64話 転送
ルーティをリッカちゃんに任せ、貴族街を駆け抜けて王城前に到着したは良いんだけど、到着した途端にヘルべティアは結界の膜に両手と額を当てて、目を閉じてじっと動かなくなってしまった。
何をしているんだろう、結界を解除しようとしていたりするのだろうか。
そんな状態がしばらく続き、私がしびれを切らして声をかけようと思った時、ヘルべティアは額を結界から離すと口を開いた。
「既に王の目の前にマリウスがおるような状況だ、自体は一刻を争う、これからお前をマリウスの目の前に転送するから、景色が変わったらすぐさま殴りかかれ」
「どういうこと」
「ええい、本当に時間が無いのだ、良いからお前は景色が変わったら目の前の相手を殴れ、そいつがマリウスだ。王はバニルミルトのやつがどうにかしてくれる、お前は気にせずとも良い」
「わかった、まりうすって、め、あかいよね?」
「アンデッドであるからそうだとは思うが、例外や魔法で隠している可能性もあるので断言はできん、とにかく、妾が転送するのだ、目の前に現れたやつがマリウスで間違いは無い」
「ん、わかった」
ジャイアントを連れてきた馬車の主がマリウスであったのであれば、あれは赤い目だったのですぐに分かるだろう。
「よし、妾も後からすぐに行く、結界が割れると同時に転送を開始するぞ、構えておけ」
ぐっと拳を握りしめると、ガラスの割れるような音が小さく響いて視界が歪み出す、お城を覆うほど大きい結界なのに、割れる時はあまり音を立てないんだね。
ひときわ大きく景色が歪むと、次の瞬間には赤いカーペットの上で、とても高い天井に美しいシャンデリアが見える。
そして、目の前にいる赤い瞳に金色のショートカットで紺色のローブを被った女性、彼女がマリウス・ウィーバリーか。
私は先手必勝とばかりに殴りかかるが、マリウスは即座に反応をして後ろに飛んで私の攻撃を避けた。
「赤い瞳の、まさか、なんで生きて――いや、どうやってここに来たんだい?」
「おしえてあげない」
「面白く無いね、先に王を殺しておくべきだったかな、いや、しかし、それでは私の溜飲が下がらないか」
マリウスがぶつぶつ言っているスキにちらりと後ろを見ると、バニルミルトさんがあの闘技大会で私に使おうとした鞭の魔法で王様を回収したみたいだ。
ご無礼をお許しください、なんて言いながら頭を下げている。
「させないよ」
王様がバニルミルトさんや騎士団の人たちとこの場を離れようとするのを止めようとマリウスが拳を握って動き出すが、私がその移動ルート前に立ちはだかる。
「いくなら、わたし、たおしてから」
「チッ!」
「トートさん、この場はお願いします!」
「まかせて」
マリウスが即座に懐から液体の入った瓶を投げ、私はそれを割れないようにくるんと回転して威力を殺しながらキャッチすると、その隙に思いっきり殴りかかってきた。
やっぱり私たちみたいな《アンデッド化》が起こった人は凄まじい力になるみたいだね、超スピードのパンチを腕で受け止めたので、私の腕はビリビリ痺れている。
そのまま走り去ろうとするマリウスの足を蹴って転ばそうとしたのだが、小さなジャンプで避けられ、私はすぐさま振り向いて離れた地面に瓶を投げ捨ててながら数歩追いかけるように走ると背後から殴りかかる。
「面倒な奴だね」
マリウスは分かっていたかのように振り向いて私の攻撃を手のひらで受け止めながら苦々しく呟いた、普通の人では私のパンチを受け止める人なんて居なかったし、かなり強いかも。
受け止めた直後私の拳を掴もうと手を握るけど、既に私は拳を引いているのでそこには無い、あのジャイアントとの戦いで掴まれる危険性を覚えたからね。
頭を狙ってくるハイキックをしゃがんで避けて、アッパー気味に拳を突き上げたけどバク転で避けられる。
なんだか戦い慣れてるね、ただのマッドサイエンティストじゃないのか。
