50話 悪夢
――仄暗い廊下で、二人の少女が対峙していた。
廊下は大人が三人程度なら横並びに歩いていられるほど広く、蝋燭の僅かな明かりが灯っているにも関わらず先は闇に飲まれて確認できない、それだけで巨大な建物ある事を窺い知る事ができる。
一切手入れのされていない室内のかなり古いであろう木造の床は、誰かが通るたびに軋み悲鳴のような音を上げ、元々は綺麗な白色だったであろう壁は、今はもう色褪せ、壁紙は剥がれて所々に亀裂が見えた。
そんな場所で対峙している二人の少女は、まるで双子のように瓜二つだった。
一方は黒い長髪に血のような紅い瞳を持ち、眉根を寄せて強い意志を相手にぶつけるかのようにもう片方の少女を見つめている。
もう一方は、全く同じ長さの黒い長髪に月のような金の瞳を持つ少女。
こちらは紅い瞳の少女とは異なり、多少余裕のある表情で、紅い瞳の少女を強烈な視線を受け流していた。
「べてぃー、しょうじきに、いって」
紅い瞳の少女が口を開く、なぜか発音が幼子のそれのようであったが、声色は真剣で、わずかに震えていた。
金の瞳を持つ少女は逡巡するように俯きながら口元に拳を当てて止まるが、やがて視線だけで紅い瞳の少女を捉えると、口元が裂けたかのような凶悪な笑みを浮かべた。
「正直? ククッ、良かろう。そうだ、お前に付き添う振りをしていたのも、全てこのためじゃ。その身体は妾のもの、お前は未来永劫、妾の代わりに精神の檻に閉じ込められるがよいわ、ククッ、ハハハッ、ハァーッハッハ!!」
「う、うそだよ、やめてよべてぃー!」
◇――――――
「やだ、やめて! やめてー!!」
「トート殿、どうしたのでありますか!!」
バン、と凄まじい音を立ててドアが開き、私は見慣れた天井を視界に収め、状況が理解できずに寝転がったまま、部屋に入ってきたルーティと目が合う。
「あ、あれ、ルーティ?」
「大丈夫でありますか? トート殿にしては珍しい悲鳴が聞こえてきたのでありますが……」
むくりと上体を起こして周囲を見回すが、ここは私の部屋で間違い無い、なんだか凄惨な夢を見ていた気がするけど、ぼんやりと場面が浮かぶだけでどんな夢だったのかも思い出せない。
「……? だいじょうぶ、あくむ、みてた」
「悪夢でありますか、トート殿が恐れる程のものであれば、さぞかし恐ろしいのでありましょうね」
「もう、あんまり、おもいだせないや。おこしちゃって、ごめんね」
「いえ、自分はもうすぐ騎士団へ向かう時間でありますので、もう起きていたのでありますよ」
「あ、そっか」
窓を見ると、すでに陽が差し込んで埃がキラキラ舞う様子が見て取れる、いつもはもっと早く起きるんだけど、寝坊しちゃったみたいだ。
ヘルべティアが姿を現さなくなってから六日経ち、思っているより精神的にやられているのかもしれないな、なんて半ば寝ぼけた頭で考える。
あの日不穏な発言をしたヘルべティアは何故か姿を表そうとしない、今までも長期的に姿を現さなかった事はあるが、どれも問題は発生せず、私から呼ぶ事も無かったためだ。
今日のような寝言があれば、『なんじゃ朝っぱらから騒々しい』と愚痴を言いながら姿を現していただろう。
「では、行ってくるのであります」
「うん、いってらっしゃい」
私が目をこすりながらベッドを降りると、ルーティは自分の部屋に鎧を着に戻ってから出かけるようだったので、私はそのまま軽く体をほぐしてから洗面所へ向かった。
起きるのが遅かったし、朝ごはんを作るのも面倒なので向こうで朝食を取ろうと冒険者ギルドに顔を出すと、六日前と同じように受付のお姉さんに手招きされる。
「トートさん、トートさん」
「ごはん、たべてから!」
「えぇー……はーい」
不服そうな顔をしてもダメ、私は朝ご飯が食べたいの、なんてずんずんテーブル席の方へ歩いて、カウンターで挟みパンもといサンドイッチを注文する。
