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学びの美学

「お嬢様、ポーネリアン夫人がいらっしゃいました」

「ええ、わかりました、今行きます」


 ピョン助、ニョロ吉としばし戯れているうちに時間が来たようだ。

 リタに呼ばれたアイリスは立ち上がると、ピョン助をひょいと頭の上に乗せる。

 おや、とリタが見ていると、ニョロ吉を伴ってそのまま勉強部屋へ向かおうとしていて。


「ありゃ。ピョン助とニョロ吉も一緒なんですか?」

「ええ、そうよ。……思ったよりも驚かないんですのね」

「や、一割くらいは、その可能性もあるかな~って思ってはいたもので。

 こういっちゃなんですけど、ポーネリアン夫人もよく許可してくださいましたねぇ」


 ポーネリアン夫人。正確には、ポーネリアン子爵夫人だが。

 下級貴族の妻ではあるが、礼儀作法や各種典礼知識はもちろんのこと、学識高い才女として名を馳せている。

 年齢はそろそろ50が見えてきたが、いまだピンと伸びた背筋、凛とした立ち居振る舞いは貴族女性の一つのお手本とも言われるほどだ。

 先程案内の時に初めて会ったが、すっかり白くなってしまった髪を一つに結い上げ、細いフレームの眼鏡をかけた奥から光る鋭い眼光の顔からは、ピョン助たちを受け入れるようなユーモアは感じられなかったのだが。


「むしろ、許可してくれたから続けてもらっているところがありますわね。

 それに最近は、夫人がピョン助に会いたがってる節すらありますもの。

 ピョン助との意見交換はとても興味深いと言って」

「ほほう。……さすが、水辺の賢人の名は伊達じゃない、と」


 そう言いながらピョン助の顔を見れば、ゲコ、と小さく一鳴き。

 少し誇らしげに見えなくもない。残念ながら、まだそこまで表情は読めないが。

 

