閑話 エレスベルの三人娘
王都アリエスからトートの乗る馬車を護衛し、ルビエラに到着した日の夜の宿屋で、茶髪ショートの大人しそうな少女、フェリシー・ジラルドが両手を胸の前で握って興奮気味に口を開いた。
「聞いて聞いて、凄いことに気付いちゃった!」
紫セミロングで目のぱっちりした少女レティ・ブレッティンガムは、ベッドを椅子代わりにして座ったまま珍しいテンションの彼女に首を傾げて返す。
「どうしたのフェリシー、珍しいわね」
「帰路の護衛にぃ、付かなくていいとかー?」
そのレティの座っているベッドに寝転んだまま、ごろんとフェリシーの方へ体を傾けてやる気のない声を発したのは、ミントグリーン色をしたロングヘアの少女、カナ・クレストールだ。
全員十六歳なので、十五で成人とされるこの世界で《少女》と呼ぶのはいささか失礼かも知れないが。
レティはいつも通りやる気ゼロのカナに、そんなわけないでしょとチョップを決めてからフェリシーに訊ねる。
「それで、どうしたの?」
「うん、あのね、トートさんの事なんだけど、あの子の強さが分かった、かも」
「トートさんの強さが?」
「わかったぁ?」
再び首を傾げたレティの隣に、ベッドから起き上がったカナが座る。
二人の前に一人立つフェリシーは、自信なさげに頷いて続けた。
「えっと、二人には『魔力には流れがあって、魔法を使う為の分と、身体能力を上げる分があるんだよ』って話は昔したよね」
「ええ、フェリシーにはその《魔力の流れ》が見えるのよね? 魔法を使わない前衛でも、魔力量に応じて身体能力が上がるから魔力は常に鍛えなさい、って教えてくれたのは貴女でしょ」
「そうだね、それで、この流れなんだけど、トートさんは全部身体能力を上げる分に使っていたんだ」
「そんな事ができるの?」
「うん、凄いんだよ、ちょっと見ててね」
そう言うとフェリシーは一歩下がって、こほん、と咳払いをした。
「《ウォーターボール》」
右手を前にかざして水の球を作り出す言葉を唱えると、あっという間に彼女の手の先にはこぶし大の小さな水の球が浮かぶ。
フェリシーはその現れた水の球に、『矢へ』や『広がれ』など命令をして形を変化させ、やがて『消えて』と命令して作り出した水を消失させると、レティは大きな声を上げて驚いた。
「詠唱短縮!? いつ出来るようになったの!」
「馬車の中でトートさんの魔力の流れを見てね、ぼくも試してみようって色々やってみて、魔法使いなら逆に魔法を使う分に回したらどうだろう、とか色々やってたら出来るようになっちゃった」
「はー、天才かよぉー」
カナは愚痴のように呟くと、座った体勢のまま後ろにぱたんと上半身を倒す。
いつもならこう気の抜けた行動をするカナにレティのチョップが入るのだが、彼女も言葉を失ったままフェリシーを見つめていた。
「ち、違うの、これくらいなら魔力の流れを変えれば皆も出来るようになるよ」
「あたしにゃできねぇー」
「私も、ちょっとイメージ出来ないわね……」
二人して黙ってしまったが、フェリシーはぶんぶん首を振って、それよりも、と言葉を発する。
「トートさんは、常に身体能力の魔力のみの流れにしてたんだ、ぼーっと座ってる時も、眠っている時も。凄い事なんだよ、気を抜いたら魔力の流れは戻っちゃうんだから」
「でもそう聞くと、魔法は使えなくなっちゃいそうね?」
「うん、魔法は使えないと思う。でも二人も闘技場で見たでしょ、あれなら魔法は使わなくても充分だと思わない?」
「あれだけ強ければ、もっと美味しい食事にありつけるよねー」
「トートさん鎧すら着けてなかったわよね、私たちもあれほど力が出せるものなの?」
レティに訊かれ、フェリシーはこめかみに人差し指を当てて考える、彼女自身集中すれば大まかな魔力の流れは確認できるものの、はっきりとした魔力量までは認識する事が出来ないので、トートの魔力量を知らなかったのだ。
「うーん、ぼくには断言できないけど、今よりは絶対強くなれる筈だよ。レティもカナも魔法は使わないし、魔力を全部身体能力の方へ回しても困らないでしょ?」
「だねー、あたしは覚えられそうにないし、魔法は使いたかないねー」
「それで、どうやったら魔力の流れを変えられるのかしら」
「どうしようかな、とりあえず二人とも立ってくれる?」
