4話 プリンス、プリンセス?
結局、血まみれで帰った私はとにかく謝ることでことなきを得た。
と、言うより、実際には単語がわからなくて説明しようがないものが何個かあったのが最大の原因だったんだけど。ほら、ワーウルフとか。
エンブレイさん――お父さんは、私になにがあったのか聞いたあと村に確認に行ったようだけど、しばらくしてから首を傾げて帰ってきた。
そのあともなにも聞かれなかったので、きっと私に聞いても特に情報は得られないと判っているのだろう。最初になにも言わなかったしね。
それに聞かれたとしても『モンスターと戦ってみたかったので殴り倒してきました』なんて言えるわけがない。ただただ怒られるのがオチだ。
それから少し経った暖かい日の午後に、机に突っ伏してまどろんでいると黒髪の少女がドアの近くに立っているのが見えた。
「あれ?」
この辺りで黒髪の少女など見たことがないので、驚いて体を起こして少女を見る。歳は十歳に満たないだろう、小さくて可愛らしい。背中ぐらいまである黒のロングヘア、おっとりとした顔に金色の瞳、小さい体にあまり似合っていない黒いドレスワンピース。どこかで見たことがある気がする少女だった。
少女は私と目が合うと、ニイッと口の端を釣り上げてから消えた。
「……やばい、おばけ」
私は椅子から立ち上がって、ドアの方を気にしながらリビングから離れようとする。
が、ふととても喉が乾いていることに気がついた。
「ぼーっとしすぎた?」
さっきの少女は白昼夢のようなものだったのだろうか。
とにかく、この喉の渇きを潤すために私はキッチンに向かう。
柄杓を取り水瓶を覗くと、溜まった水の中に、さっきの少女が居た。
「うわっ!?」
あまりに驚いて柄杓を落としてしまったけど、もう一度恐る恐る水を見ると確かに私が映っていた。
白いリボンでポニーテールにしてはいるけど背中まである黒のロングヘアに、赤い瞳ではあるけどおっとりした顔。
驚いたから、その顔はよく覚えている。
「さっきの、わたしだ……」
まさか、ドッペルゲンガーだろうか。
たしかにファンタジーの世界だと稀にモンスターとして現れる怪現象だし、前世では出会うと死期が近いと言われていたけど、この世界ではどうなんだろう。
「きをつけないと」
この前ワーウルフを倒した時に連れてきてしまったのだろうか。
いきなり襲いかかってくるならまだしも、消えるとなると物凄く厄介なモンスターだろう。
なにより、私は幽霊の類が苦手だ。
しばらく集中して辺りの音を拾ってみたけれど特に変化はないようで、いつも通りの日常風景だった。
本当に、ただの白昼夢だったのだろうか。
こっそりリビングに戻って、ドア付近を眺める。
当然誰がいるはずもなく、私の目には開かれたままのドアが映るのみだった。
私は胸に詰まっていた息を大きく吐き出して、リビングを後にした。
それからもドッペルゲンガーは七日に一度くらいの頻度で私の視界に現れた。
「わっ」
「どうしたの? トート」
「おかあさん、みえない?」
「……何かしら、変な虫でも居るの?」
「なんでもない」
最初は私も臨戦態勢を取っていたのだけれど、毎回現れてはすぐに消えてしまうことと、あまり敵意を感じないこと、私以外の人には見えてないっぽいことから、今はもうあんまり気にしていない。
たまに口をパクパクしているのは私に話しかけようとしているのだろうか。
それにしては私に視点が合っていない時もあるし、なんだかよく判らない。
さて、話は前後してしまうけれど、私の年齢が七歳を過ぎた頃ぐらいからリッカちゃんの体調がさらに悪くなっていった。
昔は三日のうち二日くらいは遊べていたのだけれど、その頃は五日のうち一日遊べればいい方だった。
必然的に、私がリッカちゃんと会う目的が《遊び》から《お見舞い》になってしまう。
