公爵家の夜
「あなた、中々面白い子を見つけてきましたわね」
「おや、君がそんなことを言うのは珍しいね。
確かに、私もあの子は中々だと思うけれど」
深夜、公爵の寝室にて。
読んでいた本から目を離した公爵夫人が、ふと思い出したようにそんなことを口にした。
少し離れたところでストレッチをしていた公爵が、少し驚いたような、面白がるような顔で夫人へと視線をやった。
全くの余談だが、公爵は前屈で手のひらがぺたりとつくほどの柔軟性を維持している。
もちろん自ら身体を張って何かをすることはほぼない身の上だが、何があるかはわからない。
いざという時のために体が動くようにしておくのは貴族の責務の一つ、というのが彼の信条だ。
「ええ、あんな子、滅多にいるものではないでしょう。
まあそもそも、滅多にいる出自ではないですけども」
くすくすと、口元を抑えながら上品に笑う。
……その仕草は、確かに上級貴族らしい上品さと優雅さを持っていたが。
表情は実に楽し気でありながら、その奥に何やら潜ませたものだった。
「おいおい、妙なことは考えないでくれよ?
彼女に『前職』みたいなことをさせないのは、『老人』との約束なんだから」
「もちろんわかっていますわ。
私たちが命令するのはだめ、ということでしょう?」
「……フローラ、それは、違うとも言えないが、彼がそうと判断してくれるかもわからんよ?」
何やら考えていることが読めたのか、たしなめるように公爵がそう告げる。
だが、夫人も簡単に引くような性格ではもちろんなく、どこか挑発的な笑みを浮かべ。
「だって、私達は何も彼女に命じないのですよ?
彼女自身がそう思うように、仕向けることすらしない。
単にメイドとしてのまっとうな仕事を与えて、それをこなしているうちに、彼女自身が情に絆される。
それだけのことならば、問題はないでしょう」
「それは確かに、そうだけれども。
それはそれで、そう上手くいくかね?」
公爵は懐疑的な視線を夫人へと向ける。
確かに、あのリタは情に薄い人間ではなさそうだ。
だが、情に流されるような甘い人間でもあるまい。
今日の食事での一幕も、どこか計算の上でやっている気配があった。
思い返せば、出会いから顔合わせから、こちらの出方を計算に入れながら振舞っていたのでは、と思うところも、今にしてみればある。
訝し気な公爵へと、夫人は艶然とした笑みを見せた。
「もちろん、すぐに上手くいくとは思っていませんよ?
でも、それこそあの子が望む限りはここにいるのですもの、時間はいくらでもありますわ」
「ああ、なるほど、ね。さすが、というのは誉め言葉になるのかな」
苦笑しながら、公爵は手ぬぐいを手に取り汗を軽く拭う。
ふぅ、と小さく息を吐き出すと、手ぬぐいを置いて寝台へと向かった。
それを見た夫人も本に栞を挟み、付き従うように寝台へと近づき。
先に布団の中へと入った公爵の招きに従い、その横に身体を納めた。
「ええ、もちろん。
むしろ、この程度でそう言われるのは、少々心外ですわね。
もっときちんと確実に仕留められる策を出した時に言っていただかないと」
「……うん、まあ、それはまた、その時に、ね」
苦笑しながら、夫人をその腕に抱き込む。
その瞬間に見せる夫人の表情が好きで、毎晩毎晩こうしている、とは口に出さないが。
恐らく見透かされているのだろうな、とも思う。
「ふふ、あなたのお褒めの言葉、ぜひ頂戴しなければいけませんわね」
「頼むから、穏便にしておくれよ?」
そんなやりとりをしながら。
公爵夫妻の夜は更けていく。
「お頭、ラークシャシーただいま戻りました」
「ご苦労様。思ったより遅かったですが、どうかしましたか?」
「あ、いえ、その……大したことではございません」
まさか監視対象の部屋でお茶をごちそうになっていました、とは言えず口ごもる。
そんな彼女を、お頭と呼ばれた男はしばし見つめて。
「口元に何か付いてますよ。お菓子のくずですか?」
「えっ、そんなまさか、さっき念入りに拭いたのに!」