レティとカナはベッドから立ち上がりフェリシーの側に寄ると、フェリシーは背後の机に立て掛けていた自分の背の高さほどもある杖を手に取って二人の前に立った。
「じゃあ、イメージしやすくするために、今の魔力の流れを二人の前に描くね」
杖の先をレティの頭に乗せてフェリシーが念じると、レティの目の前にふわりと輝く青い線と赤い線が浮かび上がった。
彼女は同じようにカナの頭の上にも杖を置いて念じ、もう一つ青い線と赤い線を浮かび上がらせる。
「青い線が魔法を使う為の線で、赤い線が身体能力を上げる線ね。イメージとしては、この青い線を内側に入れていくんだ」
フェリシーは杖の先を浮かび上がった青い線の中間に当てると、赤い線へと繋げて行く、赤い線と繋がった青い線は、次第に赤色に侵食されていき綺麗な赤色に変化した。
「言いたい事は分かったけど、魔力の動かし方なんて想像もできないわよ?」
「うーん、そうだなあ」
相変わらず人差し指をこめかみに当ててフェリシーは考える、効率は二の次、まずは極々僅かにでも良いから魔力の流れの動かし方を覚えなければお話にならない、ならばどうすれば良いのか、自分のやり方を伝えるのが一番かな、と。
「じゃあ、まず力抜いて」
「フェリシー、フェリシー」
突然カナが呼ぶのでカナの前に立つと、ぐいっと腕を引っ張られてフェリシーはカナの腕の中に収まった。
「うふふー、力抜いてー」
盗賊もかくやといった速度で服のボタンを外してフェリシーの身体に指を這わせるカナ。
「ち、ちょっと、今は、だめ!」
あまりに突然の行動だったので反応が遅れたが、我に帰ると顔を上気させながら叫んで、杖を後ろに振った。
ポコンと良い音がして、カナがうずくまる。
「うわーん、本気でぶったー」
「はあ、当たり前でしょ、真面目な話してるんだから我慢しなさいよ……」
そんなカナを冷ややかな目で見つめながらため息をついて、レティが呟く、明日はまた朝早くから馬車の護衛をするのに、一体何をしているんだと。
「そ、そうだよ、この魔力の流れを操作出来るようになれば、もっと楽に依頼をこなせるようになるんだよ、頑張ろ」
「うう、頑張るー」
頭を抑えながら立ち上がったカナは、大人しくフェリシーの言葉を聞いて魔力操作に勤しむ。
フェリシーの授業開始から一時間もした頃、漸くカナの魔力の流れに変化があった、外に向かっていた魔力が僅かに内側に向かうようになったのだ。
「カナ、できてるよ!」
「いま、あたし集中してるから、話すのダメ」
「う、うん」
珍しくカナが真面目モードなので、フェリシーも黙って二人の変化を見守る事に徹する、しかし、今の所動いたのはつい先ほどのカナの一瞬のみで、話しかけてしまった所為か魔力の流れは元に戻っていた。
それからまた一時間経つと、カナは僅かだが魔力の流れを制御できるようになっていた。
(ぼくに『天才かよー』とか言ってたけど、本人が一番天才に近いと思うんだよなあ、なんだかんだ言って、何でも教えればすぐ出来るようになるし)
「も、もう無理」
「私も、集中力が持たないわ」
急に集中が途切れ魔力が元に戻ると、カナはパタリと床に伏せ、続けてレティも床にぺたりと座り込んだ。
「フェリシー、どう、少しでも動かせてた?」
「う、いや……」
座り込んだレティにフェリシーは首を振って答えると、自分自身気づいていたのかそのままカナのように床に倒れこんだ。
「ごめん、いつものように私が最後ね。全然手がかりも掴めてない感じ、難しいわ、コツさえ掴んじゃえばすぐだと思うのだけど……」
「焦らなくても大丈夫だよ、カナも覚えたら手伝う側に回れるだろうし」
「そうね、はあ、カナの才能がちょっと羨ましいわ」
「あたしもう無理ー、寝る」
「まって、せめてベッドに乗ってから寝なさいよ」
「ぼくが運ぶよ、魔力の流れを操作すれば、結構力も出せるようになったんだ」
「そう、悪いわね、私ももう集中のしすぎで頭が痛いからすぐ寝るわ」
「うん、明日は早いから寝坊しないようにしないとね」
レティがベッドに横になり、フェリシーもカナを引きずって隣のベッドの上に乗せ、自身も机の上の明かりを消すと、空いているベッドに横になった。
「じゃあ、おやすみ」
翌日は王都アリエスへの馬車の護衛だから、しばらくは魔力の流れの操作は練習できなさそうだけれど、カナ辺りは移動中にある程度習得してしまうかもしれないな、なんて思いつつ、次第にフェリシーの意識は薄れていった。




