57話 始まり
トートが町を出て行った日の深夜、ほぼ日をまたぐ頃、夜勤で詰所に待機していたアリエス王都騎士団員のワコーズは、ふと聞きなれない風の音が気になったのでカンテラを腰に下げて表へ出た。
月と星明かりのみで照らされた街路には、同じように不思議な音を確認しようと宿屋から外へ出てくる者や窓を開けて顔を出す人がいくらか存在している。
「気持ち悪いな」
風の音かと思って外に出てみても風は全く感じず、地響きのような嫌な感覚がずっと続いていて、どうなっているのかとワコーズは辺りを見回すも周囲は至っていつも通りで何かあるわけではなく、自然に不自然である事が不安を増長させる。
少し辺りを見て回るかと考えた所で、騎士としての勘からか、はたまた本人の注意深さ故か、ふと物見台から街の外を確認しようと思い立った彼は、一度詰所に戻ってほぼ置き物と化していた望遠鏡の魔道具を持ち出した。
「ちょっと音が気になるので、《月の観測者》を持って、西門の物見台行ってきます」
月の観測者と呼ばれる魔道具は、月や星などの光を集めて夜でも明るく遠くを見渡せるようになる望遠鏡なのだが、今まで使う機会がほとんどなかったので他の団員も名前を聞いて存在を思い出した顔をしていた。
西門に向かう最中、カンテラを腰に下げた騎士団員は目立つからか、何度か冒険者から謎の音について質問を受けたが、確認中である事を伝えると、納得して離れて行った。
謎の音は西門に近付くにつれて大きくなり、ワコーズは予感が的中したと感じると同時に恐怖を覚えた。
この音は、もしかして。この地響きは、もしかして、と。
半ば駆け上るように物見台の上まで行き、望遠鏡を覗き込む。
「なん……だ、ありゃ……」
視界に映るのは大小入り混じった無数のアンデッド、とてもでは無いが『おおよそ』で考える事も出来ないほどの数がこちらへ向かってやって来ている所だった。
幸い進行は遅いが、それどころでは無い。手の力が抜けて望遠鏡を落としてしまいそうなほど呆然としていたワコーズは、ハッと気付くと、すぐ隣に掛かっていた警鐘を凄まじい勢いで打ち鳴らす。
ガン、ガン、ガン、と三回一セットで五回、今の今まで使われる事の無かった、《敵襲》の合図。
警鐘が鳴ると、冒険者達はこぞって冒険者ギルドに向かい、騎士団員は即座に詰所前に集合した。
集合した騎士団員達を前に、現場を見たワコーズが伝える。
「おびただしい数のアンデッドがこちらへ向かっています、最低でも千、どこから発生したのか判りませんが、もし町を一つ飲み込んでいるのだとすれば万を超える可能性があります。あまりに数が多く種類は確認出来ませんでしたが、下級から上級まで幅広く存在するものと思われます」
隣に立っていた騎士団長、バニルミルトは即座に号令を出し、騎士団員を散開させる。
「初動は第一隊、第二隊は貴族街及び王城の警護へ、第三隊は平民街、第四隊は北区の見回りを、以降の部隊は冒険者ギルドと連携して西区で対応を、周辺の町や村を確認しに行く必要もあるかもしれません、現状防衛が主ですが、各隊長はギルドマスターと連携を取り状況判断をお願いします。敵はアンデッドです、昼夜関係ないので各員しっかりローテーションで休息を取るようにしてください、各隊長は定刻に集合、状況報告をお願いします。では、行きましょう、皆さん生きて戻るように」
「はっ!」
騎士団員は各隊長の指示の元、各方向へ向かって行った。こうして、長い長い夜が幕を開けた。
◇――――――
ぱっかぱっかぱっか。
ぼけーっと馬車に揺られて三日、私は暇である。
ヘルべティアに言われて気づいたけど、出発してから最初の頃イードリさんは真っ直ぐレブナント領に進まず、大回りしていた。
何を考えているのか分からなかったので聞いてみると、気のせいでしょうと返された、その後わずかに軌道を修正したようなんだけど、まさかレブナント領に着くまでの時間稼ぎをしようとしているのでもあるまいし、使者として何か目的があったのだろうか、全然分からない。
ぐでーっと椅子に横たわって、窓から空を眺める、晴れていて白い雲がちらちら、とってもいい日だ、眠くなるね。
進んでいるのは相変わらずだだっ広い草原で、遠くに森が見える。森の横を通った事もあったけど、特にモンスターは現れず、快適と言えば快適な旅なんだけど。
