65話 プハンタシアの空間
「べてぃー?」
その声に反応して振り向こうとしたのに私は前を向いていて、一体何が起きたのか理解出来ず、再び振り向こうとして失敗する。
「わわっ、なにこれ」
私は驚いて声を出すが、視界内では全ての人が私と同じような状況になっているようで、誰も彼も動いていないように見えるが驚愕の声だけは至る所から聞こえてくる。
どう動こうにもキャンセルがかかったかのように元の体制に戻され、全く動く事が出来ない。
「みな、妾の魔法の支配下に置かれておる、この空間で動けるのは妾だけじゃ」
ヘルべティアがやけに通る声で言いながら私の前を通り、ほとんどの人から見えるであろう輪の中央辺りに立ち止まると、いつものように腕を組んで偉そうに踏ん反り返った。
「妾の名はヘルべティア・エルドニス・ルイングラッハ、大十一代魔王エル・ドニスの名を継ぐ第十二代魔王である」
途端、シンと場内が静まり返った、まさか魔王がここに現れるなんて誰も考えないよね、マリウスなんて目を見開いてヘルべティアを見ている。
普通ならそんなもの鼻で笑い飛ばしそうなものだけれど、今は皆が体を動かせない中平然と歩く彼女を見て思っているのだろう、あれはおそらく本物の魔王であると。
「どうなっている、何故魔王がここに? ……あの子と同じ見た目、まさか、あの子は魔王の分裂体かい?」
「当たらずとも遠からずだな、トートは妾の友人だ」
友人って言った! そう思っていてくれたんだ、嬉しい。
ヘルべティアは腕組みをやめてマリウスの方へ数歩近寄る。
「こんな大魔法を使うのは久しぶりだな。さて、妾がここに居るのは理由がある」
「理由?」
マリウスが訝しげに返すとヘルべティアが頷いた、しかしマリウスには余裕の色が見える、一切体が動かせないこの状況で、まだどうにかなると思っているのだろうか。
今の魔王は人間と敵対してるっぽいし、味方になってくれると考えているのかもしれない。
「妾は人間寄りだ」
この位置からだとヘルべティアの顔が見えないけれど、きっと悪戯っぽい笑みを浮かべているのだろう、やっぱり味方になってくれると考えていたのか、マリウスの顔が引きつった。
「この大魔法を使ったのは、お前が妙な奥の手を隠していると面倒であったからであって、決して妾自身が虐殺を楽しむために使ったわけでは無い」
「なんだと、待て、私の復讐はどうなる、七年だ、七年も準備したんだ、突然ぽっと現れた魔王に計画を狂わされるだと? そんな滑稽な話があるかい!?」
「ぽっと現れた、か。まあ、そう思うのならば準備不足じゃな」
やれやれと溜息を吐きながら手のひらをマリウスに向けるヘルべティア、それを見て遂にマリウスは余裕が無くなったのだろう、大声で喚き始める。
「クソッ、クソッ、クソッ! 何故動けない! いい加減にしろ! 無様でもなんでもいい、私はこの国を滅ぼすんだ!」
「この魔法は歴代魔王でも特に魔法に長けた者しか扱う事が出来ぬ禁忌よ、お前ごときに破れるものでは無いわ」
と、声を出したヘルべティアは手のひらをマリウスに向けたまま首をかしげる。
「む、何故妾の魔力が減っておる、これは……まずい!」
ヘルべティアは突然焦るようにマリウスに向かって走り出すが、その動きはまさに子供のそれであり、今まで短い距離でもテレポートを繰り返していたヘルべティアだとは思えない行動だった。
「トート、すまん、魔法が解ける! 動き出すぞ!」
一体何が起きたのだろうか、ヘルべティアの尋常ではない焦り方に私も鼓動が早くなる。
ヘルべティアはマリウスの手から短剣を奪いたいようで、手を伸ばしながら駆け寄るが、マリウスの手に触れる直前にガラスの破れる音がして、ヘルべティアがその場から消えていた。
「オウ、オウニ……ググ……」
