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銀の魔王は棺に眠る  作者: 此島
三章
13/32

「漸くの連絡、有難う。もしかしたら忘れられているのかな、って思ってたところだよ」

 掌に載せた通信用の魔法石に話し掛けるゼラの顔はいつもと変わらぬ微笑を湛えている。だが柔らかなその口調には隠そうともしない皮肉が入り混じっていた。

 刀身に付いた血を払い長剣を納めたヴェインは、魔法石越しに行われる会話に静かに耳を傾ける。其処ら中に転がる真新しい魔物の死骸はまだ真っ赤な血を流しており、つい今し方終わったばかりの一方的な殺戮に、血に慣れていないらしいリーファが青褪めた顔をしていた。

 再度聖骸の位置を割り出す為に街道を外れて進んだ矢先の出来事だった。魔物の集団に襲われてそれを難無く退けはしたものの、先達てよりヴェインの心中には、疑念が垂れ込める厚い冬の雲のように広がっていた。

 確かにアルトナージュには魔物が多い。だが、此処まで連続して魔物の襲撃に遭い続けるというのは些か異常だ。これが道ならぬ山野を行く旅路であれば何も不自然は無いが、ヴェイン達はこうして聖骸の在処を探る場合などを除いては街道を逸れずに南へと移動を続けて来た。だというのに、こうも頻繁に魔物に出会すとは何かがおかしいと思わずにはいられない状況である。

 先日の宿駅への腐樹の襲撃然り、其処にいる筈の無い鎧獅の出現然り。たった今斬り伏せた魔物の群れにも人里に近い平地では余り見掛けない魔物が数種が交じっていたが、これはどういう事なのか。

 その凶悪さから並の獣とは一線を画するとはいえ、魔物とて単独で活動する性質を持つ一部を除き、同種で群れなす獣の類に他ならない。通常、とある魔物の集団の中に別種の魔物が加わっている事はまず無いと言えよう。それなのに足下の草叢に倒れ伏す魔物達は、はっきりと複数の種に分ける事が出来た。

 恐らく、襲い来る魔物の背後には何者かの影がある。ヴェインがそれに言及するとゼラは頷き、しれっとした顔でこう言って退けた。

「うん。あの時外に誰かいたみたいだし、多分間違い無いと思うよ」

 聞けば、宿駅での襲撃事件の際に裏で糸を引いていた張本人らしき存在を、遠見の魔術で見掛けていたと言う。ならば何故早くそれを言わないのかとヴェインが問い詰めると、ゼラは「だって確証が無かったから」と答え、「それに遠見の範囲外に出られちゃったしね。追えなかったんだ」などと笑って言ったのだった。

 魔法石に連絡が入ったのは、ゼラの返答にヴェインが小さく顔を顰めたその時だ。ゼラがさっさと応対を始めてしまったのでヴェインは状況報告の怠慢に対する追及をしそびれ、仕方無く口を噤んで通信が終わるのを待つ今に至るのである。

 ゼラのやんわりとした小言に魔法石から億劫げな溜め息が洩れ聞こえた。出来るだけ当たり障りの無い言葉を選ぶような少しの間の後、見付からなかったのか、拗ねたような声で率直な弁解が述べられる。

『シェリスタからの報告が入ったのが今朝だったんだ。私だって彼方からの連絡が無い限りは指示を出そうにも仕様が無い』

 語り口からは、手許の魔法石から顔を背け、むくれて唇を尖らすフェルキースの顔が目に浮かぶようだ。しかしヴェインは黙して彼等兄弟の会話を聞くだけに徹する。下手に口を挟んで、臍を曲げたフェルキースの八つ当たりの対象にされては堪ったものではない。

『という訳でシェリスタからの報告を伝える。賊は南の国境線の方に向かったそうだ』

 言い訳めいた言に対しゼラが次に何か口にするより早くフェルキースは先んじて言葉を被せ、相手の出方を封じるべく話を続けた。

「南の国境?長城と山脈で塞がれてる方を態々選んで逃げたの?随分とおかしな人達だね」

 仲間の行き先に話が及び、落ち着きを取り戻したリーファが一言一句を聞き逃すまいと身を乗り出す。ゼラはそんなリーファに小さくからかいの笑みを浮かべた。

『態々聖骸なんぞを盗み出すような連中だぞ?気合いと根性で山越えを選んだとしても私は驚かん』

「僕は驚くよ。大した頑張りやさんだな、って」

『重い石棺を運びながらあの峻険を越えようとする人間に〝頑張りや〟の一言で片付けるのか?貶すならせめて〝稀代の大莫迦〟くらいの事は言ってやった方がいいと思うぞ』

 若干話が脇に逸れ出している気がする。これからの行き先を決める重要な連絡が兄弟間のたわいない無駄話に発展する前に、ヴェインは差し出がましくも話の軌道を修正させてもらう事にした。足下の死骸を避けてゼラに近寄り、その掌に向かって声を発する。