なんて、平和だったのは昼過ぎまでで、急にけたたましい蹄と車輪の音がこちらへ向かってくるのが聞こえた。
何事かと窓に顔を当てて外を眺めようと試みるも、真正面から向かって来ているようで音の正体を見つける事ができず、慌てて真正面が見える小窓を覗き込む。
馬車が何度も跳ねているのに気にせず猛スピードで走る馬車を操る御者は、全身をローブで隠していて不気味な上、引っ張っているものは高さ三メートル以上はあるだろう大きな箱で、まるで何かを隠しているような印象を受けた。
「うっ」
一瞬フードの中身が見えて中の人物と目が合い、狂気を孕んだ真っ赤な瞳に圧倒されて私は怯んだ。
同時にローブの人物が一言分だけ口を動かすと、木製の箱を破壊しながら何かが飛び出して来る。
『いかん、馬車を出ろ!』
ヘルべティアの声で我に返り馬車のドアを開けて飛び出るのと、凄まじい速度で迫って来た馬車から飛び出して来た何かが私の乗っていた馬車を叩き壊すのはほぼ同時だった。
「聞いてねえ、聞いてねえぞこんなん! 依頼にゃなかった!」
馬が倒れる前にうまく飛び降りたイードリさんがパニック気味に叫び、離れる。
こちらへ向かって来た馬車は凄まじい速度でそのまま走り去り、襲って来た何かは飛び降りと同時に拳を振り抜いて馬車の残骸の上にしゃがんだ姿勢から、ゆっくりと立ち上がって私を見た。
恐ろしく背が高くて筋肉もある、まるでヴィルジリオさんをふた回りも大きくしたような巨大なそいつは、ボロボロの浴衣のような服に身を包んで真っ赤な瞳をこちらに向けていた。
『巨人族のゾンビだと、信じられん、アンデッドなのに魔力の流れもトートのものに似ておる、まさか人造か!?』
ヘルべティアが驚いている、そうか、これがジャイアントか、確かにデカ過ぎるくらいデカい。
ジャイアントは凄まじい速度で私に近寄ると、地面を抉りながら蹴りを放ち、私は距離を離そうとしても間に合わないと咄嗟に判断して、逆に足元に近寄りギリギリで回避する。
軸足を殴りつけてやろうと構えるが、器用にも蹴り上げた体勢のまま拳を振り下ろして来たので慌ててバックステップで回避した。
「にげて!」
このジャイアントの狙いが私だと把握したので、離れた位置に居るイードリさんに向かって叫ぶ。
「当たり前だクソッ!」
叫ばれて気付いたのか、イードリさんは奇跡的に無事だった馬に跨ると一目散に逃げ出した。逃げてとは言ったものの、その行動の早さと潔さに驚く。
そんな事をしている間にジャイアントは体勢を整えていて、私も拳を握りしめて構える。
「グ……グ……」
意味があるのか無いのか、ジャイアントから声のようなものが漏れるが、言葉にはならない。
ゴッ、と風を切る音がする高速の拳を避けてボディーを狙いに行くが、私の拳はジャイアントの左手に掴まれてしまった。
「げ、やば」
右手を掴まれたまますとんと降りた所に、そのまま張り手のように振り下ろして来た右手を、私は左手をパーにして受け止める。
手の大きさも身長も違い過ぎる、力比べのような姿勢になったが、上から覆いかぶさるように両手を塞がれてしまったため足を出す事もできず、あまりに相手が有利で、このままやっていても押しつぶされてしまうだろう。
「ぐぬぬ……」
懸命に力を入れるも抜け出せる気配がない、私が力尽きた瞬間、潰されて終わってしまう。
『まずいのう』
「べ、べてぃー、よゆう、だね」
絶体絶命な状況なのに、焦っていなかったので何か解決策があるのだろうかと言ってみると、ヘルべティアは首を傾げる、あれ、私なにか変な事言ったかな。
『いや、お前は気付いてないのか?』
気付いていない、何に?
と、考える暇もなく、更に力が込められて私も必死に耐える。
むぎぎ……とどんどん力を入れるのも辛くなり、押し潰しされ始めた時、遠くから声が聞こえた。
「トートちゃんに、手を出すな!」
突然横から弾丸のような勢いで誰かが飛んできたかと思ったら、鈍い打撃音がしてジャイアントが横に吹き飛んだ。
この声は聞き覚えがある、まさか――。
殴られて力が抜けたのか、私はジャイアントと共に吹き飛ばされず手から逃れ、その場に立ち尽くす。
「えへへ、来ちゃったー」
まさか、と視線を動かすと、恥ずかしそうにはにかみながら大きなリュックサックを背負い、私と同じように真っ赤な瞳になったリッカちゃんが、そこに立っていた。