魔法が解けたのか動かせるようになった頭を動かすと、窓ガラスを割って入ってきたのは一般的なスケルトンより太い骨を持つスケルトンで、既視感のある四本の腕を動かしていたのが見える。
『まさか、あの骨は既に抜け殻であったか』
続いて横からヘルべティアの声が聞こえ、ビクッと驚いてそちらを見ると、不貞腐れたように唇を尖らせたヘルべティアが立っていた。
『すまぬ、時限式だったのか、妾の魔力に耐えきれなかったのか、どうやら魔石が壊れて戻されたようじゃ。妾が消失するのでは無くてまだ良かったが、《プハンタシアの空間》は解けてしまったな、ピンチだ』
「ぴんちって」
大きな汗を額から垂らしながらマリウスを確認すると、彼女は驚いた顔で四本の腕があるアンデッドを見ている。
「レブナント……? 魔王は……? ははっ、そうか、試練か! 試練に打ち勝つとはこういう事か!」
大きく腕を広げて喜び叫び出すマリウス、突然現れて突然消えた魔王をどう見ているのか分からないけれど、脅威は去ったと思っている事は間違いなさそうだ。
しかしまずい、この状況、あのアンデッドとマリウス二人を同時に相手をしないといけないのか。
「残念でしたね、もう貴女に勝ちの目は残されていません」
どう攻めるか考えていると、私の後ろから兵士を掻き分けながらバニルミルトさんが現れた。
赤い騎士団の鎧に団長の証である金と銀の豪華な装飾が光る、王様の護衛は大丈夫なのだろうか。
「やはり戻ってきたか、バニルミルト・クラウン」
マリウスは極めて苦々しく、ゆっくりとバニルミルトさんの名を呼び、バニルミルトさんはそれに答えるかのように剣を鞘から抜くと、十字を切るように二度空を切った。
「トートさん、あの骨のアンデッドは任せます、マリウスは任せてください」
「ん。あいつたおしたら、わたしもてつだう、きをつけてね」
「ええ、何をしてくるか判りません、トートさんもお気をつけて」
短い作戦会議を終え、私はアンデッドに向かって飛びかかる。
アンデッドは手をこちらに向けると、手のひらから小型のナイフほどの大きさもある針が射出された。
「あぶなっ」
私にとってそのスピードは見切れる程度だったので、空中で迫り来る針を横から殴って叩き落とす。
「フォトン・スピア」
「チッ!」
それとほぼ同時に、バニルミルトさんとマリウスの戦いも始まったようだ。
バニルミルトさんはお得意のエンドレスで光の弾を飛ばす魔法を使い始めた、今更だけど、あのアンデッドは針を射出するみたいだしバニルミルトさんの方が相性良かったんじゃ無いかな。
空中で殴りかかろうと思っていたけど、針を叩き落としてしまったせいで体制が崩れて攻撃に移れずアンデッドの手前に落ち、そのまま殴りかかる。
弾き飛ばされて体制が崩れるも四本の腕のうち二本で私のパンチを防ぎ、逆の手のひらを私に向ける。
まずい、と判断してバックステップすると、私のいた場所に針が刺さった。
「やりづらい……」
『スケルトンは単純に物理に強いからな。ルーティがやられ気が動転していたのもあるが、きちんと倒した事を確認しなかったのは失敗だったな、すまぬ』
「それは、わたしもおなじ」
『そうだ、お前の得意技はどうだ? あれはスケルトンに大ダメージを与えられるのでは無いか?』
「とくいわざ?」
何かあったっけ、と構えたまま考える、基本的に私は殴るだけなんだけど。
『自覚がないのか、あれは得意技だと思ったのだが、ほれ、あの――』
なるほど、確かに骨にダメージは行くね、殴るよりは良さそうだ、結局物理だけど。
一瞬だけバニルミルトさんの方を見ると、あっちはあっちで白熱した戦いが続いているみたいだ、まだどっちが優勢ってわけでも無いっぽいね。
なら、早い所このアンデッドを倒してバニルミルトさんに加勢したい。
パンっと手のひらに拳を打ち付けて屈み、私はまた走り出すべく重心を前に移した。