慌てて口元を拭うラークシャシーへと、呆れたような笑みを見せて。
「ええ、付いてません。こんなに簡単に引っ掛かってどうします」
「なっ! く、くぅ……申し訳ございません、精進いたします……」
あっさり引っ掛かったラークシャシーは、がくりとうなだれながら、そう言葉を紡ぐ。
そんな彼女を、呆れた様でありながら、どこか穏やかな顔で眺めながら、また口を開いた。
「そうですね、君はそういうところさえなければ、とは常々言っているわけですから。
それはそうと、君の眼から見てどうでした、リタ嬢は」
「あ、はい、私の眼から見て、を申し上げます。
身のこなしは及第点以上、我々密偵と比べても遜色はありません。
特に足音を殺す技術は、一瞬だけ見せましたが卓越したものがありました。
後は観察眼、気配察知といったものは尋常ならざるものがございます。
……恥ずかしながら、私、最初から気づかれていたようです」
羞恥から一瞬口ごもった後の報告に、お頭は顎に手を当てて考えるような仕草になった。
「ふむ。そしてそれを旦那様にも私にも気づかせずにいた、と」
「はい、私が殺意や害意を持っていないことにも気づいていたので、無視していたとのことです。
……そういった種明かしを、あっさりと当の私にしてくるような胆力の持ち主でもありました。
図太い、とも言えますが」
あの場では飲まれてしまったものの、その後時間をおいて考えれば、この程度の考察はできる。
身体能力だけを買われているわけでは決してないのだ。
ただ、相手が悪かったのだとも、思ってはしまうが。
「なるほど、ね。そして、その上でああも堂々とした振舞いをしていた、と」
「そういうことになります。
本人曰く、何も企んでいないからこそこうなった、と若干自嘲気味に言っていました。
まだどこまで本気かはわかりませんが、お嬢様に害意があるようには、私には見えませんでした」
「わかりました、ご苦労様。
君が言うのですから、害意はないのでしょう。
君のお嬢様危機感知は異常な感度ですからね」
「いやなんですかそれは。私にはそんな能力ないですよ!?」
納得したように頷くお頭へと、抗議の声を上げる。
だが、お頭は実に不思議そうにラークシャシーへと顔を向けて。
「だって、今まで何度、どう考えても見えていないであろう距離からお嬢様の元へ駆けつけて危険を排除してきました?
ちょっと石につまずきそうな程度すら」
「え、いや、あれくらい皆さんもできるのでは?」
「うん、少なくとも私は無理ですね、あそこまでは」
「お頭でも、ですか?
そうなんですか……そっかぁ、そうなんですか」
頷かれると、途端ににへにへと締まりのない笑顔になってしまう。
尊敬するお頭に勝る部分があった。……勝ると言っていいのかはわからないが。
それがお嬢様に関することとあれば、弛みもしてしまう。
「ええ、まあ、だからあなたにお嬢様の身辺を頼んでいるんですがね。
ともあれ、彼女が信頼に足る、という『老人』の言葉は、今のところ間違いないようです。
今後は彼女も踏まえてお嬢様の護衛を考えていきましょうか」
「はっ、かしこまりました。
正直私はまだ、信じ切れてはいませんけれども」
「……彼女お手製のお菓子を食べるくらいなのに?」
「ちゃ、ちゃんと毒見はしましたから!」
慌てるラークシャシーをからかいながら。
お頭、と呼ばれたロバートは、今後のことを頭の中で算段していた。
※1000ポイント達成しました、ありがとうございます!
これに感謝いたしまして、リタの昔話短編を作成いたしました。
ただし、そちらは全力で18禁なので、ご注意ください。
詳細は活動報告に記載しております。
※このお話は、「暗殺少女は魔力人形の夢を見るか」(https://ncode.syosetu.com/n1740fb/)の派生作品になります。
リンクはここより下の方に表示されております。
読んでいなくても楽しんでいただけるよう書いてはおりますが、読んでいただけるとさらに楽しめるかと思います。




