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お勤め初日

「は~……改めて見ても、大したもんだよねぇ」


 呆れたような言葉を発しながら、彼女はそこに立っていた。

 その眼前には、その権勢を誇るかのような広大な屋敷。


 ジュラスティン王国、タンデラム公爵領。その領都たるウォルスの街。

 タンデラム公爵のお膝元の、まさに中心地。つまりは、公爵家の屋敷がそれだった。


「本当に、このあたしが、ねぇ」


 そうぼやきながら、くしゃり、短く切りそろえた茶色の髪をかきむしる。

 大きな愛嬌のある瞳、どこか妖艶な色香を纏わせる顔は、しかし困惑を浮かべていた。


 何しろほんの少し前までは、暗殺者ギルドの暗殺者として夜な夜な標的をその手にかけていた身。

 それが、ほんの少し前にギルドが壊滅したのを何とかかんとか生き延びて。

 生きていくにはとツテを頼って職探しをした結果が。


「いや、確かに落ち着きたいとは言ったけどさあ。

 間違いなく安定はしてるけどさぁ。勤め先は」


 だが、別の意味で落ち着かない。

 確かに、『仕事』で貴族の家に入り込むことは今まで何度もあった。

 その度に問題なくこなしてもきた。


 しかしそれは、あくまでも一時のこと。

 まさか第二の人生の職場にするなど、夢にも思うはずがなく。

 強気な彼女にしては珍しく、二の足を踏んでいた。


「まあ、こうしてても仕方ないかぁ。

 まさか、すっぽかすわけにもいかないし」


 公爵相手に。何よりあの地獄耳のじいさん相手に不義理を働くわけにもいかなくて。

 はぁ、とため息一つ。

 顔を上げると、門衛の傍まで近寄っていった。


「すみません、今日からこちらで働かせていただく予定のリタと申します。

 家令のロバート様にお取次ぎをお願いできますか?」


 先程までの蓮っ葉な様子は欠片もなく。

 淑やかな声で話しかけられた門衛は驚きに目を見開き、すぐにでれっと鼻の下を伸ばした。


「あ、ああ、話は聞いていますよ。

 お待ちくださいね、すぐに取次ぎますので。……ほら、お前、行ってこいよ!」


 しっ、しっ、と追い払うような仕草を後輩らしき門衛へと見せると、渋々といった様子で、その門衛は屋敷の中へと入っていく。

 そうして得意げな笑みを見せてくるのに、愛想笑いを返す。

 なんとも、扱いやすいものだ。そう胸の中でつぶやく。

 

 機嫌を取ろうと話しかけてくる門衛に愛想よく、しかし適当にはぐらかしながら応じているうちに、迎えがきた。

 豊かな白髪をビシッと固めた、すらりとした長身の男性。

 年齢を感じさせない伸びた背筋、優雅でありながらしっかりとした歩みには威厳すら感じられる。

 一分の隙もない衣服の着こなしの姿とは対照的な、柔和な笑みでリタを迎えた。


「ようこそ、リタさん。数日ぶりですな」

「あ、はい、その節はお世話になりまして、ありがとうございます。

 その、今日からどうぞよろしくお願いいたします」


 そう、猫を被って大人しく。

 これから世話になる上司なのだから、というだけではない。

 この人を敵に回してはいけない。そう、リタの直感が告げているのだ。

 

