紅茶よりも渋く
その後、昼食を終えたアイリスは、しばしの休息の後、行儀作法の稽古やダンスのレッスンという午後の予定をリタに弄ばれながらもこなしていった。
終われば時刻はもう午後の三つ。午後のお茶の時間である。
昨日と同じようにリタがお茶を入れ、アイリスがそれを味わうという当たり前の流れ。
今日もリタの入れた紅茶は美味しく、お菓子もまた美味しい。
それを味わうアイリスの表情は、その味とかけ離れた渋いものだったが。
「お嬢様、今は他に誰もいないので問題はありませんが、流石にその表情は、ご令嬢にふさわしくないどころの話ではないかと」
「大体あなたのせいなんですけどもねっ!!」
淡々としたリタの言葉に、アイリスは紅茶のカップから口を離し、食ってかかった。
それでも、カップをソーサーに叩きつけるような真似をせず滑らかに着地させるあたり、振る舞いは洗練されている。
そう、振る舞いは。
突き刺すような鋭い目つきで睨み付け、歯ぎしりまでするその表情には優雅さの欠片も無い。
「あたしのせいって言われましても、ギリギリ失礼じゃない線を越えてなかったと思いましたが」
「そのギリギリのラインを攻めすぎって自覚は多分ありますわよね!?」
そう、稽古の最中に向けられた言葉は、どれも一応咎められはしないかな、というライン。
だが、聞く人が聞けば、明らかにからかっているとわかるもの。
そんな言葉をスラスラと、メイドらしい仕草表情とともに言われまくったアイリスとしては鬱憤もたまる。
また、アイリス個人の計画が大幅に狂ったことも影響していた。
「しかもそれだけでなくっ!」
「え、あたし他に何かしましたっけ」
「しましたわよ、何なんですのあなた! 何で行儀作法は言うに及ばず、ダンスも女性パートはもちろん男性パートまで完璧なんですの!?」
「あっはは~、色々厳しく仕込まれましたからねぇ」
指を突きつけながらのアイリスの指摘に、しかしリタは笑って流す。
実際のところ、情報収集の際に男装してご令嬢に迫る必要があったりしたので、踊れるようにとたたき込まれたのだが。
十日で間に合わせるようにと地獄のような特訓だったが、それより酷いものを見ていたので然して苦ではなかった。
別の意味で苦悩はしたが。
「一体どこで仕込まれましたの、本当に……」
アイリスのぼやきに、リタは口元で人差し指を立てて片目をつぶる。
「ふふ、女の秘密ってやつです。探ろうだなんて野暮ですよ?」
「なっ、べ、別に詮索するつもりなんてないですわよっ!?」
あまりに熟れた仕草を見て、思わずアイリスは顔を赤くし、そっぽを向く。
同性であるアイリスから見ても何とも艶めかしく、それでいて軽やかな笑み。
そんなものを間近で向けられて、アイリスの鼓動は早鐘のようになってしまっている。
すぅはぁと深呼吸をすることしばし。
ようやっとリタの方へとチラリ視線を向ければ、いつものリタに戻っていた。
額にうっすら、冷や汗が伝っていたりはするのだが。
アイリスは気付いていないが、そっぽを向いた瞬間、隠れて護衛しているラークシャシーからリタへ向けて、殺気が迸った。
それを感じ取ったリタが、すぐにおふざけを止めたのだ。
「まあ、それはそれとして。例のお茶会、どうするんです?」
「あれですか……それはまあ、行くしかないでしょう、嫌ですけど」
ぼやくように言うと、アイリスは盛大にため息を吐いた。
「お嬢様、そのため息の付き方はご令嬢としてどうかと」
「これくらいは目をつぶりなさいな、あなたとピョン助、ニョロ吉しかいないのですから」
てっきり食ってかかられると思っていたリタは、おや、と意外そうに目を瞬かせる。
聡い彼女のことだ、すぐにその違和感の原因に思いが至るのだが。
「え、そんなに嫌なんですか、取り繕う余裕もなくなるくらい」
「そうですわ……悪かったですわねぇ」
疲れたように言いながら、ジロリ、恨めしげな視線をリタに向ける。八つ当たりだとは重々わかってはいるのだが。
「確かにアイリスお嬢様は、ご令嬢特有の持って回った言い回しを捌けるほど器用じゃないですしねぇ」
「だからっ、なんでそう私にも他にも喧嘩を売るような表現しますの!?」
「お嬢様、喧嘩を売るだなんてはしたない」
「そのツッコミってことは、喧嘩売ってる自覚はあるってことですわよね!?」
アイリスの言葉に図星を指されたのか、リタは一瞬驚いたような表情を見せた。
そして、ちょろっと舌を出し、片目をつぶる。いわゆるテヘペロである。
「そんな顔しても誤魔化されませんわよ!? むしろ、ちょっと可愛いのがかえってムカつきますわね!」
「お嬢様、流石にムカつくはちょっと……喧嘩を売る、は慣用句として言い訳ができましても……」
「だったら言わせないようにしてくださいな!」
ムキーッ! と擬音が付きそうな勢いで地団駄を踏むアイリス。
と、そんなアイリスを見ていたリタが、ぽん、と手を打った。
「あ、それです、お嬢様」
「は、はい? なんですの急に。何がそれなんですの?」
意表を突かれたのか、気勢をそがれたアイリスが怪訝そうに首を傾げる。
その仕草がツボったらしいラークシャシーがグラついた気配を感じたが、リタは笑顔でスルー。
「多分ですけど、お嬢様がお茶会を嫌うのって、言われるのもそうですけど、上手く言い返せないからもあるんじゃないですか?」
「う……それは、確かにありますわ。どうにも私は、直接的な言葉ばかり浮かんでしまって……」
だからこそ、こうして明け透けに話せるリタとの会話が、気楽でもある。本人に言うつもりは全くないが。
しかし、そればかりでは社交界で通用しない、ということもわかっている。
自分の立場、親の立場、相手との関係。さらには、相手に対して今後どう付き合うつもりか、その場の目標目的を達成するにはどうしたらいいか。
入り組んだことを考えながらの会話が必要だ、ということはわかっている。
しかし、アイリス自身の性格に全く合っていないこともわかっている。
だからこそ言い返すこともできず、苦手意識ばかりが高まっているのだ。
そんなアイリスの不安を汲み取ってか、リタはにんまりとした笑みを浮かべる。
「だったら、良い方法がありますよ、お嬢様」
「え、良い方法、ですか? しかし、そんなものを身につける時間なんて」
お茶会は七日後。そちら方面があまり器用で無いアイリスが新しい振る舞いを身につけるには、時間が足りない。
少なくともアイリスはそう思うのだが、そんなアイリスを既によく理解しているリタは、自信たっぷりなままだ。
「だ~いじょうぶ! あたしに任せてください、ご令嬢なんて見事に撃退できますから!」
「撃退まではしなくていいですからね!?」
得意げなリタに、慌ててアイリスは言い返す。
しかし。
言い返しはしたものの、どこかほっとしたような表情を浮かべてもいたのだった。




