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命を賭けた廊下

「うう、酷い目に遭いましたわ……」


 よろよろとした足取りで廊下を歩きながらアイリスがぼやく。

 あの後、ラークシャシーから散々に高い高いをされたアイリスは、よれよれとなりながらもどこか顔は充実していた。


「いやぁ、ラクシってばどんどんテンション上がっていきましたからねぇ、見ててハラハラしました」

「これはもう、完全にあなたのせいですわよね!?

 っていうか、このやり取りなんだか何回もしている気がしますわ!?」

「あっはは~、気のせいですよ、気のせい。

 それに半分はラクシのせいで……いえ、なんでもありません」


 責任を半分ラクシになすりつけようとして、瞬間的に感じた殺気にリタが口を噤む。

 考えてみれば、彼女が付かず離れずひっそりと護衛しているのだ、聞かれないわけがない。

 迂闊な発言は死を招く……まだラクシとそこまで打ち解けているわけではないのだから。


「……そういえばリタ、あなたいつのまにラークシャシーと仲良くなったんですの?」

「ええ、昨夜たまたま。夜食を一緒に食べた仲ですから」


 仲良くなどなっていません! というラクシの強い視線を感じるが、リタは笑顔でスルー。

 残念ながら、アイリスはそれに気づいていない。


「あなたって、本当に誰とでもすぐ仲良くなりますわね……」

「それくらいしか取り柄がないものですから。

 お嬢様とだってもう仲良しでしょう?」

「ち・が・い・ま・す!

 まだ仲良くだなんてなってませんわ!」


 リタが笑顔で問いかけると、思わず頷きそうになったアイリスが無理やり断ち切るかのように語気を強める。

 そうだそうだ、とどこか遠い場所でラクシが言っているような幻聴を覚えながら。


「あ、そうなんですね。まだ、なんですか。

 じゃあ、これから仲良くなれる可能性はあるんですね」

「なっ、それ、はっ、ないとは言いませんけどもっ」


 口ごもり、顔を赤くしながら動揺するアイリス。

 にこにことその顔を眺めながら、やはりこのお嬢様、こんなに素直過ぎて社交界とかで大丈夫だろうかと余計な心配などもしてしまう。

 当のアイリスはそんな心配に気づいた風もなく。気を取り直して、口を開いた。


「それにそもそも。仲良くなるなら、あなたより先に、ラークシャシーとだと思いますわ」

「ああなるほど、順番的にはそうでしょうけども……既にかなり仲が良いように見えますよ?」


 ……一瞬だけ、かすかな身じろぎがリタにだけ感じ取れた。

 よく堪えたな~、と内心で感心しながらアイリスの言葉に応じると、アイリスは小さく首を振る。


「主従としてはそれなりだと思いますが……考えてみれば私、ラークシャシーのことを愛称で呼んだことがないのですよね。

 さすがに、夜食を一緒にとかは立場もありますので難しいのはわかっているのですけども」

「ああ、なるほど……だったら呼んで差し上げればどうです? 多分喜んでくれますよ。

 あたしの時も全然大丈夫でしたし」


 大嘘である。

 だが、この場にそのことを指摘できる者はいない。

 唯一指摘できるラクシの呼吸が止まりそうになっていることを、リタだけが感じ取っていた。


「そうでしょうか……もしそうなら、私もラクシと呼んでみたいのですが」


 アイリスがそう呟いた瞬間。


 どさり。


 と何かが落ちる重い音がした。

 慌てて振り返ったアイリスとリタの視線の先には。


「ラクシ!? ラクシ、どうしたのです、しっかり!!」


 慌ててアイリスが駆け寄る。その後ろでリタは、爆笑しそうになるのを必死に堪えていた。

 アイリスがラクシと呼びかける度に、意識を確かめる度に揺らす度に、ごふ、ごふ、とラクシが咳き込み体を震わせている。

 心配しているアイリスの言葉こそが追い打ちをかけている状況であることに、アイリス自身が気づいていない。


 そして。


「リ、リタ……」

「あ、はい、どうしましたお嬢様」


 急に声が収まったかと思えば、アイリスが茫然としたような声を出す。

 どうしたんだろうかとリタが近づき、ラクシを見て。

 状況を、理解した。


「ラクシが、息を、していないのです……」

「どんだけなのこの子はぁぁぁ!!!」


 リタが慌てて蘇生を試み始める。

 その後ろでアイリスが、愕然とした表情でへたり込み、天井を見上げた。


「どうして、どうしてですの……?」


 ぽつり、力なく呟く。


「どうして、お昼ご飯を食べに行くだけで、こんなことになるんですの……っ!」


 それは、砂を噛むような声だった。

 

 そう。

 自室で一息ついた後、昼食の時間となって食堂に向かう、その廊下での他愛ない会話のはずだった。

 それがこんな悲劇を巻き起こすなど、誰が考えただろうか。


「私はただ、平和にお昼ご飯を食べたかっただけですのにっ」


 悲痛な声が、高い天井に響き、消えた。





「お嬢様、誠に申し訳ございませんでした……」


 無事死の淵から生還したラクシが、アイリスの前で平伏している。

 護衛対象の前で無駄に死にかけたのだ、どれほど詫びても足りるものではない。

 だが、そんなラクシを責めるつもりなど、アイリスには欠片も無かった。


「いいえ、いいのです。顔を上げてください。……ラークシャシー」


 顔を上げたラクシの顔には申し訳なさ、不甲斐ない自分への憤りと……わずかな寂しさがあった。

 アイリスもまた、沈鬱な表情を浮かべている。

 何がどうしてこうなったかはわからないが、自分のせいだということだけはなぜかわかった。

 二人の間に重い沈黙が下りて、数秒。


「で、ラクシ。お嬢様があんたのことラクシって呼びたいらしいんだけど、いいよね?」

「お前は空気を読めえええええ!!!」


 唐突に割り込んだリタに、反射的にラクシは声を上げる。

 その声に、アイリスが数回ぱちくりと瞬きをした。


「や、空気を読んだからこそ、あえてぶち壊そうと、ね?」

「ぶち壊そうとしてどうする!?」

「だってさ~、お嬢様はあんたと仲良くしたかっただけ、あんたはお嬢様をお慕いしてるだけ。

 なのにこういう不幸な行き違いで気まずくなるの、いやじゃない」

「おまっ、え、あ、な、や、それ、はっ……」


 直球、直球、また直球。

 リタの歯に衣着せぬ物言いに、ラクシは目が回りそうな程に混乱してしまう。

 

 そこに。

 す、と真剣な顔をしたアイリスが進み出た。


「ラークシャシー」

「は、はい、お嬢様」


 慌てて姿勢を正し、いつものように膝をついた姿勢を取るラクシ。

 その姿を見て、少し微笑みを浮かべながら。


「リタの言う通りです。私は、あなたと仲良くなりたいと思っています。

 あなたのことを、ラクシと呼んでもいいですか?」

「は、はいっ! もちろんでございます、アイリスお嬢様のお望みのままに!!」


 額で床を撃ち抜きかねない勢いで平伏しながら。

 リタに感謝をすればいいのか、やはり一度殴っておくべきなのか。

 ラクシはそんなことを頭の片隅で考えていた。

※このお話は、「暗殺少女は魔力人形の夢を見るか」(https://ncode.syosetu.com/n1740fb/)の派生作品になります。

 リンクはここより下の方に表示されております。

 読んでいなくても楽しんでいただけるよう書いてはおりますが、読んでいただけるとさらに楽しめるかと思います。

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