 ピョン助の種族、フロスダ・アマガエルは知能が高いと見られる行動が時折観察され、「水辺の賢人」と表現されることがある。

 特にピョン助は、アイリスの能力によって知力が強化されているのだから、なおのこと。

 実際、こうして眺めていると、その瞳には知性を感じる、ような気がしなくもない。


「なんでも、水辺の賢人と最初に表現した方は夫人のご先祖様だそうですわよ。

 だからピョン助に興味があったのかも知れませんわね」

「ああ、なるほど、それは納得です。

 で、ピョン助がいいなら、ニョロ吉がダメな道理もない、ということですかね」


 勉強部屋へと向かいながら、アイリスの隣を進むニョロ吉へと視線を落とす。

 自分が呼ばれたことに気づいたのだろうか、顔を向けてきた。


『僕、お勉強すきです』

「ニョロ吉は、お勉強が好きなんですって」

「ほう」


 思わずまじまじとニョロ吉を見つめてしまう。

 リタにしてみれば、勉強は仕事に必要な知識や教養を叩き込まれるものだった。

 生きるための手段と言ってもいい。

 それを好き、と楽しむことは果たして自分にできるだろうか。


『僕、知らないことおおいです。

 知ること、たのしいです』

「……ですってよ」

「うう……なんだろう、今すごくニョロ吉に負けた気分……」


 アイリスが通訳してくれたニョロ吉の言葉に、思わず胸を押さえてしまう。

 顔を見れば、純粋でまっすぐな瞳がこちらを見ていて、なんとも居心地の悪さを感じてしまう。


「まあ、それで真面目に大人しく聞いてるから、夫人としても構わないのでしょう。

 聞くところによると、碌に講義を聞かない人も少なからずいるらしいですから」


 嘆かわしい、とため息をつく。

 貴族にとっても、勉強とは生きる手段であり、それ以上に貴族たる義務だとアイリスは考えている。

 礼儀作法はもちろんだが、先祖たちがいかにこの国を作り守ってきたかを学ぶ歴史。

 この国をいかに動かしていくべきか、の政治経済。

 軍に所属するのなら、軍事関連も当然必須だろう。

 外交に携わろうというならば他国の言語は必須だし、宗教や地理、地政学といったものも重要だ。

 文学や美術、音楽なども学んでいなければ、社交界では簡単に恥をかく。

 生物の生態や農作物の知識もあって損はないし、数学は設計や計画に使えると聞いたことがある。


 それらを学ばずに、貴族としての待遇だけを望むというのならば、唾棄すべき怠惰というものだろう。

 残念なことに、そういった人間が少なくないことを、アイリスはよく知っている。

 何しろ、アイリスに取り入ろうと近づいてきた人間は、往々にしてそんな人間だったのだから。


「来年の春から学習院に行くことになりますけれど……ちゃんとした生徒がいるのか、心配ですわ」

「さすがに全員が全員ってことは、ないでしょうけども。

 なんていうか、お嬢様ってそういうところは、ちゃんと貴族してますよねぇ」

「なんですの、それ。まあ、言いたいことはわかりますけども。

 ……もしかしたら、お父様とお母様を見て育っているから、かも知れませんわね」


 政治という、様々な思惑が錯綜するドロドロとした世界でその地位を確立している父。

 その父を助けながら商会経営もこなしている母。

 それぞれの戦場で戦い抜いている二人の姿は、アイリスの目にはとても尊いものとして映っていた。


「……旦那様と奥様が聞かれたら、号泣されるかも知れませんよ、そんなこと言ってたら」

「あら、そんなことはないでしょう、あのお二人に限って」


 なるほど、これが親の心子知らずというやつか。

 不思議そうな顔をしているアイリスを見ながら、笑顔で誤魔化す。

 ……ついでに、親の気持ちもわかるような年になってきちゃったな~と思ったことも、そっと棚に上げて。


 勉強部屋に辿り着けば、他愛もない会話を打ち切って、ドアをノックする。


「ポーネリアン夫人、アイリスお嬢様をご案内いたしました」

「ええ、どうぞお入りになってください」

「はい、それでは失礼いたします」


 かちゃりとドアをあけ、まずは先に部屋へと入って流れるように半回転、ドアを抑えながら頭を下げ、アイリスを迎え入れる。

 もちろんその際に、部屋の中にさっと視線を走らせ、安全を確認することも抜かりない。

 その後から、頭にピョン助を乗せ、ニョロ吉を伴ったアイリスが入室してきた。


「ごきんげんよう、ポーネリアン夫人」

「ええ、ごきげんようございます、アイリスお嬢様。

 ピョン助とニョロ吉もごきげんよう」


 アイリスの挨拶に、にこりと微笑みながら夫人が応じる。

 それから、ふとアイリスの背後でドアを閉めているリタへと視線が移った。


「ポーネリアン夫人、どうかいたしました?」

「え、いえ、大したことではございませんが……あの新しいメイド、リタですが……。

 随分と動きがこなれているものだな、と」


 一瞬何かを言い淀んで。続いた言葉に、ああ、とアイリスが頷いた。


「なんでも、以前も別の貴族のところで奉公していたこともあったとか聞いていますわ。

 そこで随分と鍛えられたのだとか」

「そうでしたか、納得いたしました」


 微笑んで納得したように頷くポーネリアン夫人。

 だが、ちらり、一瞬リタに向けられた視線は、まだ何かを疑っているものだった。


 なるほど、どうやら色々と目端も利くようだ、と内心で呟く。

 夫人からも信頼を勝ち取らねばならぬらしいが、話がわからぬ人ではないようだから大丈夫だろう。

 リタはそんな楽観的な予測をしていた。

※このお話は、「暗殺少女は魔力人形の夢を見るか」(https://ncode.syosetu.com/n1740fb/)の派生作品になります。

 リンクはここより下の方に表示されております。

 読んでいなくても楽しんでいただけるよう書いてはおりますが、読んでいただけるとさらに楽しめるかと思います。

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