夫人の教育方針
そうしてポーネリアン夫人の授業が始まった。
この手の授業では、一方的に家庭教師がしゃべって終わり、というものが多い。
また、授業をする側も受ける側も、形だけで中身のないもので終わらせることも少なくない。
だが、アイリスがまずそれを良しとしない上に、ポーネリアン夫人もまた、授業に対して真摯であった。
そのため、授業は良く練られており、アイリスへの質問も容赦なかった。
「ではお嬢様、この時の両国間の間で結ばれた条約、なぜこの条文をコルドール王国は渋ったのでしょうか」
「ええと、そうですわね……土地の範囲に限って言えば一見平等なものに見えますが、コルドール側に湿地、つまり有用ではない土地がが多くなっていたから、でしょうか」
「正解です、歴史だけでなく地理の知識もよく覚えておいでですね」
覚えている覚えていない、の質問ではない。
自分の頭で考えることができているかどうかを試す質問であり、気を抜くことなど一切許されない。
「ではピョン助、この条約交渉に於いてコルドールがガシュナートの譲歩を引き出せたのはなぜでしょう」
「『乾燥地帯の多いガシュナートに湿地帯の一部と、そこに連なるコルン川の水利権を一部割譲によって領土の配分を交渉したのではあるまいか。この条約以降、ガシュナートに併合されたこの地域では麦の生産が多くなっていたと記憶』……と言っていますけども」
「そんな細かいことまで覚えているとは、流石ですね、ピョン助は」
なぜかピョン助にも話を振り、アイリスの通訳による返答に、実に嬉しそうに頷く。
……むしろ、ピョン助への質問が多いくらいではないだろうか、などとリタが思っていたところに。
「ではリタ、なぜガシュナートが多少なりと有効利用できた湿地帯を、コルドールは不要と判断したのでしょうか」
「えっ、 わ、私にも聞くんですか?
いえ、コルドールは遊牧民が多いから、羊なんかの遊牧に湿地帯が向かない、くらいしかわからないのですけども」
「ええ、おおむねその通りです。よく勉強していますね」
しどろもどろになりながらも、以前学習した内容と、今までの授業の内容から答える。
どうやら及第点はもらえたらしく、夫人も頷いてみせた。
と、アイリスががたっと音を立てて椅子から立ち上がり、食ってかかってくる。
「だから、なんであなたはそういうことを答えられるんですの!?
平民ですわよね、メイドですわよね!?」
「や、だから、前のとこで仕込まれたんですよ、ほんとほんと」
誤魔化すように手を振って答えるが、もちろんそれで納得できるわけがない。
アイリスは収まらず、さらにずずいと寄ってきた。
「普通の平民はそんなこと知りもしませんし、メイドだって精々バランディア近辺のことしかわかりませんわ!
むしろ知らない方が大多数です!」
「まあまあ、そういうこともあるってことで……。
あ、まさかお嬢様、勉強でなら私をぎゃふんと言わせられると思ってました?」
なんて冗談めかしたリタの言葉に、アイリスはぐっと言葉に詰まる。
しばし、沈黙が流れて。
「くっ、リタ、覚えてらっしゃい!」
強引に、いつもの負け惜しみで流そうとした。
だが、この時ばかりはタイミングが悪かったらしい。
「……アイリスお嬢様」
ポーネリアン夫人の冷たい声が響き、びく、とアイリスが身を震わせた。
恐る恐る、夫人の方へと振り向くと、青筋を立てた様子でそこに仁王立ちになっていた。
「ポ、ポーネリアン夫人、どうかいたしましたか……?」
「どうかいたしましたか? ではありません。
なんですか、そんなに大声を出してはしたない。
そもそもなんですか、先程の立ち上がり方は。淑女たるものが椅子を蹴倒すような勢いで立ち上がるなど……」
「ちょ、あ、ええと、はい、も、申し訳ありませんわ、ポーネリアン夫人っ」
「いいえ、まだよくお分かりではないようです。そもそもですね……」
なんとか逃げようとするも、逃がしてくれるような甘い相手ではない。
言い訳がましい弁明を全て封じ込め、延々とお説教をしていく。
「そ、それをおっしゃるなら、リタはどうなんですの!?」
「リタは平民ですから。まあ、多少言葉遣いがどうかと思う部分はございましたが、ぎりぎり許容範囲でございましたね、仕草や声の大きさも含めて」
ポーネリアン夫人の言葉に、愕然とした表情を浮かべて。
それから、きっ! とリタの方を睨む。
当のリタは、成功成功、と言わんばかりの緩んだ表情。
その表情に、アイリスは悟った。
「リタ、あなたはめましたわねぇぇ!?」
「いやですねぇ、はめただなんて。最初に自らやってしまわれたのはお嬢様じゃないですか。
私はその傷口を広げようとしただけで」
「それをはめたっていうんですのよ、この場合!
ああもう、やっぱり覚えてらっしゃい、いつか必ずっ!」
いつものようなやりとりをしようとしていたアイリスの肩が、ぽん、と叩かれた。
そう、ポーネリアン夫人である。
「お嬢様、やはりまだお分かりではなかったようですね?」
「ひぃっ! も、もうわかりました、十分にわかりましたわっ!」
「いいえ、間違いなくお分かりではありません。
わかってらっしゃるのでしたら、そのような発言はなさらないはずです。いいですか……」
そうして、アイリスがポーネリアン夫人にこってりと絞られている間。
『ここがぼくたちのいる街ですか?』
『うむ、そしてこちらの方角にあるのがバランディアという国だ。
リタ嬢、次のページを』
「え? えっと、多分ページをめくればいいんだよね?」
ピョン助とニョロ吉は一冊の本を覗き込み、幾度となく互いに顔を見合わせていて。
時折ピョン助のゲコ、という鳴き声とちろちろと覗く舌に促されてページをめくるリタの姿があった。
※このお話は、「暗殺少女は魔力人形の夢を見るか」(https://ncode.syosetu.com/n1740fb/)の派生作品になります。
リンクはここより下の方に表示されております。
読んでいなくても楽しんでいただけるよう書いてはおりますが、読んでいただけるとさらに楽しめるかと思います。




