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銀の魔王は棺に眠る  作者: 此島
三章
16/32

 素早く繰り出された突きを首を傾けるだけで躱す。敢えて緩めに振るった剣を垂直に構えられた槍の柄が防ごうとする。反応は悪くないのだが、そうやって一々受け止めていては防御の隙が出来るだろうに。

 刃が槍の柄に触れようとするその瞬間にヴェインは素早く肘を引いて剣を一度戻し、玉の汗を伝わせるクロアの首筋目掛けて突き込んだ。

「…くっ!」

 大きく腰を落としてクロアが突きを回避する。しゃがみ込むような体勢になったクロアの頭部へとヴェインは今度は回し蹴りを放った。クロアの反応速度ならばぎりぎり避けるか受けるか出来る程度には速さを抑えてある。

「うあっ!」

 咄嗟に顔の横に立てた前腕で蹴りを受け止め、けれども威力を殺し切れなかったのか、クロアは体勢を崩してそのまま横へ転倒した。しかし彼もそのまま諦めはしない。転がりながらも距離を取り、槍を握って石床を蹴る。

 渾身の踏み込み。今日一番の鋭さで槍の穂先が風を貫く。

 だが、甘い。ヴェインは左手の籠手で穂先を擦り上げていなし、クロアの懐に入り込みながら、丹念に手入れされて鋭利な輝きを宿す長剣の刃を彼の喉元に添わせた。

 息を呑んだクロアの目線が喉に触れる直前でぴたりと静止した刀身に注がれる。最早身動ぎ一つ許されない戦況にクロアは悔しげに表情を歪め、言う。

「……参りました」

 敗北を認める宣言にヴェインが剣を引くと、クロアは大きく脱力してその場に座り込んだ。肩を上下させるその息は荒く、どうやら早くも体力の限界を迎えているらしい。

「この程度で息が上がるようでどうする」

「…いや、あのですね…。……っ副長が…異常…なんですよ…」

 少しも呼吸を乱していない冷淡なヴェインの物言いに肺が欲するままに空気を求めて喘ぎ、クロアが抗弁する。槍を支えにしてやっと横臥を堪えているクロアの状態にヴェインは仕方無く小休止を告げた。

 ヴェイン等が稽古としての手合わせを終えると、手を止めて遠巻きに此方に注目していた他の兵達がはっとして各々鍛錬を再開した。途中から彼等が自身の鍛錬を中断して此方を食い入るように見つめていたのは知っていたが、然程高度な立ち合いをしていた訳でも無し、己のやるべき事に集中していた方が余程身になるのではと思わないではない。まあ、彼等としては皇帝直属の精鋭と謳われる黒を纏うヴェイン達が珍しいのもあるのだろう。

 砦の中庭にある兵達の訓練所は再び日常通りだろう光景に返る。互いに武器を交えて稽古に励む者。一人延々と素振りを続ける者。多人数で攻守の際の陣形や役割分担について語り合いながら型をなぞる者達。彼等が其処此処で上げる掛け声や武具の打ち合う音などが、中庭を四角く切り取る石壁に反響していた。

「…本当は、ゼラ様に魔術の方を見てもらいたかったんですけどね」

 呼吸を整えているクロアがふと溜め息のようにそう洩らす。ほんの一年程前にディオールの一員となったばかりのクロアはその方向の才をゼラに見出され、直々に魔術を師事している身だ。直接会う機会が少ないので顔を会わせた時にくらいは魔術の修練に付き合ってもらいたいと思うのは、向上心の強いクロアの性格からすれば当然か。

 しかし、彼の師匠であるゼラはこの場にいなかった。師の不在の理由を思ってか、クロアが残念がるように雲間に透ける蒼空を見上げる。

 一同顔を揃えての朝食を終えてからゼラはリーファを連れて街の方へ出向いていた。折角の機会という事でゼラの教授を望んでいたクロアは当てが外れてがっかりしているのだった。

「でも意外でした。ゼラ様はいつもヴェイン副長にべったりだと思っていたので」

 端からはそう見えるのだろうが、いつもべったりだと言われるとヴェインとしては語弊があると指摘しなくてはならない。何せ、ゼラのあれは見せ掛けだけの行動に過ぎないからだ。

「はあ…ええと、どういう事でしょうか?」

 否定するヴェインにクロアは意味が解らないと頭を捻る。

「お前が考えているような好意からの行動ではないという事だ」

 ゼラは馴れ合いを嫌うヴェインの性格を熟知している結果として、ああやってべたべたと纏わり付いてくるだけだ。そうすればヴェインが彼を嫌って遠ざけると考えている。そしてゼラのそうした行動は、何もヴェインに限っての事ではない。