「それでは陛下。我々は南部国境を目指せば宜しいのでしょうか?」

 暢気に茶を啜り込む音が聞こえた後、フェルキースは「ああ」と短く返事をした。焼き菓子か何かを頬張る、さくっ、とという響きがその後に続く。向こうは現在休憩中なのか、のんびりと茶と菓子を楽しんでいるらしい。

『シェリスタとはアークスで落ち合う手筈を整えておいた。それからもう一人、丁度その辺りをうろうろしている者がいたので応援に行くよう命じておいたからな』

 行儀悪くも口の中に物を含んだまま喋るフェルキースは、先発との合流地点として南部国境付近にある城塞都市の名を告げた。もごもごとくぐもるその話し声に、ゼラが咎める言葉の代わりに溜め息を零す。音だけで届く喉を鳴らして茶を飲み込むフェルキースの様子はヴェインにとっては馴染んだ彼らしい態度なのだが、リーファはこの声の主が本当に〝銀の魔王〟の名を受け継ぐアルトナージュの皇帝なのかと疑うような怪訝な眼差しを魔法石に注いでいた。

「アークスね。シェリスタは今どの辺りにいるって言っていたの?」

 フェルキースが茶を飲み干すのを音で見計らってゼラが尋ねる。

『一両日中には着くと言っていたな』

「そう。…此処からじゃ、ちょっと時間が掛かり過ぎるかな。ルキ、テンドを呼んでくれる?」

『テンドを?自分で呼べばいいじゃないか』

「そうしたいのはやまやまなんだけど、テンドって僕からの呼び掛けには全然応えてくれないから」

 ゼラがヴェインの方を見て、困ったように微笑する。前回顔を合わせた際の取り付く島も無いテンドの応対を思い出してヴェインは頷いた。

『何だ、喧嘩でもしたのか?』

「ていうか、嫌われてるみたい」

 くすくすと笑み零しながらゼラは言う。フェルキースが暫しの無言を置いて、やれやれと机に足を乗せ――魔法石からそんな音がした――承諾の意を口にする。

『解った。何処へ向かわせればいい?』

「キアラ平原の北の方、って言ってくれればいいよ。後は向こうが見付けてくれるだろうし」

 迎えに来てもらえるようフェルキースに言付けてもらう約束をして、ゼラは術式を終了させた。次いで細い指を滑らせ魔法石の表面にテンドの所持する魔法石に繋ぐ為の図形を描くが、魔法石は淡い光を帯びるだけで何の応答も返って来ない。

「ほら、出ない」

 独り言みたいに笑い含みに言って、ゼラは魔法石を腰の小物入れにしまった。

 連絡を受けたテンドが迎えに来る前にヴェイン達は街道を更に進んだ先にある宿駅に立ち寄り、手前の宿駅で借りたばかりの馬を返却した。帝都から此処までを共にした軍馬も一緒に預けると、リーファが不思議そうな顔をしてゼラに質問をした。

「迎えがどうって話をしていたのは聞いていたけど、どうして馬を預けてしまうの?それにこの馬は軍馬で、此処の貸し馬じゃないでしょ?」

「テンドに来てもらうなら馬はいない方が都合がいいからね」

 どういう心境の変化があったのかは知らないが、先日以来リーファは此方に対して多少心を開いたように態度をやや軟化させ、道中何か気になる事があればゼラに尋ねるようになっていた。けれどもヴェインに対してはまだ幾分怖がっているような表情を見せる。散々彼女に絡んでいた筈のゼラが懐かれ、何もしていないヴェインの方が未だに恐れられているというのは何とも奇妙な話だが、ヴェインとしては単なる虜囚でしかないリーファに親しく接してもらいたいとは全く思わないので好都合ではあった。生来つまらぬ馴れ合いは嫌いなのである。

 リーファの問いに答えを返しつつ、駅員に栗毛の馬を最寄りの軍の駐屯地に送っておいてくれるよう頼むゼラ。こうした融通が利くのも国営の宿駅の利点だろう。馬を手放し、三人は迎えが来るまで徒歩で街道を南下する。

 空には気持ちの良い快晴の青色が広がっていた。南へ向かっているとはいえ、この季節には珍しい雲一つ無い見渡す限りの青空の下。冷たい北風に揺れる野の草花が貴重な陽光を浴び、顔を綻ばせるように咲いている。

 陽光降り注ぐ晴天とはいえ寒さが染み入るのか、リーファが肩掛けの前を掻き合わせた。彼女は冷えた手に白い息を吹き掛けてどうにか暖を取ろうとしたが、突然暗く陰った空に頭上を仰いだ。