視界には既に王はおらず、騎士団の人も一応周りを囲んでいるけど積極的には攻撃に参加できなさそうだ。
王城の守りに入っている人たちなだけあって強い兵士が揃っているみたいだけど、私のスピードやパワーと対等に戦える相手になっちゃうとやっぱり下手に手を出せないよね。
「とりあえず、きみをどうにかしないと動けそうに無いね。バニルミルトのやつが戻ってくる前に死んで欲しいんだけどな」
マリウスはローブを脱ぎ捨て、腰に付けられた鞘から短剣を抜き出した。たった十センチ程度の刃渡りを持つ、ごくごく小さな短剣だ。
しかし、その刀身は異常なほど銀色に輝き、私は警戒心を強める。
「さて」
口元を緩めつつ両手を前に出して交差させ、右手は手のひらを上に向けて短剣を持ち、左手は緩く握って右手のすぐ下に、まるで格闘技の構えのようなポーズで短剣を構えると、一歩大きく踏み出して私の居た位置に短剣を振り抜く。
後ろに避けた私に、マリウスは振り抜いた体勢から再び袈裟斬りの一撃を加えようと短剣を振り下ろすが、その行動を見越していた私はカウンターをするべくバク転しながら蹴りを狙う。
「チッ!」
その攻撃をすんでの所でかわして、再びマリウスは構えた。
しかしおかしい、あの武器はきっと何らかの魔法効果が付いた武器だろうけど、そういった武器と対峙した時にいつも教えてくれるはずのヘルべティアの声が聞こえない。
後からすぐに行くと言ったのに付いてきて無いのだろうか、それともあの武器は見た目騙しで特に効果のない綺麗な短剣なだけなのだろうか。
後者は無いと思うけどね、今時間稼ぎをしたいのは私であって、マリウスはバニルミルトさんが戻るまでに私を殺さなければならないんだし。
だがヘルべティアの所在を知ろうにも、マリウスと対峙している以上後ろを振り向くわけにはいかず、助言が無いとなると私はあの短剣を注意しながら戦わなくてはならない。
ヘルべティアの助言が無いのは二年ぶりかな、なんだか少し寂しいね。
なんて頭の隅で考えるけど、マリウスは当然御構い無しに短剣を突き出してくる。
突き出された腕を払い、私は短剣に触れないように立ち回る、あれだけ短剣に自信があるならほぼ間違いなく私の体を切り裂けるのだろう。
それだけなら良いけど、何か変な効果が付いていたら怖いからね。
「いい加減きみたちも見てないでかかって来たらどうだい? 彼女だけじゃ私は倒せないよ」
「っ! だめ!」
不意にマリウスが周りの兵士たちを煽り、兵士たちが浮き足立つ。
目的は混乱に乗じて私に短剣を刺す事だろう、きっと兵士たちが殴り殺されるのを私が黙って見ているなんて無いって分かっているから煽ってるんだ。
慌てて私が制止するけど、ざわざわと兵士たちから不安げな声が出始める、これは良くない流れだ。
再びマリウスが床を蹴り短剣を左下から切り上げたので、私は姿勢を落として避けつつ胴体めがけて拳を繰り出すが、マリウスは左手で私の拳を払いのけるとぐるんと回転しつつ蹴りを放った。
「わっ!」
どうにか腕でガードはできたものの、かなりの威力の攻撃で私は弾き飛ばされ、同時に兵士たちのざわめきはさらに大きくなってしまった。
ダメージは大した事無いんだけど、この状況はまずい、もちろん兵士たちも即座に殺される事は無いかもしれないけど、数多くの犠牲が出てしまうのは確かだ。
どうやってそんなに力を手に入れたのか分からないけど、多分マリウスは私と同じか、それ以上の力を持っている。だとすれば、《そこそこ》程度の腕前の兵士ならパンチ一発で鎧を貫き体に大穴を開ける事ぐらい余裕だろう。
どうする、今ならまだなんとかなるけれど、パニックが完全に伝染してしまうと凄惨な未来は避けられない、何か手は……。
すぐに飛びかかった方が良いのか考えていると、後ろから声が響いた。それはとても安心する、いつも私を助けてくれた声だ。
「待たせたな、よく耐えた。これで終わりじゃ」