「かいふくまほう、ないの?」
いつだったか、日に日に悪くなっている体調に耐えかねた私はリッカちゃんにそう訪ねた。
「生まれつきの病気が治る回復魔法は無いって、お医者さん言ってたよ」
「そんな……」
いや、むしろそんなと言いたいのはリッカちゃんのはずだ。私は申し訳なくなって俯いて黙る。
でもリッカちゃんは、気にしないでと微笑んでくれた。
どれだけ強い子なんだ、と、この場で自分が何もできないことがとても悔しかったのをよく覚えている。
話は今に戻り、リッカちゃんは遂にほとんどベッドから抜け出ることもできなくなってしまった。
様子を見に行きたいけれどあまり気を使わせるわけにもいかず、最近はあまり彼女と会えていない。
「どうしよう……」
焦燥感だけが募る。経過から見ても、このまま放置して彼女が治る可能性はほぼゼロだろう。それどころか、もうあと一年生きているかすら怪しい。
「なにか、いって」
そう、何か一手、変化の一手が必要だ。
でも私は医学なんて全然知らないから彼女の病気を特定することなんてできないし、回復魔法はおろか魔法の魔の字も知らないレベルだ。
今から魔法を習得するなんて、文字すら読めない私にできるのか怪しいし、腕のいい医者を連れてくるにしても時間がかかりすぎる。
一年前からもう既に手詰まり状態だった。
「彼女を失うのは嫌か?」
「えっ?」
「なら、キスしてやるとよい」
突然聞こえた声に顔を上げると、ドッペルゲンガーが私の前に立っていた。
今の声は彼女のものだったのだろうか、まだ何か喋っているのか今も口を動かしているが、その声は私に届いていない。
「まって、きすって――」
私が口を開いたら、もうドッペルゲンガーの姿はなかった。
キス? キスって? ちゅーしろってこと?
『彼女を失うのは嫌か。なら、キスしてやるといい』
ドッペルゲンガーの言葉を脳内で反芻 する。
キスをしたらリッカちゃんを失わずに済む=病気を治せるってこと? ちゅーで?
いやいや流石に意味が判らない。
でも、確かに声が聞こえた。あのドッペルゲンガーも居たし、幻聴ではないはず。
「ちゅー……」
理由を聞きたかったけど、今までの周期だと次にドッペルゲンガーが現れるのは早くても七日後だし、もし現れても今までのように対話は不可能かもしれない。
むしろ今までは口を開いていても声は聞こえなかったのに、何故いま急に声が聞こえたのかが謎だ。
「わなとか」
呟いて、どんな罠だと自分で自分をツッコむ。
確かに状況的には物凄く効果的なタイミングではあるんだけどね。
ただ、もしリッカちゃんの病気が感染症だったとして、効率が悪すぎる気もする。
リッカちゃんの病気の進行速度から言って、私が感染したとしても死ぬまで何年かかるのよ。
「いたずらか」
可能性は高いかな、でも、あのドッペルゲンガーがイタズラをするような存在だったらもっと早くに色々とイタズラされてるよなあとも思う。
私が今までドッペルゲンガーを見かけたのは確か十六回、四ヶ月以上もの間彼女は私の視界に現れたわけだし。
「それとも、ほんと?」
これもこれでうさんくさい。
だってキスで不治の病が治るとか、ファンタジーの王子様じゃないんだか……ら?
「え、ほんと?」
ファンタジーならあり得てしまうと思うところが怖い。
って言うか。
「わたし、おうじさま?」
確かにリッカちゃんは可愛いし、賢いし、物静かだしでお姫様感が強い。
対する私は、パワーがチートな最前衛、巨大なドラゴンを倒してお姫様を救える王子様だ。
でも女性同士……。確かに前世には《そういう》作品もあったけどさ。
しかし、ほかにリッカちゃんを助ける方法は考えつかず、藁をもすがる気持ちなのは確かだ。
「するか、ちゅー!」
握りこぶしを作ってガバッと立ち上がり、私は覚悟を決めた。