 ロバート・フォン・デュールリム。

 タンデラム公爵家の親戚筋に当たる子爵家の、次男と聞いている。

 だが、人材マニアとも言われる公爵が家令に据えているのだ、親戚というだけでそう扱われるわけがない。

 少なくとも、リタはそう睨んでいる。


「まあまあ、そう固くならず。

 今日から同僚となるのです、気楽に気楽に」

「は、はぁ……かしこまりました、仕事に障りのないようには」


 気楽にと言われても、片や貴族で家令。こちらは平民でメイドなのだ、気安くなどなれるわけもない、のだが。

 この男の能力、性格を考えると、求められているのは仕事上の円滑なコミュニケーション。

 そう読んで返した答えは、どうやら正解だったらしい。

 満足そうな笑みを浮かべ、うなずいている。


「ええ、我々はともに公爵家に仕える者となるのです。

 余計な遠慮は不要というものですよ。

 さ、旦那様がお待ちです。こちらへどうぞ」


 機嫌良く自ら案内しようとする姿に、内心でほっと安堵の息を吐く。

 この新しい職場での第一歩は、とりあえず失敗ではなかったようだ。




「やあ、ようこそリタくん。今日からよろしく頼むよ」


 ロバートの案内で、まずはメイドの制服へと着替えて。

 それから通された執務室では、公爵がにこやかな笑みを浮かべながら待っていた。

 

 40を過ぎた男盛り、堂々とした体躯と威厳のある顔つき。

 笑っているその瞳の奥にあるものは底知れなく、ロバート以上に敵に回してはいけないと痛感する。

 それでいてこちらを圧するような雰囲気でもない辺りが、さらに底知れなさを感じさせた。


 ジュラスティン王国の三公爵家、その一つ、タンデラム公爵家。

 政治方面において特に強い力を持ち、その発言力は時に国王すら凌駕することもあるという。

 その当主たるアルフレッド・フォン・タンデラムはその地位に恥じない人物だと専らの評判である。

 こうして直に会えば、それが全くその通りであると実感せざるを得ない。


「はい、旦那様。本日よりお世話になります。どうぞよろしくお願いいたします」


 恭しく頭を下げながらスカートの裾を持ち上げるカーテシー。

 淀みないその仕草に、公爵が目を細める。


「なるほど、『老人』から聞いてはいたが、よく身についていると改めて思うね。

 これなら安心して仕事を任せられるというものだよ」

「恐縮でございます、旦那様」


 公爵の存在感ゆえだろうか、メイド服のせいだろうか。

 自分でも思った以上にメイドとしての動作が馴染む。

 これなら上手く勤めていけるだろうか、と少し安堵していると。


「さて、早速だが君に任せる仕事を伝えよう。

 一つは『老人』とのつなぎ。これは君以上に適任はいないだろう。

 定期的に、あるいは私が指示した時に『老人』のところに行ってくれたまえ」

「は、はぁ……それはもちろん、その通りかとは思いますが……なんとも、メイドらしからぬと言いますか」


 どちらかと言えばそれは、密偵だとかそちら側の仕事ではないだろうか、と思わなくもない。

 あるいは、そういう方面も期待されてのことか、と内心で思案していると。


「私は、使える者は使えるように使う主義だからね、メイドだのなんだの、形にこだわるつもりはないんだよ。

 とはいえ、普段からそうとはいかないから、もう一つ。

 こちらこそ、メイドらしい仕事ではあるのだが」


 むしろ、そちらの方をこそ、言いにくそうに。

 一瞬の沈黙が訪れた、その次の瞬間。


「お父様~!! 私の次のお付きが来たというのは本当ですの!?」


 バァン! と豪快な音を立てて扉が開かれた。


 飛び込んできたのは、一人の少女。年のころは15歳ほどだろうか。

 柔らかな髪質の金髪を縦に巻き、ふわふわと躍らせて。

 少し釣り気味な大きな目、瞳の色はエメラルドグリーン。

 愛らしさから美しさへと渡る途中の整った顔立ちと、それにそぐわない勝気な笑顔。


 それを見て公爵は、片手で顔を覆いながら、渋い声を出す。


「アイリス、部屋に入る時はノックをしなさいと言っただろう。

 それから、勝手にドアを開けるなとも」

「申し訳ございません、お父様。でも私、いてもたってもいられなくて!

 あ、こちらの方ですの?」


 そう言いながら少女は、リタへと目を向けてきた。

 突然の乱入に動揺するほどヤワでもないが、何か判断するには情報が足りない。

 そうなのか、と視線で公爵へと問いかけると、小さな頷きが返ってきた。


「ああ、そちらのリタくんが今日から君のお付きだ。

 ということでリタくん。その子は私の娘、次女のアイリスというのだが、アイリスのお付きが君の仕事になる」


 すまん、頼む。

 そう視線と表情で告げられる。

 なるほど、これは言い淀む気持ちもわからなくもない、と納得しながらも、アイリスへと向かって恭しく頭を下げた。


「初めまして、アイリス様。ご紹介いただきました、リタにございます。

 本日より、どうぞよろしくお願いいたします」

「ええ、リタ、よろしくね!