サンドイッチをまったり食べてから席を立つと、受付のお姉さんが心なしか困った顔をしているので、首を傾げながら受付に向かった。
「ヴィルジリオさんが戻ってこないんですよ」
「はあ」
私がカウンターに手を引っ掛けて顔を出すと、受付のお姉さんはそんな事を言い出したので、私は首を傾げるしかない。
ヴィルジリオさんの詳しい実力は知らないけど、長い間Aランクだし、この辺りで行方不明になるような人じゃ無いと思うんだけど。
「まだ、いらいちゅう、じゃないの?」
「いえ、期限は短かったので、昨日中には報告をいただける予定だったのですけどね」
「ちょっと、みてこようか?」
「良いんですか? 彼が向かった先は、その、以前お見せした幽霊屋敷の調査なんですけど」
「……えぇ」
「でも今高ランクの人たち出払っていますし、トートさんくらいしか頼れる人居ないんですよね、最悪騎士団に回してみますけども」
うーん、基本的に騎士団は緊急の要件とか、住民にまで被害が及びそうな案件とか、高ランク冒険者でも手を出せない時ぐらいしか動かないんだっけか。
今回の依頼は調査って書いてあるくらいだから緊急性は無さそうだし、ヴィルジリオさんの失踪くらいじゃ動いてくれそうに無いな。その為に冒険者が居るみたいな所あるし。
でも幽霊屋敷か、さっと入ってヤバそうなら全力ダッシュで逃げてくれば大丈夫な気もする、そもそもヴィルジリオさんが道中に居る可能性もあると思いたいけど、それは楽観視しすぎだろうか。
「いってみるよ、どんなところか、おしえて」
「分かりました、では依頼票に書いてある詳細部分ですが、場所はアリエスとケイネステラとの中間地点に馬車用の一泊宿がありますよね、あの裏手側からしばらく進んだ所にある邸宅になります」
「あんなところに、おやしき、あるの?」
「なんでも相当昔はあの辺りも小さな村だったそうですよ、色々あって住民はアリエスとケイネステラに移り住んだみたいですけどね」
「あのいっぱくやどは、へいきなの?」
「みたいですね、長い間あそこで営業しているそうですけど問題は何もないらしいです」
ふむ、じゃあなんで今更急にその幽霊屋敷の調査を依頼したんだろ。
「なんで、いらいが?」
「どうにも、あの宿で冒険者パーティとの口論があったようで、その冒険者が『無料だし幽霊屋敷の方で十分だ』と言い出したらしく、直後消息を絶ってるんですよね。次の日の馬車にも来ず、一泊宿の方に忘れ物があったにも関わらず取りに戻る事もなく、って話らしいですよ」
「なるほど、だから、ちょうさいらいが、きたのね」
「そうです、それであの日トートさんに聞いたのと同じようにヴィルジリオさんにも聞いてみると興味を示しまして、『その程度ならすぐに終わるだろう、待っていろ』と調査に向かい、戻って来ていません」
となると、《幽霊屋敷》とは言われているけれど、幽霊が出てくるからそう呼ばれている訳ではない可能性もあるのか。
でもヴィルジリオさんが負ける程強いモンスターがその辺りにいるのであれば、一泊宿が無事なのもよく分からないな。
とにかく、見に行ってみるしかないか。
「じゃあ、ちょっと、みにいってみるよ」
「ええ、お気をつけて」
カウンターから飛び降りて向かう先は道具屋さん、あんまり深く立ち入った調査はする気ないけれど、道具袋に余裕はあるし、何があるか分からない以上色々と準備しておいた方が良いよね。
買った道具ってあんまり使わないから、道具袋の中で余ってるんだけどね。
保存食を買い足して道具袋に入れると、門番さんに挨拶をして街の外へ出る、見渡す限りの草原で、私は一度大きく伸びをした。
さて、距離的には全力で走れば二時間もかからないだろう、幽霊屋敷なんて呼ばれるくらいの場所だから、絶対に暗くなる前に終わらせたい。
私はポケットに忍ばせた懐中時計を取り出して眺める、まだ時刻は十時、かなり余裕はあるね。
「さて、では、いきますか」
ポケットに懐中時計を戻すと、私は足に力を入れて走り出した。




