夕食の前菜
お茶を飲み終わって、しばらく本を読んで時間をつぶしていると程なくして夕食の時間となった。
言っていた通りにリタがアイリスを迎えに来る。
「アイリスお嬢様、夕食の時間となりました。
食堂の方へお越しくださいませ」
「わかりましたわリタ、ありがとう」
読書をして心を落ち着かせたアイリスが、澄ました顔と表情で答えると、リタが心底驚いた表情を作った。
「あ、ちゃんとお礼を言ってくださるんですね」
「当たり前でしょう、私を無礼者にしたいんですの!?」
「え、でもメイドとはいえ初対面の相手にカエルをけしかけるのは」
「くっ、そ、それは……ほら、余計な事言ってないでいきますわよ!」
分が悪い流れになったのを強引に打ち切り、先に立って歩き出す。
くす、とリタが笑った気配がするが、そのことに言及したらまた自分が痛い目を見るだけだと思い、ぐっと我慢した。
かつかつと足音を立てながら廊下を歩くアイリスの後ろを、しずしずとリタが付いていく。
……足取りの静かさと、距離の取り方、その位置取り。
主人の気を散らせることのない、それでいて何かあればすぐに主人をかばうことのできる、メイドとしてお手本のような付き添い方。
やはり、よく教育されたメイドであるのは間違いない。
だというのに、あの言動。
ぎゃふんと言わせられなかったのにも腹が立つし、その後翻弄されているのにも腹が立つ。
どうにかしてやりこめてやらなければ、などと考えているうちに、食堂へとたどり着いた。
護衛も兼ねてドア前に立つ執事が恭しく扉を開けると、アイリスはそれに一つ頷いて見せ、中へと入る。
魔術による光源をあちこちに配された室内はとても明るく、広く。
設置されている調度品はどれも派手さのない落ち着いた、しかし見る者が見ればそれとわかる品の良い物。
ここで簡単なパーティくらいは開けてしまう程の広さと豪奢さを持っていた。
すでにある程度食器が用意されているテーブル、その比較的端にある自席へと向かえば、すっとリタが先回りして椅子を引く。
ちょうど自分が座りやすい距離に引かれた椅子に、ここでも抜かりないのかと若干の悔しさを感じながら腰を下ろす。
……一瞬、仕返しをされるかとも疑ったが、何事もなく着席した。
そうなると今度は、自分の幼稚さと彼女のプロ意識の差に気づき、恥ずかしくもなる。
まさかそこまで計算して? とリタの方をちらりと見るが、恭しく控えている彼女の表情からは読み取れない。
答えの出ないことを考えていると、また扉が開き、今度は長兄のギルバートとその妻クラリスが入ってきた。
末の娘であるアイリスは、一番先に食堂に来て家族を待つのが慣例だ。
ちなみに、姉のアデリシアと次兄のランバートは結婚して家を出ている。
そのため、次に長兄夫妻が食堂に入ってきたわけだ。
「やあ、アイリス。その子が新しく入ってきたメイドかい?」
「ええお兄様、リタですわ。リタ、お兄様方に挨拶なさい」
「はい、お嬢様。ご紹介にあずかりました、リタと申します。お目にかかれて光栄にございます」
アイリスに促され、リタは恭しく頭を下げる。
その仕草にギルバートは軽く頷いて返した。
「うん、聞いているだろうけど、私がギルバート、こちらが妻のクラリスだ。よろしく頼むよ。
どうやら君なら大丈夫そうだけど、これでもアイリスは可愛い妹なんだ、お手柔らかにね」
「……ちょっとお兄様、なんだか含みのある言い方ですわね?」
にこやかに挨拶を返すギルバートへと、じろり、アイリスが胡乱気な視線を向ける。
さすが兄弟というべきか、そんな視線に動じることもなくギルバートはアイリスへと視線を移し。
「ああ、ロバートから聞いたよ、見事にあしらわれたみたいじゃないか」
「あんのおしゃべり家令っ! 一体何を言いふらしてますの!?」
予想通りの答えに思わずアイリスは立ち上がり、ここにはいないロバートを罵倒する。
そんなアイリスへと、リタの平坦な声がかかった。
「お嬢様、そのお言葉遣いは少々いかがかと」
「うるさいですわねリタ、なんであなたそんなに淡々としてますの!?」
「なんで、とおっしゃられても。仕事中でございますし、お兄様方の目もございますし」
「さっきまでのあなたも仕事中でしたわよね!?
どっちかっていうとお兄様の目の方が重要ってことですわよね、それ!?」
「ギルバート様は次期ご当主であらせられますし、今後のことを考えますと」
「今後? ……あなたまさか、雇用契約を担保するためとか考えてませんわよね!?」
「さすがアイリスお嬢様、そのご賢察にこのリタ、感服いたしました」
「結局遠回しに認めてるじゃないですの!」
ぎゃいぎゃいと言いながらも、また椅子に座る。
突如始まった主従漫才に、他の使用人達が硬直し、ギルバートが楽し気に眺めているところに、くすくすと抑えた笑い声がした。
クラリスが上品な笑みを浮かべながら、片手で口元を抑えている。
ちらり、リタを見て。
「ふふ、アイリスちゃん良かったわね、いいメイドが見つかって」
「お義姉様、どう見たらそう見えますの!?」
「どう見ても仲良くしてるようにしか見えないわよ?」
噛みついてくるアイリスをあしらいながらクラリスは、ちらり、と椅子を見て。
そして、またちらり、リタを見た。
先程、言い合いの最中にも、座るアイリスに合わせて椅子をあてがっていたリタを。
「リタ、アイリスちゃんのことをよろしくね?」
「はい、クラリス様、かしこまりました」
「どうして私以外にはそうですの、あなたは!」
と、漫才が再過熱しそうだったところへ、がちゃりとドアが開いた。
「旦那様と奥様がいらっしゃいました」
そう告げるロバートの声に、ギルバートとクラリスが、一瞬遅れてアイリスが立ち上がる。
……一瞬だけ、リタへ視線を向けて「覚えてらっしゃい」と小さな声で。
それをリタは、涼し気な顔で受け止めていた。
※このお話は、「暗殺少女は魔力人形の夢を見るか」(https://ncode.syosetu.com/n1740fb/)の派生作品になります。
リンクはここより下の方に表示されております。
読んでいなくても楽しんでいただけるよう書いてはおりますが、読んでいただけるとさらに楽しめるかと思います。