 これは私からの挨拶よ、受け取って!」


 にやり。

 純真そうな笑顔の中に、一瞬の腹黒さ。

 そして何かが放り投げられた。

 真っ直ぐに顔面へと向かってくるそれは、あるいは、普通のメイドならば反応することもできなかったかも知れないが。


 はし、とこともなげにそれを手で掴む。

 そして、それに目をやれば。


「おや、フロスダ・アオガエルとは珍しい。

 アイリス様が飼っておられるのですか?」


 手のひら大のアオガエルを、物珍しそうにしげしげと見つめる。


 フロスダ・アオガエルは、ウォルスの街より南部の比較的高温な地域に生息するカエルだ。

 人の手のひら大、もしくはそれ以上にまで大きくなるのが特徴だ。

 比較的知能が高いと見られ、水辺で遊びのようなことをしている個体が見つかることもあるという。


 その中でも人慣れしているのか、逃げることもなくしげしげと見つめ返してくるアオガエル。

 ……中々愛嬌があるやつだな、などと思っていると。


「え、な、何あなた、ピョン助が平気ですの!?」

「はい? え、これくらい大したことでは……ああ、なるほど」


 王家はもとより、それに次ぐ公爵家にも行儀見習いとして下級貴族の令嬢がメイドとして入ることがある。

 そう言った令嬢達が公爵令嬢のお友達を兼ねてお付きになることも、良くあることだ。

 そんな令嬢相手なら、この挨拶はさぞ強烈であろうが。

 残念ながら、リタには可愛い悪戯以上の何物でもない。


「これは確かに、あたしをあてがいたくもなりますね、旦那様」

「まあつまり、そういうことだよ」


 ふぅ、と珍しく疲れたようなため息を吐く公爵に同情しながら。

 手の平に乗せたカエルへと視線を戻す。


「お前、ピョン助っていうの? あたしはリタ、よろしくね」


 にこりと笑いながらそう挨拶すると、ゲコ、と一鳴き返された。

 言葉が通じるわけもないのだが、返事をしてくれたようで何だか嬉しくなる。


「ちょっと、何馴染んでるんですの!

 ピョン助は私のお友達ですのよ、返してくださる!?」

「ああ、これは失礼いたしました、お返しいたしますね。

 それと、アイリス様」


 ずい、と突き出された手に、ピョン助を乗せてあげながら。

 少し近づいた距離、にこりと微笑みかけて。


「あたしも、ピョン助の友達になってもよろしいですか?」

「は? な、何言ってますのあなた!

 そんなの、そんなの……ピョ、ピョン助がいいって言ったら、許してさしあげますわ!」


 ふい、と顔を背けながらも、ピョン助を隠そうとはしないで。

 アイリスの手の上、ピョン助がリタを見ている。


「だってさ、ピョン助。お友達になってくれる?」


 その問いかけに、ゲコ、とまた一鳴き返される。

 途端、きっ、とアイリスがピョン助を睨んだ。


「ちょっとピョン助、なんですのあなた!

 なんでそんなに嬉しそうなんですの!?」


 あ、あれ嬉しそうなんだ、という言葉は飲み込んで、周囲を見る。

 ぎゃんぎゃんと言い募るアイリスと、素知らぬ顔でそっぽを向くピョン助。

 その騒動を頭を抱えながら見ているタンデラム公爵、我関せずと静かに控えるロバート。


 どうやら、思っていたよりも楽しく働けそうだ。

 そんなことを、思っていた。

※このお話は、「暗殺少女は魔力人形の夢を見るか」(https://ncode.syosetu.com/n1740fb/)の派生作品になります。

 読んでいなくても楽しんでいただけるよう書いてはおりますが、読んでいただけるとさらに楽しめるかと思います。


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