「…っ――!?」

 上がり掛けたリーファの悲鳴を、すっと伸ばした片手で彼女の口を押さえてゼラが止める。無理に呑み込まされた叫びに零れ落ちそうな程両目を剥いて、リーファはぎょっとして空を滑る巨影を凝視した。

 皮膜の翼が宙空を叩く度に強い風が大地を揺るがすように奔る。ヴェインは風圧に煽られる長い髪を雑に払い除け、ゆっくりと地上へ降下して来る飛竜を見つめた。

 広げた翼の差し渡しは大型の馬車一台分以上はあるだろうか。爬虫類めいた臙脂の巨躯は子供の掌程の大きさがある鱗を纏い、手肢の先には湾曲した短剣の刃めいた爪の生えている。腕は肢と比べて少々短いもののどちらもがっしりと太く、勇壮な力強さがあった。空からヴェイン達を見下ろす針のような細い虹彩をした眼は思いの外円らであり、その眼に宿る光の好奇心旺盛な雰囲気が恐ろしげなその風貌に幾らか可愛らしさを加えている。

 悠然と降り立った飛竜に目を白黒させるリーファから手を離し、ゼラが一歩前に出て飛竜へと声を掛ける。

「急に呼び出してごめんね、テンド」

「そう思うなら呼ぶんじゃねーよ」

 返って来た声は酷く機嫌が悪そうだった。飛竜の背で立ち上がった彼はむすっとした表情でゼラとヴェインを睥睨し、知らぬ顔であるリーファの上で視線を止め、眉間に訝しげに皺を刻み込んだ。彼女を睨み付けながら逆光気味に佇む男の容姿にリーファが怯えたように片足を後ろへ滑らす。

 リーファのその反応も無理は無いだろう。異彩を放つテンドのその風体は、アルトナージュ国内にあっても周囲の耳目を集める部類にある。

「見ない顔がいるな。誰だ、そのちび?」

 不審げにそう問うテンドの短く刈り込んだ砂色の髪が風にそよぐ。全体が露わな耳は先端が僅かに尖っており、地に立つヴェイン達を見下ろす瞳は血のように赤い。細身ながら筋肉質な体躯を包む緋色を基調とした風変わりな装束には捩じくれた角と鋭い牙を持つ獣や、翼の生えた蛇などの見るからに魔物と思しき細かな刺繍が施され、その上からディオールの漆黒の軍服を羽織った彼の首許には認識標の付いた銀鎖がぐるぐると首輪のように巻き付けられていた。

「あれ?ルキから聞いていないの?」

 慕わしげに頭を擦り寄せる飛竜を撫でていたゼラがテンドに尋ねる。含意たっぷりのその表情にテンドはぷいっと全身を背け「聞いてねえよ」と吐き捨てた。

「じゃあ道すがら話すから、取り敢えずアークスまで送ってくれる?」

「俺とディルカは便利屋かよ」

「だってその為に来てくれたんでしょう?送ってくれれば後はもう好きに逃げ出していいから」

「……誰も逃げてねえよ!さっさと乗れ、バーカ!」

 二十代も半ばに差し掛かった成年としては大分そぐわない子供みたいな態度でテンドはゼラを罵倒した。しかしゼラは至って気にした風も無く、皆が乗り易いよう気遣いを見せて身体を沈めた飛竜――ディルカの背に慣れた様子で上る。

 ただでさえ切れ長の眼を細め、腹を立てた目付きでテンドはヴェインを睨み、顎をしゃくって早くしろと急かした。ゼラの相棒というだけでヴェインまで彼と同様に敬遠されている節があるのだが、やはり態々好かれたいとも思わないので、出逢いから現在までずっと関係の修繕は図らずに放っておいている。

 自分よりも先にリーファを上に上げた方がいいだろうと考え、ヴェインは逃げ腰になっているリーファにディルカに乗るよう言った。手助けが必要ならば下から押し上げてやるつもりで腕を差し伸べるが、その瞬間リーファは面白いくらいに飛び上がった。怯え切った顔でヴェインを見、続けてディルカを見ては慄き、震える足で辛うじてその場に立っているような状態だ。

「…の…乗るの…?」

 ずり落ちた眼鏡に半ば隠れた不安と恐怖の二色を浮かべた瞳には、早くも涙が溜まっていた。飛竜を間近で見るのは初めてなのだろうか。馴染めばディルカは人懐こい性格の飛竜なのだが、見た目の恐ろしさだけですっかり恐怖心を抱いているらしい。ヴェインが頷くとリーファは今にも失神しそうな程に顔を青くして、その場から後ろへよろよろと数歩下がった。

「おい!乗らないなら置いて行くぞ!!」

 泣きそうなリーファを余所に、情け容赦無く出発を宣言するテンド。腹立ち収まらぬ彼の大音声の怒声が静かな平野に響き渡った。

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