「彼奴は自分から周囲に嫌悪されようとしているだけだ。…本人は陛下の分までの憎まれ役を買って出ているつもりなのだろうがな」

 共通の嫌われ者が一人いるだけでその他の人間同士の関係が円滑になるのはよくある心理だ。ゼラは意図してそれを目論で、疎まれ忌み嫌われるよう自分の立ち位置を調整しているのだろう。たった一人の肉親の為の自己犠牲の精神と言えば聞こえはいいが、ヴェインから見ればあれはあれで自己満足の一種に過ぎない。事実フェルキースはゼラのその行動を良しとは思っていないようなのだから。

 ゼラのお目付け役という立場上ヴェインは彼等兄弟の仲を目の当たりにする事が多い。お互いを案じる気持ちは人一倍強い癖に何かというと回り諄いあの二人には、見ている此方の方がうんざりとしてしまう。一つ溜め息を零してヴェインは腰に左手を当てた。籠手の指先が剣帯に吊された長剣の鞘と短剣の柄に触れ、微かに鞘同士が擦れる。

「はあ…。ええと、では、あれですか?ゼラ様があの姫君を連れて出掛けて行ったのもそういう事ですか?」

 彼には少々不可解な話だったのだろう。クロアは生返事をして話題を変えた。ヴェインはそれはまた別の理由だと答える。

「今日の外出の目的は釣りだ」

「釣り?…自分はてっきり街に出掛けているものだと思っていたんですが、この辺りだとマルーシャ湖かラナ川でしょうか。それだと随分と遠出になりますけど、行かせて良かったんですか?」

 勘違いに疑問の色を深くするクロア。真面目が過ぎるというのも考え物だ。いや、こういう風に言葉をそのままに受け取り過ぎるのは真面目と言うよりも間抜けと言った方が正しいか。

「釣るのは魚ではなく、襲撃者の方だ」

 訂正してやるとクロアは自身の勘違いに決まり悪そうに頬を掻いた。改まって、こほん、と咳払いをしてこの場を誤魔化そうと口を開こうとする。

「王女は確かに足手纏いだろうが、ゼラがいれば問題は無いだろう。私達は此処で結果を待っていればいい」

「…先回りしてそう言われてしまうと、自分の立つ瀬が無いのですが」

 クロアの言わんとした事柄を察して先にそう言うと、恨みがましい眼で見つめられた。ヴェインは不満げなクロアを黙殺して街のある方を見遣った。

 〝釣り〟という行為そのものに不安は無いが、二人きりで本当に大丈夫なのかと問われれば、引っ掛かる部分は多少存在する。その最たるものが二人の間に起こり得る衝突なのだが、こればかりはゼラの自制心に賭けるしかない。

 ゼラは恐らくあのリーファという王女の事を強く意識している。それなりに長い付き合いになるヴェインにはゼラのそういった心の内を推し測る事が出来た。少なくとも、ゼラがヴェインの心情を読み取ってくるのと同程度には彼の内心の推察が可能だ。

 あの二人は、何処か似ている。ヴェインは密かにそう思っていた。当人達を含め、其処にいるクロアなどにそれを言っても恐らく一笑に付されるだけだろう。それはそうだ。表面上は似通ったところなど一つも無い。ヴェインが似ていると思うのは、もっとずっと深い部分での話だ。

 ゼラは己の胸の内をあの微笑で全て覆い隠してしまうし、リーファは自身の内実を胸中に押し込めるように堅く口を閉ざして語らない。些細な事柄くらいならば曝け出してしまえば多少であろうとも楽になれるだろうに、そんなところもまたよく似ていると思った。

 彼等はきっと、ただ向いている方向が違うだけだ。何となくだが、そんな気がしてならなかった。

 らしくもない思い入れを抱いている自分にヴェインは口の片端を僅かに引き上げる。苦笑だった。莫迦莫迦しい。誰が誰に似ていようと、自分には何一つ関係の無い話ではないか。

 提げたままの長剣で空を切り払い、ヴェインは常態通りの一切の感情を窺わせない表情に戻ってクロアに言った。

「指導は出来ないが、練習台くらいにはなってやろう。魔術で掛かって来い」

「え、いいんですか?」

 喜色を浮かべたクロアに頷き、ヴェインは切っ先を斜め下に下げた剣を身体の前で逆手に構える。

「自由に撃って来い。だが隙があれば此方からも反撃させてもらう」

「了解です。…どうぞ、お手柔らかに」

 幾分怯みつつ、クロアが早口で詠唱を開始する。空中に構成の図形を描く指先の滑らかさは、やはりゼラの方が段違いに上のようだ。荘重な韻律を辿る声の調子も、あの歌うようなゼラの詠唱と比べると若干拙く聞こえてしまう。

 その気になれば一足で間合いに飛び込みクロアの詠唱を中断させる事も出来たが、これは稽古だ。初撃くらいは見逃してやる事にしよう。ヴェインはクロアの魔術が完成する瞬間を待ち、魔術を受け流す為の防御の姿勢を取った。

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