないのは百も承知だが、ゼラがこの程度で機嫌を損ねるような小人物でない事も熟知している。その証拠のように愉しげに笑みを洩らして付いて来るゼラが、腰を軽く屈めて悪戯っぽくヴェインの顔を見上げてくる。

「つれないんだから」

「性分だ」

 声を上げて笑い、またもや彼女の腕に抱き付こうとするゼラを面倒に思いつつもいなし、ヴェインは足早に大階段を下りて行った。

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